第十話・言葉《問題編》
手紙を下駄箱の中にそっと置くと、私、橘愛良は軽い足取りで学校を後にした。
下駄箱の使用者は、幼馴染の横溝匠。
中に入れた手紙は、もちろん匠の好きな暗号だった。
今日は匠の誕生日。
私が何も言わなければ匠はいつもの如く私の父の経営する探偵事務所にきてミステリー小説を読みふけっているだけなので、外での待ち合わせ場所を記しておいたのだ。
匠なら、絶対にわかって来てくれるはず…。
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匠へ
H J A I P N P J Y Y B A I N R I T G H O D J A I Y
待ってるね。
愛良より
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ヒントは何も書いていないが、今日が何の日か考えたらすぐにわかるだろう。
匠には簡単かもしれないが、普通に伝えるよりは喜んでもらえるはず。
そう思いながら校門を出たところで、私は見知った人物を見つけて足を止めた。
「愛良ちゃん、一人なんだ」
「伊吹くん…」
校門にもたれかかるように立っていたのは、匠の友人の赤川伊吹くん。
どう見ても美少年なので、通り過ぎる女子たちに羨望の眼差しを向けられているが、この人はあなたたちと同じ女子ですと教えてあげたい気分だ。
「今日くらい匠と一緒に帰るのかと思った」
誕生日だからと言いたいのだろう。
その口ぶりからすると、伊吹くんも匠と約束をしていないようだった。
「伊吹くんは、匠を待ってるの?」
「そ。呼び出してもなかなか来てくれないからね、匠は」
「そっか…」
確かに自分に興味のないことに関しては腰の重い匠。
伊吹くんでも同じなんだと思うと、なんだかちょっとほっとした。
「せっかく匠の欲しがってた物手に入ったからさ。匠の好きな作家の同人時代の幻の作品。見たらきっと喜ぶと思うんだけどね」
「そっか。きっと喜ぶよ、匠」
そう答えながら、私は匠へのプレゼントが入った鞄をぎゅっと抱きしめた。
「愛良ちゃんは匠に何あげるの?」
「え。いや、別に大したものは…」
伊吹くんにそう問われても、そう答えることしかできなかった。
正直言って、本当に大したものではない。
物欲のあまりない匠は、ミステリー小説以外欲しいものがあまりない。
かといって、匠のマニアックなミステリー好きについていけてるわけでもない。
だから、プレゼントを比べたら伊吹くんがあげる物の方が、匠は絶対に喜ぶだろう…。
「へぇ、そうなんだ。だったら、愛良ちゃん自身でもあげたらいいのに」
「んなっ!?」
伊吹くんのからかうような視線で冗談だとはわかったものの、かぁっと赤くなる。
「ふふ。ほんと、愛良ちゃんっていいリアクションするよね。匠がからかいたくなるのもわかるなぁ」
「あ、あのねぇ!」
赤面したまま言い返そうとしたものの、伊吹くんの艶やかな笑みがさらに攻撃をしかけてきた。
「でも、冗談抜きでそのプレゼントもありだと思うけどな」
「ないから!」
「そう?一番喜ぶと思うけどなぁ」
「そんなわけないし!」
「どうして?」
「どうしてって…」
楽しげに尋ねられ、言葉に詰まる。
どうしてもこうしてもあったもんじゃない。
「そんな事、できるわけないでしょ!」
「そんな事って?やだなぁ、愛良ちゃん。何を想像したわけ?」
「は?」
にやりと笑った伊吹くんに、思わず固まる私。
「いちいち俺見て不安がってるくらいなら、ハッキリ気持ち伝えればいいって意味で言ったんだけど?」
「え…」
「愛良ちゃんってば、意外とエッチ?」
「○$▽∴%×◇~~!!??」
声にならない叫びをあげてこれ以上ないくらい真っ赤になった私を見て、伊吹くんは肩を震わせながら涙目になるくらいひとしきり笑う。
少しして落ち着いた伊吹くんは涙を拭いてから、いまだ真っ赤なままの私を見つめた。
「相手から言ってくれるのを待ってるなんてずるいことしてないで、自分で行動おこしたら?それとも、怖いの?思った通りの答えが返ってこなかったらって」
「それは…」
「信じてないの?匠の事」
じっと見つめる伊吹くんの瞳を、私はただ見つめ返すことしかできなかった。
匠は、伊吹くんが私を試していると言っていた。
一途な気持ちが本物かどうか、試していると。
「私は…」
「あ、匠だ」
「えぇ!?」
口を開きかけたところで伊吹くんの視線が私の後方に移り、話題の中心の人物の名を呼んだ。
あせって振り返ると、玄関を出た匠が歩いてくるのが見えた。
せっかく待ち合わせの手紙を置いてきたというのに、今ここで会うわけにはいかない。
「ごめん、伊吹くん。その話はまた今度!!」
私は伊吹くんにそう言うと、ダッシュでその場を離れたのだった。