赤色と瑠璃色②
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
人々が寝静まった時間なだけあって、真っ暗闇の中には静寂しかない。空が分厚い雲に覆われていて、月も星も姿が見えない。空と言わず目に映る全てが、黒の絵の具を塗りたくったみたいだ。
王都から離れた人気のない郊外にポツンとある倉庫。
進む道さえ見えない暗闇の中で建物が確認できるのは、倉庫内でオレンジ色の蝋燭の炎がゆらゆらと揺れているからだ。蝋燭の周りだけがぼんやりと景色が浮き上がり、空っぽな倉庫の中が薄っすらと見える。
灯りがあることはホッとするが、どう考えてもおかしい……。町はずれの使っていない倉庫に、明かりが灯るわけがない。
オレンジ色に照らされて、窓からはぼんやりと二つの人影が見える。背丈は二人共百八十センチほどで、体形も同じくやせ型。二人共が黒い服を着ているせいで、顔以外は闇に溶けてしまう。
一つに束ねられた赤髪に切れ長な瑠璃色の瞳は、こんな状況でも見惚れてしまうほど美しい。
赤で刺繡が施された独特の黒い軍服は、ランカスト辺境伯軍のものだ。金色の肩章にあるのはアカラスの花を模した瑠璃色の刺繍で、それはランカスト家の跡取りであるイオニス・ランカストである証だ。
睨み合っている男も同じように髪を一つに束ねているが、こちらは黒髪だ。陽に当たらない生活なのか、肌は抜けるように白い。それ以上に印象的なのが、冷酷な三白眼の瞳だ。興奮して開いた細長い瞳孔が蛇を連想させる緑の目。
狂気を孕んだ緑の目と、真っ直ぐな瑠璃色の目。
この二つが殺気を放って相対している倉庫内は、ゾッとするほどの静寂と緊張感だ。下手に触れたらぱぁんっと割れてしまいそうな空気の中、二人はじりじりと近づいたり離れたりを繰り返している。
外は風も吹かない闇夜だというのに、蝋燭の炎が消えそうに揺れた。
殺気立った息遣いと、拳がぶつかり合う鈍い音。跳ねる赤い髪と同じ方向に回る右足が、ひときわ大きな風を切る音を生む。それと同時に、黒髪が吹っ飛び壁にめり込んだ。倉庫の壁が軋むほどの衝撃音の後に、ぐしゃりと床に落ちて動かない。
ようやく静寂が戻ったと思うと、すぐに軍用ブーツが床を叩く。
床でのびている黒髪の白い顔に、上から赤い髪が近づいた。力なくだらりと投げ出された手足と白目をむいている三白眼を見下ろす。
「お前が首領というわけではないんだろうが、幹部クラスであることは分かっている。しっかり話を聞かせてもらおう」
そう言って縛り上げようと手を伸ばすと、白目に緑色が戻った。
回し蹴りに手ごたえはあったし、黒髪は間違いなく気を失っていた。いや、後ろに飛んで衝撃を相殺していたのかもしれない。そうやって、反撃の機会をうかがっていた?
狡猾な薬物密売組織の幹部なら、それくらいするだろう。目を覚ますことは当分ないと思っていた方が甘いのだ。
ハッとして身をよじると、背中の半分を覆う赤い髪が、黒髪の顔を打ち付けた。髪が顔に当たるくらい気になるはずもなく、飛び起きた黒髪は猛スピードで両手を突き出して胸を突いてきた。
肺から空気が抜ける衝撃に、瑠璃色の目が見開かれる。一瞬息が止まるも何とか踏ん張れたのは、笑えるくらいに見開かれていく緑の目のおかげだ。
「嘘だろ?」
驚きのままに、黒髪は中腰姿勢で固まった。
「だからどうした」と笑う瑠璃色の目は冷静だ。狙ってくれとばかりに突き出された膝に、硬いブーツのかかとを落とした。
確実に手ごたえはあったが、膝の皿が割れる鈍い音は聞こえなかった。またしても危険を察して身を引かれたのだ。
「もう一撃必要だ」と赤髪を揺らして攻撃準備で腰をひねるのと、一斉に窓が割られるのは同時だった。
倉庫の出入口と逆側の壁には、大きめな四つの窓が等間隔である。そのガラスが外から割られ、四人の黒装束の男たちが倉庫に飛び込んできた。睨み合う二人の間に割って入った動きに無駄はなく、まるで訓練を受けた兵士のようだ。
蝋燭一本の薄闇の中でそこまで把握できたのは、ガラスを割ると同時に赤々と燃える松明が投げ込まれたからだ。
蠟燭と違い、松明の炎は赤く燃え盛る。
炎を前にした瑠璃色の目から殺気が消えた。殺気どころか生気まで消え失せた。感情が見当たらない。
大規模な麻薬の売買が行われるという情報を、ランカスト辺境伯軍が入手したのは半月前だった。ずっと薬物密売組織を追っている特殊部隊が王都までやって来たのは、取引をぶっ潰し関係者を一網打尽にするためだ。
麻薬密売組織の裏には、ナリル国がいるとも言われている。ランカスト家とは国境で争っている国だかま、狡猾で全く尻尾を出さない。ランカスト軍が何度取引を潰しても、現場には何も知らされていない実行部隊の下っ端しかいない。その繰り返しだ。
しかし今日の取引は大きく、相手もカイリッジ国の大物貴族だ。もしかして幹部が来るかと期待していたところ、薬物密売組織の重要人物である緑の目の男を見つけられたのは行幸だった。
組織とは別に追っている男だ。こんな偶然も幸運も二度と訪れないと、指揮官自らが単独で追ってしまった。
予定では自分の援軍が来る方が早いと思っていたが、結果を見れば相手の作戦の方が緻密だったことが分かる。
とはいっても最低限の対策はしたので、もうすぐランカスト軍が到着するはずだ。それまで時間を稼げば、ここにいる全員を捕まえられる。
いつもなら、そう考える。
だが、目の前の炎さえ見えていない瑠璃色の目は、何かに抗うことに必死だ。
それを見て、今がチャンスと感じ取った黒髪は冷静だった。痛む足を引きずりながら、敵に飛びかかろうとする部下に向かって首を振った。
「お前らじゃ、その化け物の相手は無理だ。撤退する!」
部下は不満そうだが、黒髪の命令は絶対だ。
黒装束の一人が、赤い髪にめがけてパシャリと何かをかけた。
髪を伝って顔や首に流れてくるのは、冷たい液体だ。息を止めるほどの強烈な匂いと共に、黒い軍服に染み込んでいく。
倉庫内にも同じ液体がまかれ、強烈な刺激臭が充満していく。それをまともに頭からかぶったのだから、状況は最悪だ。頭痛どころか吐き気もするし、目を開けているのは危険だと身体中が警告している。
つんとする臭いは、水でも酒でも薬品でもない。嫌な記憶を呼び起こす、最低な殺人兵器だ。
「油!」
おかげで閉じていた赤髪の意識が浮上した。
でも、遅い。床を濡らす油に松明の炎が燃え移った。炎は意志を持ったように床を這い、天井に向かって火柱が上がる。
それでも諦めきれずに黒髪に向かって手を伸ばせば、三白眼をニタリと歪ませた男が二人の間に蝋燭を落とした。
一瞬で蝋燭が炎にのみ込まれた。
赤い前髪がチリチリと焦げる臭いがする。
身体中から水分が奪われるほどの熱、身体を中から焼き尽くすほどの黒煙。これを経験するのは初めてではない。
奥底に押し込めていた記憶が、ぶわりと蘇る。
燃え盛る炎に焼き尽くされて崩れていく大切な人。見ているだけで何もできない無力な自分。赤い夕陽を覆い尽くすように立ち上る黒煙。
押し寄せる絶望……。
(こいつらを逃がしたらダメだ! 仇をとらないと! いや……、私にその資格があるか? アユハを見殺しにした、私に……)
炎の勢いが増した倉庫は、熱と炎と煙で満ちている。
黒装束たちは黒髪を外に出そうと必死なのに、当の本人は赤髪の前から動かない。
呆然と見開かれた瑠璃色の目を興味深げに観察することを楽しんでいる。瑠璃色の目に葛藤が見えるたびに、黒髪の口角が上がっていく。そんな完全に狂った行動に気づいて、ようやく現実を捕らえた瑠璃色の目が怒りに染まった。
(あの日も……、平穏だった日常が燃え盛っていくのを、こいつはこうやって楽しんでいたんだ)
泣き叫びたい気持ちが、怒りなのか恨みなのか後悔なのかは分からない。でもそれを爆発させるのは、今ではない。それだけは分かった。
「……化け物の薬は、どうした?」
三白眼が見開かれたのはほんの一瞬で、すぐに唇がにぃっと弧を描いた。三白眼は細められ、興味深そうに赤髪に向けられる。
「ふぅん、あの薬のことも、実験のことも知っているのか? これだけしつこく追ってくる理由が分かったよ」
にたりと狡猾に笑う黒髪との距離は、そう遠くはない。だが、燃え盛る炎が二人を遮っている。
油を得た炎は、連なるように一つになると急激に膨れ上がった。これ以上延焼が増すのは危険だ。建物がもちこたえられない。
「君ならあの薬に耐えられそうだし、理想の戦士になってくれそうだね?」
「そんなに理想を追い求めたいなら、自分に使って自己満足しろ。最強になれるんだろう?」
怒りも嫌悪も何も、黒髪には届かない。独りよがりな言葉と笑顔が、ねっとりと絡みついてきて気味が悪いだけだ。
「あーあ、ランカスト家の秘密をもっと早く知っていれば、カイリッジ国王を脅して君を手に入れたのに。ちょっと遅かったなぁ。……いや、何とでもなるかぁ」
二人の間がバチバチと音をたてて燃え盛り、お互いの視界が炎で埋め尽くされた。
炎の向こうで、黒髪たちが逃げていくのが分かる。
(あいつが、アユハを……! 今度こそ、絶対に逃がさない!)
油で黒い染みを作った軍服を盾に、赤髪は炎に向かって走り出す。
炎に突っ込みかけた赤髪の腕が掴まれ、内臓を焼き尽くす熱から離されていく。
「何を考えてる! 丸焦げになる気ですか!」
頭ががくんと揺れて、何かに包まれて視界が真っ暗になった。
幼い頃にやった薬草の実験が失敗して、同じように部屋から運び出されたことをふいに思い出した。
外の冷たい空気が肌を冷やしてくれ、心地よい。
「……クレイか……」
「『クレイか』じゃないんですよ! 勝手に戦列を離れて単独行動? 指揮官がそれをしますか?」
「単独行動と言えばそうだが、マルが知らせに来ただろう?」
「そうですね! 来ましたよ。あのマルが、相当焦ってね! 機転を利かせてマルが、とんでもない近道をしてなければ、貴方は今頃丸焦げです」
「さすがマルだな」
そう言ったのと同時に羽を広げると二メートルはあろうかという黒鳥が、真っ黒な空から降り立った。
濡れ羽色の胸の部分には赤い丸のような模様が規則的に並び、獰猛な琥珀色の瞳がぎょろりと動いた。太い足と大きな鈎爪が地面を蹴ると、赤髪に向かって猛スピードで突っ込んでくる。
しなやかな野生の頭突きを食らった赤髪は、悶絶した……。
「相棒を失う恐怖を味あわされたんだから、マルが怒るのは当然だ」
クレイに冷たくそう言い放たれ、マルからも目を逸らされる。息もできないことよりも、そっちの方が辛い。
(……自分の都合で勝手に動き回って、周りが全く見えていなかった。クレイやマルが怒るのは、本当に当然だ)
「……作戦は、失敗だな……」
麻薬の取引自体はぶち壊し、カイリッジ国側の買い手は拘束した。だがその場にいた麻薬密売組織の人間は、詳細は何も知らない末端だけ。
偶然に遠巻きに様子を窺っていた緑の目の男に気づき、あと少し手を伸ばせば届いたはずだったのに。すんでのところで取り逃がした。全部自分の弱さと、読みの甘さが原因だ。
外の新鮮な空気も、ひんやりとした風も、赤髪の慰めにはならない。
熱さから逃れて遠慮なく息が吸えるようになったのに、熱風の中にいる以上の熱い悔しさがこみ上げてくるだけだ。
「失敗ではありませんよ」
クレイがそう言ったところで、赤い髪は左右に揺れ続ける。
「買い手から国内の情報は引き出せたところで、組織のことは何も分からないままだ。くそっ」
そう言って往生際悪く地面を蹴りつける姿に、いつもの切り替えの早さは全く感じられない。普段だったらパッと顔を上げて、次の指示を矢継ぎ早に出しているはずだ。
見苦しいほどに悪あがきをする様子に、クレイはかける言葉がみつからない。
上官でもある十歳年下のランカスト家の双子の片割れを、クレイはずっと見守ってきた。最初はやんちゃな双子のお目付け役として、それがいつしか上官を支える右腕に役割が変わった。
お目付役の時のように双子の父親である総司令に指示されたからではなく、クレイが自分自身で「ついて行く」と決めたのだ。
この双子の片割れは、自分自身を奪われた。それでも家族のため、領地のために理不尽を受け入れた。そうやって誰よりも努力し、全てを飲み込んできただけに大人になるのも早かった。いや、大人になることを急かされたのだ。大人の振りをするのが上手くなっただけなのに、クレイを含めた周りが大人として扱ってしまった。
その結果が、これだ。吐き出すことのできない絶望を身体に巣食わせることになった。
自分では触れさせてもらえなかった傷の深さに、今更だがクレイは後悔する。
泣き崩れるなり、叫び出すなりすればいいのに……。瑠璃色の瞳は、一人で平静さを取り戻してしまった。暴れる苦しみを再び自分の中に押し込めて、油まみれの赤髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
自分の諦めの悪さと愚かさに乾いた笑い声が漏れた。
「私には、これが最後だ。今日が、ランカスト辺境伯軍としての最後の任務だ。クレイもやっと肩の荷が下りたな。いや、これからの方が大変かもな……」
こんな状態でも部下の心配をする指揮官に向かって、クレイは右胸に手を置く服従の姿勢を取った。
「……それは私にするべきではない」
そう言われても、クレイはその姿勢を崩さない。
「クレイは優秀だ。クレイがいてくれたから、私みたいな半端者が今までやってこれた。これからは本物の跡取りのために力を貸してほしい」
伏せていた顔を上げたクレイは、穏やかだがはっきりと告げる。
「貴方を半端者だと思ったことなどない。誰よりも本物の指揮官で、大切な仲間だ。他の誰にも、同じ気持ちにはなれない。例えそれが跡取りだとしても」
そう、これが最後だった。分かっているからこそ、クレイだって他の仲間だって指揮官の念願を叶えたかった。憂いなく送り出したかった。
完璧に準備もした。驕りがあったとも思えない。ただ単に、相手の方が上手だった。悔しいが、それが事実だ。
さっきまで水分を失っていたはずの瑠璃色の目が、絶望的に真っ黒な空を見上げた。
黒煙が闇夜に吸収されて、黒さに厚みが増している。世界の全てが、この黒い空に飲み込まれていくようだ。
闇夜が裂けるような音が響いた。音の発信源は未だ燃え続ける倉庫だ。
炎を押さえつけていた屋根が真っ二つに折れて崩れ落ちると、自由になったオレンジ色の炎が化け物のように蠢いて真っ黒な空をも焼き尽くそうと襲い掛かった。
読んでいただき、ありがとうございました。




