第5話 真昼の落下者
朝から酷く忙しい日だった。
始業時間からシステムダウンで入力業務が滞っていた。
月末だというのに支払いの集計ができない。
鉄塔の解体で中堅どころの社員は出かけている。
現場代理人の社員は、二七歳になったばかりの若手だ。
大学を出て五年、はじめての責任者になった。
現場を任されると事務仕事も一挙に増え、実行予算の計画も入力も材料の発注に支払い、下請け業者の注文票に施工計画書だ。
揃える物が多すぎる。
「あのヤロー、なんもかんも中途半端にして!」
佐藤課長が刑部の机の上の山を崩しながら頭を掻いた。
「施工計画書の製本は終わりましたよ。
データは、アップロードしますか?」
最上萌夏は、プリントアウトの施工計画書をチューブファイルにとじ込んだ。
「情報共有にアップしておいて。
それで今日のに、間に合うだろう。」
佐藤が一息ついた。
「全く、ヘリ、呼んでるのに、施工計画アップしてないの、ヤバイだろう。
事故ったら、目も当てれん。」
萌夏がPDFデータをドラッグして情報共有システムへアップロードさせた。
数秒で転送が完了する。
同時に現場のPCへもメールで飛ばす。
現場では、今日の作業が施工計画書に基づいて行われるという体裁が必要だ。
山腹の鉄塔の解体撤去が工事内容だが、鉄塔上部の鉄骨をバラしてヘリで吊り下げるのが今日の工程だ。
危険工程だから、なおのこと、綿密な施工計画と工程管理が必要だというのに中途半端で出かけるから、事務所が冷や汗をかく。
「施工図もメールで飛ばしておきました。」
萌夏の報告に佐藤も頷く。
「これで、お役所に面子立つな。」
「…。」
萌夏も一息つく。出勤の時に買った缶コーヒーが冷めていた。
プルタブに指をかけたとき、電話が鳴った。
いつもの癖で、受話器をとる。
「ありがとうございます、西関東インフォ株式会社です。」
電話の向こうで叫び声がする。
雑音が酷く、いいのに聞き取れない。
だが、声には聞き覚えがある。
「大谷さん?」
雑音の向こうから、人の叫ぶ声がする。
「落ちた! ああ、落ちちゃったよー!」
「何、何ですか!?」
受話器に叫ぶ萌夏から佐藤がそれを取り上げた。
◇◇◇
半年前の出来事だった。
作業者同士の点検もすんだフルハーネスをつけて、撤去しない支柱にランヤードもしっかりつけて、ビデオを片手に工事記録をとるはずだった。
(なのに、なぜ俺は宙を舞っている!?)
ランヤードのカラビナが顔の上に見える。
背中が下から引っ張られる感じがする。
深い底に落ちていく…。
(左腕が痛い…)
気を失う前の最後の感覚だった。
刑部恭二の記憶は、そこまでだった。
◇◇◇
電話が何度も鳴る。
結局、刑部社員は鉄塔から落ちて、山の斜面を滑っていったのではないかと地元警察と消防に言われた。
刑部の身体が見つからない。
連日、山の捜索が行われ、5日後に左腕が見つかった。肩のあたりを食いちぎられたような痕があった。
その周辺を念入りに捜索したが、左腕以外は見つからなかった。
男性社員は、工事の続きと捜索のためにほぼ出払い、半月ばかり、ひとりで事務所に詰めている毎日だった。
労働基準監督署の調査や社内外の対応やら何かしていたが記憶がとんでいる。
それよりも刑部本人の机の片付けが大変だった。
やりかけの仕事の書類だけでなく、こまごましたおもちゃとかラノベが引出から出てきた。
私物だけを箱に詰める。
あけた机の天板を掃除したら、雑巾が真っ黒になった。
(何をしているんだか…)
ふっと息をついた。
(元気に、『行ってきます』って言ってたのに。)
何もなくなった机の上がとても重かった。
事故から2週間後、左腕だけで葬儀が行われた。
私物の箱は実家に戻され、主のいない部屋にただ置かれているという。
葬儀には、部署の管理職だけが参列した。
帰ってきた課長の話では、母親が左腕だけの棺に縋り付いてなかなか出棺できなかったそうだ。
(なんか… すごく… 重い…)
だから…
◇◇◇
目の前にいるニコニコと笑っている刑部に妙に腹が立ってきた。
「貴方、死んだんじゃなかったの、刑部君。」
萌夏の口調がきつくなる。
王様は一瞬、固まったが、すぐに笑顔に戻る。
「俺も死んだって、思いましたよ。」
刑部の王様が右手で頭を掻いた。
「目が覚めたら、天国じゃなくて、ここにいました。」
刑部の笑顔がおさまった。
「落ちてきた俺を助けてくれたのが、本当の王様で、でも、戦のさなかで俺を助けたばっかりに怪我したそうです。」
「さっき聞いたわ…」
「俺は、ここの人たちに助けてもらって。
王様も命はとりとめたんですが。」
「…。」
刑部の表情が暗くなる。萌夏が不思議そうな顔をする。
「意識が戻りません。」
「それも聞いたわ…。」
「困りますよね。」
刑部がまた頭を掻いた。
「眠ったまんまなんです、王都のお城で。
それを知っているのが、ここにいる人たちと王妃様。
王妃様は、王様の奥さんで美人です。」
刑部が一息ついた。
「その頃は、まだ戦争状態だったので、王様が怪我しているのを知られたら不味いでしょ。
とにかく、休戦に持ちこんだんですが、調印式に『王様』が必要になってね。
俺が代役です。」
刑部に笑顔が戻った。
「お芝居なんて幼稚園の頃以来ですからね。
頑張りましたよ!」
(なぜ、軽く話せるの?
大変なことだったんじゃないの?
ああ、そうだ、彼は大事なことを軽く話すから、尻ぬぐいが大変だったんじゃないの…。)
「『王様』が私を呼んだって、聞いたわ。」
「ええ、俺がお願いしました。
最上さんなら助けてもらえるって思って。」
「ほかに優秀な人、いたでしょ?」
「こんな世界のこと、受け入れられる人はそういませんよ。」
「私が受け入れると?」
「最上さん、机の上に、ラノベ、置いてあったじゃないですが。
だから、イケるって!」
(ラノベって…。
万札を崩すのに買っただけの本よ。
読んでもない…。)
「私が迷惑するって、思わなかった?」
「こっちのほうが楽しいですよ。」
軽口のくせに… 刑部からふと笑顔が消えた。
萌夏もどうリアクションすればいいか困ってしまった。
「少し… いいだろうか。」
遠慮がちに声をかけてきたのは、レオンだった。
この世界の四人が呆然と二人を見ている。
「お二人で、何のお話をされているのですか。」
「え?」
逆に萌夏と刑部が不思議そうな顔をする。
「普通に、話、していたわよ。
聞こえてたでしょ。」
「…言葉が違います。」
レオンは小声だ。
「…。
向こうの世界で言えなかった分の文句を言っただけ。」
「文句?」レオンが聞き返した。
今度は、彼とも言葉が通じているようだ。
「最上さんを、ここに連れてきちゃったから、怒られてた。」
「おい!」遠くでニールが非難の声を上げる。
刑部が自分の分のお茶をカップに注いだ。
「あーあ、冷めちゃった。」
カップを持つ左手を見て、萌夏があっ、と声を上げた。
思わず、刑部の左腕を掴む。
「腕、自分のなの!?」
左手が揺れてカップのお茶が飛び散った。
「あー! こぼれたじゃないですか!」
刑部が声を上げる。
「左腕、あるのよね!」
「ありますよ。俺のです。」
「じゃ、お葬式をした左腕って誰のなの?」
刑部が困った顔をする。
見かねたレオンが萌夏の手を刑部から離させた。
「たぶん、それは王都の陛下の左腕だ。」
レオンが静かに答えた。
萌夏がレオンを見上げた。
「キョウ殿が流生してきたのは陛下の頭上でした。」
レオンが一つ、息をつく。
「陛下は、キョウ殿とぶつかりそうになり、左腕で御身を庇われました。
キョウ殿はそのまま地面に落ち、陛下の左腕は引き裂かれたようになって消えました。」
(あの左腕は、刑部君のじゃない…!?)
「本当の王様は、左腕が無くなってね、意識が戻らない…」
刑部が呟く。
「だから、俺があの人の代わりに頑張るってこと!」
(また、軽口を…)
萌夏が眉間にしわを寄せた。
「で、刑部君は何をしたいの?」
「そりゃ、王様ですよ!
国家運営に決まってるでしょ!」
「はぁ?」
「最上さんっ! 事務方、お願いします!」
刑部の瞳がキラキラとした。
「何が国家運営だっ! このお調子モン!」
ニールがずかずかと近寄って、刑部の胸倉をつかんだ。大柄のニールにぶら下げられている格好だ。
レオンがニールの腕を掴んだ。
「そのへんにしておけ。
お調子者だが、それに、我々は救われた。」
ニールが刑部を離す。
刑部が服を直した。
「どこの世界でも、こういう人いますよね!」
刑部が不満そうに言う。
「貴方みたいなお調子者もね。」
萌夏は冷ややかだった。
「国家運営って言っても、要はプロジェクトでしょ。
予算立てて、計画書作って、施工やって…」
刑部が続ける。
「完成させる。
それが出来ればいいんですよね!」
「やったことないでしょ?」
「うっ。」刑部がのけぞる。
「ゲームじゃないのよ。
生きてる人が関わるのだから、マジにやってよね。」
「…。」
「何よ、」
「最上さん、そんなしゃべりかたするんだ…。」
刑部が楽しそうにいった。
「国家運営って、この国はうまくいってないの?」
萌夏は、彼女らを呆然と見ていたレオンたちに振り返った。
「うまくいってないって… そんなこと聞かれても、ねぇ。」
エルストが言葉を濁す。
「ずっと、アミエリウスと戦争してるから、戦費がバカにならないじゃないですか。」
刑部が続けた。
「戦費…。」萌夏が呟く。
「要はね、貧乏なんです、この国。」
「…『流生』はあっても、それは豊かさには繋がらない。」
「国を豊かにして、建て直さないと。」
萌夏が大きくため息をついた。
「何につけても金のいること。」小さくつぶやく。
「で、何から始めたらいいんですか?」
脳天気な刑部が言う。
「この国のデータを全部、集めて!」
「?」
男五人が目を丸くした。
◇◇◇
ウィルシャーは、目の前の女の子に困っていた。
女の子は眠ったままだ。
足元には変な形の箱が置かれている。
モカ様に頼まれて付き添ってはいるのだが。
歳は同じぐらいだろうか。
ウィルシャーが11歳だから、ちょっとだけ下かな?
この女の子は『流生人』だ。
母さんがクロードさんのところで世話をしていた。
一度だけ、一緒に会ったことがある。
泣いてばかりで、母さんも困っていた。
グローヴナー領主は、『流生』の世話をするのが役目で、伯父のレオンも母さんも働いている。
『流生人』は、母さんがよく面倒を見ているのだけど。
女の子にかけられている毛布がずれた。
ウィルがそっと直した。
つもりだった・・・
急に女の子が目を開けた。
髪の毛と同じ黒い瞳。
大きく口を開けた。
ウィルが思わず自分の口に指を当てた。
「しっ!」
(静かにしてっ!)
明るい茶色の髪と瞳が、やや不安そうに女の子に向けられた。
美久は、びっくりして口を開けたまま固まった。
自分よりちょっとだけお兄さんに見えた。
男の子は、口に指をあてたまま、動かない。
美久は口を閉じた。
男の子が指を離した。
「ありがとう。」
ウィルシャーが女の子に笑顔を見せようとした。
「僕は、ウィルシャー・グローヴナー。
君は?」
美久がきょとんとした。言葉がわからない。
ウィルシャーが自分に指をあてて、もう一度ゆっくりと言った。
「ウィル、ウ・イ・ル」
美久が口の形を真似した。
「う、い、る」
その形を見て、ウィルシャーが微笑った。
「ウィル。」
「ういる!」
美久から声が出た。
音が似ていた。
(名前を呼んでもらった!)
今度は、美久が微笑った。
自分に指をあてて言う。
「み・く!」
ウィルが真似をする。
「ミク!」
女の子が大きく頷いた。