桃色子猫はしあわせの使者~トウヤの回想~
「はい、できた」
母上がはさみと櫛を置く。
ありがとうございますと頭を下げれば、視界の端で黒い髪が揺れた。
手櫛で優しく整えてくれながら、母上の瞳の青も小さく揺れている。
なぜ、なぜなのだろう。
母上は、俺に本当のことを言ってはくださらない。
シロガネ トウヤ。
それが俺に与えられた名前だった。
月萌御三家がひとつ『タカシロ』に連なるものとして、武を修めることが定められた家の、ひとり子。
それゆえだろうと察しはついていたが、幼い心はそれでも揺れた。
なぜ。どうして、俺は。
五つの年を迎えた日、俺にも『鍵』が贈られた。
『ティア・アンド・ブラッド』、俺が剣を磨く箱庭に赴くための、権利と機器。
存分に戦い、存分に学ぶがよいとの父上の仰せを受けて、俺はすぐそれを使用。アバターメイキングを始めた。
しかしそこで俺は驚いた。
リアルを反映して形成されるはずの初期アバター。その髪色は、甘やかな桃色だったのだ。
それは一瞬のこと。髪はすぐにいつもの黒に。
気のせい、だろう。
そう考えつつも、一瞬見えたその色彩は、俺の目に焼き付いた。
よく見、よく聞け。
この場にあるなにもかもを、己の内にて再現せよ。
そして、己がすべてをもって、未来を『創れ』。
――未来の世界で相手を狩れ。さすれば、それが現実となる。
ゆめゆめ忘るることなかれ、己は弱者であることを。
それが、シロガネの祖トウリ・シロガネの言葉だった。
それゆえ俺は、うさぎ装備を選んだ。
うさぎ装備は、俺にさまざまな影響を及ぼした。
それらは総じて、よいものであった。
俺はこのころ、とくによく女子と間違われた。
それゆえ、初対面では可愛いなどと言われるものの、話をして男だと知られると、だいたいの場合こう言われた。
『いや、なんで、男で剣士でうさぎなんだよ!』
そのたびに言の葉で、ときにはさらに剣の刃で説いた。
苦にはならなかった。むしろ、俺にとっては好都合でしかなかった。
俺の髪は、本当はこの色じゃない。
父上や母上と同じ、射干玉の黒ではなく、甘い果実のごとき色。
もしや俺は、本当の子ではないのかもしれない。
そう思えば、聞くに聞かれず。
けれど、リアルでティアブラで剣の腕を証せば、そのたび父母はさすがわが子よと喜んでくれて。
それを頼りと、俺は剣にのめりこんでいった。
言の葉で、剣の刃でわが身を証す。そんな日々が半年も続けば、俺に変わって噂が説明をするようになり、噂は依頼を運んでくるようになり。
ついには、王都ノーブルでの御前試合への誘いが舞い込んだ。
せっかくの晴れ舞台なんだから、とびっきりの衣装を仕立ててもらいなさいよ。
周囲のその言葉に従い、俺は町の衣装屋に足を踏み入れた。
そこで出会ったのは、あでやかな淡紅色の猫装備。
「待ってたのよシロガネ君! もういつ来てくれるかとっ!
お金のこととかは心配しないで。このチェリーおばさんが世界一素敵に仕上げてあげるわっ!!」
おばさんなどと呼ぶのはもったいない。そう、ガキの俺すら思ってしまったその女性は、名を『チェリー・フリージア』といった。
母とも懇意だというチェリーさんは、おれの好みを聞きながら、さまざまなデザインを提案してくれようとした。
けれど、俺にファッションセンスなどはない。
特に深くも考えず、服も剣も、うさぎの耳も黒を選んでいた俺だ。すぐに答えに窮した。
「その、……とりあえず、……黒?」
「ちょおっとまったあああ!!」
かろやかに澄んだ声の源は、俺と同年代だろうか、それでもかなり小柄な子供。
ずんずんと店の奥から出てくると、腰に手を当て仁王立ち。
ぶかぶかとした、青のオーバーオール。細い足には黒のスニーカー。
腰のうしろには、ぶんぶんふられる猫しっぽ。
小さな頭には白のハンチングを目深にかぶっており、その下からキラキラとした水色の――いや、これは水色、といっていいのか、もっともっと、尊い何かのような、それでいて生き生きと輝くさまは水の躍動を体現したかのような――一対の瞳が俺を見ていた。
「……おまえは」
口が、勝手に動いていた。
「ふっふー。
御前試合でボクの服着てくれるなら、教えてあげる!」
「ああ」
そして試着もせず、コンセプトすら聞かぬまま、見知らぬ子供の服を着ると約束していた。
「まいどありー!
それじゃあ、目をつぶって!
3、2、1っ!」
いきなりのことに慌てて目をつぶれば、まぶたの向こうで光がはじけた。
「はい、いいよー!
そのまま左向け左ー! じゃじゃん!!」
陽気な命令に従えばそこには、俺によくにた別人がいた。
背に流すようにまとった黒のクロークの下、水色と白の詰襟をまとい、腰には剣。
ぴんと頭上に立つ兎の耳も、黒とは真逆の真っ白だ。
ただただ黒で固めただけの、しゃれっ気のない黒兎男とは正反対。
実にしゃれた、どこか愛嬌を感じる、それでも涼しげな剣士がそこにいた。
「なにぼーっとしてるの? トウヤちゃんだよ、それ!
ふふっ、カッコ良すぎて見とれちゃった?」
「いや、…………だがっ」
われに返った俺は狼狽した。
水色の帽子の下からのぞく髪はあの、甘やかな桃の色。
俺には秘されているはずの、見てはいけないその色は、しかし謎の子供があつらえた衣装にはこの上なくよく映えた。
だからこそ俺は狼狽した。その理由を、波立つ胸から漁りだし、急ぎ言の葉として編んだ。
「だめだ、この色は駄目だ。こんな、こんな髪色、男のくせにと、…………」
そのとき、脳裏にはじけるものがあった。
きこえてきたのは、遠く誰かが泣く声だ。
『もうやー、ぼく、こんなかみのけのいろ、やー!』
『みんな、からかうの! おんなのこみたいって!』
『トウリさまの、うまれかわりなんかじゃ、なくて、いいの!
ぼくは、ぼく、は、…………』
舌足らずに訴えて泣きじゃくる、幼い声はとてもとても悲しくて、俺までじわりと視界がかすんだ。
「シロガネ君……」
そっと目元をぬぐう優しい感触に顔を上げれば、目の前の鏡に映っていた。
泣いている、桃色の髪の子供が。
あの頃よりも、ずいぶんと大きくなって。
「実はね。私たち、お母さんたちから事情を聴いていたの。
トウヤ君が、ひそかに悩んでるって。
だから、なんとかきっかけづくりをしてもらえないか、って。
それでこうしてみたんだけど、迷惑だったかしら」
そう、『それ』は、俺だった。
遠い記憶の中、シロガネの祖『トウリ・シロガネ』と同じ髪色を厭い、鏡の前で泣いていたのは、まだ幼い日の俺だった。
チェリーさんは、俺にあたたかなお茶を出してくれながら、打ち明けてくれた。
己が実子ではないかもしれぬと悩んでいることは、両親はお見通しだった。
だがやっかいなことに俺は、『自分で頼んで髪色を変えてもらった』事実をすっかり忘れ、それがゆえ『偽装工作をされているのでは』と疑っている状態だった。
下手に話をしてもこじれてしまう。そう危惧した両親は、俺に態度で愛する実の子と示しつつ、親しき友であるデザイナー親子に相談を重ねていたというのだ。
「もー、トウヤちゃんてばさー!
うたがうんならもっと前のダンカイで、でしょ?
ちっちゃいとき、自分だけかみピンクだったって時にはうたがわなかったの?」
しかし、ハンチングの少年は椅子の上で笑い転げる。
「それは……トウリ・シロガネの先祖返りということで……赤子のころからの写真もあったし……いや、それも今思い出したのだが……」
湯気を上げるアップルティーを前に、俺の声はしりすぼみに小さくなっていった。
ああ、情けない。
俺はまったく、なんと愚かだったのか。
たしかにその当時の俺は2歳かそこら。物心ついたかどうかという年齢であるが。
へたすればこのことを、一生思い出すこともなかったかもしれない。
そのままこじれていたらと思うと恐ろしいし、また、父母にも申し訳ない。
ログアウトしたらすぐ、このことを話そう。そして詫びよう。
俺の愚かさから、愛する二人を疑ってしまったこと。
そうして、いらぬ心労をかけてしまったことを。
「っでさ、」少年がテーブルのうえに身を乗り出してきた。
「どうするの、これから?
髪……さ。やっぱ、黒がいい?
もし、黒のが気にいってるなら、つくり直すよ?
だってこれは、トウヤちゃんのための衣装だから。
ボクだけが満足してちゃ、その、いけない、から……」
小さく視線をそらしたその顔にうかぶのは、甘やかな果実のような色。
まさか、この子は。
真偽を問おうと顔を上げれば、チェリーさんはあざやかなウインクを残して席を立った。
かくして、その半月後。
俺は、年少の部の表彰台にあがることができた。
最年少での登壇を果たした俺をいっぱいの笑顔で迎えたのは、俺の髪と同じ色のドレスで装った、猫耳装備も愛らしい少女。
俺はかがやく勝利の花冠を、彼女に――俺の幸せの使者にして、よき相棒にして、ほんのすこしだけ『それ以上』になりかけている存在に、いっぱいの感謝をもって捧げたのだった。
この日から俺は、リアルでも髪の色を戻した。
学校は、いや、それ以前に町内も大騒ぎとなったのだが、じつは同じ学年だった彼女がニコニコと隣を歩いてくれたので、俺はもう、何も怖くなかった。
結果、騒ぎは別方向に爆発したのだが、その日を境に俺には友人が増え、学校生活もぐっと楽しさを増したのである。
~終わり~
お読みいただきありがとうございました!




