ある日、家の幽霊が家出した
僕の家には眼鏡をかけたお兄さん姿の幽霊が住んでいる。
お話ししてくれないし、全然目も合わせてくれないちょっと意地悪な幽霊なんだけどね。
なんで幽霊だと断言できるかって?
だって姿は見えるのに触れられないんだもの。それって幽霊ってことでしょう?
それに本人に聞いたんだもの。
僕は勇気を振り絞って――怖さを紛らわす為にドタドタ大きな足音を立て近づいたんだけど――緊張しながら「お兄さんって幽霊?」って聞いたら「幽霊だ」って言ってたんだ。
あ、本人じゃなくて本幽霊かな。
その1回だけは何故かお話してくれたんだよね。きっと僕が怖がってたから答えてくれたのかもしれない。きっと悪い幽霊じゃないんだってわかってから僕はこのお兄さんが怖くなくなった。むしろ一緒にいてくれて心強く感じた。
僕は今、一人でお留守番中なんだよね。
お母さんとお父さんにしっかりしたこと見せたくてお留守番を引き受けたんだけど、本当はちょっぴり不安だったし寂しくもあった。でもお兄さんのおかげで一人じゃなくなったからなんだかほっとしちゃった。
うーん、僕もまだまだお留守番半人前だな。
一緒にいるといってもお兄さんは夕方に現れて翌朝にはいなくなっちゃうんだけど。やっぱり幽霊だからかな。
そう思っていたら、突然お兄さんがいなくなっちゃった!
お兄さん、もう何日も戻って来ないんだ。
もしかしてこれは『家出』ってやつなのかもしれない。
家が嫌になってどこかにいっちゃう事だってテレビでいってたような。
もしかして僕が嫌いになってどこかにいっちゃったのかな。
どうすればいいのかな。ええとたしか……テレビではお巡りさんに『捜索願い』ってやつを出せばいいってやってた。でもお兄さんって幽霊だからお巡りさんに見つけてもらえるのかな?
やっぱり僕、探しに行った方がいいよね?
でもお留守番中だし……本当にどうしよう!
一生懸命悩んでいたらなんと夜遅くにお兄さんが帰ってきた!
……もしかすると家出じゃなかったのかも?
僕ってば心配しすぎかな、なんだかほっとしちゃったよ。おかえりなさーいって言ってもただいまはいってくれないよね。……少し寂しいけど、お兄さんがちゃんと帰ってきたのならいいや。
あれ、お兄さんの後ろにもう一人いる。もしかして幽霊の友達なのかな?
あっ友達のお兄さんはちゃんと僕と目を合わせてくれた!
ふふふ、なんだか嬉しいな。もしかしてお話しできるかも――。
*
この家に住み始めるまで、俺は生まれてこの方心霊現象なんて体験したことのないただの平凡な会社員だった。
始めてその存在を感じたのは、片付け――といっても、家具などは備え付けだし元々荷物も少ないのであっという間に終わった――がひと段落し、生活も落ち着いた数日後といったところか。
少し離れたところから、何か気配のようなものを感じたような気がしたのだ。当然そこには何もない。
多少奇妙には感じたが、新しい環境に慣れないからだろうと考えそれ以上気にしなかった。
その存在をしっかり認識したのはそれから数日後のことだ。
深夜、ふと意識が浮上する。ちょうど夏真っ盛り、節約のため扇風機を回しながら寝ていたのだが暑さに目が覚めてしまったようだ。喉の渇きを覚えキッチンへ向かうべくベッドから起き上がる。
その時だ――急にドタドタと近くから足音が聞こえたのは。
思わず「幽霊だ」と呟いたら、音はピタリと止んだ。
寝ぼけて聞き間違えたのかと思いたかった。もしくは隣か上か下の部屋から聞こえた足音だろうと思いたかった。そうであってくれと願った。
俺の願いも虚しく、それ以降時折ぺたぺたと軽い足音が聞こえるようになった。
そしてなんとなく隣から気配と視線を感じるようになった。
ようやくそこである可能性に気づく。多分事故物件だわ、ここ。
引っ越しが頭をよぎったが引っ越ししたばかりでそんな資金はないし、なによりここより立地条件がよく家賃も手頃な場所が見つかるとは思えない。
まぁほとんど寝に帰ってくるような場所だし、今のところ足音と気配と視線だけで直接的な害はないのでしばらく様子を見る事にした……のだが。
ある真夜中にふと目が覚めると至近距離から視線を感じた。怖くて目が開けれなかった。
だんだんと気配が近づいているような気がする。これはいわゆるメリーさん的ななにかなのか?
メリーさんに限らず怪談話の中にはだんだん近づいてくる話があったはずだ。何これ怖い。
次の日、俺はいつも以上に早く起きると着替えを適当な鞄に引っ詰め会社に向かった。
様子を見るとか言ってる場合じゃない。
その日は会社に寝泊まりした。もうあの家に帰りたくない。普段家に帰りたがっている俺が嬉々として会社に居座っているものだから同僚が不思議そうな顔をしていた。
その次の日も会社に寝泊まりすれば、流石に同僚から不審そうな顔を向けられた。
借金の取り立てかはたまた痴情のもつれかと聞かれ幽霊だと答えれば、何とも言えない顔の同僚に別部署へと連れて来られた。そこで紹介されたのは少し胡散臭さを感じる糸目の優男。
どうやら彼は霊感持ちらしかった。その彼を伴い家へ帰れば男は「ああ、いるね」と呟いた。
何もない空間を見つめる隣の男を尻目に俺は縋るように肩にかけた鞄の紐をグッと握りしめる。
俺にはやはり何も見えないが、隣の男にはその姿ははっきりと見えているのだろう。
「小さい男の子だね。多分6歳くらいかな? おかえりなさい幽霊のお兄さん、だってさ」
今、おかしなこと言ってなかったか?
「俺が幽霊? ……まさか――」
男は少し悲しげに微笑んだ。
「この子、気づいてないんだ。自分が幽霊だって事にさ」