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セラフォーネ襲撃事件

よろしくお願いします。

 半月が空にのぼっているけれど、宿屋の裏手は大きな岩盤に囲まれていて薄暗い。

 裏庭に面した廊下の窓に、黒い影が三つ並んだ。

 身体が大きな三人の態度も堂々としたもので、真ん中に立つ男が両手を頭の上に振り上げた。両手にしっかりと掴まれているのは、大きな岩だ。狙いを定めているのは、もちろん目の前の窓。


 裏庭の隅で様子を窺っていた店主が、悲鳴をあげかけた。その口をふさいだのはシェイラだ。

 セラフォーネはとっくに走り出して、その場所にはもういない。

 

 岩が地面にめり込む音がするのと同時に、ゴギリと骨が外れる鈍い音が静かな夜に響いた。痛みを堪えきれない男が地面でのたうちまわっていると、ガッゴッという痛そうな音と共にぐしゃりと地面に倒れる音が続く。

 苦しげな呻き声の合間に数回鈍い音が聞こえて、暫くすると何も聞こえなくなった。闇夜に静寂が戻った。


「終わったぞ」

 セラフォーネがそう声をかけると、待ってましたとばかりに二人が飛んできた。

 焦りすぎて足元が全く見えていない宿屋の店主が、転びかけながらランプで辺りを照らす。真っ暗な裏庭の真ん中に浮かび上がったのは、縄で縛られている三人の男だ。


「嘘だろ……」

 そう呟いた店主だって、これが現実なのは分かっている。

 ただあまりにも急転直下で起きた事態に、頭の中だけでは理解が全く追いつかない。


「この宿屋は、今晩賊に襲われる」

 セラフォーネから謎の予言をされた店主は、最初は全く聞く耳を持たなかった。

 だって、言ってきたのは毒薔薇だ。


 なんか思っていたのとは違ったけど、ヘルムート家の馬車で来たのだから毒薔薇だ。そんな奴の言うことなんか信じるに値しない。公爵夫人? ヘルムート領でそう思っている奴なんて、一人もいない。そう思っていた。

 言ったセラフォーネだって、自分の言葉を信じてもらえるなんて思っていなかった。

 それでも、セラフォーネには確信があった。


 ヘルムート領に入ってから、宿屋の外で蠢く視線を感じていた。

 セラフォーネが本当に侍女一人しかつけていないのか? ランカスト家の護衛はいないのか? 夜はどういう行動をとるのか? 誰かがそれを視ていた。

 ヘルムート家の目の前という異常な状況下で泊まることになり、今日のために行動を観察されていたと理解した。


 襲われるのは構わないが、被害者となるのはセラフォーネではない。巻き込まれた宿屋だ。だから事前に伝えて、被害を最低限に回避しようとしたのだ。

 しかし、宿屋にセラフォーネの気持ちが伝わるはずがない。半ば? いや、かなり強引に押し切るしかなかった……。


「……どうしてだ? 俺は頼まれた通り部屋を用意しただけなのに……」

 冷たい地面にガックリと膝をついた店主に、やけに陽気な賊の一人が言った。

「そりゃお前が騙されたんだよ。俺たちは、宿屋をぶっ壊して構わないと言われていたからな」


 賊がわははと笑い出すと、残りの二人も一緒になって笑い出した。

 青ざめた顔で店主が恨みのこもった目を向けるも、三人からは罪悪感も悲壮感も一切見えない。

 自分たちの状況を理解しているのか? と不安になるくらいだ。


「……お前ら、鉱山の奴だろう? 自分が何をしたか分かっているのか……?」

 もちろんだと三人は頷く。

「こんなケチな宿屋に金持ちが泊まると聞いたから、金でも恵んでもらおうと思ったんだ」

 へらへらと笑う男の目は、とろんと濁っている。

 その目をじっと観察しながらセラフォーネが聞く。

「誰から聞いたんだ?」

「そんなのは、お前、ワイラーに決まってんだろ」

「ワイラーは誰だ?」

「鉱山に来て二年なのに、いつの間にか鉱夫の中心になった男だよ。やっべぇ目をしたバックもついてるし、今じゃもう誰も逆らえないんだ」

「そのワイラーは、誰から情報を得たか言っていたか?」

「ヘルムート家だよ! 他に誰がいるっていうんだ。アホか! ワイラーとお屋敷はずぶずぶの関係なんだよ」

「いや、違うだろう? お屋敷はワイラーの言いなりだよ」


 仲間の言葉に、賊はぎゃたぎゃたと笑っている……。

 自分たちの犯した罪の重さを分かっているのだろうか? 多分、分かっていない。

 明らかに思考力が、どこかはるか遠くに弾け飛んでしまっているのだ。


 宿屋の店主は、こんなのと一緒にされたらかなわないと必死だ。

 セラフォーネに縋りついて「違います! 俺は関係ない! 本当です!」と声を震わせた。

「お屋敷の使用人が、昼間に急に来たんです。奥方様が来るから泊めろと言われました。でも、夜中にこんな奴らが来るなんて聞いていない! 本当なんですぅ!」


 店主がこれだけ自分の立場が危ういと感じているのに、賊に危機感なんてものは存在しない。


「あああっ! 畜生! 金持ちの女と連れしかいないって聞いていたのに、とんでもねぇ護衛がいるじゃねぇか! 聞いてねぇ!」

「ワイラーに騙された!」

「おい、護衛! 俺たちよりも、ワイラーを捕まえろ!」


 夜盗はセラフォーネを男と認識している。

 シェイラは呆れたが、すぐに思い直してセラフォーネを見た。

 この薄暗い中で化粧っ気もなく、黒いズボンに白いシャツだ。胸の膨らみは、正直全く気にならない。

 それよりも、たった一人で賊を叩きのめしたのだ。それも圧倒的な強さでとなれば、賊の認識が正しいと言える……。


「女から金をとって、ワイラーに渡すのか?」

「ワイラーには金がある。あいつが欲しかったのは、金持ち女だよ」

「そうそう。赤髪の金持ち女を連れて来いって言われたけど、宿屋にいないんじゃどうしようもねぇよ」

「あんたも綺麗な面だし赤髪だな? 変わりにワイラーのところに行くか?」

 セラフォーネを見てニタニタととんでもないことを言い出した。

「あんたの雇い主の女は、相当悪い奴なんだろう? そんな奴捨ててしまえ! あんたの腕なら、もっと金が稼げるぞ?」

「いや、あんたなら護衛よりもっといい仕事がある」

「そうだな。紹介してやるから縄をと――」


 三人は今まで通り、ぎゃたぎゃたとは笑えなかった。濁っていた目を見開いて、息をつめた。

 真ん中の男の喉元に、短剣が突きつけられていた。喉に触れた剣先から、一筋の血が首を伝っていく。

 短剣を握っているのはシェイラだ。いつ喉を掻っ切ってもおかしくない殺気が溢れ、場が急に静まり返った。

 おかげで? 死を感じた三人は、ようやく目に正気が戻ってきた。


「シェイラ、殺すと色々面倒だ。やめておけ」

「公害を野放しにする気? 公爵夫人を攫うなんて、馬鹿すぎて開いた口が塞がらないわ!」


 シェイラが告げた事実に、賊は弾かれたように顔を上げる。はずみで短剣が少し喉を裂いたが、今は痛みどころではないらしい。


「公爵夫人だと……? 誰が?」

 シェイラと店主の視線が護衛に向けられると、三人は声にならない悲鳴をあげた。

「そんなことは聞いていない!」

「ここに泊まっている金持ち女は、平民だって。王都で人を騙して、逃げているんだって。だから攫ったって、世直しみたいなもんだって……」

「そうだよ! 毒薔薇の仲間だって、ワイラーは言っていた。だったら、何をしたって構わないだろう!」


 いつ喉に突き立てられてもおかしくない短剣はセラフォーネに回収されたのに、シェイラの殺気や怒りは増していくばかりだ。顔つきが悪鬼のごとくで、これではどちらが悪人か分からない……。

 宿屋店主なんて顔色が真っ青を通り越して黒ずんでいる。恐怖のあまり固まって、逃げることもできない。

 自分の宿屋で公爵夫人が攫われたとなれば、店主の命なんて蟻同然に踏みつぶされる。


「ふざけるな……。お前たちは、なんてことをしでかしてくれたんだ!」

 恐怖に引きつった店主に向かって、真ん中の男は「お前だって、俺たちと変わらない!」と怒鳴り返した。

「お前だけじゃない。街中のみんながそうだ。お屋敷に言われていたじゃねぇか。毒薔薇が来ても何も売るな、相手をするな、無視しろって」

「毒薔薇だったら、何をしたって問題ない。領主がもみ消してくれるから、安心してヘルムート領から叩き出せって」


 店主の強張った顔が、ゆっくりとセラフォーネに向けられた。

 この話を聞いたセラフォーネが傷つくと思ったのだろうか? 毒薔薇としてのプライドが傷ついて怒りだすと思ったのだろうか?

 だが、そのどちらも答えではない。


 中世的で性別の分からない絶世の美形が、オレンジ色の灯りに照らされて笑うさまは恐怖でしかない。

 店主はもう、魂が半分抜けかかっている。


「まだ自分たちが騙されたことに気づかないとは、思考が鈍すぎる。何か一服盛られたんじゃないか?」


 恐ろしい笑顔で凄まれ、賊はぶるりと震えた。全身が「危険! 距離を取れ!」と信号を発しているのに、縛られていては身動きが取れない。恐怖で身体が凍てついているのに、毛穴から汗が噴き出して止まらない。

 他の二人も同じで、恐怖で見開いた目以外は縮み上がっていた。


 セラフォーネは何も言わず、男たちの前にしゃがみこんだ。

 にっこりと微笑まれ無理やり目線を合わされた男たちは、「栄養ドリンクをもらいました。ごめんなさい、ごめんなさい」と無意味に謝罪の言葉を繰り返した。

 セラフォーネは笑顔のままなのに、その場の空気だけが押しつぶされるほどに重さが増していく。


「……嘘だろう? 本当なのか? 本当にあんた、が……?」

 かすれる声でそう言った男は乾いた声で笑おうとしたが、顔を歪ませただけで動けなくなった。


 見事にぶちのめされたせいで見落としたが、目の前にいる護衛? は確かに普通ではないオーラを纏っている。これだけ強く美しい男が、平民の犯罪者の護衛をしているのはおかしい。ちょっと考えれば気づくことだ……。

 どうして気づかなかった? いや、そんなことはもういい。今は信じられない。信じたくない……。その気持ちしかない。


「何でだよ! 大体、喋り方だって軍人みたいでおかしいだろう? そんはず……」

 男だって目の前にいるのが誰だか分かっている。それを認めたくないだけだ。


 瑠璃色の目は数回瞬きすると、じっと真ん中の男に向けられた。


「今は軍人ではない。誰も認めていないが、一応公爵夫人だ。そして毒薔薇だな」

「絶対に嘘だ……」

 思わずそう言ってしまった賊だが、自分が悪足掻きしているのは分かっていた。

 でもセラフォーネとあの噂の毒薔薇が、全く結びつかない。どうしたって、目の前にいるのが毒薔薇だとは思えない。


「セラフォーネ・ランカストが毒薔薇なのは、誰だって知っているだろう?」


 本人が言う通りで、確かに子供だって知っている。もちろん賊だって知っている。

 でもこれはあんまりだ。話が違いすぎる!


 世でいう毒薔薇は、妖艶なドレスを身にまとった絶世の美女だ。男を侍らすしか能のない毒婦だ。常に争いのど真ん中で笑っている阿婆擦れだ。

 なら、ここにいるのは誰だ?

 赤髪を一つに束ねて、白いシャツに黒いベストとズボンという地味で質素な乗馬服姿。瑠璃色の目に噂の妖艶さはなく、あるのは好奇心と冷静さだ。その目をくるくると動かして、あっけらかんと笑う姿は健全そのものではないか。


 全く艶のない赤髪を見せつけるように掴むと、セラフォーネは自分の目を指さした。


「赤髪に瑠璃色の目で、男を誑かすって有名だ」


 そう言われたところで、誰が納得できるだろう?

 背筋を伸ばして腕を組んだ姿は、優雅で高貴さを隠せていない。

 だが、どうしてだろう? 色気や女性らしさが皆無だ。


「……全然、誑かせてねぇだろぉぉぉぉぉぉ!」


 賊がそう叫ぶのも、仕方がない。セラフォーネ以外の全員がそう思った……。



 セラフォーネは再び三人の前にしゃがみこんだ。

「毒薔薇というキーワードで犯罪のハードルが下がるんだろうが、お前らがやろうとしたことは誘拐だ。鉱夫が思い付きでやることではない。何があった?」

 両眉を下げたセラフォーネがそう聞くと、初めて三人は後悔を見せた。

「……金が、どうしても金が必要だった……」

「ワイラーよりヤバい奴も出てきたし、言う通りにするしかなかった」

「あの三白眼はいかれてた。断れば、絶対に殺される……。命令に従うしか道がなかったんだ」

「それにあれ。グラスで飲まされた栄養ドリンク! あれがおかしかった!」

「そうだ! 前にワイラーからもらったのとは違った。怖いものなんかなくて、何でもできると思えた……」



 ワイラーが配る栄養ドリンク。これが全ての始まりだった。そう言い切ったのは、三人組のリーダー格キラソンだ。

 ワイラーが鉱山に来たのは二年前。その頃の鉱山はベテランが幅を利かせていて、新入りにはきつい場所だった。

 ワイラーがみんなに栄養剤をくれた時だって、新入りが輪に加わるために身銭を切ってご苦労なことだ。と鉱夫たちみんなが見下していた。

 だが、飲めば疲れが吹っ飛んでやる気が出るのだ。半年もしないうちにワイラーの周りに人が集まっていた。


 一年経った頃には頂点に君臨していたワイラーは、自分の役に立つ奴にしか栄養ドリンクをくれなくなった。

 大概の鉱夫は気にしないが、一部の者が栄養ドリンクを欲していた。

 あの爽快感を知ってしまうと、栄養ドリンクが欲しくてワイラーの言いなりになってしまうのだ。

 もっと効くと言われ、初回とは別の栄養ドリンクをもらっている鉱夫もいた。そういう奴等が暴力を制御できなくて、いつも目を血走らせていることに気づいても、誰も何も言えない空気ができあがっていた。


 キラソンたちが今回の事件を起こしたのは、仲間の一人が栄養ドリンクを盗んでワイラーの手下に半殺しにされたからだ。その上、「金を払え。払えないなら、嫁と子供を売るしかねぇ」とまで言われた。脅しじゃないのは、今までのワイラーを見ていれば分かる。だから三人は止めに入った。

 その三人にワイラーは、「だったら代わりに金を払え」と言ってきた。ビックリするほどの大金で、とても三人には払えない。

「なら」とワイラーが提案してきたのが、宿屋に泊まっている金持ち女を攫うことだった。


 当日、尻込みし始めた三人の下に、ワイラーともう一人別の男がやって来た。

 鉱夫らしくガタイの良いワイラーに比べたら、細身のなよなよした男だ。だが、そいつがワイラーより数百倍まともじゃないことも、もっともっと上に立つ人物なことも、すぐに分かった。


 廃屋に置かれた唯一の椅子に座った男を見た瞬間に、絶対に相手にしたらいけない人間だと後悔したが遅い。

 逃げ遅れた。

 本能がそう察知したが、そう簡単に腹は括れない。


 椅子に座って足を組んだ男が、緑色の目を細めて口角を上げた。それは笑顔とは程遠いおぞましいもので、身体中の血液が吸い取られたと思えるくらいの戦慄だった。

 笑いを含んではいるが、暗闇に引きずり込むような低い声で男は言った。


「まぁ、これでも飲んで頑張ってよ」


 三人が震えあがっていると、目の前にグラスが置かれた。

 白ワインのような半透明の液体で、少し甘ったるい匂いがする以外は気になることはない。

 この状況でなければ……。


「おなじみの栄養ドリンクだよ。効果は知っているよね? これでもう、ばっちりだ。ほら、早く飲んで」

 男の機嫌を損なわないために早く飲まなくてはと思うのに、怪しすぎて手が伸びない。

 三人が躊躇っていると、緑の目に細長い瞳孔が見え、蛇に絞め殺されそうだと思った。

「僕はね、あの子が欲しくてたまらないんだ。手伝ってよ」


 やばすぎる奴に捕まった。グラスの中身を飲まなければ命がないと確信した。キラソンがグラスを手に取ったのを見て、両脇の二人も後に続いた。

 三人が一気に飲み干すと、男は満足そうにうなずいた。


「ヘルムート家からの連絡では、毒薔薇は宿屋に着いたとのことです」

ワイラーは改まった口調なんて初めてだ。よくよく見れば、顔色なんて緊張で真っ白だった。


 でも、三人はそれどころではなかった。

 一気に酔っ払ったみたいに身体が熱くなりふわふわしているのに、何でもできる気がして力がみなぎっている。

 あれだけ尻込みしていたはずなのに、今すぐにでも宿屋に行って毒薔薇の仲間をとっ捕まえてやりたい。早く暴れたい。頭の中は、それだけだった。


 セラフォーネに叩き潰され、シェイラに殺されかけるまで、ずっとそんな状態が続いていた。


読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、引き続き読んでいただけると嬉しいです。

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