エピローグ
神殿の奥には森が広がっていた。正確に言えば神殿の奥にあるドームの天井は大きく切り抜かれており、そこから入り込んだであろう植物たちが割れた石の床の間から芽を出して森を作っていた。その森の奥、くり抜かれた天井から見える空の彼方まで届きそうな塔が、静かにキールを待っていた。
この塔の上に、勇者が眠っている。その確信を胸に、キールは一歩を踏み出した。
これは研究者の青年、キールが記す「勇者についての研究の記録」である。
昔、この国には魔王と呼ばれる存在が世界を脅かした時代があった。魔王は魔族を引き連れ人間の世界を破壊し、殺戮の限りを尽くした。人々は恐れ嘆き、住処を追われ、大切な人の命を失いながらも神へ祈りを捧げ続けた。やがて祈りは通じ、ある時神の御使いが人間のもとに届けられた。
御使いの少年は仲間を従え魔族に果敢に挑み、やがて魔王を封印することに成功した。人々は御使いの少年に敬意を表し「勇者」と呼んだ。勇者は役目を終えたあと、世界で一番神に近い塔の上でいつまでも姿を変えずに眠り続けている。
この国に生まれた子供が幼い頃から読み聞かせられるもののひとつに、勇者の物語がある。時代と共に少しずつ内容は変わっていっても、物語の最後にはいつも勇者の眠る塔が出てくるのだ。神の御使いの少年はいつまでも塔の上で眠り続けている。歳をとることなく美しい姿のままで。
ただのおとぎ話だと言う人もいるが、実際この国の歴史には魔族と衝突した「暗黒期」なる時代が存在する。暗黒期に建てられた石碑や神殿などが存在する以上、勇者も実在するのではないか。幼い頃からそう考えていたキールは考古学を学び、勇者専門の研究者になった。
勇者の研究はかなり難航した。この国の信仰の大半を占める神のなされたことを研究するなど、神への冒涜だという意識が国民に根付いていたからだ。結果的にキールはこの国で唯一の勇者の研究者になってしまった。
キールには家族がいない。キールが幼い頃に流行病でみな亡くなってしまっている。もし勇者が本当に存在して歳をとらないのなら、その力を研究すれば多くの人の命を救えるのではないか。その可能性がキールを動かしている希望だった。だから誰になにを言われようと、石を投げられようと耐えられた。勇者の研究はキールの使命だと信じて疑わなかったからだ。
各地を巡り古い文献を解読していくうちに、キールは勇者が眠る塔がある場所を突き止めていた。その地はこの大陸の果て、険しい山脈を超えた先にあり、名を「聖地ラムダ」という。聖地ラムダの神殿の奥に空にそびえる高い塔があり、そこに勇者は眠っているのだ。
キールは周りの反対を押し切り、大陸の果てに向けて旅立った。それが今から五年前、キールが24歳の時のことである。
物語は、ここから始まりを迎える。この世界の秘密と医者が存在しない意味を知る物語だ。