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いざ! ヘルムートへ……

よろしくお願いします。

 美しい港が有名なランカスト領だが、領主の屋敷があるのは山の中だ。

 屋敷というよりも要塞と言う方がしっくりくるのは、ここが国境の最前線であることを意味している。


 要塞の上に広がる青い空を飛ぶ鳥の目を借りると、視界の半分は緑の深い山々、残りは山の下に広がる美しい街並みと果てしなく碧い海が続く。

 そるがセラフォーネが二十四年間見続けてきた景色だ。


 ついさっきまで眩しくて目が開けられないほど黄金色に輝いていた朝日が、周囲を明るく照らし始めた。闇の中にあった森や街が、朝焼けにと共に浮き上がってくる。

 要塞の一番高い塔に立っているのはセラフォーネだ。まるで鳥にでもなった気分で、領地を三百六十度ぐるりと見渡す。ほうっとため息が出る美しさに、寂しさを感じてしまう。


 戦いと隣り合わせの場所だというのに、ランカスト領は殺風景さとは無縁だ。そこにランカスト領の人々の強さがある。セラフォーネは常々そう思っている。

 街を見下ろせばカラフルな建物が立ち並び、まるで色とりどりのお菓子箱のよう。それをもっと洗練させたのが港で、こちらは宝石箱だ。

 青い空と碧い海、濃い緑色の森と、色とりどりの建物。セラフォーネを取り巻く世界は本当に美しく、ここで毒薔薇が生まれたことが信じられない。


 これが最後だと見上げた青い空を、二羽の黒鳥が旋回していた。



 あっという間に時間は過ぎ、書類上セラフォーネはヘルムート公爵夫人になった。

 ランカスト領の美しさを目に焼き付けてからヘルムート家に向けて出発し、既に馬車に揺られて八日が過ぎていた。

 ランカスト家とヘルムート家は遠くも近くもない。ランカスト家の軍馬で急げば四日、普通の馬車で向かえば十日程で着く。

 軍人であるセラフォーネなら馬を選択するが、公爵夫人ならば馬車一択だ。馬車の旅など慣れないが、くるくると変わる景色はセラフォーネを楽しませてくれた。だがそれも、ヘルムート領に入ったとたんに面白味がなくなった。


「なんか、ずっと地味な色の景色……」


 セラフォーネが飲み込み続けた言葉を、シェイラは簡単に吐き出した。

 派手なら良いわけではない。地味には地味の良さがある。

 しかし、こうも同じものばかり見せられると、さすがに飽きるのだ。


 ヘルムート領に入ってからずっと灰色のまま、目に入る景色が変わらない。

 特別薄汚れているとか、荒んでいるとか、みすぼらしいわけではない。

 色とりどりの中にいたセラフォーネたちからすると物足りないと言うか、単調すぎるというか……。代り映えしなく、地味なのだ。最初はそれも新鮮だったのだが……。


 ヘルムート領は土地がやせていているだけでなく岩場が多い。当然のことながら農業に向かず緑が少ない。それに代わるように大きな鉱山があり、主要な産業は鉄鋼業だ。

 二人が繰り返し見てきたのも、岩場や塊鉄炉や作業場からなる集落ばかりだった。

 何度も同じ場所を回ってる? と思うほど、どの集落も建物の色から配置から大きさまで同じだ。

 建物自体もお金をケチっているわけではないのだろうが、全体的に灰色しかない。後は経過年数の多さで黒ずんでいるかいないかでしか差は見られない。

 地面も灰色。建物も灰色。周りの景色も灰色。空も灰色。さすがに参る。


「地味というか、堅実って言葉の方がしっくりくるんじゃないか? 同じ建物を作れば無駄がないし……」

 セラフォーネのフォローも弱い。

「それにしたって、地味よ。領民に華美であることを禁じているんじゃないの? ランカストの港とは大違い」

「港は様々な異文化が交錯する場所だからな。見栄えを考えて、あえて色鮮やかになるようにしてある」


 いったん戦争になれば家や要塞にこもることになるランカスト領では、そうなった時に気が滅入らず少しでも心穏やかでいられるよう家の中も外も明るい色合いの外壁や家具やファブリックになっている。心地よく住まう工夫が、昔から受け継がれているのだ。

 そんな色合いを前面に出して作られた港は人気を呼び、貿易だけでなく観光で訪れる人も多い。


「ランカスト領独自の刺繍や染色が施されたファブリックや洋服が広まり、国内外から人気が高まったのはイオニスのおかげだ。あの爆発的なヒットがあったから、港はより注目を集めた」

「『毒薔薇』の衣装や持ち物が、大人気になるなんてね……。世の中は怖いもの見たさの塊なのかしら? 恐ろしいわ」

 シェイラが苦々しい顔で舌打ちした。


 ランカスト領では平民だって色鮮やかな服を着てお洒落だ。セラフォーネのようにこげ茶色のシンプルなワンピース姿の方が、かえって目立つ。


「今はもうイオニスの代わりじゃないのだから、セラだってそんな地味な服を着ている必要ないわよね?」

「スカートだって履き慣れないんだぞ? 派手な服なんて着たら、余計に落ち着かない。私の勝負服はぐんぷーー」

「軍服はダメよ!」

 最後まで言わせてもらうことも叶わない。


 屋敷に入ったら我慢してスカートをはくから移動中はズボンでいいだろうと言うセラフォーネを、シェイラは一喝した。

「長年しみ付いた習慣は、そう簡単に抜けるものじゃないわ。淑女のマナーだって完全に付け焼き刃で怪しいのだから、調査をしに来たとバレないように少しは気をつかいなさいよ!」

 セラフォーネの苦笑いに、シェイラは頭が痛い……。


 ヘルムート家に潜入したら公爵夫人として振舞うとセラフォーネは言っているが、シェイラは不安しかなかった。その部分を補助するために、「一人で嫁ぐ」と言い張ったセラフォーネに同行したわけだが……。

 ヘルムート領に入ってから不当な扱いの数々を目の当たりにして、そんなことはもうどうでもよくなってしまった。できることなら一秒でも早く来た道を戻りたいし、ジェネストへの憎悪が増すばかりだ。


 毒薔薇を娶ることになった公爵に同情的なセラフォーネとは違い、シェイラは会ったこともないジェネスト・ヘルムートが大嫌いだ。

 そう、会ったことがないのだ!


 王命だろうが政略だろうが婚約が成立すれば、男性が婚約者に会いに行く。これがカイリッジ国の習わしだ。ヘルムート家にカイリッジ国の慣習など不要だ。と言われてしまえばそうなのかもしれないが……。

 それでも! シェイラは声を大にして言いたい! セラフォーネはジェネストに、二度手紙を送ったのだ。もちろん返事などないし、結婚の誓約もセラフォーネなしで行われた。

 あろうことか、結婚式をするかどうかの連絡もない。まぁ、結婚式などする気もないという嫌がらせなのは分かっているが……。

 それでも、だ! 国外にも大きな影響力を持つランカスト辺境伯家の娘を娶るのに、お披露目である結婚式はしない。それは毒薔薇だけでなく、ランカスト家を軽んじていることになる。

 ここは百歩譲ってランカスト家については目をつぶっても、セラフォーネを愛する者たちが、「お披露目するに当たらない」と判断されたことを許せるはずがない。貴族としてあり得ないことだし、それに関する相談が一言もないのは人としてもあり得ない。

 シェイラの中でジェネスト・ヘルムートと言えば、クズの中のクズだ。害虫以下だ。もし指揮権が与えられたのなら、迷わず暗殺命令を出す! それくらい底辺よりもっと地中深くに埋まっている。


「……もうこの際だから、捜査でも何でもいいわ。結婚より、よっぽどましよ!」

「いやいや、結婚をしたからヘルムート家に入れるんだ。妻としてしっかりと虐げられながら、きっちりと調べ尽くす」

「はいはい、調べ尽くそうじゃない! ヘルムート公爵の身包み……いえ、面の皮まではいでやるわ!」

 前のめりに膝を叩くシェイラは俄然やる気だ。怖いくらいに……。


「総司令が王命を受け入れた謎の理由は置いといて、どうしてヘルムート公爵は王命を拒まなかったのかしら?」

「この王命は、ヘルムート家に対する国王の嫌がらせと言われているだろう? それでも受け入れなくてはいけない事情が、公爵にはあったんだろうな」

「その答えが任務の鍵になる?」

「鍵の一つにはなる」


 ヘルムート家に嫁ぐことは、普通の令嬢からすれば絶海の孤島に行くも同然だ。それでも国王でさえ頭の上がらない、裕福で力のある家だ。妻の座を狙う者が一定数はいた。八年前にジェネストが貴族の粛正を始めるまでは……。


 貴族の不正を涼しい顔で切って捨てるジェネストが最初に罰したのは、ヘルムート家と親戚関係の家だった。当然ヘルムート公爵家だって無傷とはいかず、それなりに被害を被った。一発目から身内を攻撃してきたこともあって、彼の狙いはヘルムート家じゃないか? という噂もあったが、すぐに立ち消えた。

 彼が廃したのは一族だけではない。直属の部下の実家だって顔色一つ変えずに切り捨て、国王の側近だってお構いなしだ。そんな貴族の天敵とは距離を置きたいと思うのが普通で、縁を繋げようとする者はいなくなった。


「……やっぱりヘルムート家存続のためじゃない? 爵位を継ぐ以上、跡取りを作ることは絶対だもの。平民だって……子ができなければ捨てられるんだから……」

 シェイラの無理に笑う顔を見ると、セラフォーネは沸々と怒りが湧いてくる。


 三年間の結婚生活で、シェイラは子をなさなかった。

 離婚の理由がそれだと聞いた時、セラフォーネは驚いた。全く脈のなかったシェイラを必死になって口説き落とした男が、そんなことを気にすると思っていなかったのだ。納得できたのは、離婚した時には浮気相手との間に一歳になる娘がいたからだ。


「自分たちを王族以上だという一族だからな、ここで家を途切らせる気はない。かといって彼等の崇める尊い血を、毒薔薇なんかで汚す気はないだろうけどな」

「それはお互い様だけどね!」


 ヘルムート領に入って景色が灰色一色になってから、シェイラの気持ちも沈んだ色になっている。

 分かっていたこととはいえ、ヘルムート領民のセラフォーネへの風当たりは度を越していた。

 顔をしかめられたり、「悪女が来た」とこれ見よがしに言われるなんて当たり前。子供なんて「毒薔薇!」と指をさしてくるし、酷い場合は「毒薔薇は失せろ!」なんて言って物を投げてくる子もいる……。

 子供とはいえ身分社会ではありえない行動に、本来であれば大人は平身低頭詫びる場面だ。だが、ヘルムート領民は違う。誰もが見て見ぬ振りをしていた。それどころか、その様子を嘲笑ってさえいる。

 都度腹を立てるシェイラに、セラフォーネは「石が飛んでこないだけましだろう」と笑う。その諦めにも似た達観した態度にも、シェイラはまた腹が立ってしまう。


 泊まった宿屋の対応なんて、ヘルムート公爵夫人どころか貴族に対するものではなかった……。

 いや、違う。そもそも貴族が、ましてや公爵夫人が街の宿屋に泊まるなんてあり得ない。普通はその地域の有力者の屋敷に泊まり歓待されるものだ。実際に他領ではそうだったし、それなりに大事に扱われた。

 それがヘルムート領に入るなり一変した。


「えっ? 屋敷じゃなく宿屋に泊まる? そりゃあ立派なものなんでしょうね!」とシェイラが叫んだのは、嫌な予感しかなかったからだ。

 その予感は的中して、普通の旅人が泊まる場所だった……。部屋なんて、物置にベッドを置いただろう! と言いたくなるくらいホコリまみれ状態。食事なんて家畜用か? って内容だ。

 何よりおかしいのは、領主夫人が泊まるというのに警備も何もなっていないことだ。

 これはもう、ランカスト辺境伯軍に喧嘩を売っているとしかシェイラには思えない。


 口から火を噴いて叫びたいほど悔しくても、こんな事態を引き起こしたのは自分たちだ。

 セラフォーネが毒薔薇で、ランカスト家の厄介者だと思わせたのは自分たち……。どんな不当な扱いをしても、ランカスト家は気にも留めないと思わせたのは自分たちなのだ……。

 自分への怒りを爆発させるシェイラの横で、セラフォーネは用心深く何度も窓の外を見ていた。



 馬車の旅十日目。今日泊る宿屋の前に馬車が止まった。

 茜色の夕焼けには、まだ早い時間。空の青が少し濃くなっている。

 ヘルムート領に入ってからは、とっぷりと暮れてから暗闇に紛れるように宿屋に押し込まれていた。だから「今日は随分と早いな」と思ってしまうけど、本来であればこれが普通だ。


 周囲が明るい以外は、いつも通りの光景だ。

 いつも通り馬車は、二人が降りると同時に挨拶もなく去った。

 いつも通り、出迎えはない。

 いつも通り、貴族が泊まるとは思えない宿屋。

 いつも通りじゃないと言えば、シェイラの苛立ちと怒りが限界を突破したことだけだ。


「ふざけんな! いい加減にしろよ、クソ公爵!」

 皮の大きなボストンバッグを振り回すから、危なくて仕方がない。

「どうしたシェイラ? 何を今更? いつも通りだろう?」


 確かに。

 ヘルムート領に泊まったこの四日で見慣れた、普通のよくある宿屋だ。間違っても貴族は絶対に泊まったりしないと断言できる。怒るのは今更だ。


「何でのん気に落ち着いているの? 今日は今までとは比べ物にならないほど条件が悪いわよ。悪いなんてもんじゃない。これで何も起きなかったら奇跡だわ!」


 騒ぐシェイラの隣で、セラフォーネは前を見るなり吹き出した。


「冗談でしょう! 笑い事じゃないわよ!」

 身体を震わせたシェイラは顔を真っ赤にして怒っているが、セラフォーネは視線を逸らさずに笑い続けている。

「だって、この状況だぞ? 笑い以外ないだろう?」

「普通は怒るのよ!」


 喧嘩を売るみたいに力任せに地面を踏みつけたシェイラが、セラフォーネの視線の先を指さした。その先には、なんと……ヘルムート家の屋敷が見える。

 そう、見える……。

 このまま馬車で向かえば三十分もかからない。日が落ちる前に余裕で着ける。

 十日間も馬車に揺られてきた新妻を、屋敷の目と鼻の先に……警備も何もない宿屋にわざわざ泊まらせる。嫌がらせにも程がある。いや……きっと、それでは終わらない。


読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、読んでいただければ嬉しいです。

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