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瀬那がぼんやり画面を見ていると「新着1件」と通知が入る。プライベート用アドレスの方だ。頭が回らないまま、ポチっと押す。知らないアドレスの件名が「葉山令司です」となっている。彼女の肩から力が抜ける。
(なんで今さら)
あれから令司から連絡はなかった。何の説明もない別れを、瀬那は苦しみながら受け入れるしかなかった。小学生の時とは違う。アドレスも教えているし、連絡を取る方法はいくらでもある。連絡がこないのは、彼にそのつもりがないから。
(私にとっては全然、昔のことじゃない)
未だに令司が好きで、他の人が目に入らない。キーボードに水滴がポタリと落ち、慌ててPCから離れる。涙を拭きながら部屋を出ると、母に遭遇する。
「な、なに? どうしたの?」
「お母さん……。選考通過と、ずっと待ってた人の連絡がきたの」
「それ、同じ話なの?」
「そう。どっちも葉山令司だから」
母の顔がなぜか強ばる。不思議そうな瀬那に、母は静かに言う。
「一緒にお茶しましょう」
瀬那は緊張で何も喉を通らない。母は湯気が立ち上る緑茶を飲み、大きくため息をついた。
「今さら葉山くんの名前を聞くとはね」
母は父が亡くなった時のことを話し出す。
父は、あの大雨の翌日に心臓の大動脈が破裂してそのまま亡くなった。その場に彼女はおらず、詳細を知らないままだった。
「倒れたその場に、葉山くんいたのよ」
大雨の翌日土曜、雨でロッカーに置きっぱなしにした瀬那の鞄を持って、令司は家を訪れた。瀬那は出ていて、対応した父が彼と揉みあううちに倒れた。
「お父さん、葉山くんのこと支店長の息子ってすぐ分かったみたい」
父は家族に言わず信用金庫でお金を借りたが、返せず、担当と支店長は次の融資を断った。それを父は恨んでいたらしい。
「葉山くんが瀬那さんと付き合いたいって言い出したら、怒って殴りかかったらしいの」
それは駄目だ。父が悪い。……でもそれが原因で亡くなったとしたら? どう思うんだろう。母は、私は、令司は。
「葉山くんは救急車呼んで、乗り込むところまで付き添ってくれた。でも……」
母はそれでも令司を恨んだらしい。彼が来なければ父は亡くならなかった、そう思っていたという。
令司の父は不祥事があり、元々東京に戻ることになっていた。でも令司が急について行くことになったのは、おそらく父の死が関係している。
「お母さん。今も令司を恨んでる?」
瀬那の言葉に、母は顔をしかめながらも笑った。
「本音をいえば関わって欲しくないわ。でも葉山くんは小学生のときも、お父さんに怒鳴られているから、同情はしてる」
「小学生?!」
「なんかヒルに噛まれたところ、助けたんだって? 瀬那がインフルエンザでずっと学校を休んでいたとき、葉山くんがお見舞いとお礼に来たのよ」
「は? そんな話聞いてない」
母は気まずそうな顔になる。父は彼を追い返した挙句、「瀬那にはあいつのこと言うな!」と厳しく口止めしたらしい。母は、娘の頬に優しく触れる。
「お父さんはあなたのことが何より大事だったの。本当は、あなたのために工場を閉める決心をしてた。でも……瀬那にそんな顔させる相手なら、許してもらいましょうか」
母は弱々しく微笑んだ。綺麗な雫が頬を伝う。瀬那の頬にも同じものが、あとからあとから流れ出る。
令司のメールには、会社として瀬那を必要としているので、前向きに検討して欲しい。ということと、自分は採用から外れるので、自分のせいで断るようなことがないよう祈る。とあった。
(令司。お祈りメールだね)
恋も愛も感じられない。こちらは未練たっぷりなのに。
(会社の先輩としてお話を伺いたく……違うな。久しぶりにお茶でも……違う)
瀬那は頭を掻きまわしながら、素直な気持ちを書いた。会いたいです、と。
送信ボタンへ慎重にカーソルをあてる。マウスがカチッと音を立てる。彼女は大きくため息をついて、お茶に手を伸ばす。口を付ける前に新着通知が点滅する。慌ててメールを開いた。
『これから会いに行っていい?』
駄目だろう。こんな時間に家に来る気か。まるで駅で別れたときに時間が戻ったみたいだ。
『会社を見に東京へ行きます。いつ行けば会えますか』
令司から場所と時間が、瞬間的に返信される。了解のメールを送ると、またすぐに返事が来る。
『やっぱり気が変わったとか、もう駄目だから。会うまでもうメールは見ない』
瀬那は笑いながら返す。
『うん。おやすみ』
もう返事は来なかった。明日に備えて、穏やかな気持ちで布団に入る。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
私としてはいつもと違う感じで書けたので、とても楽しかったです。
またどこかでお会いできると嬉しいです。