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葉山令司は、高橋瀬那に読み手を頼んでおきながら、国文学研究会の部室には現れなかった。
「フェンシングの試合が近いからね」
令司の友人である国文学研究会の部長が、にこやかに言う。瀬那は呆れ顔になる。
「先週までは山岳部の大会の準備って」
「あ。そうね。そっちは終わったみたいだよ」
にこやか部長はのんびりと言う。令司は部員不足の運動部の助っ人を複数掛け持ちしているという。瀬那はため息をついた。
国文学研究会といいながら、実態は自由に気の置けない仲間と過ごせる場所というのが正しい。百人一首は、ほとんど読むことがない。てっきり競技かるたの読み手を求められていると思って、慌てて練習したのに。
にこやか部長は瀬那に微笑んだ。
「令司が高橋さんを誘う、と言い出したときは面倒な子が来るんじゃないかと思ったけど、全然違ったね」
誘う?
「いやー。こんなにも令司に興味がない子だとは。掛け持ちのこと知らないなんて、びっくりだ」
友達がいないから情報が入らないだけで……興味は後ろめたいくらいある。そんな気持ちは見せないよう、平静を装った。
部室の戸ががらがらっと開き、華やか美少女がやって来た。
「令司、部室寄るって。かるた用意しといてだって」
「へーい」
にこやか部長から、よろしく、と百人一首かるたを手渡された。
かるたの取り札には、下の句しか書かれていない。参加者が句を覚えていなければ、上の句を読む間、瀬那の読む声だけが響く。
「映画や漫画みたいに、スコーンと札を取るとか無理だね」
部員の一人の言葉に、みんな一斉に頷いた。かるたに参加せず、ずっと様子を見ていた令司がポツリと言う。
「なんで高橋は、途中で読むのやめるの?」
本来は札を取ったあとも全部読み上げ、復唱する。でもすでに競技かるたと全然違う。ずっと瀬那の朗読会みたいになっていた。恥ずかしい。巻きでいきたい。
にこやか部長はやんわりと、じゃあ最後まで読んでくれる? と瀬那に微笑む。げんなりしながら、最後まで読み続けた。
「次は令司も入りなよ。そのために来たのでしょう」
一勝負ついたところで、華やか美少女が言う。令司がうーんと唸っていると、彼女は読み札を手にして瀬那を促した。
「高橋さんもやったら? 読んでばかりだと疲れるよね」
瀬那はぽっと顔を赤らめ、ありがとう、と言う。席につくと、令司と一緒に取り札を並べていった。が、他の人は席につかない。
「参加しないの?」
「うーん。ちょっと疲れた」
「令司強そうだし」
次々とやる気のない言葉が続く。華やか美少女は、彼らの話を切るように上の句を読み始めた。瀬那は目の前にあった札をひょいっと拾い上げた。そう。瀬那は句を覚えている。これだけ何度も読んでいれば、さすがに頭に入った。目が合った令司は、にいっと彼女に笑いかけた。
そこから勝負のスピードが上がる。最初の一言で取るのは無理でも、上の句が読み終わるまでにはどちらかが札を取った。令司は知っているものは早い段階で札を叩く。瀬那は全句覚えていても、取り札の場所が覚えられず、見つけるのに時間がかかる。
かなりの接戦で勝負が進んで行く中、ふっと札が取れやすくなる。瀬那は令司の顔を見た。
(手、抜いてる)
こっちは真面目にやっているのに……。腹が立った彼女はきつく睨み付ける。一瞬ひるんだ彼は、分かったよ、と口の形だけで伝えてきた。
彼が真剣さを取り戻しても、彼女は札を取らない。手を抜かれたと思う分だけ、札を譲るつもりだった。令司は苦笑いしながら、譲られた札を取る。