入ってよかった『寝取られ保険』
つい先日、彼女いない歴=年齢だった俺――土井敦に、とうとう彼女ができた。俺はリア充の仲間入りを果たしたのだ。
彼女――三谷恵さんとは高校で出会った。
三谷さんの家庭は複雑な事情を抱えている。
彼女は元々、学費の高い私立の学校に通う予定だった。されど不幸にも、中学卒業間近彼女のお父さんが亡くなり断念せざるを得なかった。
出会った当初はそんなことは露知らず、なんとなく綺麗な子だなと思って声をかけた。
「三時限目って何の授業だっけ?」
「数1だよ」
何の偶然なのか、そこから三谷さんと俺はよく話すようになった。仲良くなるのもあっという間だった。
どうやらクラスの大半は、彼女と同じ中学出身らしい。皆彼女のことを腫れ物のように扱っていた。
話しかける変わり者は俺くらい。唯一まともに話してくれる俺のことを、三谷さんは好きになったそうだ。
付き合いたてでまだ三谷さんとは手を繋ぐことしかできていない。だが、後々は…………ムフフフフ!
これを機に大人の階段を一気に登れるかもしれない。あれってどんな感じなんだろうなぁ。楽しみで仕方がない!
しかし、そんな浮かれている最中、水を差すように俺の幼馴染の長嶋真弥がこんなことを言ってきた。
「ねぇ、あっくん。彼女できたんでしょ? 『寝取られ保険』に入ってなくて大丈夫?」
「はぁ?」
意味不明だった。
世の中には、多種多様な保険が存在する。学生の俺にあまりそれらに触れる機会はない。
だが詳しくないながらも、本当に必要か? と思うものもある。まあ、それについては一旦置いておこう。
「『寝取られ保険』って何だよ?」
「知らないの!? 身近に可愛い女の子の幼馴染がいる男の子は皆入ってるよ」
真弥の両親は共に保険のセールスをしている。ちなみに、俺の親父は真弥のお父さんが勤める保険会社の生命保険に入っていたりする。
そんなこともあり、俺も彼女の両親と話す機会が少なからずある。………が、そんな保険があるなんて聞いたことがない。
本当に訳がわからない。さりげなく、自分のことを可愛いなんて言ってるし。
「だからなんなんだよ、それ」
「えっとね、彼女がいる男の子が浮気された時に備えて、入っておく保険なの」
「ほう……」
男の子限定なのか……。何も浮気するのは女の子ばかりじゃないだろうに……。
「あっくんは、『ざまぁ』って知ってる?」
「ああ、知ってる」
Web小説でよく見かけるあれだ。俺は恋愛物の『ざまぁ』が好きだったりする。
それと『寝取られ保険』がどう関係しているのか全く不明だが。
「なら話は早いね。『ざまぁ』する作品を読んで不思議に思わなかった? 寝取られた直後に、都合よく可愛い女の子が現れて、主人公を慰めてくれたり、主人公の恋人になってくれたりするのかって」
「そりゃあ……まぁ……」
実在しない架空のお話を持ち出されても困る。
それに読者を楽しませるために作者がご都合主義なストーリーにしたのに、それに対してケチをつけるなんて無粋だ。
「あれにはちゃんと理由があるの。作中では描写されてないけど、主人公は浮気されて彼女と別れることになった時を考えて、次の彼女になってくれそうな女の子に前もって唾をつけとくんだよ。学校一の美女とかにね。だからあんな短期間で、可愛い女の子が近寄ってくるの」
つまりこう言うことだろうか。
『寝取られ保険』とは彼女候補となる女性に、もし現在の彼女と別れることになった場合、恋人になってもらう契約。
彼女がいない期間が長くならないようにするための保険。
「なんだそりゃ?」
「小説って読むのもそうだけど、実際に見たり聞いたりしないとイメージしづらいよね? それを文字に起こすとなるとやっぱり、経験してみないと」
「あれか? 『ざまぁ』な小説を書いてる人は『ざまぁ』をリアルで経験している。『ざまぁ』することができたのは『寝取られ保険』のおかげだと……」
「その通り! 『寝取られ保険』は『ざまぁ』界隈だと有名だよ」
『ざまぁ』のゲシュタルト崩壊。そもそもなんなんですかね……『ざまぁ』界隈って……。
「で、だ。その保険に入ると何かいいことあるのか?」
「ありありだよ。寝取られるのって辛いよ? もう死にたくなるぐらい。辛い時に慰めてくれる人がいるって大分大きいよ。だから、あっくん! 『寝取られ保険』に入ろうよ!」
体を前のめりにして保険の加入を勧めてくる幼馴染。目は爛々と輝いていて、鼻息も荒い。
流石保険屋の娘、ここまで熱烈だとなんか断りづらい。
しかし『寝取られ保険』に入るということは、別れることを前提に彼女と付き合っているようなものである。
人として最低な気がする。そもそも保険に入る金なんてないし。
「金な――」
「お金はかからないよ! この書類にサインしてもらうだけ!」
食い気味に俺の言葉が遮られる。
あ、だめだ。これ契約しないと終わらないやつだ。
「あー……わかったよ。その書類を書けばいいんだな……」
「契約成立ね! もしあっくんが三谷さんと別れることになったら、私が彼女になってあげるからね!」
そんなことにはならないはずだ。
三谷さんはクラスで浮いている。彼女を寝取ろうとするやつなんていないだろう。
――そう思っていたのだが……
神聖なる学び舎でそれは起きた。
授業が終わり、家に帰るとメモを取ったノートがバッグに入っていないことに気付く。
面倒だと思ったが、ノートを学校に取りに行くことにした。ノートがないと宿題ができそうになかったからだ。
「山崎くん……愛してる……」
「恵……!!」
放課後の教室から漏れ出る睦声。
まさかこんなところでおっぱじめる馬鹿がいるとは思わず、俺は愕然としていた。
それ以上に驚いたのは、行為に没頭している二人が俺の知っているやつらだったことだ。
1人はクラスメイトで俺の友人――山崎翔。そしてもう1人は…………。
――三谷さんだった。
「なんで……」
自分の目を疑った。涙の溢れる目を擦っても擦っても、三谷さんが浮気をしたという事実からは逃れることはできない。
何がいけなかったのだろう……。
俺の知る限り、三谷さんは俺以外の男子とあまり接点がなかった。だからそんなことになる訳がないと、高を括ったのがいけなかったのか。
山崎だってそうだ。彼はチャラ男ではあるが、人の彼女に手を出すような不届きな輩じゃない。
辛い……。
辛い辛い辛い辛い辛い!!
ここまで心にくるものなのか。大切な人が奪われるというのは。
真弥の言っていた通りだった。死にたくなるほどきつい。
「あああああああ!!」
「「!!」」
やるせない気持ちが、火山の噴火の如く叫びとなって飛び出した。
二人に気付かれてしまったが、そんなのどうでもいい。
「土井くん……あの……これは……仕方がなかったの」
仕方がない? なんなんだよそれ?
「土井、恵を責めないでくれ。彼女には事情があって……」
??????
頭の中がぐちゃぐちゃだ。怒りと悲しみが交錯し、俺には山崎を殴ればいいのか、三谷さんを罵倒すればいいのか判断がつかない。
「あのね……土井くん、私の家、今すごく貧乏なの。それで、長嶋さんが――」
三谷さんが必死に言い訳をしているが、頭に全然入ってこない。
どのみち彼女との交際はもうおしまいだ。いくら理由があるにせよ、彼氏彼女の関係を維持するなんて到底できない。
面倒くさい。一旦この場を離れ、冷静になってから後のことを考えよう。
「――ッ!」
「待って!」
二人に背を向け、全力で駆ける。
振り返らない。振り返ってはいけない。おぞましいものが、俺の背後にはいる。
「…………」
不思議なものである。がむしゃらに走っていたつもりが、いつの間にか家の前まで来ていた。
「あっくん……大丈夫?」
こうなることを予見していたのか、門の前に幼馴染が立っていた。
「もしかして、見ちゃった? あれ」
「ああ……」
「ごめんなさい。私、三谷さんが山崎くんと浮気してるの知ってた」
三谷さんの口から真弥の名前が出た時、そんな気はした。
真弥は俺を気遣っていた。
『寝取られ保険』なんていう奇天烈なものを勧めたのは、俺が三谷さんの浮気を知った時に少しでも傷が浅くなるようにするためだ。
今になって分かる。あの時の俺は、三谷さんの浮気を幼馴染から聞かされても信じなかっただろう。
「『寝取られ保険』……使う?」
「使うよ」
幼馴染の想いに胸が熱くなる。傷心している俺を懸命に慰めようとしていることに。
「真弥……ありがとうな」
「いいよ、気にしないで」
その後、俺は三谷さんと別れ真弥と付き合うことになった。
彼女と付き合って、俺の心の傷はすぐに癒えた。三谷さんを失った悲しみはあっという間に消し飛んだ。
ああ……『寝取られ保険』に入ってよかった。入っていなければ、どうなっていたか分からない。
★★★★★
もぅ……大変だったよ、三谷を浮気させるの。山崎をけしかけても全然靡かないし。
まあでも、死んじゃったお父さんの生命保険がおりるようにしてあげるよって言ったら、積極的に山崎と浮気してくれるようになったけど。
アハハハハハ! いくら身内が保険会社に勤務してるからって、審査が甘くなる訳ないじゃない。三谷はお股以上に頭もユルいのね!
あんまりあっくんのこと好きじゃなかったのかなぁ。私なら考えられないよ、あっくん以外の男の子なんて……。
ホントいい迷惑! あっくんは私のモノなのに、軽い気持ちで付き合うなんて良い度胸してる!
お金がそんなに大事かな?
愛に比べればお金なんて二の次、文明的な生活なんていらない。最悪私は、無人島であっくんと二人きりの人生を送れればそれでいい。
あ、でも、あっくんとの子どもは欲しいかな!
望んでくれれば、いくらでもそういうことができる準備は私にはある。ビッチな三谷とは違う。
あっくん、『寝取られ保険』はセックス、孕ませ、結婚、どれもサポートしてるよ。あっくんがしたいこと全部してあげるから。
ウフフフ、これからいっぱいいっぱい楽しもうね!
最後まで読んで頂きありがとうございました。