「オルフェの華麗なる日々・前編」
久々の日常編。
今回の話のタイミングとしては本編で言うところ、イフリートとの契約より少し前位になります。
アギト達がレムグランドで生活しているこの洋館には、実に様々な施設が揃っている。
未だ本編でも語り尽くされていない施設が多数存在しており、この洋館にはまだまだ謎が多い。
その中でも、ヴィオセラス研究員しか出入りが許されていない実験室での・・・ある事件について語るとしよう。
それは、オルフェがいつものように実験室で・・・趣味に明け暮れていた日のことだった。
基本的にオルフェが趣味である実験をする時は、必ず全員に退出命令が出てしまう。
彼が作る物がとても危険だから・・・というのが一番の理由だが、出来上がった物がそのまま門外不出の禁書・禁術に部類される
ような特A級扱いになるものばかりなので、それの調合法を誰にも知られないようにする為でもあったのだ。
今回も怪しい材料、そして怪しい煙を巻き上げながら・・・鼻歌交じりに調合する。
いつもなら・・・、このままたった一人で新薬を完成させて・・・レシピを封印するところであった。
その時、事件は起こった。
どごぉぉーーーーんっっ!!
洋館全体を揺るがす程の爆音、衝撃、振動が実験室を襲う。
がちゃがちゃと辺り一面に薬品の入った瓶や、実験用具が床に落ちて割れて・・・そして飛び散る。
「しまっ・・・!」
予想もしてなかった出来事に、オルフェは先程完成させたばかりの・・・衝撃によって気化した新薬を不覚にも全身に
浴びてしまったのだ。
咳き込む声だけを残して・・・、実験室は気化した新薬による煙で充満していく・・・。
オルフェが趣味に耽って、約2時間が経過しようとしていた。
いつもなら小1時間程で満悦そうに出て来るオルフェだったが、今日に限っては随分遅いと感じたミラが不審に思う。
「そういえば・・・、さっきアギト君達の修行によるダメージが洋館全体に現れていたけど・・・。
その時、まさか実験中だったなんてこと・・・。」
嫌な予感がしたミラは、急いでオルフェがいるであろう実験室へと向かった。
走って行き、すぐさま実験室のドアにかけてあるメッセージボードに目をやる。
『趣味満喫中、入室禁止!』
「・・・『実験中』でも『開放中』でもない。
やっぱりまだこの中にいるみたいですね・・・。」
ひとまず中の状態を探る為に、ノックをしてみる。
そのまま返事が聞こえてくれば無事ということになるが・・・、しかし一向に返事は返って来なかった。
中がどんな状況なのか全くわからない以上、すぐさまドアを開けることも躊躇われた。
なぜなら・・・もし危険な薬品が室内に充満していたとして、ドアを開放したせいで洋館全体を危機に
さらすわけにはいかないからだ。
「大佐・・・、大丈夫ですか!?
何も問題ありませんか!? ・・・大佐っ!?」
しばらくすると・・・、ようやく返事が返って来た。
「大丈夫です、少し煙を吸い過ぎてしまって・・・むせて返事が出来なかっただけですよ。
今ドアを開けますから・・・。」
返事を聞いて、ミラは不可解な表情になった。
眉根を寄せて先程の返事が一体誰のものなのか、石のように硬直しながら懸命に頭の中の記憶を探っている様子だ。
「ち・・・、ちょっとお待ちください!?
大佐は中にいるんですよね!? ・・・さっき返事をした子供は一体誰なんですか!?
ガスですか!? メタンガスを吸って声が高いだけですか!? ・・・本当に大丈夫なんですか!?」
少し焦った口調でドアに向かって懸命に声を張り上げる、その光景をたまたま廊下を歩いていたジャックが見つけた。
ミラが慌てる様子を、もう長い間見ていないこともあって・・・物珍しそうに見つめながら声をかける。
「どうしたミラ?
なんかパニクってるみたいだが・・・、実験室で何かあったのか!?」
突然声を掛けられて少し驚いたが、すぐに気を取り直してミラがある程度説明する。
・・・といっても、ミラ自身にも一体何が起こっているのかわかっていない状況なのであまり説明にもならなかった。
「どうやら相当焦っているみたいだな、ミラが意味のない説明をしだすとは・・・。」
そんな時・・・、ぎぃぃっとドアが開いた。
独りでに。
ぎょっとした二人が実験室の中を覗き込むが・・・、少し実験用具が床に落ちて割れたりしているだけで・・・それ程ひどい
状態にはなっていない様子だった。
少しだけ・・・わずかに残っていた煙のようなものが、床を這っているだけだ・・・と、視線を下に落とした瞬間。
二人は目まいがした・・・、ひくひくと片目を痙攣させながら・・・すぐ目の前の事実に視線を背けたくなっている。
「・・・なんですか、随分と大袈裟ですね。」
ダブダブになった軍服を引きずったまま、背中程まである金髪を片手で払いのけ・・・フンと鼻を鳴らした
8歳位の少年が、ミラとジャックの目の前に立っていた。
長すぎる袖を肘まで折って・・・、眼鏡を拭きながらサイズが合うかどうか確認をしている。
呆然とする二人・・・、もはやこの少年に対して何と声をかけて良いのかわからないでいた。
「何を二人して呆けているんですか。
そんなことより中尉、申し訳ありませんが至急私の私室に子供サイズの服を一着用意してください。
何なら別にリュートの私服を借りて来ても結構ですよ、きっとアギトの私服ではサイズが小さいでしょうからね。」
今のでハッキリした・・・と言わんばかりに、二人は稲妻にでも打たれたような強い衝撃を受けて・・・驚愕した表情になる。
「い・・・、今のイヤミはまさしくオルフェのもの!! 間違いないっ!!
どうしたんだそんな愛くるしい姿になっちまって!!」
「まさかさっきの振動のせいで、誤って実験に失敗でもしたんですかっ!?」
外見による面影はそっちのけで、いつものように発したイヤミな台詞で認識されたことに・・・少し不満そうなオルフェであった。
「・・・なんですか、その認識の仕方わ。
まぁ別に構いませんけどね、そんなことより中尉?」
小さな子供に促されて、ミラは複雑にも敬礼をしてからすぐさま走り去ってしまう。
複雑そうな・・・面白そうな表情を浮かべたジャックに、オルフェはあからさまに不快感な顔をした。
そこには、沈黙が支配していた。
いや、正確には笑ったら負け・・・というにらめっこが繰り広げられていた。
ひくひくと・・・一番最初に敗北してしまいそうなアギトが、口の端に現れそうになっている笑みを懸命にこらえながら尋ねる。
「・・・で?
間違って実験中の薬品を自分で浴びて・・・、こんなちっさいガキになっちまったと!?
あの天下のオルフェが?
あの天才のオルフェが?
あの天上天下唯我独尊のオルフェが?
あの偉い科学者でもあるオルフェが?
あの凄い大佐様でもあるオルフェが?
あの人を小馬鹿にしてたオルフェが?
あの・・・っ。」
「やめてくれないアギト?
イヤミが念仏みたいに聞こえてきて、夜眠れなくなっちゃいそうだから・・・っ!」
両手で耳を押さえながらアギトのイヤミを聞こえなくしているようで、実は笑いをこらえているリュート。
「それにしても・・・、あのオルフェがこんな失敗をするなんて・・・。
でも体が子供になるだけなら、別にどうってことないんじゃない?
頭脳はそのままなんだから。」
ザナハがこともなげにぶった斬る。
「どうせしばらくしたら薬の効力が切れて、元に戻るんだろ?
だったらせっかく子供に帰れたんだし、子供の特権を満喫したらどうだ。」
と、ジャックが無責任なことを口走る。その顔は全く心配しておらず・・・むしろ面白がっていた。
「ジャック先輩、そんなことを言ったら大佐は本当に調子に乗って・・・メイド達にセクハラ行為をしてしまうじゃないですか!
ここは洋館に滞在しているメイド、使用人、部下・・・全員に認知させて甘やかさないようにしなければ!」
その行為はかえってオルフェの生命に危険が及ぶということにも繋がりそうだ・・・、と全員が思った。
この幼い子供が、あの鬼の大佐だと全員が知れば・・・今まで大佐にヒドイ目に遭わされたという、恨みを持った人間が
日頃の恨みを晴らそうとするかもしれないからだ。
しかし・・・、もっとよく考えてみれば・・・もしかしたらミラが言った言葉は、それすらも考慮して発言したのかもしれない・・・と思うと、背筋が凍る思いだった。
一向に・・・、マトモに心配したような発言が出て来ない状態に呆れ果てたオルフェは、拗ねた顔で椅子から立ち上がるとそのまま
黙って部屋を出て行こうとする。
「どうしたんだ、オルフェおぼっちゃん!?
おしっこか!? ちゃんと一人で出来るかな!?」
アギトの悪態に、完全にブチンと・・・何かがキレた。
ごごごごご・・・っとオルフェの背後から怒りの仁王像が現れているようなオーラが放たれて、アギトをギロリと睨みつける。
だが・・・どんなに冷徹に睨みつけようとも、元々の顔が子供ながらに端正に出来上がっているせいで・・・オッサンの時のような怜悧な部分は十分に発揮出来ずにいた。
「後が怖いんですけど・・・。」
アギトの暴言に・・・オルフェが元に戻った時のことを想像して、リュートがぼそっと呟いた。
不可抗力とはいえ、自分の不注意のせいでこうなってしまった・・・ということもありオルフェは口をつぐんだまま、アギトの暴言に対して無視を決め込んでいる様子だ。
「とにかく、このことを他の者には口外しないようにお願いしますよ。
余計な面倒事は避けたいですからね、・・・とりあえず私は急用で出かけたことにでもしておいてください。」
綺麗だが無愛想な表情でそう言うと、子供服に身を包んだオルフェはそのまま部屋を出て行ってしまう。
し〜〜んと・・・、残されたメンバーはしばらく沈黙を続けている。
アギトはまだ笑っていたが。
「ひとまず・・・、ここは大佐の言う通りにしましょう。
大佐自身慌てている様子がないようなので、恐らくジャック先輩が言ったように時間が経てば元に戻れるんでしょう。
それまでの間は、大佐は急用で留守にしている・・・。
私達で口裏を合わせておくようにお願いします、それから子供の大佐については・・・そうですね。
とりあえず大佐の親戚の子供・・・ということにしておきましょう。」
「それってベタ過ぎじゃね?」
アギトがつっこむが、ミラは「親戚の子供」という意見を変えない。
あまりにオルフェそのものなので、全く血縁関係のない子供にしてしまえば他の者が不審に思うと考えたのだ。
ともかくこのことを知っているのはアギト、リュート、ザナハ、ドルチェ、ミラ、ジャックだけである。
いつ戻れるかわからないが、それまでの間は全員で取り繕うことにした。
そろそろジャックとの修行の時間だと言って、リュートは訓練場へと向かう。
いつもなら合同訓練と称して、全員で訓練場に行くのだが今はオルフェがあんな状態なので修行してもらうことは困難だった。
しかし、アギトは何か悪巧みを思いついたのか・・・キラーンと青い瞳が光るとそのままオルフェを探しに行ってしまう。
その背中を見送るリュートは、心の中で「あまり余計なことをしない方が自分の為なのに・・・」と呟いた。
この洋館にいる子供は、少ない。
しかし軍事施設のようなこの建物に子供が4人もいるのは、多いかもしれないが。
それでもこの建物の中を子供が出歩いていたらかなり目立つはず、そう考えたアギトは適当に「金髪の男の子を見なかったか?」と
質問しながら洋館内を回った。
やはりアギトの考えが的中、この洋館でオルフェの親戚だという子供が出歩けば嫌でも目立っていた。
今は図書館にいるらしいという情報が入って、アギトは場所を聞いてから走っていく。
他のドアとは異なって、少し古ぼけたドアを見つけるとアギトはノックもせずにバターンと勢いよく開け放った。
その勢いのせいで埃っぽくなっていた室内から、埃が舞う。
ごほごほと咳き込みながらアギトは中を見渡すと小さな頭を発見、誰かが入って来たことは今の勢いからすれば確実にわかるはずなのに確実に無視していた。
オルフェに間違いない。
アギトは本棚にしまいきれていない山積みの本の間をぬって、オルフェの元へと歩み寄る。
「お〜いオルフェ〜!
修行する時間が来たから、オレと一緒に修行してくれよ〜!」
にやにやと悪巧みを含んだ笑みを浮かべながら、アギトはわざとらしく誘った。
アギトの考えはこうだ。
いつもならオルフェの実力に全く歯が立たないアギトだが、魔法薬の効力のせいで子供になってしまった今のオルフェ相手なら
勝てるかもしれない・・・!
てゆうか逆にコテンコテンのメッタメタに叩きのめす絶好のチャンス到来!・・・という算段だった。
うんざりしたような態度を全面的に出しながら、オルフェは溜め息をつきながらパタンと本を閉じて振り返る。
「・・・オルフェ大佐は外出中ですよ。
ちなみに今の私はオルフェという名前ではなく、エルネストです。
間違えないでください。」
(えるねすと〜〜!?)
心の中で大笑いしながら、アギトは必死に笑いをこらえて修行の催促を再度する。
不審な表情を浮かべながらもオルフェは涼しい顔で立ち上がると、ようやくアギトの希望に応えることにしたようだ。
図書室を出るとちょうどミラと出くわし、声をかけられる。
「あら、二人は仲がよろしいんですね?
どこかへ遊びに行くんですか?」
これもきっとイヤミだろうとアギトは思いながら、これからオルフェと修行しに行くと告げた。
それを聞いた時、ミラはちらりとオルフェの方に視線を送る。
オルフェはいつものように涼しい顔で、しれっとしていた。
言葉を交わしたわけではないが、ミラはすれ違いざまに忠告のような言葉を発する。
「・・・お大事に。」
その言葉を耳にしたアギトは、笑いがこらえきれなくなる。
きっと勘の鋭いミラのことだから、これからアギトが日頃の恨みを晴らすべく弱ったオルフェをコテンパンにすることを察して
可哀想で気の毒なオルフェに別れの言葉を口にしたんだと思った。
勿論さっきの言葉はオルフェにも聞こえていた、しかしアギト程表立って表情を露わにしていなかったが・・・わずかに口の端に
笑みを作っていたことは・・・、アギトからは死角になっていて表情が見えていなかった。
訓練場に入ると、すでにリュートが訓練をしている真っ最中だった。
後になってアギトとオルフェが入って来たのを見て、ジャックが怪訝な顔になる。
「どうしたアギト、今日は修行出来ないだろ?
それともオレに稽古をつけてほしくて来たのか?」
にやっと笑みを浮かべながら、アギトは仲睦まじいという風にオルフェの肩に優しく両手を乗せるとお茶目に宣言した。
「今日はこのエルンスト君に、剣のおけいこをつけようと思ってさ!
な〜、エルガスト君!?」
「・・・エルネストです。」
わずかに・・・ふつふつと怒りのバロメーターが上昇しているのが目に見えて、恐怖を感じているリュートだったがアギトの暴走はどうやら止められそうにない雰囲気だった。
アギトの提案を聞いたジャックは、頭をぼりぼりと掻きながらバツの悪そうな顔になると言いにくそうに何か言おうとする。
「あ〜・・・、アギト?
今日はもっと別のことした方がいいんじゃないのか、せっかく修行が休みになるんだから・・・今日は休息をとっておくとか。
色々あるだろ。」
ジャックのもごもごとした言葉に、アギトは深読みすることなくジャックの背中をバシバシと力一杯叩くと明るく返した。
「な〜に言ってんだよ!
オレ達は早いとこレベル上げなきゃいけねぇんだろ、休んでる暇なんてないじゃんか!
それにオレはものすんご〜〜く、エベレスト君と遊んでやりてぇんだよ!」
「・・・もう何でもいいです。」
呆れ果ててつっこむ気力すら失せたオルフェが率先して訓練場の武器庫の方へ歩いて行くと、そこから適当に竹刀を手にして「剣のおけいこ」の準備に入った。
体が小さくなっている分、体型に合った物がなかなか見当たらなかったが・・・アギト達がここに来たことによって子供サイズの
武器も一通り揃えておいたので、その準備がこんなところで役に立っていることに・・・複雑になっている様子だ。
「おっ! やる気満々じゃねぇか!
そんじゃオレも竹刀にしよ〜っと!」
意気揚々と竹刀を手にして訓練場に戻って来る。
不安そうに見つめるジャックとリュートを余所に、アギトとオルフェによる「剣のおけいこ」が開始した。
「さぁ〜、どっからでもかかってきていいんだぜ!?
こう見えてオレも結構自主トレしてきたんだからな、オルフェがメイドと遊んでる時も、図書室にこもって本読んでる時も、
事務仕事とかゆって執務室でエロ本眺めてる時も!」
「エロ本なんて読んでませんよ、失礼ですね。」
少しムッとした顔になると、そのまますっと・・・真剣な表情になり、全く隙のない姿勢を取った。
ピン・・・と空気が張り詰める、当然アギトもそれを感じ取っている。
さっきまで余裕の笑みを浮かべていたアギトだったが、オルフェの一部の隙もない状態に冷や汗が額をつたう。
(・・・おいおい!? 聞いてねぇぞこの展開!!
ガキバージョンだったらオレの圧勝だと思ってたのに、何なんだよこの威圧感は!!
何でこのオレがどう見ても年下バージョンのオルフェに圧倒されてんだって!!)
悔しさから判断力を失ったのか、アギトは無謀にも真正面から突っ込んで行って・・・あえなく1本取られてしまった。
頭を思い切り竹刀で殴られて・・・そのまま、アギトは気を失ってしまう。
その光景を一部始終見ていたリュートとジャックは、深い・・・とても深い溜め息をついていた。
「・・・だから言ったのに。」
二人の声が綺麗にハモる。
オルフェはフンっと鼻を鳴らすと、そのまま倒れこんだアギトの方へ竹刀を投げつけるとすたすたと訓練場を後にした。
そのまま真っ直ぐ図書室へ戻ろうとしたら、息を弾ませて走って来たミラと鉢合わせる。
「今日はよくすれ違いますね、中・・・ミラさん。」
嘘っぽい笑みを作りながら声をかけると、ミラはそのまま苦痛を浮かべた表情で・・・瞳を潤ませていた。
普通の状態でないことに気付いたオルフェが怪訝な表情を浮かべるが、先程すれ違った場所を思い出すと・・・理解した。
ミラがなぜ・・・、あんな表情を浮かべているのかが。
オルフェは回りに誰もいないことを確認すると、小さく溜め息をもらし・・・両手をポケットに突っ込む。
「・・・見られてしまったようですね。
ここで話すのもなんですから、とりあえず私の執務室に行きましょうか。」
ミラは黙ってその言葉に従うと、二人で執務室へと向かった。
中に入り、オルフェは執務室にある来客用のソファに座り込むと重い口を開く。
「私が図書室で何を調べていたのか・・・、知られてしまったからには隠していても意味がありませんね。
・・・その通りです。
私が誤って浴びたこの薬の効力は、一生消えることがありません。
つまり私の体は一生このまま・・・ということになってしまいますね、困ったことです。」
苦笑しながら淡々と話すオルフェに、ミラは瞳を潤ませたまま怒鳴った。
「笑いごとではありません!!
そんな体でこれから先、一体どうするんですかっ!?
元に戻れないなんて・・・、そんな大変なことをどうして一人で抱え込んで黙ってたりしたんです!
そんなに私のことが信用出来ないんですか・・・?」
消え入るような声で、ミラは喉の奥に何か異物が詰まったように・・・そのまま視線を落としてしまった。
「・・・すみません、別に信用していないとかそういったことではないんです。
どうも私は話すタイミングをよく間違えてしまうようですね、・・・そんなつもりは全然ないんですが。」
ソファの背もたれにもたれながら、オルフェはミラの方を向かずにぼそりと呟く。
「・・・記憶も退化してしまうと、本にはありました。
それでは大佐の記憶は今の肉体と同じ時期にまで、退行してしまうということなんですか!?」
震えた声でミラがそう聞くと、オルフェは静かに首を縦に振った。
頭を抱え込むように必死になって感情を抑え込むと、ミラは突然すっと立ち上がり・・・オルフェをそっと抱きしめた。
「・・・中尉!?」
突然の・・・、全く予想していなかった行為にオルフェは珍しく戸惑いを隠せなかった。
わずかに香る匂いに、思わず頭の芯がマヒしてしまうような錯覚に襲われた。
ミラは力の限りオルフェを強く抱きしめると、悲痛な声で・・・小さく囁く。
「必ず私が治してみせますから・・・!
今の・・・、記憶がある内に解毒剤を完成させれば大丈夫・・・っ!
大佐はきっと、元に戻れますから!」
意外な言葉だと、オルフェは思った。
てっきり他のみんなと同じように、面白がって・・・いっそこのままでいればいいのにと言われるかと思っていた。
一番に、ミラがそう強く思っていると信じていた。
ほんの少しだけ胸に痛みが走ったオルフェは、逆にミラを慰めるように背中に手を回そうとしたが・・・すっと体が離れていく。
笑顔の戻ったミラは、オルフェの頭を優しく撫でると同じ視線の位置に姿勢を落としたままオルフェを元気づけた。
「今すぐ資料を調べ直して、解毒剤を完成させますから。
大佐は薬品に使用した成分をメモに全て書きだしておいてください、それを元に抗生物質の割り出しをします。」
それだけ告げると、ミラはすぐさま執務室を出て行って・・・恐らくオルフェが実験を行なっていた実験室へと向かったのだろうと推察した。
オルフェは撫でられた頭を片手で触りながら、複雑な顔で天井を見上げていた。
数時間後、アギトは目を覚ました。
一応リュートに介抱されて、訓練場のすみっこに追いやられていたが。
頭がズキズキすると思いながら、記憶をたどる。
そして苦虫を噛み潰したようにあからさまに不満一杯の表情を浮かべていた。
アギトの意識が戻ったのを見て、リュートとジャックはとりあえず修行を終了して駆け寄る。
「やっと気がついた・・・、もう!
アギトが調子に乗って大佐にちょっかい出すから、そんな痛い目を見る羽目になるんだよ!?
ちゃんと反省してよね。」
アギトは耳が痛い思いをしながら、そのまま視線をジャックの方に移して・・・ぎろっと睨みつける。
視線の意味に気がついたジャックが軽く謝って言い訳した。
「すまんすまん、ほら・・・一応回りには事情をよく知らない連中もいたからヘタなことが言えなくてな。
別に面白がってわざと黙っていたわけじゃないぞ!?」
しかし、この軽過ぎる謝罪からいって半分は面白がっていたなとアギトは疑った。
とにかくもう夕食の時間だと、全員食堂へと向かうことにした。
食堂に入ると、何やら騒がしいことに気がついて人だかりが出来ている場所へと行ってみる。
するとそこにはオルフェぼっちゃんがいて、メイドにきゃあきゃあ言われていた。
どう見てもハーレム状態な場面に全く面白くないアギトは、ケッ!と苛立ちを見せながら遠く離れた席に移動する。
だがその時、妙な会話が聞こえて来た。
「僕・・・、なんでこんな所にいるんです?
ここは一体どこなんですか?」
しらじらしい演技で、回りのメイド達の同情を引こうとしていると思ったアギトはますます面白くなくなってきた。
乱暴に席に座るといつもならウェイトレスがメニューを聞きに来るのだが、オルフェに夢中になっているのか・・・一向に聞きに来る気配がなかった。
「なんだよ、女ってどうしてああいうすましたガキがいいのかねぇ!?
つーか、ここにもっと愛らしいガキが二人もいるってのに・・・この態度の差は何なんだっつーんだよ!」
「誰が愛らしいって!?」
後ろから不快な声が聞こえて来て、アギトの機嫌はますます悪くなる。
振り向くとそこにはザナハとドルチェが立っていて、同じく食事をしに訪れたようだった。
ザナハはちらりと人だかりの方に視線を送ると、オルフェの人気ぶりに納得している様子だ。
「まぁ確かにものすごくいいとこのお坊ちゃんに見えるからね〜、無理もないんじゃない?
素材が違いすぎるもん。
向こうはサラサラのブロンドだけど・・・、こっちはガチガチでツンツンの青髪だし。
白い柔肌に対して、日焼けと傷だらけ。
憂いのある涼しげな目元とは違って、目つきが悪くてひねくれた三白眼。
品性と気品のある上品な物腰とは逆に、ガサツで品性のかけらもないチンピラとくれば・・・。」
「お前・・・、言いたい放題だな。」
しかし内心では少しだけ納得しているのか、いつものように否定する言葉は出ないようだ。
ザナハの暴言に更に不機嫌に輪をかけているアギトの横で、ドルチェが小さな声で違和感に気付いている様子だった。
「・・・何か様子がおかしい。」
「おかしいって・・・、大佐が子供になってしまったのがバレないように演技しているだけでしょ?
それにしてはものすごく役作りがしっかりと出来ているようだけど・・・、大佐なら造作もないんじゃないかな。」
うんうん・・・と、アギトとザナハは首を大きく縦に振る。
しかしドルチェの言った言葉が少し気になるのか、しばらく様子を見ることにした。
「すみませんが、僕は先生に用事があるんで失礼したいんですが。
・・・ユリア先生がどこにいるか、誰か知りませんか?」
「ユリア? ここにユリアっていうメイドはいないわよね?」
「・・・あなた達では話になりませんね、僕は急いでいるんです。
早く先生に僕の理論を聞いてもらいたいから、・・・そこをどいてください。」
「いや〜カワイイ!! このツンとした物言いがたまんないわ!
まるでオルフェ大佐に叱られてるみたい!!」
「何わけのわからないことを・・・、オルフェは僕です。
いいから早くそこをどいてください。
・・・消しますよ。」
冗談だと思った。
しかしオルフェが右手で火球を作り出した瞬間、メイドを押しのけてジャックがオルフェを片手に抱えると
そのままその場をごまかした。
「あ〜お前等、この子はホームシックにかかってるみたいだから話はまた今度な!
それじゃ!!」
そう言うと、半ば強引にその場を突っ切るように・・・ダッシュで食堂を出て行ってしまう。
その光景をずっと眺めていたアギト達は、しばらく事態を把握するのに手一杯なせいか・・・目が点になっていた。
「今・・・、おかしかった・・・よね?」と、リュート。
「今のマナの密度からいって、本気の火球を作り出そうとしていた。」と、これはドルチェ。
「今・・・、自分で正体をバラしてたような・・・?」と、ザナハが唖然とした顔で呟く。
ようやく、全員の呟きをヒントにおかしな点をまとめ上げたアギトが結論を出した。
「中身もガキの頃に・・・、戻ってるってことか!?」
全員沈黙した。
それから乾いた笑いをもらしながら、・・・食堂中に響き渡る位の絶叫がこだます。
「それってヤバくね!? マジやばくね!? つか何でヤバイかわかんなくね!?」
「アギト、動揺しすぎだって! ヤバイのは確かだけどさ・・・もう少しその・・・とにかく落ち着いてよ!」
リュートが何とか落ち着きを取り戻そうとするが、やはりリュート自身も動揺が隠せず・・・言葉を噛みそうになる。
眉根を寄せながら頭を抱えるザナハが、鶴の一声でパニックを鎮めようとした。
「とにかく! ここはミラやジャックと相談するべきでしょ!?
今後の旅のことを考えてもオルフェは重要人物になるんだし・・・、このままでいいはずがないわ。
ジャックは今頃とっくにミラん所に行ってるはずだから、多分円卓会議室じゃないかしら。」
4人は互いに頷き合って・・・、それからきっちり食事を終えてから円卓会議室へと向かった。
緊張感や緊迫感が全くない様子で、アギト達は満腹の状態になっていた。
一応ノックしてから、返事を待つこともせず円卓会議室に入ると・・・そこにはどんよりとした二人が
イスに座っている。
ミラとジャックだった・・・。
「あれ・・・? ガキバージョンのオル・・・じゃなかった。
アスベスト君は!?」
げぇ~っぷ! と思い切りゲップをしながら聞くアギトに、ザナハはあからさまに嫌な顔をしている。
まるで通夜のような顔で、ミラが呟くように答えた。
「大佐なら洋館のどこかをうろついていますよ・・・。」
「え・・・、ダメじゃないですか!
さっき危うくメイドに向かって炎系の魔法を撃とうとしてたのに・・・、危険じゃないですか!?」
「それは大丈夫です・・・。
この洋館にいる人間の誰一人として傷付けてはいけないと、言い聞かせましたから・・・。」
がっくりとしたままで、ミラが続ける。
「よく言うこと聞いたわね・・・。
あの様子だと他人の言うことなんて聞きそうにない雰囲気だったんだけど・・・!?」
ザナハが不思議そうに尋ねると、もはや答える気力さえ失ってしまったミラに代わってジャックが答えた。
「あぁ、それなら簡単だ。
ユリア先生の指示だから・・・って言えば、あいつは何でも言う通りにするからな。
幼少時代のあいつの世界は、先生一色に染まってるから・・・。
だから大人しくしてる今の内に、どうにか元に戻る薬を作らなきゃならないんだが・・・。
ともかくヴィオセラスの奴等も巻き込んで薬を作っておくから、お前等!
それまでの間、オルフェが何も問題起こさないように見張っててくれ・・・な!?」
「―――――――――えっ!? ちょ、待・・・っ!
何でオレ達が面倒みなきゃなんねぇんだよ、チビバージョンのオルフェの面倒ならジャックとミラの方が
慣れてんじゃねぇのかよっ!」
だがしかしアギトの叫びも空しくジャック達は、そそくさと逃げるように円卓会議室を出て行ってしまった。
愕然とした表情で、リュートはズバリ断言する。
「面倒事・・・、押しつけられたっ!!」
仕方なくアギト達は洋館のどこかをうろついているというエルネスト君を探し回ることとなった。
基本的に1話完結モノにするつもりでしたが、なかなか終わり時が掴めず結局「つづく」という形になってしまいました。
この話はかなり前から少しずつ書きためていたもの・・・。
オチは出来てるんですが、そこまで持って行く間の話を考えていないのでかなりの時間を要してしまうと判断し、前後編に急きょ変更させていただきました。