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「オルフェの華麗なる日々・後編」

前話から恐ろしい程の月日が経ちました。ようやく書き終えました、後編です。

前後編に無理矢理まとめたので、後編は1万文字超えてしまいました。

少々長くなりましたが、最後まで読んでもらえたら幸いです。


 実験に失敗したオルフェは人間の肉体を幼少時代にまで逆行させてしまうという薬を自ら浴びてしまい、三十二歳のいい大人が八歳の子供へと変身してしまった。

 しかもこの薬には副作用があり時間が経つと脳内にも影響を与えて、記憶などが全て8歳の頃に戻ってしまうという……。

 事態を重く見たミラとジャックはすぐさま洋館に滞在しているヴィオセラス研究員をも巻き込んで解毒薬を作ることになった。

 解毒薬が出来るまでの間、一応は大人しくするように言い聞かせてあるのだが実際の所何をするかわからないのでアギト、リュート、ザナハがオルフェの面倒を看ることになってしまう。

 洋館のどこかをうろついている子供バージョンオルフェを探す為に、アギト達は奔走するのであった。



 洋館の外にある森の中――、オルフェはメイドや兵士がうろついている洋館内に嫌気が差して外をうろついていた。

 当然洋館の周囲にある森にはレベルこそ低いが魔物が出現する、しかしオルフェはそれら魔物が出現する度に次々と魔術で一掃しつつ散歩に耽っている。

 そんな時、両手をズボンのポケットに突っ込んで歩いているとポケットに何か紙切れが入ってることに気がついたオルフェは無表情のまま紙切れを取り出して眺めた。


「――手紙、何かのメモ?」


 4つ折りにされている紙切れを広げると中には文字が書かれていたので、オルフェはそれをなぞるように目で追った。


「……自分説明書」


 立ち止まったままオルフェが紙切れを読み進めていると洋館のある方から声が聞こえて来て、すぐさま紙切れをポケットの奥に突っ込んでから振り向いた。

 後方から青い髪をした少年二人と淡いピンク色の髪をした少女が走って来る。


「うぉーい、オルフェーっ! てめぇ洋館から出て行って何してやがんだクラァーっ!

 一人で外出したら魔物とかが出て来て危ねぇだろうがぁっ!!」


 怒り心頭の形相で叫ぶアギトに、オルフェはあからさまに迷惑そうな表情を見せるとフンっと鼻を鳴らす。

 よっぽど慌てて追いかけて来たのか三人とも肩で息をしながらようやく追いつくと、リュートが安心したように声をかけた。


「と……とにかく良かったよ、無事で!

 大佐が魔物に襲われて怪我でもしたら僕達が中尉に怒られるところだった……っ!」


「それ以前に無事にオルフェが元の姿に戻った時に仕返しされるところだったわよ、そっちのが恐ろしいわ」


 オルフェの無傷状態を確認するなりアギト達が安堵しているのを見たオルフェは眉根を寄せたまま疑問に感じた。


(何なんだこいつら……、どうして身内でも何でもない僕なんかの為にここまで必死になれるんだ?)


 そんな風に考えているとアギトがオルフェに向かって洋館に帰るように促す、それを見て更に怪訝な顔を浮かべた。

 なかなか言うことを聞かないオルフェの態度にアギトは苛立ちを感じつつも今目の前にいる人物は、自分より年下の子供なんだと言い聞かせながらグッと怒りを堪える。


「何してんだよ、ほら!

 みんな心配してんだからさっさと帰るぞ、オレ達がガードしてやっから早くついて来いよ!」


「別にガードなんかいらないよ、この辺にいる魔物は随分レベルが低いみたいだから僕一人でも十分に殺せるから」


「――ナマイキ言ってんじゃねぇって、武器もねぇのに危ねぇだろうが」


 ひくひくと血圧が上がるアギトを制するように、リュートが一歩前に出てオルフェに言い聞かせようとする。


「確かにこの辺の魔物は弱いし大佐の魔術の方がすごいかもしれないよ?

 だけどもし群れで襲われたりしたら、いくら大佐でも不利になっちゃうよ。

 そうなってもし怪我でもしちゃったら取り返しがつかないからね。

 大佐って確か、回復魔法の類は扱えないはずでしょ?」


 そう指摘されたオルフェは図星だった為か、珍しく言い負かされてる様子で言葉を詰まらせている。

 しかしそれでも焦った態度だけは表に出さず……あくまで冷静さを装ったままだ、そんなオルフェの背中をぽんっと叩くとザナハが優しく促した。


「ほら、わかったら一緒に帰りましょ!

 帰ったらメイド達がオルフェの為にプディングを作ってくれてるみたいだから、今日一日はみんなで楽しく過ごすのよ」


(――みんなで? ……ウザイな)


 オルフェは面倒事を避ける為にあえてそれを口には出さなかった、ここまでの流れから余計なことを口にすれば更に面倒なことに青い髪のツンツン頭が目くじら立てて怒りだすから、それを避ける為に大人しく従うフリをしたのである。

 洋館へ帰る間、オルフェは極力アギトから距離を離した。

 どうにもアギトとは両極端な気がして仕方がなかった為だ、アギトに至っても始終イライラした様子であり――まさに二人は水と油の関係そのままである。

 そんな二人に苦笑しながらリュートが間に立つが、洋館に到着するまで――結局二人が和解することはなかった。


(自分説明書……、面倒だし理解不能だけどとりあえずメモの通りにしてみるか)




 洋館に到着してからというもの、その後のオルフェは更に別人のようであった。

 オルフェのことをもてはやすように騒いでいたメイドに対して嫌悪感を露わにしていたはずなのに、今ではまるで子供が甘えるようにべったりとメイド達にくっついて離れなかった。


「お姉さん達、とてもいい香りがしますね。

 心地よくてまるで天国にでもいるようです、このまま眠りに落ちてしまいそうな……そんな甘みを感じますよ」


 そう言いながらオルフェはメイドの豊満な胸に顔を埋めるように、思う存分ハーレム状態を楽しんでいるようにも見えた。

 しかしメイド達は相手がまだ子供だからと、オルフェにそっくりで綺麗な顔立ちをしているからという理由で全く抵抗の意思を示すことなくオルフェの思うがままに戯れている。


「僕、大きなお風呂に入ったことがないんです。

 一体どうしたらいいのかわからないんですけど、色々教えてくれますか?」


「やだ――っ!大佐に似てエッチなんだからぁっ!

 いいわよ、私達が綺麗にしてあげるからね。みんなで一緒に入りましょ!」


 そんな異常な光景を目にしながらアギトとリュートは虚ろな瞳で、釈然としない眼差しで見つめていた。

 

「つか、オレ達とそうたいして年齢変わんねぇじゃん。

 何で風呂の入り方がわかんねぇんだよ、何でどうしたらいいかわかんねぇんだよ、何で誰一人としてつっこまねぇんだよ」


「さっきまでとは百八十度別人だよね、どっちかっていうと大佐そのものに近いんじゃないかな」


「まさかこれも薬の副作用とか言わないわよね、もしそうならオルフェ……どんだけ卑猥なモン作ってんのって話だわ」


 三人がオルフェのハーレム劇場を冷たい眼差しで見据えながらプディングを頬張っている、無表情な上に無感情な様子であったがメイドの方が一方的に随分と楽しそうに遊んでいる所を見て、これ以上オルフェの面倒を見る必要性を感じなくなったアギトは始終イライラした様子のまま剣を手に食堂の席を立った。

 

「あれ、アギト……どこ行くの?」


 まだプディングを食べ終わっていないリュートが訊ねる、するとアギトは横目でちやほやされているオルフェを一瞥しながらふてくされた口調で答える。


「修行だよ、腐れ師匠があのザマだかんな。

 見てても腹が立つだけだし、マナコンがまだ完璧じゃねぇから精神統一する為に静かな所に行って来る!」


 そう言ってアギトが食堂を出て行こうとしたのでリュートは自分もついて行こうと、慌てて綺麗に全部プディングをたいらげて食器をカウンターに持って行くと走って追いかけた。


「ちょっと! ミラに面倒見るように言われてたでしょ!? あれ……どうすんの!?」


 一人だけ置いてけぼりされてしまったザナハは口元にプディングの欠片をつけたまま怒鳴ったが、二人がさっさと食堂を出て行ってしまったので怒声は空しく響くだけであった。青い髪の少年二人が出て行った所をオルフェは視界の端に入れていた、口うるさいのがいなくなって清々したと思いながら――そのままくだらないハーレム状態を続ける。

 



 メイド達とおやつを食べ終わった後、オルフェはその後もメイド達と一緒に遊んでいた。遊びの内容は実に下らないものであり、露出度の高いメイド服に着替えさせた彼女達に目隠しをさせて鬼ごっこをさせたり、負けたら着ている物を一枚一枚脱いで行くという罰ゲームを取り入れたボードゲームをしたり、とにかくオルフェは心の底からうんざりしていた。


(どうして大人の男ってのはこういうのが好きなんだろう……?)


 いい加減メイド達と戯れることに飽きてきたオルフェは今度はかくれんぼと称して、隠れるフリをして再び洋館を抜けだすことを思いついた。楽しそうな笑みを浮かべ、愛想を振りまいて従順に従うフリをすればメイド達は簡単に信じる。それを利用してオルフェは自分が鬼になると言い出して数を数えるフリをし、メイド達が隠れたのを見計らうと探してるフリをして洋館を出て行った。

 当然玄関先や洋館の周辺には巡回している軍人がいる、しかし一度洋館を抜け出した時に彼等の巡回位置などを把握していたので彼等に見つからないようにうまく洋館を離れて行った。

 ポケットに両手を突っ込みながら歩き、大人のオルフェが持っていた小型の懐中時計を見て時間を確認する。『自分説明書』とやらに書かれていた内容を思い出し、逆算してみる。


「――とりあえず書かれている内容の殆どは実行したことになるから、もうそろそろいいかな」


 ようやく下らない指令を終えたと思ったオルフェが道を歩いて行くと、またしてもレベルの引くスライムが姿を現す。敵が弱いことがわかっているオルフェは深い溜め息を漏らしながら、呪文の詠唱に入った。すると後方からもがさがさっと音がして瞬時に振り向く、するとオルフェの背後には二十匹程のスライムが群れをなしてこちらを威嚇している。


「……くっ!」


 道の真ん中で行く手を遮られてしまったオルフェはこれだけの数を相手にするには呪文の詠唱が間に合わないと察して、途中まで唱えていた詠唱を中断してしまった。今唱えていたのは単発のファイアーボール、これを前方にいるスライムに放った所で後方に控えているスライムが一斉に襲ってきたらひとたまりもないと踏んだのだ。

 じりじりとオルフェに詰め寄って来るスライム達、例え相手がか弱いスライムでもなぎ払うだけの武器すら何も持っていない状態。まさか足元に落ちている短い木の枝を武器にするわけにもいかないと、オルフェは小さく下を打つと不本意ではあるがそのまま開かれた道を行かずに、獣道である森の中へとすかさず飛び込んだ。


 走り去って運良くスライム達を撒ければ問題ないのだがそう都合よく行くわけもない、オルフェはここが一体どこなのか地図を見たわけじゃないので具体的な位置を把握出来ていなかった。ただ自分が歩いて来た方向――洋館がある方向だけはわかっていたのだが、スライム達はそちらの方向へ行かせまいとしてるのか旋回しようにも大勢のスライム達が洋館のある方角を遮っていたので戻って軍人に助けを求めることすら出来ない。

 スライムは追いかけて来る速度が特に速いわけではないが、子供の足では追いつかれるのは時間の問題であった。はぁはぁとさすがに息が切れて来たオルフェはちらちらと追いかけて来るスライムとの距離を測りながら、仕切りに周囲の景色を観察しつつ何か打つ手はないか必死で思考を巡らせた。


 ――すると微かに激しく水を打つ音が聞こえて来て、近くに滝か何かがあると察したオルフェはすぐさま音のする方へと走って行く。ぴょんぴょんと跳ねながらスライムもオルフェの後を追いかけて行き、やがて生い茂っていた木々から出て――開けた場所には大きな川があり、下方へと川の水が打ち付ける水しぶきが霧状になっていた。

 オルフェは一目見て、この先が大きな滝になっていることを瞬時に察する。

 後ろを振り向くとスライム達も追いついており、周囲を囲まれてしまう。オルフェはじりじりと後退しながら短い詠唱で済む下級の炎系魔術を唱えた。小さな火炎球を作り出したオルフェはそれをすぐ近くにいるスライムへと放つと、ぐじゅっという音を立ててまずは一匹を仕留めることに成功する。


「あと……十七匹、分が悪いにも程があるな……」


 こんな時、飛び道具か……はたまた槍のようなものでも投げつけて敵の注意を引きつけることが出来たら、次の行動への時間稼ぎ程度にはなったのかもしれないのにと少しばかり後悔の念に駆られるが、ないものは仕方がないと割り切るオルフェ。

 せめてもう少し火力の大きな魔術を詠唱出来るだけの時間を得ることが出来れば、窮地を脱することが出来るであろうと舌を打った時、突然スライム達の行動が統一性を持って散り散りになっていた者達が一斉に集まり出した。

 何をするつもりなのだろうと目を瞠っていると、スライム達は軟体の体を利用して合体していく。合体することにより数が減るにつれ、大きさを増していくスライム。最後の一匹になった頃にはおよそ五メートル程の大きさにまで達していた。スライムが揺れる度に足元が激しく揺れて、小さな地震でも起きているかのようだ。巨大化したことによりオルフェを圧倒しようとしたのか、脳を持たない彼等にそんな思考が存在するのか。

 今のオルフェにとってそれは些細なことである。

 問題は巨大化したスライムだ、しかしオルフェは先程に比べると余裕の態度を保っていた。まるでこれこそ待ち望んでいたチャンスと言わんばかりの、不敵な笑みである。


「頭の悪い奴はこれだから助かるね、と言ってもスライムには考える脳がなかったな。

 なんでもでかくなればいいってものじゃない。

 大きくなれば動きは鈍り、僕の行く手を阻むことも出来ず、魔術の的を外すこともない。

 ――僕の勝ちだ」


 そう呟くと同時にオルフェは素早く詠唱に入った。その間にも巨大スライムは上下にバウンドしながら徐々に、しかし確実に八方塞がりとなっているオルフェ目がけて跳ねて行く。

 しかしその動きはとても鈍く、跳ねて進んでもその重みで高く飛んで移動することが出来ずに、もたもたと進む程度であった。地面に着地する度にどずんという鈍い音を立てながら前に進んではいるが、それでも合体する前の――単体でいた時の方が遥かに進むスピードは早かった。その様子を見てにやりとしたオルフェは、巨大スライムがこちらへ来るより早く詠唱が終わることを確信した。

 そして案の定、巨大スライムがオルフェの元へ辿り着くまでに呪文の詠唱が完成する。


「全ての生命の源よ、燃え盛る赤き炎よ、我に仇なす敵を焼き尽くせ、――イラプション!」


 紡がれた言葉と共に巨大スライムのいる地面から巨大な円状の炎が現れ、そのまま巨大スライムを火力で持ち上げるように凄まじい炎の固まりが巻き上がった。ぶよぶよとした体はみるみる炎によって溶け出し、耳障りな奇声を発しながら体を保てなくなっていく。やがて炎に完全に飲み込まれた巨大スライムの体は地面の上にジェル状の肉片をぶち撒け、なおもその肉片を逃さんとするように炎が飛び火しては跡形もなく燃やし尽くそうとしていた。

 周囲にはスライムの焼け焦げた臭いが充満し、吐き気をもよおす程の悪臭が鼻を刺激した。それでもオルフェは眉根を少し寄せるだけでその表情に恐怖感も、憐れみも何も浮かんではいない。

 あるのは「邪魔な存在を滅した」という満足感にも近い安堵だけであった。これで自身の危険は回避された。そう思ったのも束の間、オルフェは先程の魔術による衝撃が今立っている崖にも影響を及ぼし、今にも崩れ去ろうとしていることに全く気付いていなかった。最初はまるで小さな地震のような微かな揺れが、それから次第に立っていることでさえままならない程に足元がおぼついた。

 ゆっくりにでも崖崩れを起こしていない安全圏へ向かおうともしたが、子供の足ではそこまで行くのにかなり距離があるようにも見えて、瞬時に「終わった」という文字がオルフェの脳裏を駆け巡った。

 オルフェは空を飛ぶことなんて出来ない。ましてやそんな呪文なんて知らないし、そんな魔法があるのかさえ今では知識として身につけていない。すぐ側に激しく流れる川があることから、自分はこのまま滝壺へと落ちて行くのだろうと察する。

 そう考えたら不思議と諦めがついてしまった。この先まだまだ研究することが出来たであろう、開発することが出来たであろう魔法技術の粋を探求出来なくなることは非常に悔やまれる。しかし頭のどこかでなぜか冷静に終わりを受け入れる自分がいたのもまた事実。このまま終わっても、それはそれで仕方ないことかもしれない。

 人間はいつか死ぬ運命なのだ。それが少し早まっただけではないかと、オルフェは自然とそう思えた。

 抵抗することもないままオルフェの足元はどんどん崩れて行く。やがて自分でも気付かぬ内に両膝を地面につき、その両手は地面について四つん這いの状態になっていた。身動きが取れぬままオルフェが両目を閉じた時――。


「手を伸ばせオルフェ、早くっ!」


 力強い言葉に顔を上げるオルフェ。

 目の前には青い髪の少年が必死の形相でこちらに向かって目一杯手を差し出していた。見ると側にある大木に長いロープのようなもの――皮製のムチ――が括り付けられ、それを握っているもう一人の青い髪の少年リュート。

 そしてリュートがムチを掴んでいる手とは逆の手、右手には剣と鞘が抜けないようにしっかり備え付けの紐で縛った刀身を掴んでいる。刀身の鞘の先にはごつごつとした装飾部分があるお陰で、握っていてもそのまますっぽ抜けないようにしっかり握ることが出来ているようだ。

 そしてその剣の柄部分を握っているのはアギトの左手である。アギトは左手で剣を握ったまま、反対側の手をオルフェに差し出してどうにか崖から落ちてしまわないように、自分の右手を掴めと言ってるようであった。

 死に直面しているオルフェは呆けたように、自分に手を差し出すアギト達を見つめている。まるで自分を救おうとする彼等が奇異な行動をしているような眼差しで。


「何やってんだ、さっさと掴めって言ってんだろこの陰険メガネの生意気小僧!」


 悪口雑言を吐きながらもその手を決して引っ込めようとしないアギトに、オルフェは不本意そうな表情で手を差し出した。

 その瞬間、寸での所でオルフェの足元は完全に崩れてまるで何者かに下へ引っ張られるように、オルフェの小さな体が落ちて行く。それを目にしたアギトはリュートと共に握っていた剣を離し、オルフェ目がけて両手を伸ばしていた。


「駄目だ、アギト! 大佐!」


 そう叫ぶリュートであったが無情にも二人の体は崩れ行く地面と共に真っ逆さまに落ちて行き、リュートはそんな二人の姿を目に焼き付けることしか出来なかった。

 落ちて行きながらオルフェは片手を強く握られている。そこにはアギトが必死の形相でオルフェの右手を掴んでいる様子が見て取れた。無表情のままオルフェは一緒に落ちて行くアギトに問う。

 このまま二人一緒に滝壺へ落ちてしまえばきっと助からないだろう、既にそう諦めたような気持ちになっていたオルフェは問うなら今しかないと思ったのかもしれない。


「どうして僕なんかを助けようとするんだ。自分の命を危険に晒してまで。そんなに大人になった僕が怖いの?」


 無表情ではあったがそう訊ねるオルフェの口調はほんの少し、アギトに対して興味を示したような、そんな雰囲気を宿していた。不思議そうに訊ねてきたオルフェに、アギトは苛立たしそうに鼻を鳴らすとぶっきらぼうに答える。


「お前バカか!? 仲間を助けようとすんのは当然のことだろ!」


 オルフェにとって全く期待してなかった回答。

 それはオルフェが最も嫌う答えだった。根拠も何もない。綺麗事と捉えてもおかしくない。何より理にかなっていない。そんな期待外れな言葉が返って来て、オルフェはなぜだかとてつもなく裏切られたような気持ちにさえなった。

 

 ――やっぱりこいつは気に食わない。


 掴んだまま離そうとしないアギトの手を振り払おうとするオルフェであったが、力ではアギトの方が上だったらしく振り払おうにも相手は更に力を込めて離すまいと抵抗してきた。

 何もかも気に入らない。


「そんな下らない理由で死を選んだっていうのか、お前こそ本当の馬鹿だ。愚か者だ!」


 ムキになって言い返すオルフェは、アギトの価値観の全てを壊したくて仕方なかった。相容れない存在、自分とは全く考え方も価値観も何もかもが異なる、そんな腹立たしい存在。

 こんな奴でももしかしたら自分に理解出来なかったことが理解出来るようになるのかもしれない、もしかしたらユリアの言っていた「生命の重み」や「自分以外の者を慈しむ心」というものを理解するきっかけになったかもしれない。

 そんな風に少しでも思った自分がとても愚かしいことのように感じられた。

 だからこそアギトの単純過ぎる回答が馬鹿馬鹿しくて我慢ならなかったのだ。


「僕の命なんてどうなろうと、お前に関係……」

「そんなこと言ってる奴が一番ムカつくって言ってんだよ!」


 これまでにない怒声を浴びせて来たアギトに、どこか鬼気迫るものを感じ取ってオルフェは口を噤んだ。今までどんな大人達も理屈で負かして来たオルフェに怖い者など何もなかった。そんなオルフェに、完璧過ぎるオルフェに怒声を浴びせる者など誰一人として存在しなかったからだ。だからかもしれない。オルフェは驚き、固まってしまった。


「自分の命なんかどうでもいいだ!? ふざけんな! そういう卑屈なこと言ってる奴が一番腹立つんだよ。自分一人が孤独で、誰にも必要とされてないみたいな言い方しやがって。お前一人が不幸だって思い込んでんじゃねぇよ! 世の中には自分と同じ位、いや……自分以上に孤独な奴とか辛い生き方してる奴とかゴマンと居るんだよ! なのにそうやってすました顔して死んでも構わないみたいな言い方を、そんな歳で口にしてんじゃねぇ! お前が死んで悲しむ奴だってたくさんいるんだ! お前は一人なんかじゃねぇんだよ!」


「――!!」


 オルフェの脳内に光が差し込んで来たような感覚だった。それはとても心地良い感覚で、例えるなら全く新しい魔術の理論を構築した時のような閃きと発想にも似た心地良さと清々しさでもあった。

 アギトが強く握り返して来る握力、いつの間にかオルフェ自身もアギトの手を強く握り締めている。

 無意識の内にオルフェはアギトの言葉を聞き入れ、助けを受け入れていた。

 これまで無感情だった自分に、ここまで説き伏せようとした人物が果たしていただろうか。


(……居た。確かに居た……)


 オルフェは心を落ち着ける。今は自分でも驚く位、ひどく冷静だ。

 そっと両目を閉じて、胸が締め付けられる思いに駆られる。


(――ユリア先生、彼女だけが僕の……私の心を開放しようとしてくれた)


 ――今は亡き、ユリア先生だけが……。


 オルフェは思い出した。

 この世にもう、ただ一人尊敬した先生が居ないことを。

 そして思い出した。

 自分にもこうして心からぶつかってくれる人物がいたという事実を。


(どうして忘れてしまってたんでしょう、この薬のせいかもしれません。これは肉体だけではなく、精神や記憶までもそっくりそのまま遡ってしまうものだったみたいですね)


 いつの間にかオルフェの肉体に影響を与えていた薬は効力を失い、元の大人の姿へと戻ろうとしていた。奇妙なものを目にするようにアギトがぽかんとした表情で見つめていると、下の方から声が聞こえてくる。


「アギトー! オルフェー! 怪我はないー?」


 その声はザナハのもので、滝壺の側からミラ達と共にアギトに向かって声をかけていた。

 ここはクレハの滝。

 アギトとリュートは修行の為ここに訪れていた所、クレハの滝の上の方から物音と巨大化したスライムの存在に気付き駆けつけたというわけである。そしてアギトとオルフェが落ちた時、駆けつけたザナハが契約を交わしているウンディーネを召喚し、二人をシャボン玉でガードしたのだ。

 口論していたこともあって自分達がウンディーネによって作り出されたシャボン玉の中にいることに全く気付かず、呑気に口喧嘩していた。上方からはリュートが安堵した表情で微笑んでいる。


「全く二人とも、落下してる時に口論する余裕があるわけないでしょ」




 ウンディーネで作ったシャボン玉から出たアギトと、大人の姿に戻っていたオルフェ。

 どうやって、何がきっかけで元に戻ったのか。この場に居る者全員がその答えを待っていた。

 当然最も深刻に状況を捉えていたミラが顔を引きつらせながら説明を求めている。失敗したとはいえ、オルフェが浴びた薬は解毒剤を正確に処方し、それを服用しなければ解除出来ないはず……だと、少なくともミラはそう解釈している。

 しかし現にこうして、解毒剤どころか何を理由に元に戻れたのか、それが全く不明のままなのだ。

 だがこう解釈することも出来る。

 今までミラはその可能性に気付くどころか、思い浮かべることすらしていなかったが、今にして思えばそう考えた方がある程度つじつまが合うのもまた事実なのであった。

 でもそれはあまりに残酷な、これまでの苦労が全て報われなくなる……そんな恐ろしい結末が待っているように思えて、ミラはあえてその可能性に気付かないフリをしていたのかもしれない。

 ミラは告げた。


「大佐、最初から全てわかっていたんですね?」


 ミラの唐突な言葉にオルフェを除く全員が目を丸くした。一体何のことを言っているのかというように、オルフェとミラを交互に見つめる。しかし当の本人はそれに答える風でもなく、真顔のままミラを見つめるだけだった。

 そんな態度が逆に癇に障ったのか、まるでわざとしれっとした態度を装ってるように見えたミラが今度は棘のある口調で続けた。


「大佐が失敗したというこの薬。本当は既に処方箋がわかっていたんでしょう? 元々何かを作る際、如何なることにも注意を払い、失敗という二文字を決して許さない大佐の事。実験を行なっていたあの部屋で何が起きても大丈夫なように、もしくは何が起きても対処出来るように、実験室にあった薬剤その全てを大佐は把握していた。その時点でどんな薬剤がどんな形で、どんな風に組み合わさったのか。何千通り、何万通りもある組み合わせの中からこの結果を引き起こす組み合わせを導き出し、そして対処法もとっくにわかっていた。でなければ結果を全てとする大佐らしくありませんものね。このような状況に陥っても大丈夫なように、事前に何かしら手を打っていた。そしてその保証があったからこそ、今までこうして呑気に時間を過ごされた――違いますか」


 まるでどこかの名探偵が推理でもするように、ミラが直属の上司であるオルフェに対して指を差し豪語する。オルフェはまるで完全犯罪と思っていたトリックを見破られた犯人のように、ふっと笑みを漏らし、そして高らかに笑った。


「さすが中尉、見事な推理力です!」


 何を企んでいたのかこの場の誰もが理解していなかったが、ミラによって企みを暴かれたにも関わらずオルフェはなおも勝ち誇ったように堂々と胸を張っている。そんなオルフェの様子にこれ以上怒りを露わに怒鳴り散らす行為自体、馬鹿馬鹿しいように思えたミラは偏頭痛でもするのか、頭を抱えるように煮えたぎる怒りを収束させようと必死の様子であった。

 ミラの推理を全て聞いていたのも関わらず事態を瞬時に把握することが出来ていないアギト達はぽかんとした表情で、オルフェとミラを交互に見つめている。そして最初に口を開いたのはリュートだった。


「え……、ということはもしかして。大佐はあのまま放っておいても元の姿に戻れたってことですか?」


「ええ、その通りです。私達はまんまと大佐の手の平の上で転がされていたんですよ――面白可笑しくね」


 ミラが最後に付け足した言葉に敏感に反応したのは当然アギトであった。


「なんじゃそりゃー!? 一体どういうことなんだよっ! オルフェは自業自得による失敗でガキの姿になったんじゃないのかよ! 最初から保険がばっちりだったってオレ達は聞いてねぇぞ! 今までの苦労は何だったんだコラァッ!」


 もはや元の姿に戻ったオルフェに勝ち目はないとわかっているのか、アギトは文句をたれながらもオルフェの攻撃可能範囲に近付かない程度の距離を保ったままである。怒りはもっともであったが結局のところ誰もオルフェに逆らえないという事実だけは何も覆されることがない証拠であった。

 ミラとは対照的に怒りを正面からぶちまけるアギトに、いい加減自分達が馬鹿を見たという現実に頭が痛くなってきたザナハが、ふつふつとした怒りをオルフェではなくアギトに向ける。


「もう……あんたうるさい。お願いだからこれ以上イラつかせないでよ、鬱陶しい」


「まぁまぁザナハ、イラつく気持ちはすごくわかるけどここは穏便に、ね」


 今にもザナハの暴力がアギトに向けられようとしているところにリュートがすかさず間に入る。このままザナハの怒りの矛先がアギトへと向いてしまわないように、余計に話がややこしくならないようにと周囲に気を使う。そんなリュートの気遣いを余所に、オルフェはどこか満足げに三人を見つめていた。その瞳はまるでアギト達のやり取りを温かく見守るような、慈しむような、今まで冷徹な眼差ししか向けた事のなかったオルフェにとって初めてと言ってもいい位、どこか柔らかみのある眼差しであった。

 



 なぜでしょうか。

 周囲に実害が出ない程度の実験を行なうのは、いつものことなのに……。

 なぜ今回の実験結果は、こんなにも清々しい気持ちで満たされているのか。


 別に何か実用性のある結果が出たわけでもなければ、私自身に利益のある効用があったわけでもないのに。

 どうして今回の実験はこんなに楽しいものになったんでしょう。


 胸の奥がまだ熱い。

 どこかむず痒いような、しかしそんなに不快というわけでもない。


 こんな不可思議な気持ちは以前にもありました。

 そう、薬の効力が無くなる直前によぎった思い……。


 これが、今までの私になかった「人としての心」というやつでしょうか。


 ――悪くないですね。




 その直後、オルフェがミラによってこっぴどく説教されたことは言うまでもない。

 



了解済みだと思われますが、基本的に不定期更新です(申し訳ない)

なのでまた気が向いたらのぞきに来て下さいませ。

こちらはいつでも歓迎させていただきます。

拙い話ではございますが、どうぞ本編の方もよろしくお願いします。

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