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令司は紺色の大きな傘を空に向けて開き、ゆっくり瀬那に傾ける。彼女は胸の鼓動が聞こえないことを祈りながら、一歩彼に近づいた。
「……失礼します」
「どうぞ」
彼はクスクス笑いながら距離を詰め、彼女の歩幅に合わせる。瀬那は傘にパラパラと雨がかかる音を聞きながら、すぐ側にある令司の横顔を見た。切り上がった目尻も、端正な顔立ち全てが綺麗だ。
令司は居心地悪そうに、彼女をチラッと見る。彼女は慌てて前を向く。
「葉山は誰かに似てるって言われる?」
「……そうだな。父親にそっくりって言われる」
彼女はへえっと目を丸くした。
「じゃあ、相当カッコいいお父さんなんだね」
彼は、うっと呻いて顔を大きく反らした。
雨脚は少しずつ強くなっているようだ。
「高橋に話があって国文学研究会のみんなに、協力してもらった」
彼の息づかいを感じるほど、距離が近い。駅までの通学路にある、田んぼのあぜ道に大量の水が流れ出していた。どう歩いても靴が濡れる。二人は諦めて濡れるままに足を進めていた。
「川みたいだ。俺、『われても末に』の句が一番好きなんだ」
映画でも有名な一句だ。川の水が岩にぶつかって二つに分かれ、再び同じ一つの流れに戻っていくことから、愛しい人と別れてもまた会いたいという恋の歌。歌い手の切ない人生ごと、瀬那も大好きだ。
「歌みたいに想ってる。高橋のこと」
令司の言葉に、彼女は動きが止まる。彼も足を止めた。瀬那はまじまじと見返す。
「ようやく分かったか。ばーか」
令司は苦笑いして、彼女のおでこを指で弾いた。優しさの感じられないデコピンだ。
「痛いよ」
「小学六年からの恨みがこもってる。ヒルに噛まれて大人しく足を差し出したのに、いきなり顔に水かけやがって」
「……どれだけ前の話よ。それに私をからかって笑ってたからでしょう」
「俺の手紙に返事くれなかった」
「は? 何の話」
瀬那は首を傾げる。受け取ってないか、と彼はため息をついた。
「転校するとき担任に託したんだ。それから高校は、高橋の志望校を秘密裏に調べて受験した。同じ高校になっても同じクラスになっても、全く相手にされなかったので、国文学研究会を立ち上げて高橋を引き込んだ……。まだまだある。高橋が理解するまで俺のストーカー行為を軽い順に教えてやるよ」
「そんな素振りなかった」
あったら分かる。こっちだって想っていたのだから。そう思い彼女は令司を見上げる。彼は目を伏せた。長いまつ毛が揺れる。
「……うん。伝えるのは本当に怖かった。高橋の読む歌が好きって、本気で言ってもスルー。でも、ダメもとで誘った傘には入ってくれた」
彼は笑って彼女の荷物を見た。彼女は頭に血が上り、顔が熱くなる。傘持ってることを知られていた……。
令司は切なげに目を細める。
「今度こそ、ずっと側にいたい」
「うん。私も。ずっと好きだった」
瀬那がはにかみながら言った途端、彼に抱え込まれる。彼のシャツが頬に触れた。雨粒が紺色の傘にばらばら落ちてくる。勢いよく降り始めた雨で、視界が一気に狭まる。傘の中だけは穏やかで、温かい。