赤色と瑠璃色①
よろしくお願いします。
夜空には月も星もなく、真っ黒な闇が広がっている。地上だって同じだ。恐ろしいほど暗くて、前に進もうにも先が見えない。まるで世界の全てが黒一色に塗りつぶされたようだ。
一箇所だけ、そのことわりから外れた場所がある。
夜が闇に包まれることを知らない者が光を独り占めしているみたいな場所は、王城だ。
国王主催の夜会会場は眩しいほどに飾り立てられ、参加者は華やかさなのか毒々しさなのか分からない衣装を競い合っている。
見栄の張り合いに始まり、自慢大会、足の引っ張り合い、腹の探り合いが繰り広げられているのだ。そんなおどろおどろしいものを、華やかさで誤魔化そうとしても不気味でしかない。
そんな汚い色が混ざり合う世界で、隅にいる灰色の地味な服を着た男が会場中の視線を集めていた。熱気がこもる会場内で、不自然なほど人がいないその場所だけが、ひんやりと冷たく感じられる……。
そんな空気が作り出せる男は、ジェネスト・ヘルムート公爵以外いない。
百九十センチを超える長身で驚くほど姿勢が良い。寸分の乱れなくオールバックに整えられた藍色の髪。排他的で冷たいアイスブルーの切れ長な瞳は、感情を映さないことで有名だ。そのせいだろうか? スッと通った鼻も薄い唇も含めて美形であっても酷薄な印象しかない。
彼の笑顔を見た者は誰もいないどころか常に無表情で、何を考えているのか全く分からない。分からないどころか、ジェネストの前に立つと震えあがって考えることもままならない。
そう言っていたのは、三年前まで彼の部下だった騎士団員だ。とにかく厳しい彼の執務室は寒々しさと恐怖に支配され、毎日処刑場に通っているようだったという。
三年前までジェネストは、第二騎士団の副団長だった。
彼が恐れられていたのは、その身体や冷たい表情や厳しい指導のせいだけではない。彼が成し遂げてきた数々の功績が記憶に新しい貴族からすれば、ジェネストの存在自体が恐怖でしかないのだ。
ジェネストがしてきたことは、普通に考えれば当たり前のことだ。それが必要以上に異様に映るのは、彼の家であるヘルムート家とカイリッジ国の関係が大きく影響している。
ヘルムート領は、岩だらけで土も痩せ作物が育たない。そんなところに人が住み着くわけもなく、誰からも目も向けられず荒れた不毛な土地として長く放置されていた。
そんな土地を不当に与えられたのが、かつては王太子であった初代ヘルムート公爵だ。
今から二百年ほど前、王太子が王位継承者の座から引きずりおろされた。クーデターを起こしたのは、弟王子だった。
よくある話のように、王太子が愚かだったわけではない。国民や臣下に嫌われていたわけでもない。次期国王は兄王子だと誰も疑っていなかった。
なら兄弟仲が悪かったのかと言えば、そういうわけでもない。弟の秘めた野心と残虐性に兄が気づけなかっただけだ。
掴んでいた王位から突然引きずりおろされた兄王子は、殺されないだけ感謝しろとばかりに痩せて広いだけの土地に押し込められた。
ヘルムート公爵となった兄王子は、絶望した。
それでも、いや、それだからこそ、死ねない。自分が死ねば、弟を喜ばせるだけだからだ。
復讐してやる!
例え自分がこの手で果たせなくても、子孫に恨みを受け継ぐ。自分の血を引く者が、必ず恨みを晴らす。
それだけが彼の生きる希望となった……。
恨みが原動力なのは皮肉だが、あれから長い時を経てヘルムート家は王家を凌ぐ財力を手に入れるまでに発展した。
逆に王家に援助を施す側になっても、王家が無視できない存在になっても、お互いの立場が逆転しても、ヘルムート家の王家に対する恨みは消えることはない。
変わらず社交でも仕事でもカイリッジ国を相手にしないヘルムート家は、莫大な税金を払ってやっても王家や政治とは距離をとってきた。国王にとってそれは「お前のことなど、いつでも見捨てられる」と言われているようで恐ろしい。
そんな脅威でしかないヘルムート家の次期当主が、十年前に騎士団に入った。
ヘルムート家が王家の臣下に下ったと周囲は騒ぎ立てたし、当然ヘルムート家にも激震が走った。
国王は「過去の因縁を帳消しにして自分に仕えた」と勝手に浮かれ、貴族は「ヘルムート家の利権を自分たちにも与えてくれる」と勝手に期待した。
だが、そうはいかない。ジェネストは目的のために騎士という立場を利用しただけだからだ。それを証明するように、貴族の不正を徹底的に暴き完膚なきまでに罰した。
カイリッジ国は王政国家で、君主である国王を貴族が支えている。といえば聞こえはいいが、実際は王家と貴族の馴れ合いが常態化していた。
騎士団と言えど、幹部は貴族だ。貴族の横暴には目をつぶるのが慣例だった。
その結果が国内情勢の悪化につながっていることなど、貴族というだけで与えられた権力のぬるま湯にどっぷり浸かった者には関係ない。
その慣例をぶち抜いたのが、ジェネストだ。
ジェネストは国王に与してなどおらず、むしろ利用しているだけだった。
ジェネストは貴族に何かを与えるつもりなどなく、むしろ奪い取る敵だった。
彼らが気づいた時には、もう遅かった。
一部の貴族と民衆を味方につけたジェネストを止めることなどできない……。
貴族がやっと一息付けたのは、両親を相次いで亡くしたジェネストが後を継ぐために騎士団を去った三年前だ。
ジェネストのおかげで貴族がようやく自分たちの責務を思い出したかと思ったが、水が低い方に流れるように堕落を覚えた人間はそう簡単に改心したりしない。
薬欲しさに家族を売り、国の機密情報までも売る。そんな輩が後を絶たないほど、最近は薬物による奇行や暴力事件が繰り返されている。
国の利益は外国に流出し治安は悪くなる一方だというのに、国王は何の手も打てない。姿の見えない敵の方が何枚も上手で、全容どころか尻尾も掴めていないからだ。
貴族どころか国中が疑心暗鬼に陥るこの最中に、突然国王が王命を発した。
『ヘルムート家当主ジェネスト・ヘルムートと、ランカスト家長女セラフォーネ・ランカストの結婚』
なぜ、今?
なぜ、ヘルムート家とランカスト家?
なぜ、堅物公爵と毒薔薇?
なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?
全く意図の分からない王命に、国中が困惑し途方に暮れた。
相手は財政で国を支えるヘルムート家と、武力で国を支えるランカスト家だ。ある意味国より強い力を持っている両家なら、王命なんてはねつける。誰もがそう思っていたのに、あっさりと王命を受け入れた。
それが、あらぬ噂を呼んだ。
この王命で国王は、ジェネストに嫌がらせをしつつランカスト家へは恩を売った。
自分の目の前で貴族を粛清し続けたジェネストに、国王は王家とヘルムート家の確執以上の怒りを募らせていたのは事実。国防を守るだけでなく絶大な貿易力で他国と強力な人脈をもつランカスト家にすり寄りたいと考えていたのも事実。
その二つを叶えるのが、王命だった。
毒薔薇という害虫を押し付けることでジェネストへのうっ憤を晴らし、最凶の厄介者を家から追い出すことでランカスト家に貸しを作った。
一見納得できる話だが、致命的な疑問が残る。
ジェネストがなぜ、断れるはずの王命を了承したのか? ということだ。
そんな話題の男が、今まで一度たりとも姿を見せたことのない夜会にやって来たのだ。
元来が噂好きの貴族にとって、これほど面白いネタはない。参加者の視線がジェネストに向かう理由は、そういうことだ。
ダンスフロアに向いていたジェネストの身体が、中二階にある王家専用席へ向けられた。
その瞬間、ジェネストに注目していた全員の動きがぴたりと止まった。
歓談を装っていた者だけではなく、ダンスを踊っていた者も、遠巻きに気にしていた者も、みんなの視線が二人に集まる。
悠然と国王を見上げるジェネストと、焦って目を逸らす国王に……。
何が起きるのかと期待と好奇心に満ちた無責任な視線を払い落すように、ジェネストは中二階に背を向けた。周囲の期待とは裏腹に、出口に向かって歩き出してしまう。
静まった会場が、熱を持ったように騒ぎだした。
品位の落ちた夜会ほど、収拾がつかないものはない。それはもう騒音と言っても過言ではなく、黙っていたら財産を失う呪いでもかけられたのか? とさえ思うほどだ。
それが……一人の人物の登場によって、音が奪われたみたいに静まり返った。
ジェネストとすれ違うように会場に入ってきた女性に、全員が今日一番の驚愕の表情を向けた。
女性の圧倒的な美しさに目を奪われていることは確かだが、それだけではない。驚きや恐怖、怒りや恨み、羨望や恍惚。ねっとりと絡みつく仄暗い感情に、会場は飲みこまれていた。
人々の関心は、光沢のある漆黒のドレスを身にまとった美しい女性に移った。
会場中の視線を独り占めしたセラフォーネ・ランカストは、堂々とした足取りでダンスホールのど真ん中を進んでいく。
スレンダーな身体の線がはっきりと出るドレスは妖艶で、彼女の傷一つない白く滑らかな肌から目を離せない。
首を覆う真珠のチョーカーの中心には大きなダイヤモンドが輝いて、ベアトップのドレスにピッタリとはまりすぎて怖いほどだ。
つやつやと輝いて揺れるストレートの赤毛も、媚びることを知らない瑠璃色の瞳も、彼女のプライドのように高い鼻も、怪しいほどに真っ赤な唇も、ドレス以上に美しい。
一言も声を発していないのに、人々の視線を一瞬で集めてしまう。ある意味圧倒的なカリスマ性と美しさの持ち主だとも言える。
強烈な個性の登場に、会場中が再び騒ぎ出した。
「……嘘だろう? どうして毒薔薇が……」
「どういうことだよ……」
「何しにきたのかしら?」
「そんなの、決まっているだろう!」
「王命に不満があるのよ! じゃなきゃ、喪に服すための黒いドレスを着るはずがないわ!」
貴族たちが盛り上がる中、毒薔薇はダンスホールの中心を優雅にゆったりと歩いていく。
その怪しいまでの美しさに光に群がる羽虫のように吸い寄せられていく者もいれば、顔を赤らめごくりとつばを飲み込むだけの者もいる。かと思えば、怒りに震えて目を血走らせて睨みつけている者も少なくない。
ただ一つ言えるのは、歓喜する者も嫌悪する者も、誰もが彼女の一挙手一投足から目を逸らせない。ということだ。
カッティングの美しいドレスは、歩くたびに光沢が増していく。その光を求めた男どもが、顔を上気させて我先にと彼女の前に立つ。
「セラフォーネ様が夜会に戻ってくるのを、この七年間ずっと待ちわびていました!」
毒薔薇は艶やかに微笑むだけで何も言わない。発言した相手さえ見ていない。
「美しい! 以前にも増して美しい!」
「お会いできて光栄です! 七年前は夜会に出られる年齢ではなかったので、噂で貴方の美しさを聞くだけでした。……しかし、実物は噂以上だ。今まで見た誰よりも美しい!」
似たような言葉を吐きながら、男たちが毒薔薇に群がっていく。ダンスホールには踊っている者は一人もいなくなり、音がまばらになった楽団の演奏が虚しく響く。
一人の男が毒薔薇の前に跪き、白いシルクのロンググローブをつけた手を取ろうとした。が、優雅なしぐさで惑わすように毒薔薇は手を引いた。
行き場を失って宙に浮いた自分の手はそのままに、男は恍惚の表情で瑠璃色の瞳を見上げる。
「お忘れですか? レオジナール伯爵家のクレイです。貴方の奴隷です」
衝撃のパフォーマンスだが、セラフォーネの目には映ってもいない。それなのに、男の後に次々と続こうとするのだから理解できない。
七年振りの光景は、滑稽でもあり残忍でもある。それを全く意に介さない毒薔薇を、ジェネストの冷酷な目が捉えていた。
ダンスホールの中心を歩く毒薔薇の目は、中二階の大きく豪奢な椅子に座った国王へと向けられた。
本日二度目の異常事態に、国王のみならず中二階の王族たちは瀕死だ。
列をなす男たちに目もくれず進む毒薔薇の行く手を阻んだのは、目を吊り上げた淑女たちだ。
男たちの目を覚まさせようと発する金切り声は、今も七年前と変わらない。変わらな過ぎて、時間が巻き戻ったみたいだ。
「セラフォーネ様! この七年、やっと常識を理解していただけたのだと思いましたのに、わたくしの勘違いだったようですね!」
「懲りずにまたのこのこと夜会にやって来るとは、貴方には常識どころか良識の欠片もないのだわ!」
「あの頃はまだ、デビューしたての子供だったから許されたのですよ? 今は貴方も二十四歳でしょう。いい年をした大人が恥ずかしくないのですか!」
「貴方は結婚を控えているのですよ。ヘルムート公爵に失礼です!」
「何を言ったってダメよ。そんなまともな考えを少しでもお持ちでしたら、男を侍らせて悦に入るなんて振舞いはできないわ」
怒りの収まらない令嬢から妻になった者たちに向けて、セラフォーネは真っ赤な唇を釣り上げた。
うっとりするほど美しいが、残忍すぎるほど恐ろしい笑顔だ。女たちも、その迫力に圧倒されて一歩下がってしまう。
冷笑を浮かべたセラフォーネが、女性たちの方へ一歩出る。戦闘態勢は崩さない彼女たちだが、迫力の飲まれてセラフォーネのために道をあけてしまう。
セラフォーネはピンと背筋を伸ばしたまま一点を見据えて歩いていく。その優雅な動作に男たちからは感嘆の声が漏れ、女性からは嫉妬が向けられた。
王族席に向かうセラフォーネを避けるように人々が移動するので自然と道が割れ、苦労することなく国王の前に立てた。
一段高いところにいる国王に、冷たく恐ろしい怒りを迸らせた瑠璃色の目が向けられる。国王からはねっとりとした汗がダラダラと流れ出て、威厳だ何だと思う余裕も失った。
耐えきれずうつむいてしまった国王を一瞥すると、セラフォーネは無言のまま会場を出て行った。
相変わらず無表情で眼光鋭いジェネストと、未来の妻であるセラフォーネ。すれ違っても、二人の視線がぶつかることはなかった。
読んでいただき、ありがとうございました。




