乙女ゲームの王子様は真実の愛より永遠の祝福と幸福を選ぶ ―悪役令嬢はなぜ断罪されたのか―
「カサンドラ・アントーニア・フォン・ハイドリヒ。
身分を笠に学園の生徒を害する貴女を、民を守る義務のある王族として迎え入れることは出来ない。
よって、貴女との婚約を破棄させてもらう」
華やかに飾られた学園の卒業式。
本来ならわたくしと殿下の結婚が発表されるはずの場で、わたくしは婚約破棄を告げられていた。
殿下の青い瞳が冷ややかにこちらを見つめている。
六歳で婚約を結んで以来、彼がこのような目でわたくしを見たことは一度もなかったのに。
……わたくしのしてきたことは、無駄だったの?
七歳の時、私はこの世界が「私の王子に永遠の祝福と幸福を!」という乙女ゲームの世界であることを思い出した。
そして、私が第一王子ルートで断罪される悪役令嬢であることも。
わたくしはずっと彼が好きだった。前世でも、今のこの世界でも。
だから彼がわたくしを政略結婚の相手としてではなく、本当に愛してくれるように努力してきた。
たとえヒロインが現れてゲーム通りに攻略しようとしても、彼が私を見てくれるように。
彼も、ゲーム内でのカサンドラへの態度とは違って私にはいつも優しい言葉をくれた。
確かに最近は少しそっけなかったけれど、ゲーム程険悪な雰囲気ではなかったから、きっと忙しさでストレスが溜まっているのだろうと思っていた。
わたくしは……わたくしは、なんのために……。
足元がぐらりと揺れそうになるのをこらえ、平静を装って殿下を見つめ返す。
その隣には、ふわふわとしたピンク色の髪がかわいらしい男爵令嬢が泣きそうな顔で立っていた。
「わたくしは、そのような行いはしておりません」
「しかし実際、貴女の行いを見た者は大勢いる。そうだろう、ブルクハルト」
「はい、殿下」
殿下の声掛けに、傍にいた銀色の髪の青年が大きく頷いた。
宰相子息のブルクハルトだ。彼ももう、男爵令嬢の魔の手に囚われてしまったのだろうか。
「ハイドリヒ侯爵令嬢がフレーゲ男爵令嬢を害したところを目撃した者は多数おります。
具体的には水を掛けたり、階段から突き落としたりといったものですね。
これはのちに、いじめ……いえ、傷害事件の証拠として陛下に提出いたします」
「あれはただの事故です!」
確かにわたくしは男爵令嬢に水を掛けたり、階段から突き落としたりした。
でも、水を掛けたのは水魔法の練習中に失敗したところに彼女が偶然通りがかったから。
階段から突き落としてしまったのは、眩暈のせいでよろけたさい、階段を降りようとしていた彼女に肩が当たってしまったから。
あくまで事故で、悪意のあるものではなかった。
それに、どちらの時もすぐに彼女へ謝罪し、水で濡れたドレスの代わりには新しいドレスを、挫いてしまった足は教会で優先的な治療が受けられるような計らいを手配している。
けれど、わたくしの主張を聞いたブルクハルトは呆れた顔で首を横に振った。
「あなたが贈ったと主張するドレスはいまだに届いていないようですし、教会ではむしろ治療を後回しにされたと聞きましたが?」
「教会の件は、国境付近で発生した魔物の群れに対応するために治療の出来る神官がほとんど出払っていたせいで手が回らなかっただけです。
その影響でドレスに使用する布や糸の流通も滞っていますから、やむを得ず手配が遅れてしまっているのでしょう」
「やむを得ず、ですか」
ブルクハルトが小さく嘆息した。
わたくし自身、これが苦しい言い訳だと分かっている。でも、真実なのだから仕方ない。
「あなたがフレーゲ男爵令嬢を階段から突き落とした時にはすでに、教会の神官が召集されて数日が経っていました。
一般貴族ならともかく、殿下の婚約者であるあなたには当然教会の状況は知らされている筈です。殿下の側近候補である私にも知らされたくらいですから。
それに、侯爵家御用達の工房には優先的に布や糸が下ろされる筈ではありませんか?」
「それは……偶然、連絡が届かなかったのです。
ドレスも偶然が重なって、手配した布や糸だけが届かず……」
これは事実だった。侯爵令嬢であり、将来の王太子妃でもあるわたくしへの連絡が遅れるなんてありえないことだけれど、小さくて不運な事故がいくつも重なった結果、そうなってしまった。
まるで、これが運命だとでもいうかのように。
でも、これらは全て殿下には説明していた。あまりに出来すぎていて偶然とはとても思えないけれど、婚約者である殿下と幼馴染のブルクハルトなら信じてくれると思っていたのに。
きっと、殿下もブルクハルトも男爵令嬢に篭絡されてしまったのだろう。
「―――侯爵家の後ろ盾を失ってもよいとおっしゃるのですか」
「侯爵家が過去に行っていた数々の不正はすでに分かっている。
詳細はおって沙汰があるが、ハイドリヒ侯爵家は子爵に降格される予定だ」
「そんな……」
確かにお父様は不正を行っていた。脱税や人身売買といった、悪役令嬢の父としてふさわしい所業を。
けれど、それは記憶を取り戻したわたくしが辞めさせたはずだ。今はもう不正など行っていないはず。
「現在は不正を行っていないとはいえ、それで罪が許されると思っていたのですか」
薄氷色の瞳を細めて、ブルクハルトが吐き捨てるように呟いた。
三歳の時に母親を亡くしてすぐに父親が後妻を娶ったことから人間不信になった彼をヒロインが癒す―――というルートは、わたくしが潰したはずだった。
父親はまだ幼い彼に母親がいた方がいいという考えから後妻を娶っただけで、先妻のことも後妻のことも平等に愛していた、ということをわたくしが教えたから。
それ以来、ゲームのブルクハルトとは全く違う明るい性格になっていたはずなのに、彼はいつの間にかゲームのブルクハルトそっくりになっていた。
これもゲームの強制力だというの? それなら、わたくしのしてきたことはいったい何だったの?
愕然とするわたくしをよそに話は進み、やがて終わった。
殿下とわたくしの婚約は破棄され、ヒロインであるフレーゲ男爵令嬢はブルクハルトの実家である伯爵家の養女となって殿下と婚約する……という、ゲームの第一王子ルートと全く同じ結末を迎えて。
ゲーム通りであれば、悪役令嬢であるわたくしはこれから父に修道院へ行くことを命ぜられるはずだ。
父も母もゲームと違ってわたくしを愛してくれているけれど、ここまでゲームの強制力が働いているこの状況では楽観視出来なかった。
きっと、わたくしは修道院で一生を過ごすのね。
よくある小説のように隣国や帝国の王子が助けに入ってくれることも期待していた。
けれど、帝国の第三皇子でありこの学園の留学生でもあるヴィチェスラフ様は笑顔で殿下やヒロインと言葉を交わし、わたくしのことなど一瞥もしない。
耐え切れなくなって、わたくしは会場を後にした。
「どうして……どうしてルートが変わらないの。
わたくしは努力したのに……」
「それが国のためになるからだよ。ハイドリヒ侯爵令嬢」
会場の明かりも届かない庭園の片隅で声を殺して泣いていると、聞き慣れた声が耳に届いた。
先ほどまで婚約者だった、そしてわたくしを断罪した殿下だ。
青い瞳はいつものように穏やかにわたくしを見つめている。
「殿下……どういうことですの? 国のため、というのは?」
「君、転生者なんだろう」
常にない砕けた口調の殿下とその言葉の内容に、思わず目を見開いた。
「転生者……ということは、まさかあなたも……」
「ああ。もっとも、前世の自分がどんな人間だったかは覚えてない。
だが、この世界が「私の王子に永遠の祝福と幸福を!」という乙女ゲームの世界であることは分かっていた。
もちろん、君が転生者でいじめを行っていないことも、破滅を回避しようとしていた事も知っている」
「それならどうして、わたくしを断罪したの?!」
分かっていたなら断罪する必要なんてなかったはずだ。
確かにヒロインには癒しの力がある。先日、潰したはずのヒロインの覚醒イベントが起きてその力が発現したからわたくしもそれは知っていた。
けれど、わたくしはゲームの悪役令嬢と違って社交界では淑女の手本と呼ばれるほど優秀な令嬢だ。
前世の記憶を生かした事業も数多く手がけているし、他国の王侯貴族ともつながりが深い。
癒しの力しかもたないヒロインより、よほど国を豊かにできるはずなのに。
「「私の王子に永遠の祝福と幸福を!」の第一王子ルート、最後の言葉を覚えているか?」
「最後の言葉……?」
おとぎ話によく似た甘く優しい世界観を売りにしたこの乙女ゲームは、締めの言葉もおとぎ話のように簡潔でやさしいものだった。
確か……。
「『こうして優しい少女は王子と結ばれ、幸せに暮らしました。二人が治めた国はその後、いつまでもいつまでも幸福に繫栄しましたとさ。めでたしめでたし』……だったかしら」
おとぎ話にありがちな、主人公カップルと周囲を祝福する文句。
それを口にした時、わたくしの背筋が冷えた。
「君は侯爵に掛け合って不正をやめさせた。確かに彼は不正をやめ、証拠を隠滅した。
だが先日、なぜか彼が過去に行っていた不正の証拠が発見されて侯爵家の処分が決まった」
穏やかな瞳のまま、殿下が言葉を続けた。
「ブルクハルトは君の働きによって父親と和解し、人を信じられる朗らかな青年に育った。
だが、一年前になぜか父親と仲たがいをした彼は人間不信に陥った。
私からしてみれば原因はとても簡単で容易に解決出来ることだったが、解決しようとするたびに邪魔が入って介入は出来なかった。
結局彼の人間不信を解決したのはフレーゲ男爵令嬢だった」
淡々と続けられる言葉を聞きたくない。
けれど、ここで聞かなければ後悔する。
わたくしはただ、強く目を瞑るしかできなかった。
「君はフレーゲ男爵令嬢をいじめまいとした。
しかし、水魔法の使い手であり魔法の授業では常にトップの成績を維持しているはずの君は、なぜか簡単な水魔法を失敗した。
侯爵家の令嬢として常に体調を管理され、取り巻きに囲まれているはずの君はなぜか一人で行動し、眩暈を起こした」
「それは……ゲームの強制力で……」
何とか言い繕ったわたくしに、殿下は穏やかに微笑んだ。
「そう、すべては強制力だ。
それならば、フレーゲ男爵令嬢と結婚した場合の強制力を求めるのは当然ではないかな。
君は確かに優秀だが、自分がいなくなった後のことまで繁栄を保証することは出来ないだろう」
「わたくしの知識なら……わたくしなら、きっとフレーゲ男爵令嬢よりもずっと……」
「でも、保証はない」
殿下の言葉に、わたくしは何も言えなかった。
「君に罪はない。君はとてもよく頑張った。私はそんな君を義務ではなく、真に愛していた。
私も初めから、ゲームの強制力を信じていたわけではない。そうでなければ君に優しくするだけして、最後に落とすなんて残酷な真似はしない。
君を見て世界は変えられると考えていたから、君に愛を囁けた」
その時、澄んだ青い瞳に初めて影が出来た。
以前なら傍で寄り添って慰められたけれど、今のわたくしには出来ない。
歯痒い思いで殿下の言葉に耳を傾けるしかなかった。
「だが、君が努力すればするほどゲームの強制力の存在を信じざるを得なかった。
君がどれほど世界を変えようと、最終的にはゲーム通りに修正されるのだから。
私は王族だ。民を守る義務がある。
君と侯爵家の犠牲で国が末永く幸福に繁栄するなら、私は君への真実の愛よりもそちらを選ぶよ。
―――もしかしたら、私のこの考えですらゲームの強制力なのかもしれないけれど」
そう言って、殿下は喜びとも悲しみともつかない淡い笑みを浮かべた。
結局、わたくしの努力など関係なかった。
悪役令嬢は、悪役令嬢として生まれた時点で断罪されるしかなかったのだ。
わたくしは、そう認めざるを得なかった。