【side story】神の日常、乙女の戦い ~アリアとルナの神域観察日記~
「……んー、今日のファンタジーゾーンの生態系調整は、こんなところでいいかしら。ケンジさんたちも、新しいモンスター相手に、そろそろ歯ごたえを感じ始めている頃でしょうしね。にひひっ」
ルナ・サクヤは、神域のメインコンソールの前に座り、ホログラムで投影された地球の状況を眺めながら、満足げにコーヒーを一口飲んだ。宇宙規模の「お仕事」の合間には、こうして地球の「箱庭」の成長を観察するのが、彼女にとっての最高の息抜きだった。
その時。
ルナの膝の上に、ふわっと柔らかな重みが乗った。美少女として具現化したアリアが、いつの間にかルナの隣に寄り添い、膝の上にそっと座っていたのだ。
アリアは、ルナの腕にそっと自身の腕を絡ませ、澄んだ瞳で、ルナが見ているホログラムをじっと見つめている。銀色の髪が、ルナの肩にさらりと触れる。
「……アリア。いつからそこにいたの? もう、人型になったのだから、いちいち抱きついてこなくてもいいのよ?」
ルナ・サクヤは、ほんの少しだけ顔を赤らめ、視線を逸らしながら言った。人の体温が、こんなにも近くにあることに、まだ慣れない自分がいた。
アリアは、何も言わず、ただルナを見上げた。その物憂げな瞳が、しかし強い意志を宿して、ルナの目を真っ直ぐに見つめ返す。そして、ルナの腕に絡ませた腕を、少しだけぎゅっと力を込めた。
「……そんな……。今までは……ずっと、こうしていました……。だめ……ですか……?」
アリアの声は、静かで、しかし幼子のように潤んだ響きを帯びていた。
その言葉に、ルナ・サクヤは「ぐぅっ」と喉を詰まらせた。
(……ずるい。そんな顔で、そんなこと言われたら……。)
ルナの脳裏には、クマのぬいぐるみの姿だったアリアを、夜な夜な抱きしめて眠っていた、あの温かい日々が蘇る。確かに、あの頃は、ぬいぐるみだったから、特に気にもせず抱きしめていた。だが、今は、人型だ。しかも、こんなに美少女にこんな表情で迫られてしまっては……!
「し、し、仕方ないわね……。わ、分かったわよ。でも、その……あんまり、こう……べったりしすぎないように……」
ルナ・サクヤは、頬を染めながら、うつむいた。
アリアの瞳が、僅かに輝いた。その顔に、微かな笑みが浮かんだように見えた。
そして、ルナの腕に、さらにそっと、体重を預けてきた。ルナは、その重みに、ため息をつきながらも、アリアの頭を優しく撫でた。
『……お姉さまは……この、生命の流転……を……制御しているのですね……。』
アリアが、ホログラムの地球を見つめながら、静かに呟いた。
ルナ・サクヤは、その変化を見逃さなかった。アリアの言葉の端々に現れる「リリアン星」の記憶の断片。それは、彼女の悲劇の根源。
(……もう、貴女は傷つかなくていい。)
ルナは、心の中でそっと呟き、アリアの頭をもう一度、ぎゅっと抱きしめた。
その日から、ルナ・サクヤの神域の日常には、ある種の「パターン」が生まれた。
ルナが真剣に作業をしていると、いつの間にかアリアが膝の上に座り、じっとルナを見つめている。
ルナがコーヒーを飲もうとすると、アリアがそのカップを澄んだ瞳で見つめ、「……熱そう……」と呟く。
ルナが少しでも難題にぶつかって腕を組むと、アリアはそっとルナの袖を引っ張り、「……何か……お困りですか……?」と、問いかけをする。
ルナは、そのたびに「ちょっと! 恥ずかしいでしょ!」「覗き見しないの!」「別に困ってなんかないわよ!」と、顔を赤くして反論するが、アリアはただ静かに、ルナを見つめ返すだけ。そして、ルナが最終的に「ぐぅっ」「し、仕方ないわね」と折れることになる。
夜になると、アリアはルナのベッドに、そっともぐり込もうとする。
「 もう人型になったのだから、自分のベッドで寝ないとだめよ。 恥ずかしいでしょう!?」
ルナは、必死に抗議する。
「……そんな……。今まで……ずっと、こうしていました……。」
アリアの声が、幼子のように潤む。その瞳が、ルナを見上げる。
「ぐぅっ……し、仕方ないわね……。全く、この子は……。少しの期間だからね!近いうちに一人で眠れるようになりなさいよ!」
結局、ルナは折れてしまい、アリアを抱きしめて眠るのが、日課になっていた。その温かな体温が、彼女のこころの奥底に、じんわりと温かい光を灯していく。
【月詠朔:神域(旧六畳間)】
「……ふぅ。全く、アリアったら。私をこんなに翻弄するとは……。これも、私が作り出した、新らしい「バグ」ということかしら……」
ルナ・サクヤは、メインコンソールの前に一人座り、遠い宇宙の彼方に視線を向けた。彼女の顔には、若干の疲労の色と共に、満更でもないような、複雑な笑みが浮かんでいる。
『ルナ・サクヤ。対象:アリアとの精神的共有システムにおいて、感情的パラメータの継続的な上昇を確認。特に『慈愛』『保護欲』『困惑』といった複合的感情が、過去最高値を更新しています。これは、貴殿の精神構造に、極めてポジティブな影響を与えていると推測されます。』
シロ(システム)が、冷静に報告する。
「……うるさいわよ、シロ。私が、そんな、人間的な感情に左右されているわけないでしょう? これはあくまで、アリアの精神安定が、宇宙のエネルギーバランスに与える影響の『データ収集』よ。そうよ、データ収集!」
ルナ・サクヤは、少しだけ顔を赤らめ、必死に言い訳をした。
だが、その言い訳は、彼女自身にも、そしてシロにも、全く響いていなかった。
神の日常は、アリアという名の、静かな、しかし確かな光によって、日々温かく彩られていく。
そして、ルナ・サクヤが直面する、宇宙規模の大きな戦いにおいて、彼女の心の支えの一つとなることだろう。