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ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
第一章 孤独な戦域
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第五話:予兆と選択


最初の襲撃から一週間が経過した。

世界は、表面上は落ち着きを取り戻しつつあったが、その底流には依然として見えない緊張感が漂っていた。いつまた「ラビット」が現れるか分からないという不安は、人々の心に深く根を下ろしている。

政府は能力者の登録制度の準備を進め、メディアは連日、専門家と称する人々をスタジオに招いては、今後の予測や対策について議論を戦わせているが、そのどれもが空虚な言葉の応酬にしか聞こえなかった。


さくの日常は、以前とほとんど変わらない。

六畳間の「司令室」で情報を収集し、ネットスーパーで食料を注文し、そして、アタッシュケースの中の装備に微調整を加える。

ただ一つ変わったことと言えば、以前よりも格段に睡眠時間が短くなったことと、常にどこか神経が張り詰めているような感覚があることくらいだ。


(……何も、起きないな)


あの日以来、「システム」からの明確なコンタクトはない。

時折、脳裏にかすかなノイズのようなものを感じることはあるが、それが「システム」からのものなのか、単なる疲労やストレスによるものなのかは判然としなかった。

怪異の出現もない。少なくとも、朔の住む地域では。


このまま、何も起こらずに日常が戻るのだろうか?

そんな淡い期待が、朔の胸をよぎらないでもなかった。

もう二度と、あのライフルの引き金を引かずに済むのなら、それに越したことはない。

人間不信の彼女にとって、他人と関わる可能性のある「戦い」など、できることなら避けたい行為だ。


しかし、心のどこかで、それはあり得ないだろうという諦観にも似た確信もあった。

あの「システム」が、わざわざ自分に力を与え、装備まで用意したのは、明らかに何らかの目的があってのことだ。一度きりの偶然や気まぐれではないはずだ。


その予感は、ある日の午後、唐突に現実のものとなった。


いつものようにモニターでネットニュースを眺めていた時だった。

不意に、キーン、という鋭い耳鳴りが、あの日と同じように朔の頭蓋を貫いた。

思わず顔をしかめ、こめかみを押さえる。


(……またか)


そして、耳鳴りが引いた直後、脳の奥に直接、あの冷たく無機質な「感覚」が流れ込んできた。


『警告。高エネルギー反応を複数感知。対象座標、南々東、約5キロメートル。脅威レベル、前回と同等、あるいはそれ以上。出現予測時刻、15分後』


さくは息を飲んだ。

全身の毛が逆立つような、嫌な感覚。

間違いない。これは「システム」からの明確な情報だ。

そして、その内容は、最悪の予測を裏付けるものだった。


南々東、約5キロメートル。

そこは、このマンションから見ると、隣の区画にある比較的人口の多い商業エリアだ。もし、そこに前回と同等、あるいはそれ以上の数の「ラビット」が出現すれば、甚大な被害が出ることは間違いない。


(15分後……)


時間はあまりない。

だが、前回のように、訳も分からず屋上に駆け上がるようなことはしない。

この一週間、彼女なりに準備はしてきた。


さくは冷静に、しかし迅速に行動を開始した。

まず、クローゼットの奥から、強化・調整済みの黒いスーツとアタッシュケースを取り出す。スーツは、以前よりも体にフィットし、動きやすくなっているように感じられた。素材も、どこか周囲の光を吸収するような、より深い黒色に変化している。

ライフルは、銃身をわずかに短縮し、代わりに光学サイトの性能を向上させた。遠距離からの精密狙撃に、より特化した仕様だ。さらに、予備のエネルギーパックの他に、数種類の異なる効果を持つと思われるカートリッジ(これも「システム」からの情報に基づき、朔がイメージして「生成」したものだ)を数本、ベルトのポーチに差し込む。


装備を身に着けながら、朔は脳内で思考を巡らせる。

前回の戦場は、マンションの屋上だった。そこからの狙撃は有効だったが、同じ手が何度も通用するとは限らない。それに、今回はターゲットエリアが前回よりも少し離れている。より効率的に、そして安全に任務を遂行するためには、別の狙撃ポイントを確保する必要があるかもしれない。


(……行くか、行かないか)


その選択肢が、一瞬だけ頭をよぎった。

行かなければ、誰かが傷つき、死ぬかもしれない。

行けば、また自分は危険に身を晒し、そして、あの不快な「戦い」を繰り返すことになる。

そして、また誰かに「名無しヒーロー」などと騒がれるかもしれない。


だが、その逡巡は、ほんの数秒で消え去った。

理由は、自分でもよく分からない。

義務感か、あるいは、あの「システム」への反発か。

それとも、一度トリガーを引いてしまった者の、逃れられない宿命のようなものか。


あるいは――ほんの少しだけ、あの時、屋上で感じた、誰かを守れたかもしれないという、微かな手応えが、彼女の背中を押したのかもしれない。


朔は、フードを目深にかぶり、ゴーグルを装着した。

視界の端に、淡い緑色のUIが浮かび上がる。エネルギー残量、周囲の環境データ、そして、ターゲットエリアまでの簡易マップ。


「……面倒くさい」


小さく、誰にともなく呟く。

それは、いつもの彼女の口癖だったが、その声には、どこか覚悟を決めたような響きが混じっていた。


朔は、静かに自室のドアを開け、人気の無いマンションの廊下へと足を踏み出した。

目指すは、新たな戦場。

そして、その先にある、まだ見えない未来。

ひとりぼっちの最終防衛線ラストラインが、再びその役目を果たそうとしていた。


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