第六話・初詣《解答編》
家から待ち合わせ場所までは、歩いて10分ほど。
しかし、慣れない着物姿なので少し早めに家を出ることにした。
「行ってきます!」
そう言って玄関の扉を閉め、せっかく着た着物が乱れないように静々歩き出す。
着物は落ち着きのある紫色に梅と菊の花が彩られた少しレトロな雰囲気で、白い帯には可愛らしい花がちりばめられている。
ふわふわの白いショールが暖かい上に可愛くてお気に入りだ。
そして、普段下ろしている髪は着物に合うようにアップにし、花のついた簪で止めていた。
いつも一緒にいる匠だって、あまり見たことのない私。
どんな顔をするのだろうとちょっと楽しみで、思わず微笑を浮かべながら門を開けて外に出ようとした時だった。
走ってくる足音がだんだんと近づいてきたのが聞こえ、転ばぬように足元を見て歩いていた私は顔を上げた。
と、街灯で照らされて見えたのは、良く見知った人物。
「匠!?」
「…間に合った」
驚いて声をあげた私に、匠は肩を揺らすほど息を切らせ、苦しそうに声を漏らす。
匠の家はうちからそう遠くはない。
家からずっとダッシュしてこなければこんなに疲れた顔は見せないだろう。
しかし、私は匠が走ってきたことよりも、匠がうちに来たことのほうが驚いた。
「匠、暗号とけなかったの!?」
暗号の待ち合わせ場所も、時間も、今ここではない。
ちょっと勝ち誇って笑顔を浮かべたものの、匠の呆れたような半眼でそれは直ぐに消え去った。
「あのな…俺が愛良の考えた暗号を解けないと、本気で思う?」
ふてぶてしいほどの、自信たっぷりな態度と言葉。
私はぷぅっと頬を膨らませた。
「だって、待ち合わせ場所はここじゃ…」
「『上を向いた矢印』と『いうり』が『あいら』から察すると、矢印は言葉をずらす方向。そして、ずらす文字数は一字」
「うっ…」
言い返そうとした私に、匠の完璧な回答。
声を詰まらせた私に、ようやく息の整った匠は不敵な笑みで解説を始める。
「つまり、五十音で並べられた文字を、矢印で示された方向に一字ずらせばいい。
『い』の上は『あ』、『り』の上は『ら』ってね。
で、問題の本文は、最初は下向きの矢印だから一字ずつ下げて『れいじちようど』、
次は左にずらし『じむしよにて』、
最後は右に『まつ』。
だから、暗号の答えは『零時ちょうど事務所にて待つ』だろ?」
「仰せのとおりです…」
いつもの如く、パーフェクトな答え。
私が必死に頭をひねって考えたにもかかわらず、きっとあっさりと見破ったに違いない。
さすが匠。
でも、だったらどうして家に来たのだろう?
「いくら大晦日でも、こんな深夜に薄暗い道、一人で歩いたら危ないと思わないのか?」
「あ…」
私の考えを見通したかのように、匠は少々ご機嫌斜めな表情でそう言った。
暗号を解読した上で、私が一人でお父さんの事務所まで歩いていくのが危ないからと、家まで迎えに来てくれたのだろう。
「人がせっかくのんびりと風呂に入って本読んでたのに…出てきたらそんなメールが来てるし、携帯に電話してもでないし…」
「えーと、着替えに夢中で気付かなかったかも?」
えへへっと、誤魔化すように笑いながら改めて匠を見つめると、急いで支度してきたのだろう、まだ髪は乾かしたばかりのようでほのかに良い香りが漂いながらも、まだちょっと湿っている。
頬が少し火照っているのは、走ってきたからなのか、湯上りだからなのか…。
いつもきっちりしている服も、いかにも慌てて着たかのようにちょっと乱れている。
私の心配をして、急いで迎えに来てくれたのだろう。
いつも冷静沈着で余裕綽々な匠が、私の為にこんなに慌てて来てくれた…。
それが、なんだかすごく嬉しくて自然と笑みが浮かんでしまう。
ニコニコと笑う私を見て、匠は小さく息をついた。
「愛良…俺は注意してるんだけど?」
「ありがと、匠」
満面の笑みの私に、しばし呆れたような眼差しを向けた後、仕方がないというように口元に小さく笑みを浮かべた。
「風邪ひく前に帰りたいところだが…、せっかく愛良が綺麗な格好してくれてるし、初詣、お供いたしますか」
「ありがと。でも、風邪ひいたら大変だから、これ…」
湯冷めしそうな匠に肩にかけたストールを渡そうとストールに手をかけたが、匠はその手をとってそれを止める。
「いいよ。可愛くて似合ってるのにもったいない」
「え…」
ぽわっと赤くなる私を見て、匠はたまりかねた様にくくくっと笑う。
「相変わらず反応いいな、愛良は」
「あー!もう!!年末の最後の最後にからかうのなしっ!!」
ぷぅっとふくれた私を、匠は楽しそうに見つめる。
「慌てさせられたから、少しは楽しませてもらわないと」
「もうっ」
ふて腐れて半眼で匠を見つめると、匠は口元に笑みを浮かべる。
「でも、今言ったのは嘘じゃないけど?」
「え?」
再びちょっと赤くなる私を、優しげに見つめる匠。
そして、ぽけっと匠を見つめている私の手をそっととった。
「手ぐらいは、温めてもらおうかな?」
「うん!」
冷たい手が私の手を優しく握り、そのまま歩き出す。
着物の私に合わせて、ゆっくりな歩調。
そんな匠のさりげない優しさが心地よくて、自然と笑みが浮かぶ。
沢山の人ごみの中での初詣。
私は手を合わせ、そっと祈る。
どうか今年も来年も、それから先もずっと、匠と一緒にいられますように…。