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呪われた血

よろしくお願いします。

「イオニスのわがままが暴走して、毒薔薇が生まれた。本当は……そんなことを許したらいけなかったのに。絶対にダメなのに……。私たちは、毒薔薇を都合よく利用した」


 セラフォーネを手放したくないランカストの人たちと、毒薔薇という存在の利害が一致してしまった。これがなければ、きっとこんなややこしいことには発展しなかったはずだ。


 毒薔薇の名が轟くほどに、ある意味ナリル国との戦争より厄介なセラフォーネ争奪戦は収束していった。

 だが、そのせいで別の問題が生じてしまう。セラフォーネ・ランカストという存在を、完全に貶めることになったのだ。


 セラフォーネを手放さないため、父親でさえも毒薔薇という汚名を否定しなかった。そのせいで「辺境伯でさえ、毒薔薇に手を焼いている」という誤った情報につながった。

 気づけばセラフォーネはランカスト家を喰い荒らす害虫で、あの最強辺境伯さえ苦しめる厄介者になっていた。


 セラフォーネが何も言わないから。穏やかに笑っているから。ランカスト領で馬鹿な噂を信じる奴はいないから。みんながセラフォーネを大好きだから。

 だから何も問題はない。このままでいられる。誰もが愚かにも本気でそう思っていた。

 たった一つの王命で、こんなにも簡単に崩れ落ちるとは知らずに……。



 ソファから立ち上がったセラフォーネが、向かいに座るシェイラの横に立つ。

 後悔で皺くちゃに握られたスカートは、破れんばかりに引っ張られている。力が入りすぎて震えるシェイラの手を、セラフォーネはそっと包んだ。その温かさが辛くて、シェイラはうつむいた顔を上げられない。


 セラフォーネは手に少しだけ力をこめ、「十八年前」と呟いた。

「イオニスに立場の入れ替わりを提案したのも、わがままや暴走を許したのも私だ。ことの始まりは私なんだよ」

「セラに奥様の役割を背負わせてしまった。父は今でもそう言って後悔しているわ。当たり前よね。だってセラはまだ、六歳だったんだもの」

「年齢なんて関係ない。ランカスト家の人間なら当然だ」


 穏やかだった日々が崩れたのが十八年前だ。双子の母親の死で、ランカスト家の歯車が狂った。

 引き裂かれた家族の肖像画を寄せ集めるように、ランカスト家を必死に修復したのは幼いセラフォーネだった。

 ただ、破かれた絵は、元には戻らない。歪なものにしかならない……。


「エリザ様……大好きだった母親の死を悲しむことだって、セラは諦めるしかなかったじゃない……」

「諦めたんじゃない。父上やイオニスより少しだけ早く受け入れただけだ」


 首がもげると心配になるスピードで、シェイラの首が振られ続ける。そんな簡単なものではなかったと分かっているからだ。



 セラフォーネの母親が亡くなった十八年前は、双子が六歳になる少し前だった。

 出産をしてから体調を崩し、研究室よりベッドにいることの方が増えた。だが、どんな時でも明るく笑う母親は、ベッドの上でも薬草の研究を続けた。

 薬師として多くの領民を救ったが、自分の命を救うことはできなかった。


 妻を誰よりも愛していた辺境伯に、死など受け入れられるはずがなかった。悲しみに暮れ、心は真っ黒な喪失感で底なしの穴が空いていた。何も見る気のない虚ろな目をした男に、誰も近寄ることができない。

 愛妻の死を勝機としてナリル国軍が攻め込んできたのは、そんな時だ。


 絶対的な司令塔を失っているランカスト軍は混乱した。頼みの綱の辺境伯に、愛妻のいなくなった世界を守る気持ちがあるのだろうか?

 軍内でもそんな不安が駆け巡ったが、杞憂だった。

 愛妻の死から逃れるため、辺境伯は戦いに逃げた。

 自分の命に執着のない戦い方は世界を滅ぼしかけ、人を捨てた魔王が誕生しかけたと伝説が残るほどに……。


 困ったことに、魔王になりかけたのは父親だけじゃなかった……。


 もうすぐ六歳の子供に、母の死は重い。重すぎた。しかも助けてくれるはずの父親が先に逃げ出したのだから始末が悪い。

 人外になりかけるほどの父親の悲しみは、雨をはらんだ真っ黒な雲より重く冷たく領地を覆い尽くした。

 戦争を吹っ掛けられていることもあり、領内は荒れた。そして、イオニスも荒れた。荒れて荒れて荒れて癇癪を起しても、屋敷内は大混乱中で目が行き届かない。となれば一緒にいるセラフォーネが受け止めるしかない。


 あの日もそうだった。

 街の外れにある薬草畑に行けば母親に会えると言い張るイオニスに手を引かれ、二人は街道を外れて冷たい雨の中を歩いていた。


 今が勝機とみて攻め込んできたナリル国だったが、帰る場所を見失った辺境伯の捨て身すぎる攻撃によって大打撃を受けていた。ここで一発逆転するために何か弱味をとランカスト領内を嗅ぎまわっていたスパイが、勝手に屋敷を抜け出した二人を見逃すはずがない。

 これ幸いと攫おうとしたところ、寝た子を起こしてしまった……。


 ランカスト家が国境の護り手となったのは、唯一国境に面している家だから。それだけが理由ではない。代々優秀な軍人を輩出する家門で、最強の軍隊を作り上げたことも後付けだ。これほどまでに最強でいられるのには、ランカスト家以外には知られていない事実がある。

 圧倒的な力と共に暴力性と狂暴性を持ち合わせた狂戦士が、ランカスト家には稀に生まれる。何が原因なのかは分かっていないが、とにかく血と争いを好むために国を滅ぼすなんて簡単にやってのける力だ。それもあって、ランカスト家の呪われた血と言われている。

 その呪われた血が現れたのが、イオニスだ。


 ナリル国のスパイからイオニスを逃がそうとして、大人二人にセラフォーネが飛びついた。殴られようと蹴られようと、イオニスを逃がそうとするセラフォーネ。

 それを見て無意識に身体が動いた時から、イオニスの中で何かが大きく変わってしまった。


 相手は訓練された大人だというのに、六歳の子供の圧倒的な力を前になす術がない。それほどまでに、イオニスの強さは絶対的だった。

 その強さは、精神まで侵していく……。

 人を殴ることはもちろん、半殺しにすることに対する罪悪感がないのだ。それどころか、楽しくてすっきりした。人を壊すことが楽しいのだから、敵も味方も見境がない。心から暴力を楽しむイオニスは、自分を守り続ける妹でさえ笑いながら殴り倒していたのだから……。


 何度殴られても正面から抱きついてくるセラフォーネ越しに見た、あの景色をイオニスは忘れない。

 赤黒く染まった地面と、気絶して動かない血まみれの二つの塊。

 顔も腕も足も全身が傷だらけで、血で赤く染まるセラフォーネ。顔も目が開いているのか分からないほど腫れあがって、肌色を探すのが難しい。歯も欠けていて、口を開けば血が止まらない。それなのに、必死に何かを言おうとしている。

 声なんて出せる状態ではないのだから、何を言っているのか聞き取れるはずがない。それでもイオニスは、セラフォーネが何を言っているか分かった。

 赤黒い血に染まった悪魔の手に恐れることなく触れ優しく労わるセラフォーネは、「イオニス、大丈夫? 痛い?」とイオニスの心配だけをしていた。


 イオニスは自分の中を流れる血を理解した。

 そんな自分が、イオニスはただただ恐ろしい……。


 自分を恐れたイオニスは、部屋から出られなくなった。

 怖かった。ひたすら怖いのだ。大好きなセラフォーネを傷つけたことが。一緒にいたら殺してしまうかもしれないことが。人を傷つけることに、殺すことに喜びを見出してしまう自分が……。誰が何を言って慰めてくれても、自分はそういう人間でセラフォーネとは違うのだということが……。ただただ、怖かった。

 全てから逃げたかった。

 母の死からも、戦うことを余儀なくされた家からも、呪われた血からも……。

 何度も何度も、セラフォーネにそう訴えた。

「逃げたい」

「死にたい」

「殺してくれ」

 そのたびに、セラフォーネはイオニスを抱きしめて泣いた。

 セラフォーネを泣かせたくないから、イオニスは心の中だけで思うことにした。でもセラフォーネは、イオニスの苦しみに気づいてしまう。

 そして、イオニスが最も欲している言葉をくれるのだ。


「ランカスト家は私が継ぐ。私が戦って護る。だからイオニスは、父上が言う通り好きなようにしていいよ」


 ランカスト家はセラフォーネが継ぐ。自分は好きにしていい。

 その言葉は、ドロドロに腐りかけていたイオニスの全身を一瞬で浄化した。

 急に身体が軽くなって、ホッとした。戦わなくていいと思うと、ずっと目の前を覆っていた赤黒い靄が晴れて光が差し込んだ。

 戦いから離れられれば、呪われた血に振り回されることはない。そう思った。

 やっと苦しみから解放されたイオニスは、セラフォーネが何を背負ったのか考えることもなかった。

 そうじゃなきゃ、「セラが僕になってくれるなら、僕はセラになるよ!」なんて馬鹿げたことは言えない。

 あの時、イオニスの言葉を聞いたセラフォーネはどんな顔をしていたのだろう? 思い出そうとしたが、覚えていなかった……。


 呪われた血から逃れる免罪符を得たイオニスは、女装をしてセラフォーネになった。イオニスを捨てれば暴力的な欲望が消えて、呪われた血も消えると思った。セラフォーネに成り代われば全て丸く収まると思ったのに、すぐにそれだけでは足りなくなった。


 最初は子供同士のお茶会を楽しんでいたはずなのに、上手くやっていたはずなのに、いつしか相手を傷つける発言をしないと落ち着かなくなった。その衝動は次第に増していく。何を言っても何をしても、また足りなくなるのだ。

 気づけは周りに男をかしずかせ、正論を言う女たちの醜くゆがむ顔を見るのが楽しみになった。


 暴力の種類が違うだけで、自分の本質も呪われた血も消えていない。自分の血はやっぱり呪われていて、他人を痛めつけることに喜びを感じる怪物だとイオニスは改めて思い知った。

 だからといって、今更止まれない。人を殺すよりましだと、自分を正当化した。


 考えを改めたのが七年前だ。

 セラフォーネが抱えた喪失感や絶望を、イオニスたち家族は誰も抱えさせてもらえないどころか、見せてももらえなかった。絶対に一人では抱えきれない苦しみを、セラフォーネは自分の中に閉じ込めてしまったのだ。


 何事もなかったように過ごすセラフォーネを見ているのは辛かった。でも、全てが今更なんだとジェネストは気づいた。

 母親が死んだ喪失感や絶望を、イオニスはセラフォーネに押し付けた。そんな自分が、セラフォーネの二度目の絶望に寄り添えるはずがない。

 それでも今度こそは、自分がセラフォーネを守らなくてはとイオニスは思った。この七年、イオニスなりにやって来たつもりだった。

 その気持ちが暴走して、今回の事態を引き起こしたのだが……。


読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きます。読んでいただければ嬉しいです。

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