第4話 再会の夜
「で、いつまで待てばいいの?」
萌夏は、『流生人』クロードに会い、『流生』してきた品物も見てきた。
そこで出会った美久はそのまま萌夏についてきて、今、ランドセルを抱えてソファで眠っている。
夕食も終わって、いつもなら、テレビをつけっぱなしにして、明日のスケジュールの画面とにらめっこしている。これに酒があれば満足だが。
(することがない…。)
萌夏の不満を一心に受けているのは、熊男、もとい領主のレオン・グローヴナーだ。
熊男の顔もすっきりして、見た目もいいと思うが、ガタイの大きさが圧を感じる。
レオンは、美久に掛けられていた毛布を直した。
「優しいのね。」萌夏が皮肉る。
「別に。」レオンがぶっきらぼうに答える。
「『王様』って、本当に来るの?」
「そう聞いている。」
「『王様』って、どんな人?」
「…若い。」
「?」
「二七になられた。」
「…若いわね。」
「即位されて間がない。我々がお支えせねばならない。」
「…。」
「そのお方が、貴女が『流生』されることを望んだのです。」
萌夏が頭を振った。
「…なぜ?」
「知りません。
俺達にはわからない。」
「そう…」
萌夏は美久のソファの隣に座った。
レオンは立ったままだ。
「座ったら?」
「いい。」
お互いに黙ったまま、動かない。
こういう沈黙はしんどい。
びん底眼鏡をいじっても時間がもたない。
どうしようかと萌夏がため息をついたとき、ドサリと音がした。
ヒヤッと背中がびっくりする。
美久のランドセルが床に落ちていた。
レオンがランドセルを拾い上げる。萌夏が美久を覗きこむが寝たままだ。
「…ずっと、これを手放さなかった。」
レオンはランドセルを美久の足元に置いた。
「これは何だ?」
「ランドセル。
小学生が学校に行くときに背負っていく。教科書とかノートとかペンケースとか、荷物を入れていくのよ。」
「…鞄?」
「そうね。黄色いカバーがついているから一年生のね。」
レオンが困った顔をしている。
「小学生とか、学校とか?
わからない…。」
「クロードさんに聞いてないの?」
レオンが黙ってしまった。
せっかく『流生』してきたものがあるのに生かされていない?
(もったいない話ね。)
「よく眠っている。
ここにきてからこんな寝顔は初めて見る。
クロードに預けてからもいつも怖がっていた。」
「…。」
「『流生』は、月の満ち欠けで起こる時期や場所を予想できるんだ。外れることもあるが、半日の違いで当たっている。
だが、ミクのときは、突然だった。
領内の見回りの最中に突然、空が裂けて、ミクが落ちてきた。」
「身体に欠けたところがない珍しい『流生人』だった。
言葉が通じれば、よかったんだが、」
(ちがう、美久ちゃんには指がないのに!)
「泣き叫ぶだけで話ができなかった。泣くのが終わっても怖がられた。」
「…。」
少し間をおいて萌夏が口を開いた。
「美久ちゃんには、指の先が無いのよ…」
「!」レオンが萌夏を見る。
萌夏は自分の左手の薬指の先を右手で掴んだ。
「ここがなかったのよ。
七歳の女の子が知らない場所に放りこまれて、指が無かったり、言葉が通じなかったり… 『怖い』だけでしょ。」
「泣くことで、正気を保っていたんだわ。」
レオンがひどく青い顔をした。初めて美久の境遇に思い至ったのか。
彼が少し震える声で言った。
「…貴女は平気そうだ。」
「年寄りだから。」萌夏は自嘲気味だ。
「…。」
「でも、美久ちゃんは何とかしてあげないと。
帰れることもあるんでしょ?」
「…そういうこともあったということだ。」
「もし帰れた時に困らないようにしなきゃ。」
「何を?」
「勉強をね。」
「?」
「『流生』したものの中に本もあったわ。教科書もあるかしらね。」
「勉強って?」
「漢字の書き取りと、算数。
小学生ぐらいなら教えられるかしら。」
「…読み書きをするということか?」
「そうよ。
この世界でも読み書き算術ぐらいするでしょ?
学校はないの?」
「学校?」
「同い年ぐらいの子供を集めて先生が字を教えたり、足し算、引き算やったり。」
「ヴィーデルフェンでは無い。
アミエリウスでは『騎士見習』という学問所があるらしいが。」
「無いって…。
皆どうしているの?」
「できる者に習っている。
領主とか金持ちとか、休戦時にはアミエリウスの学者を雇っていた。」
「え?」
「学問というのは特権なんだ。領民は言われた通りに働けばいいから学問はいらない。」
「そうじゃなくて、『休戦』って?」
レオンの方が意外という顔をした。
「アミエリウスと『休戦』状態だ。半年になる。」
「戦争してるの?」
「そうだが。」
「理由は?」
「国境争い。」
「?」
「深い森があっただろう。あれは我がヴィーデルフェンのものだが、アミエリウスが森の中に砦を築いた。公然とした侵略だ。そうでなくても、国の理念の違いで、昔から対立していた。」
レオンの言葉が熱を帯びる。
「我が国の『流生』から品物を作っているのに奴らは自分たちで作り上げたように言う。
それをヴィーデルフェンに売りつけてくる。」
「…知的財産を奪われている?」萌夏が呟く。
「そのアミエリウスっていうところには、『流生』はないの?」
「ない。
かわりにあの国には、魔獣が出る。」
「…魔獣?」
「獣だと人が仕留めて食料にするが、魔獣は人を食い殺すそうだ。」
「あら、ファンタジー。」
「え?」
「何でもない。」
「魔獣は、国境を越えてくる。
ハブナは倒せる方法を知っているが、魔獣を退治する人も道具もここにはない。」
「ハブナって…」
「泥の化け物だ。最初に見ただろう? あれは魔獣じゃない。」
「…。」
「大昔の人は、もっと魔法が使えて、ハブナも魔獣も退治したらしいが、今のヴィーデルフェンにはそういう者もいない。」
「魔法って…
…でも、貴方、治癒魔法って、私に使ったわよね。」
「魔法といえるほどの代物じゃない。あれすら使える者は少ない。」
「面倒臭い話ね。」
美久が少し動いた。
「あ、」レオンが気にする。
「うるさいからよ。」
萌夏が美久を見た。
眠っている。二人がほっとした。
部屋の扉が叩かれた。
レオンがそっと開けるとウィルシャーが顔を出した。
「ご一行がお着きになりました。」
レオンが萌夏を見て頷いた。
「…美久ちゃん、どうしよう?」
萌夏がウィルシャーを見た。不敵に微笑む。
「君、この子についててくれる?」
ウィルシャーがレオンの顔を見上げた。
伯父も困った顔をしている。
ウィルシャーがそっと部屋に入ってきた。
「頼む、ウィル。
何かあったら、大声で呼べ。」
レオンの言葉にウィルが頷いた。
ウィルも少し緊張した顔で美久の向いの椅子に座った。
「行きましょ。」
萌夏はレオンを従えて部屋を出た。
◇◇◇
通されたのは、大きなテーブルと背の高い椅子が並ぶ広い部屋だった。
(ダイニング?)
萌夏が部屋を見回す。
彼女の客間は地味だが落ち着きがある。だが、この部屋は派手な調度品が並んでいて騒々しい。インテリア雑誌で見る成金趣味。
「いい趣味ではないわね。」
「叔父の趣味だ。俺も好きじゃない。」
小声の萌夏の感想にレオンが小声で応じた。
おや、と萌夏が思う。
(感性、似てるの?)
その部屋で待っていたのは、レオンと同じような格好をした男が二人と黒く長いローブを着込んでいる男が一人だった。
レオンが大きく肩を落とした。
「悪りぃ、逃げられた。」
一番奥にいた灰色の短髪の男が頭を掻いた。
「ニールのせいじゃない。
彼の方が上手だった。」
もう一人、明るい栗色の髪の男が溜息をついた。こちらは熊男のように髪が長く三つ編みをしている。
「だから、縄をつけておきなさいって言ったでしょ。」
黒ローブの男が湯気の立つティーカップを口にした。この成金趣味の部屋に似合った縁金のカップ。
彼は灰色の髪を肩の後ろに払うと萌夏に微笑みかけた。
優男だ。
自分がイイ男だとわかっている笑みだ。
(優男には興味ないな。)
「そちらが、かの御仁ですか。」
優男はカップを置くと萌夏の前に歩み寄った。
優男はレオン並みに背が高く、びん底眼鏡の萌夏を見下ろして、少し困惑を浮かべた。だが、優男らしく微笑みに帰ると静かに両手を胸の前で組み、片膝をついて頭を下げた。
「ヴィーデ教、首席司祭エルストと申します。」
「…どうも、ご丁寧に。
最上萌夏です。」
他の二人もエルストの真似をしようとしたが、萌夏が手で制した。
彼らは肩をそびやかす。
「灰色髪の方がニール、王様の護衛騎士だ。
栗色の方がシド、格好は騎士だが、文官で国の金庫番をしている。」
レオンの紹介に二人が会釈する。萌夏も同じように返す。
「司祭連中、今度は成功したな。」ニールが小声で言う。
「私の弟子は優秀だなぁ…」エルストが感慨深げに言う。
「運がよかっただけだろう。」ニールが苦々しく言った。
「成功?」萌夏が怪訝な顔をする。エルストが微笑んで応じる。
「王様に願われて、貴女様の『流生』を祈ったのです。
我々には、賢者の末裔として少しばかり魔力がありまして、それを集結させて…」
「『王様』はいないの?」
萌夏がエルストの言葉を遮って、レオンに訊ねた。
それにニールが答える。
「『蔵』まで一緒だった。
『蔵』でほしいものがあるからといわれて馬車を停めたら、」
「逃げられました!」笑いながらシドが続けた。
「ま、じきに来ますよ。」シドは楽観的だ。
「あの、野郎…」ニールが怖い。
「すまない、もう少し待ってくれ。」
萌夏は頷くと椅子に腰かけた。びん底眼鏡をはずして、ひと息つく。
栗色のシドが周りを見回して、テーブルの茶器からカップにお茶を注いだ。
エルスト以外は、ティーカップを手にしていなかった。大テーブルの端には、茶器が用意されている。萌夏とレオンのは彼ら近くに並べ、ニールにはカップだけを手渡した。
ニールが面白くない顔をする。
「ロッテさんの好意だから。」シドの耳打ちにニールがお茶を飲み干した。
「皆さんは、何をしている人なの?」
「今は、『王様』の側近です。」
シドが笑顔で答える。
「ぼろが出ないようにな。」ニールもぶっきらぼうに続ける。
「ぼろ?」
「貴女がこれから会う『王様』は、」
「実は、『偽物』なのです!」
もったいをつけてエルストが言った。
萌夏がレオンを見上げた。
レオンは腕組みして、背の高い椅子に寄りかかっていた。
「『偽物』だが、彼がいてくれなかったら国はダメになっていた。」
「どういうこと?」
「モカ様には話すぞ。」
レオンは三人に断りを入れた。三人が頷く。
「本当のヴィーデルフェン王ボルテル二世は、王都にいる。」
「?」
「陛下はアミエリウスとの戦闘中に、『流生』に巻き込まれた。向こうへ連れていかれることはなかったが、意識を失って、そのまま眠り続けている。
もう半年だ。」
「…。」
「今の『王様』は、その『流生』で落ちてきた。療養中の王とウリ二つの姿をしていた。
彼を保護していたが、どうしても王の元気な姿が必要で、成りすましてもらったんだ。」
「それがハマっちゃってね。」エルストが軽く言う。
「ずっと、『王様』を演じてもらっている。」
「それと、私って?」
「『王様』に仕事をしてもらうにあたって、」シドの答えに、
「手伝いがいるといいやがってな。」ニールが続けた。
「自分の世界の人を呼んでほしいって言われたんです。」
シドが笑顔で言う。
「自分の世界に仕事で裏方を仕切ってくれる人がいて、とても頼りになる人だと。」
萌夏が眉を顰める。
「我々としても、人の魔力でどれぐらいのことができるか試してみたくて、古の『召喚魔法』というのを試みたのです。」
エルストが笑顔で言う。
「…。」
「探し出すのも、『流生』が起こるのにもひと月以上かかってしまいましたが、貴女は無事、『流生』されました。」
「私に特定される理由がわからないわ。」
「『王様』が貴女の名前と容姿を教えて下さいました。それに毎日の生活行動とか。
それで、我々は、『流生』の起こりやすい『時』に魔力を集中させ、こちらにおいで願いました。」
エルストが答える。
(電車の事故、この人たちが起こした!?)
萌夏は、悪びれてない三人を眺めて、レオンを見た。
彼は目を下に向けて黙っている。
(あのドロドロを彼は『流生』できなかった者と言った。
私を『流生』させるために犠牲にしたの!)
萌夏が口を開こうとした時、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
「よかった~!
来てくれたんですね、最上さんっ!」
大声で名前を呼ばれた。驚いて相手を見る。
男が両手に何かぶら下げて駆け込んできた。
初めてみる顔なのになぜか知っている気がする。
レオンたちと同じ格好をしているが、もう少し高そうな服に見える。
髪は赤茶色で肩にかからないぐらいの短さ、まるでアフロのようなパーマ頭だ。
そういえば、ぼさぼさの鳥の巣のような頭の男に「散髪に行け」と叱ったことがあったっけ。
「誰?」
「『王様』だ。」
レオンが答えた。
王様は、萌夏の前に両手を突き出した。そこには二本の酒瓶がある。
ラベルには「竹葉」の文字。
(こんなものまであるの!?)
「好きでしたよね!
能登の『竹葉』。
飲み会、これがない店は却下されましたもん。」
王様は笑った。
「で、貴方、誰?」
「やだな…、僕ですよ。
刑部恭二です!
忘れちゃったんですか!?」
「…。」
萌夏が黙ってしまった。
五人の男が困ったように萌夏を見る。
萌夏がゆっくり口を開いた。
「…思い出した、長谷川君に立て替えた5千円、まだ返してもらってないわ。」
「五千円?」
「刑部恭二の香典。」
「え?」
「貴方、死んだんじゃなかったの、刑部君。」
王様の顔が引きつった。