第84話
「涼太じゃないか」
荷物を車に積み終わって家の鍵を掛けた時、後ろから声を掛けられた。ジープの運転席のドアが開き、若い男性が降りて来るのが見えた。涼太より少し年上に見える、大柄な青年だ。
「龍一くん?」
涼太が驚いたようにそう言う。
「久しぶりだな。元気だったか」
龍一と呼ばれた青年は屈託のない笑みを浮かべ、涼太の肩を叩いた。彩羽に会釈し、涼太の耳元で何か言う。
「そんなんじゃないよ」
照れたように言う涼太の背中を叩き、龍一が大きな声で笑った。
「うちに寄って行けよ。百合子も喜ぶ」
そう言った後、龍一は少し恥ずかしそうに言葉を継いだ。
「先月、俺たち結婚したんだ」
成り行きでジープに乗せられ、彩羽たちは龍一の家まで運ばれた。溌溂とした笑顔で迎えてくれた新婚の奥さんは、健康的な美人だった。
「何年経ったんだっけ」
しみじみ、という口調で龍一が言った。
「そのままにしとく訳にはいかないもんな。立ち退きの事もあるし」
ふと深刻な空気になったのを見てとってか、奥さんが彩羽に目配せし、台所に連れ出した。
「彩羽さんって言うの?」
百合子は人懐っこい笑顔で話しかける。ユリちゃん、この人なんだろうか。彩羽は何となく小指を袖に隠した。
「この辺り、もうすぐ立ち退きになるのよ」
新しいお茶を入れながら、百合子は言った。
「樹海の奥で有毒ガスが発生したとかで、立ち退きって言うより避難なんだけど、期限付きで政府からの補助が出るらしくて。涼太くんも、このタイミングで思い切ったのね」
何年経ったんだっけ。
先ほど聞いた言葉が、嫌な想像を掻き立てる。
「ご両親は見つからないまま年月だけが過ぎてしまって。辛いだろうな。でもどこかで吹っ切らないといけないのよね」
同意を求めるように彩羽を見た百合子の顔が強張る。
「もしかして、聞いてないの?」
余計なことを喋ってしまったという風に口元を押さえ、百合子は居間の方に視線を動かした。
「ごめん」
小さな声でそう言い、彩羽に手を合わせる。笑顔で首を振って、彩羽は湯呑を手に取った。