【side story】神の庭園、人間たちの奮闘と美食の誘惑
キューピッド・ストライカーズの地道な活動によって、小野寺さくの淡い恋心が順調に(ルナ・サクヤの精神負荷と引き換えに)育まれていく一方で、地球では、ルナ・サクヤが設計した「神の庭園」こと「ファンタジーゾーン」と、それを統括する「ギルド」の運営が、着実に軌道に乗っていた。
【首相官邸、特命全権大使執務室】
「……ふむ、オアシス・トーキョーの『冒険者ギルド』は、設立から三ヶ月で登録者数一万人を突破。ゴブリン討伐数が順調に伸びているのは良いとして、『ダンジョン踏破数』が伸び悩んでいますね。特に『エンシェント・ゴブリンキングの迷宮』の踏破率はわずか0.5%……」
小野寺拓海は、山積みの報告書の中から、冒険者ギルドの活動報告書を手に、眉間に深い皺を寄せていた。彼自身は、ルナ・サクヤの『ファンタジーゾーン・フェーズ2』の構想(ワイバーンだのドラゴンだの、果ては神話級だのという、常識を逸脱した「新しい隣人」を招き入れる計画)について既に聞かされており、その準備に追われていた。だからこそ、現状の冒険者たちの練度では、フェーズ2など到底無理だと感じていた。
「大使! ルナ・サクヤ様への最終プレゼンテーションカフェ、『星々の饗宴』の準備が整いました! すでに数十名の候補者の中から選ばれたファイナリストたちが、最終試作に取り掛かっております!」
明るい声と共に、秘書官の陽気ひかりが、執務室に飛び込んできた。彼女の背後には、いかにも菓子職人といった風情の、白衣を纏った男が緊張した面持ちで立っている。
小野寺は、慌てて報告書を脇に置いた。この「神のティールーム専属パティシエ選定」も、ルナ・サクヤからの最重要(?)任務の一つだ。
「ひかり君、ちょっと待ってくれ。先程、オアシス・パリのギルドから緊急報告が。彼らが新たに発見した『魔物素材のポーション生成理論』について、ルナ・サクヤ様からのご指示を仰ぎたいと……」
「だーめですよ、大使! ルナ様案件は何よりも優先です! 神様のご機嫌は、地球の明日に直結するんですからね! しかも、この『星々の饗宴』は、世界中で大好評を博し、最終決定権を持つルナ様の舌を唸らせられるか、このカフェの最終投票にかかっているんですから!」
ひかりは、小野寺の言葉など聞く耳持たず、有無を言わせぬ勢いでパティシエを小野寺の前に押し出した。その瞳は、まるで「最高のケーキで神を喜ばせよ!」と命じる教祖のようだ。
小野寺は、内心でため息をつきながらも、パティシエとの最終面談を始めた。既に世界中の名だたる菓子職人や料理人たちが、ルナ・サクヤの「御意向」を汲むべく、連日連夜、常識を超えた創作スイーツや料理を生み出していた。彼らの作品は、「星々の饗宴」と名付けられた特設カフェで一般にも提供され、その斬新な味と見た目、そして「神への奉納品」という付加価値によって、世界中で空前の大ブームを巻き起こしていた。
「……『銀河の夜明けをイメージした七色のジュレと星屑のトッピングのパフェ』を基調とし、さらに『宇宙の深淵』と『生命の輝き』をテーマに……ただし、甘さ控えめ、かつ深みのある味わいを追求し、隠し味には『時空を超えたインスピレーション』を盛り込むこと……」
小野寺が伝えるルナ・サクヤの好み(という名の無茶振り)は、最早パティシエにとっては宇宙の謎を解くようなものだったが、彼らの顔には、顔色を失うよりも先に、どこか狂気じみた、しかし純粋な「創作意欲」が宿っていた。
「は、はは……私も、もはやパティシエではなく、神の代理人として、宇宙の真理をスイーツで表現することを目指しております!」
パティシエは、そう言って、瞳を輝かせた。
(これ、本当に人類の平和のためにやっていることなんだろうか……)
小野寺は、自問自答しながらも、この「神の美食任務」に全力を尽くす。なぜなら、彼には分かっていた。この一見無意味に見える任務が、ルナ・サクヤの機嫌を保ち、結果的に地球の平和に繋がっていることを。そして何よりも、この任務を通じて、人間たちが本来持つ、尽きることのない創造性や情熱が、新たな形で花開いていることもまた、事実だった。
その頃、執務室の隅のデスクで、巨大なホログラムモニターと格闘していた熊井巌は、今日もまた、ルナ・サクヤからの「神託」に頭を抱えていた。
「……『エンシェント・ドラゴンズ・ネスト』に『時空の歪みを操るミノタウロス』、そして『真実を映す鏡のダンジョン』だと……? しかも、攻略のヒントが『勇者の心の清らかさが鍵』とか……大使、これ、本当にゲームバランスの資料なんですかね? 哲学書かなんかじゃないんですか?」
熊井は、図体が大きい分、頭を抱える仕草も豪快だ。彼は、ファンタジーゾーンのモンスターの生態系やダンジョンの設計、そして冒険者ギルドのクエスト管理を担当している。
「ルナ様からは『ただ強いだけじゃつまらない。ちゃんと弱点と、攻略のためのヒントも用意しておくように』と、ご指示がありましたので……」
小野寺が、少し疲れた声で説明すると、熊井は大きなため息をついた。
「なるほど。つまり、脳筋の俺に、勇者の『心』のあり方を考えろ、と。……無理難題にもほどがありますな。よし、こうなったら、ファンタジーゾーンで一番『心が清らかな』冒険者を見つけて、そいつに検証させてみるか……」
熊井は、自らの解決策に、ぶっきらぼうながらも確信を持っていた。彼の脳内では、すでに「心の清らかな冒険者発掘プロジェクト」が始動している。
【ファンタジーゾーン、オアシス・トーキョー支部】
「っしゃー! ゴブリンキング、撃破だぜ!」
ギルドのクエストボードの前で、汗だくのケンジ(元ワイルドハントのケンジだ)が、拳を突き上げた。彼の周りには、同じく泥だらけになった仲間たちが、疲労と達成感の入り混じった笑顔を浮かべている。
彼らは、今やオアシス・トーキョー冒険者ギルドのエース級パーティー「ハウリング・ブレイズ」として、その名を轟かせていた。ケンジの超人的な身体能力は、ゴブリンキングの鉄壁の防御を打ち破り、その豪快な戦闘スタイルは、多くの新人冒険者たちの憧れの的となっていた。
「これでまた、新しい素材が手に入るな! 今度は、魔物の皮で『耐熱性の高い防具』を作れるぜ! 火山地帯の探索にも使えるかもしれねぇ!」
仲間の錬金術師が、目を輝かせながらケンジに告げる。
彼らは、ルナ・サクヤが「お遊び」で提供したモンスターの素材や、ダンジョンで得られる資源を、生活必需品や新たな装備へと転換し、自らの手で文明を再構築していた。ルナ・サクヤの介入が徐々に減る中で,彼らは、与えられた基盤を最大限に活かし、自律的な進化を遂げつつあった。
その活動は、ルナ・サクヤの意図通り、人類の「活性化」に繋がっていた。
【月詠朔:神域(旧六畳間)】
ルナ・サクヤは、神域のメインコンソールに映し出される、地球の状況を眺めていた。
小野寺が頭を抱えながらもパティシエ選定を進める様子。熊井が「心の清らかな冒険者」を探し始め、その過程でなぜか孤児院に通い詰めている姿。そして、ケンジたちが、ゴブリンキングを倒して歓声を上げている映像。
(ふふん。なかなか頑張っているじゃない、人間たち。私の『箱庭』、着実に育ってきているわね)
彼女の口元に、満足げな笑みが浮かんだ。
傍らのアリアが、ホログラムに顔を近づけて、静かに呟いた。
『……お姉さま……。皆……とても……輝いています……。』
その言葉に、ルナ・サクヤは、そっとアリアの頭を撫でた。