オーガちゃんのマズ飯日誌
ある日ふと夢に見て一気に書き上げた短編です。
思ったよりも長くなってしまいましたが物凄く楽しんでかけましたので皆様にも同じように楽しんでいただけたら幸いです。
目の前の皿に盛られたのはオムライス。
半熟に仕上げられ黄金に輝く卵にデミグラスソースらしき物がトロリとかけられ芳醇の香気をもって私の食欲を容赦無く刺激してくる。
生クリームと細かく刻んだパセリがあしらわれているのも目に楽しい。
運動の後だけあり、加えて空腹のオーガである私にとって極上な食事を前に我慢の限界ではあったのだが横で同じ食事を前にしている存在。
そのニコニコと天使の様な笑顔を極上のオムライスでは無く私に向ける見た目十代前半程のエルフの存在によって私は食事へ手をつけるのを躊躇していた。
このオムライスを用意したのが彼というのも原因の一つだったりする。
簡素な掘っ建て小屋で見事な料理を作るものだと感心しなくもないが、実を言うとこのエルフは知人でも何でも無く今さっき出会ったばかりの相手だ。
一応作る過程は後ろから監視していたので毒を盛られた心配は無いはずなのだが…。
「冷めちゃいますよ?ささっ遠慮せずに早く召し上がってください」
オムライス、エルフ、と険しい表情のまま交互に視線を向けた後オーガの女は「はあ…」と溜息をつき額に手を添える。
(何でこんな状況になったんだっけ?)
オーガは難しい顔でオムライスを睨みつけながらこのエルフと出会った時のことを思い出していた。
♢
「はっ、はっ、…え?うわ!!!!」
森の中を疾走していた影の一つがそう声を上げて盛大に転倒した。
転んだ拍子に何やら足を痛めたようで苦痛にその整った容貌を歪めている。
纏ったマントからはみ出る蜂蜜色の髪の肩まで伸ばされた長い髪、そして名のある芸術品の如く整った容姿、何よりピンと尖った長い耳が彼を『エルフ』だと表していた。
森の種族たるエルフの彼が木々に足を取られ転ぶなんて慌てていたとしても本来はありえない事だ。
案の定その細い足には毛羽立った荒縄が絡み付いている。
どうやら狩猟者達が仕掛けていた罠に引っかかってしまったらしい。
痛みに顔をしかめながら縄を解くのに悪戦苦闘していると、木々をかき分けて狩猟者達が次々に姿を表した。
まだ大分距離があったはずなのだが何故かことごとく先回りをされていたり、罠に足を取られていたせいで気づかない内にかなりの距離を詰められていたようだ。
狩猟者達の1人が前に出てエルフの少年を睨め回すように観察した。
「かーっ、男のエルフかよ。お貴族様には高く売れるだろうが俺達の楽しみは無さそうだな」
その声を皮切りにゲラゲラと品の無い笑い声をあげる人間達を見て、己が捕まればあまり楽しい未来は待っていない事を理解しているはずなのだがエルフの少年はヤケに冷静にその様を見ている。
しかし風の無い湖の水面の如く凪いでいる表情とは裏腹に心中では台風の真っ只中といって良いくらいに焦りと恐怖で荒れ狂っていた。
(マズイマズイマズイ!!いや、不味いのは好きだけどこれは本当にマズイ!!)
彼には目的があった。それを達成するためにわざわざ奴隷狩りされる危険を犯してまで亜人排他を掲げる街まで赴いたのだがそれがいけなかったようでこうして追っ手を差し向けられてしまっている。
足の痛みもだんだんと酷くなり、動けずにその表面上は冷静を保ちつつ内心戦々恐々としていると、(顔だけ見れば)現状を何も恐れていないように見えるエルフの様子が癪に触ったらしい男がズカズカと無遠慮に近づいてくる。
それを見たエルフは体を硬ばらせるが表情は変わらず余裕そうだ。
「何余裕ブッこいてんだ。ああ?テメエが男だからって対して酷い目に遭わずに売られるとでも思ったのか?」
捕まって何処ぞの変態に売られる時点で充分酷いとも思うのだが男の中では違うようだ。
尚も(表面上は)余裕を崩さないエルフを見てさらに苛立ちを募らせた男は乱暴に彼の外皮を掴み剥がしてしまった。
フードに隠れていた姿が露わになると周囲の狩猟者達もその美しさに息を呑む。
エルフは元々容姿がズバ抜けて整っている事で名の知れた種族であったが彼はその中でも群を抜いているようで狩猟者達の反応からもそれは明らかだった。
「こんだけ綺麗な顔をしていればそっちの気が無くとも抱ける奴はいるだろうな」
ギシリと欲望に顔を歪ませるこの者もそうなのだろう。何も状況に変化が訪れないとしたら、エルフのこの先辿る運命は火を見るよりも明らかだ。
清潔とはとても言えない狩猟者達の格好とここまで届く汗と垢のツンとした臭気にエルフの背中は滝のような汗を流す。
(奴隷される上にまさかの貞操の危機!?!嫌だぁぁぁあ!!またあんな目にあうのはもう嫌だぁぁ)
実を言うとこのエルフはこんな状況になるのは初めてでもない。
初めて故郷の村を出た頃に一度ヘマをしてr指定を食らいそうな目に遭っているのだが、その時相手はそこそこ身綺麗な女性であり辛うじて正気は保てたしそれを教訓にして今日まで大きな失態は無かった。
しかし今回に限り好奇心に負けて亜人にとって危険な街に侵入したのが完全に運の尽きであった。
結果が今現在の状況だ。
墓穴を掘った挙句穴を掘られそうになっている。
流石に今回ばかりは年貢の納め時かもしれない。
こんな不潔感丸出しの男達にまわされ、奴隷として売られて正気を保っていられるほどエルフは自分のメンタルに自信が持てなかった。
この間ずっとエルフは余裕そうな表情を保っている。
緊張すると顔がこの形で固まってしまうのは幼い頃よりの癖であるのだが狩猟者の男にそんな事は分かるはずもなく、エルフの胸元を掴み仲間達のところへ引きずって行こうとする。
これには堪らずエルフは抵抗の姿勢を示すが華奢な見た目の通り非力な彼ではその太い腕から逃れられずにいた。ついでに言うと魔法も弓もカラキシの彼に抗う術は残されていなかった。
「おっ、やっと余裕が無くなってきたか。良いぜその方が盛り上がるってもんだ」
ズルズルと引きづられながら半ば諦めに近い思いで抵抗を続けるエルフであったがこの先の未来を考えるといっそ舌を噛んでしまった方が楽になるのでは無いかと自暴自棄になり始めているとそこに、凛としたよく通る声が響いた。
「随分と楽しそうな事をしているな。私も混ぜてくれよ」
エルフを含めた全員が声の方へと視線を向けると、肌が赤く焼けた長身の美女が不遜に腕を組んで木に体重を預けていた。
狩猟者の男達は突然響いた声に一瞬身構えたが声の主が美しい女性だと分かるや否や黄色ばんだ雰囲気が広がる。
「ああ勿論いいぜ!丁度人も有り余ってんだ。お前の穴も使わせて貰えりゃ———」
男の言葉が続く事は無かった。
その胴体が真っ二つに両断されていたのだから言葉を発せなくなるのも仕方のない事だろう。
ドシャリと2つの塊が落ちる音だけが辺りに響き渡り先程まで喧騒に溢れていた狩猟者達も水を打ったように静かになっていた。
いつのまにか手にしていた身の丈程の大鉈を赤い女性は軽々と振り回し地面へと突き立てる。
好戦的な笑みを浮かべるその女性を改めて見てエルフはハッとした。
先程までは気が動転していて気がつかなかったが女性の額には二本の角が伸びていた。つるりと艶めかしく光るそれは女性が一般的な人間とはまた別のとある種族だと言う事を表している。
『オーガ』
鬼人とも呼ばれる強靭な体躯を持ち剛腕を振るう事で有名な亜人の一種だ。
詰まる所、彼女らは一般的な人間達からは魔物、敵としての認識が強い。
「殺せ!!」
仲間を殺された狩猟者達は我に帰り、剣や銃、弓など各々の獲物を手にしその双眸を怒りで染め上げ我先にとオーガの女性に殺到した。
中には魔法の詠唱を始めるものもいたが時は既に遅い。
彼女が大鉈を抜く前にカタがつかなかった時点で結末は決まってしまっている。
1、2、3、とテンポ良く血飛沫と悲鳴が上がった。
先程まで愉悦を浮かべていた狩猟者達が一転恐怖に顔を歪めて次々に路傍の骸の仲間入りをして行く。
その現実離れした光景をエルフの少年はまるで映画の1幕のように見守っていた。
狩猟者達の首が飛んでいく様をぼんやりと眺めていると彼らの足元に何やら仰々しい機材が転がっていることに気がつく。
観察してみるとそれが空から映像を撮影する為に使われるドローンゴーレムだと言うことが分かった。どうやらこれがどこに逃げても正確に場所が分かる種らしい、空撮でもしていたようだが残念なことに操っていた者が既に鉈のサビとかしているようなので話は聞けそうになかった。
ドローン、や今エルフが所持しているスマホは30年前に西の大国が勇者召喚と称して異世界の住人をこの世界へ招いた事が切っ掛けで急速に普及した物の一つだ。
彼等…俗に言う勇者達が言うには元々の仕組みとはかけ離れた物らしいがこの世界に流通していた魔法の知識を利用しこうして使える物を完成させ、概念、テクノロジー、異界の知識様々な物を急速に普及させていった。
「取り敢えず動画に撮ってツイッターにでもアップしてみようかな」
そう呟いたエルフはスマホを起動し動画を撮り始める。
「美少女が虐殺ナウ。ハッシュタグはどうしようか」
人間達が魔物達との戦争に終止符を打つ為に呼んだ勇者達であったが彼等がもたらした文化はこうして魔物や亜人達の生活の一部となっている。
むしろ最近では魔物側が作る製品の方が精密で質が良いとされ、一部の国とは国交が開かれる有様だ。
最初に人間達が想定していた結果とは絶対に違うと断言しても良いが、長く続いた戦争の終結もそう遠くないうちに訪れるのかもしれない。
そうこう考えているうちにオーガの女性の戦いは終わったようだ。
擦り傷や返り血すら体にはついておらず澄ました顔で鉈に纏わりつく鮮血を拭っている。
あれだけの大立ち回りを演じて息一つ乱していないその様子から彼女がかなりの実力者だと言う事がうかがえた。
虐殺動画を取り終えバズる事を信じツイートを送信した(勿論女性の個人情報には配慮している)エルフは自身の恩人たるオーガに駆け寄った。
「何だお前まだ逃げていなかったのか?物好きな奴だな」
背負った鞘に大鉈を納めたオーガは少々の警戒と呆れたような色を帯びた目でエルフの少年を見ている。
「御礼をさせて下さい!」
「はあ?」
♢
そして場面は冒頭へと戻る。
私は礼を欲して戦ったわけではないと当初は辞退をしようとしたのだが目の前のやけに容姿が整ったエルフが頑として譲らず、ならばこの辺で美味いものを食える場所を紹介してくれと頼んでみたら何故か魔道具で掘っ建て小屋を立てそこで調理を始めてしまった。曰く。
「この辺のどのご飯屋さんよりも僕が作った物の方が美味しいですよ」だそうだ。
それで出てきたのがこのオムライスなのだが、いやはやどうして…簡単に作ったように見えて丁寧な仕事が光っている。これはかなり美味いだろうと視覚を通した時点で理解してしまう。
ゴクリと喉を鳴らしてしまうのをエルフに気取られ思わず赤面しかけてしまうがキリリと表情を引き締め「どうぞ」と渡されたスプーンを黄金の山に近づけて行く。
(まあ、気づかず一服盛られていたとしてもオーガの私は丈夫で毒の心配など杞憂だ。うん問題ない)
そう自分を納得させ山の一部を削り取り口へと運んだ。
このオーガ何を隠そう美味いものに目が無いのである。今も頭の中でグルグルと言い訳を続けているが結局はこのご馳走を味わいたいだけなのだ。
半熟の部分がトロリと香ばしく仕上げられたチキンライスに絡みつきこの光景だけで腹が鳴ってしまいそうな極上の美術品にも負けない美しい絶景が完成する。
しかし名残惜しいが料理とは味わってこそ完成する物だ。
オーガは心を鬼にして別れを惜しむようにその絶景を口に入れ、そして。
咀嚼した。
「………ほぉぁ」
ハッ。…いかん。まだ油断しては駄目だ。このエルフが何を考えているのかを探らねば。
ならばもう一口だけ食さなければいけないだろう。今のは口に入れた瞬間思わず無心で味わい嚥下してしまった。
今全身の細胞が喜びの声を上げているのが聞こえるがもしかしたらこの者が何かを仕込んだのかもしれない。確かめる必要があるだろう。
ならばいざ!。
再びスプーンを黄金の頂へと近づけるとその側をデミグラスの川が流れているのが目に映る。
ならば何も言うことはないと無言で崩した山にそれを絡め、今度はしっかりと味わう事を意識する。
口に入れ舌に備えられた全味覚神経を集中してその極上を味わい尽くす。
甘く蕩ける半熟の卵、スッキリとした味わいのチキンライス、そしてゴロゴロとした牛肉の旨味が溶け出したデミグラスソース。
それらが渾然一体となって次々にオーガへと襲いかかる。正に理想的なマリアージュの幸せが形を成した爆弾は彼女を徹底的に打ちのめした。
此れは先程の狩猟者達など比較にならない位強大な相手だ。
ならば自分も最後まで本気で相手にするべきだろうと気合を入れ直し、大鉈の代わりにスプーンを携え食卓に望んだ。
「私は誇り高き鬼人だ。一度受けた勝負は最後まで」「手をつけた料理を残す事は理念に反する」「なっ、この肉スプーンで解けるように切れるではないか!」「おいしー」
一口ごとに、スプーンを差し込む度に驚き黄色に染まる様子をエルフは最初こそ目を丸くしていたが今は優しげな目で彼女をみている。
七変化しながら勢い良く食べ進めるオーガであったがその幸せの時もやがて終わりを迎えた。
カランと綺麗なった皿の上へスプーンが落ちて行く。
オーガはかつて黄金の宝がよそわれていた皿を茫然と見つめていた。
彼女にとっての宝、オムライスは彼女自身が全て平らげてしまい皿の上には最早虚空しか載っていない。
『お終い』だと理解したオーガは悲しげに、涙を浮かべんばかりの悲痛な表情で皿とエルフを見返していた。反応は先程とえらい違いである。
「ああ…ご、ご馳走様。美味かったよ」
溢れる涙が溢れる前にと慌てて席を立とうとするオーガであったがその様子があまりに不憫であったのと話がまだ残っていたエルフは彼女を引き止めた。
「良かったらおかわりでm「いただきます!!!!!」」
「うわっ、ビックリした」
言葉に被せるように食い気味に答えたオーガに苦笑しながら新たにオムライスを作り彼女へと差し出すと律儀にもう一度「頂きます」をしてから食べ始めた。
凛としていた表情をニコニコと綻ばせている彼女を見てウン、と一つ頷いたエルフは「食べながらでいいから聞いてください」と話を切り出した。
「僕はエルフにも関わらず魔法も、弓の腕もカラキシです。また今日みたくドジを踏んで仕舞えば今度こそ奴隷人生待った無しでしょう」
夢中でオムライスを掻き込むオーガの女性に話を聞いてくれているのだろうかと少しだけ不安を覚えながらも話を続ける。
「僕には特に目的地はありません。なので貴女の旅について行ってもよろしいでしょうか?その際に僕の身を守って欲しいのですが勿論報酬も支払います!金銭やエルフの妙薬に森での案内、あとは食事については僕が責任を持って用意しm「わかった」」
からりと再び綺麗になった皿を横にずらし腕を組んだオーガがいつの間にやらエルフを見ていた。
「す…え?」
「共に行こうぜ。エルフの薬は効果が高いと評判で旅の役に立つだろうしお前が何か悪巧みしようが私にとってなんの脅威でも無いしな」
キリリと表情を表情を引き締めエルフを見据えるオーガの女性はコホンと一つ咳払いをするのを見てエルフは食事を切っ掛けにして交渉しようと考えていたのが軒並み無駄になり驚き、そんな即答で旅の同行を許可する彼女に不安を覚えた事で思わず表情が余裕の形で固まってしまった。
結果的には求めていた事なのだがこうしてあっさりと即答されてしまうと少し戸惑ってしまう。
すると固まったままのエルフを見かねたのか何やらモジモジとし始めたオーガを見てエルフは更に謎を深めてしまった。
「あと、此れはまあどうでもいいけどよ……なよ…」
「え?何ですか?」
「忘れんなって言ったんだよ!!食事!!責任持つって話!!」
「…」
どうやら彼女はエルフが考えていた以上に食いしん坊だったようだ。
♢
こうして利害関係により結ばれた2人は西から東、北から南へと旅を始めた。
オーガの女性はどうやら武者修行としてオーガの集落から飛び出して来たらしくエルフの少年と同じで特に目的地は無いらしい。
気の向くまま風の吹くままに気楽な旅を続ける2人はその際何度もトラブルに巻き込まれた。
時には懲りずに襲ってきた奴隷狩りたちを相手にしたり、種族の問題で人間達が主体の街で警官に終われたり、故郷からオーガの女性を追ってきたフィアンセとかいう男が来たりと退屈することは無かった。
まあその全てがオーガが鉈の一閃の元に両断して解決されているのだが毎回毎回スマホでその様子をyoutubeに動画を上げていたら広告収入が得られるまでに人気を得てしまった。
毎回「斬殺系美少女キタコレ!」「脚が綺麗!スタイルもいいし絶対美人!!顔見せてくれ!」「俺もこのくらい出来る」「俺も我を失って気づくと周りが血の海になってた事があるよwww」「結婚してくれ」など温かいメッセージを貰っている。
一応化粧で誤魔化せないかと旅の途中で様々な品を買い試してみたり(自分にそんな物必要無いと以降突っぱねられたが)、彼女の個人情報などは完全に伏せているので身元がバレる心配は無いと思いたいが、取り敢えず彼女自身はsnsやyoutubeは観ないらしいので今は助かっている。
オーガの彼女はその凛とした雰囲気や荒っぽい言葉使いに似合わずシャイな部分があるので見つかった時が本当に怖い。その時は頭をカチ割られるだけで済めば良いのだが…。
勿論彼女の機嫌を損ねないように食事については申し分ないものを提供した。
オーガに出会う前に異国で習得した様々な料理を彼女に振る舞ったが面白い事に彼女の胃袋はその全てを喝采を上げて受け入れたのに対し、今までエルフが立ち寄って自身が美味いと太鼓判を押して連れて行った店では反応はそこそこであった。
オーガとの旅でエルフが面白いと感じたことはまだ沢山ある。
例えば普段彼女の口調は男勝りな荒っぽいものなのだが食事の際に限りその語彙力がカンストするのだ。
この間も急に「鼻腔を抜けて行く香りはさながら緑の芽吹きを感じさせる春風のようだ」なんて言うものだからつい吹き出してしまって彼女のヘソを曲げてしまい後が大変だった。
当初はすぐに解消されて新たな護衛を探すことになるだろうなんてドライに考えていたエルフであったがオーガとの2人旅がどうにも楽しくなってきてしまっている自分がいる。
しかし最近少しオーガの様子がおかしいのがエルフは気になっていた。
時折、暗く沈んだ表情を受けべているのだ。
♢
そしてある日街のカフェで昼食を摂っていた時の事、オーガはとある不満を抱えてその凛とした顔に影を落としていた。
血縁のない男女の2人旅だ。何かと気を使ったり、苦労も絶えないのだろう。
しかしそんな予想に反してオーガの不安はそう言った性別差により生じる物とは関係が無かった。
エルフの紹介で入ったカフェで注文したのはそば粉を使用したクレープ、ガレットであった。こう言った食文化における分野でも勇者が召喚された事で多様性と広がりを見せている。
食べかけのガレットを突きながら仏頂面で考え込むオーガの姿は異様で周囲に一定の距離の輪が出来てしまっていた。
オーガは思う。確かに美味だと。
エルフの紹介だけあり仕事は丁寧だし、そば粉特有の風味を持つモチモチの生地に新鮮な野菜と生ハム、そしてトロけたチーズが間に挟み込まれている。
店特製のドレッシングとの相性も抜群でこれが不味いはずがなかった。
しかし、とオーガは食事の手を止めて目を瞑る。
私は美味しい物に目が無い。そして目の前の料理は間違い無く今までの私なら出会うことの叶わない美食だ。なのに満たされない。
何か物足りない気がしてくる。
正直言って1人の食事がこんなにつまらない物だとは考えもしなかった。
彼女の考えるように今ここに同行者であるエルフの少年はいない。
彼はこの店に立ち寄った際スマホを見て顔色を変え何処かへ向かってしまったのだ。
無論約束通り料理の注文と席の案内をすませてからのことなのだが何だかモヤモヤして面白くない。
オーガは何故これ程苛立っているのか自分でさえも分かってはいなかった。
エルフとオーガが出会い旅を始めてからもう半年になる。こうしてエルフが行き先を告げずにフラッと出かけていくのは珍しいことではない。
現に最近までオーガ本人も気にも留めなかったのだが…。
近しい友人として寝食を共にして来たエルフは何かを隠しているような気がしている。
勿論どんなに仲の良い友人であれ隠し事の一つや二つあるのが当たり前なのだが基本真っ直ぐな性格のオーガには隠し事など存在せず、エルフに何か後ろめたい事があるのではないかと疑い始めている。
それもまあ、動画無断配信の件など間違いでは無いのだがオーガは知る由もない。
(料理だって店のものよりアイツの作ったやつの方が……って私は何を考えているんだ!!?)
慌てて残りのガレットを口へと放り込んだところでエルフの少年が店に戻ってきた。
席に帰ってきた少年は口いっぱいに食事を頬張るオーガを見て目を丸くする。
「何してるんですか?」
「何でも無い!!!!」
それからも彼等の旅は続くのだが一度気になってしまえばそれが物凄く気になってしまうものでエルフがどこかへ場所を告げずに赴く度にオーガの機嫌は傾いてしまった。
「じゃあちょっと行ってきますn「ああ、行ってこい」」 「…」
そんなこんなでギクシャクしてしまっている。
エルフ自身彼女の旅は楽しく思っていたし急にそんな態度を取られる事に心当たりがなく困惑気味で、オーガの方はオーガの方でエルフは約束の仕事もしっかりしてくれているうえ、いつもぶっきら棒な態度の自分とも会話を広げてくれていると言うのに何をやっているんだと自己嫌悪に落ちてしまっている。
一人で考えていても結論は出ないと思ったオーガは、以前立ち寄った歓楽街に再度赴いた際、友人となった娼婦の女性に相談をしてみた。
娼婦達の仕事の本番は基本夜であり、日が高く昇っている今の時間帯は眠そうにしている彼女の様子に少し申し訳なく思いながらも自分の中で積もっていく感情の整理に助けが必要なのも事実であり、今夜彼女の時間を買う事で埋め合わせをしようとも考えていた。
「別に良いわよ。アタシ女と寝る趣味無いし」
「わっ私だってそんな趣味は無い!!一晩買えばゆっくり眠れるだろうと考えて…」
途端に顔を赤くするオーガを見てその人族の娼婦はボリボリと煩わしそうに頭を掻きながら溜息をつく。
「さっきアンタが言ってた話だけどさぁ」「?」
「連れの男が同行している女に気を使ってコソコソ出かけるなんて、そんなの娼館決まってるじゃ無い」
「っは!?娼館!?」
「いやぁ…あのエルフも草しか食わなそうな顔してちゃんと男だったんだねぇ。溜まるもんもしっかり溜まるってことかい」
ケラケラと笑う娼婦に対してオーガは耳まで真っ赤だった。
齢にして17の彼女はあまりその手の話題に関わってこなかったため、いざそう言った話が振られると耐性がなくたちまち顔を赤くしてしまう。
以前ここを訪れた時もそれはそれは大変だったが彼女と言う友人を経てこれでも大分落ち着いた方なのだ。
年齢やこの荒っぽさに反した純情さがエルフにバレて「オーガちゃん」とからかわれた時は烈火の如く怒ったものだ。因みに長命種であるエルフは見た目とは違い彼女よりも年上らしい。
オーガちゃんに軽口を投げ楽しむ娼婦は手慣れた仕草でキセルを取り出すが目の前のウブな少女がこの手の煙が苦手な事を思い出し加えるだけに留めた。
「何なら次はアタシが客としてとってもーーーー」
続く言葉は無かった。何せ少女が顔を赤くしたまま大層不安げな表情を浮かべていたのだ。
娼婦はポカンと少女の顔を見た後火の付いていないキセルを加えた口で大きく息を吸い込む。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
大きく己のうちの空気を全て吐き出したかのような盛大な溜息にオーガは驚いてしまう。
「ど、どうした?」
「え?いやいや…何と言うかねぇ、自分が遠い昔に捨てちまったもんをまざまざと見せつけられているような…なんとも言えない気分になっちまってねぇ」
娼婦は疑問符を頭の上で乱立させているオーガの頭に手を乗せ掻き回すように乱暴に撫でた。
「えっちょっと、何すんだ」
「その気持ちいつからなのかは知らないけど、大事にしなよ?いつかそれはアンタの立派な財産になる」
言ってる意味が分からずグシャグシャにされた髪を整えながら思わず恨みがましい視線を送ってしまうオーガであったが娼婦にスマホを寄越せとジェスチャーで示され訳も分からぬままにそれを渡してしまう。
「アンタさぁ魔道具の扱いは苦手だとか言ってスマホも殆ど使ってないって聞いたけど今時LINE位は入れとかないとダメよ?」
そう言ってオーガのスマホを何度か操作をした後ポイっと投げて返してきた。
慌ててキャッチしたオーガがその画面を見ると、先程彼女の言ったトーク用のアプリがダウンロードされていた。
「まずはちゃんと相手とコミュニケーションを取りなさい。面と向かうと話しづらくてもそれなら多少は口が軽くなるでしょう」
じゃあアタシ寝るから、と大きな欠伸をした後踵を返し娼館に戻ろうとする娼婦をオーガは引き止める。
「なぁに…流石にもう眠いんだけどっ!?」
眠たげに目を擦っているところへ急にズズイッとスマホを近づけられれば驚くのも無理はない。
「なんの真似よぉ」
「連絡先」
「?」
「沢山相談に乗ってくれたし、また連絡したいし…最初に連絡先登録するのはお前が良い」
「…」
可愛すぎない?と娼婦は心の中で叫んだ。
このまま登録するのは何か負けたような気分になった娼婦は最後に1つこの乙女オーガをからかう事にした。
「初めてがあのエルフ君じゃなくて良いの?」
「なんでここでアイツが出てくるんだ!!!?それになんかちょっと言い方がヤラシイぞ!?」
ケラケラと満足気に笑う娼婦はスマホの操作をしながらこの場には来ていない顔だけは妙に良い少年の事を想像した。
(あの果報者め…この娘泣かしたら承知しないからな)
当のオーガでさえ自分に芽生え始めた気持ちが何か理解していない事から何かしらの進展があるのはまだまだ先になるだろうと娼婦は考えながら娼婦は彼等の旅に安寧がある事を祈る。
「娼婦の祈りなんて神さまはお断りだろうけどね…」
そんな事を呟きながら彼女は娼館の寝所へと消えていくのだった。
♢
「少し出てきますね。すぐ帰ってきますので」
夜の帳が下りた頃、場末の宿屋の一室でいつもの通りとある目的の為に一人で出て行こうとするエルフだが、その背中を真剣な目つきで見つめる者がいた。
「なあ」
最近は一人で出掛けようとするたびに機嫌を崩していたオーガに声をかけられエルフは驚いてしまう。
結局彼には何故彼女が苛ついているのかが理解できず、一言だけ声をかけそそくさとその場を後にするのが日課になってしまっていた。
しかし今日に限って、オーガの方から何やら話を持ちかけられてしまったのだがエルフは彼女の表情を見て更に困惑を深める。
俯向きがちで思いつめたような表情は(食事の時以外)常に凛としている彼女に似合っていない。
そんな彼女がスマホを片手に改まって何やら口を開こうとするものだからエルフも思わず姿勢を正し緊張してしまう。相変わらず表情の方はクセで余裕の微笑で固まっていた。
「その…なんだ。お前も男だから分かってやりたい気持ちもあるんだけどな…」
「???」
自分が男だから何なのだろうか…と、エルフは疑問符を浮かべるがここで1つある可能性に気がついてしまう。
このオーガも20にも満たない女性なのだ。旅の中でその性格が普段荒っぽい癖にヤケにその手の話題が苦手ということも知った。
つまり、自分は何か彼女にとって堪え難い何かを常々してしまっていたのではないか、エルフは想像を巡らすが思い当たる節が件の動画投稿の事しか思い浮かばない。
エルフも以前まで一人で旅をしていたのでいざこういった問題に直面すると少し参ってしまう。
『彼女は自分との旅を辞めたいのではないか?』
そんな考えに至り、旅が楽しかっただけにエルフの気持ちは沈んでしまう。
しかし年頃の娘さんの為を思うのなら仕方のない事だろうと年寄り臭い事を考えながら未だスマホ片手にマゴマゴしているオーガへと向き直る。
「一緒に旅するの、やめにしますか?」
「え?」
言葉の意味が分からないというように硬直するオーガにエルフは続けた。
「ここまで連れて来てくれて本当に感謝しています。貴女は僕の命の恩人です。だからそんな貴女にこれ以上気を使わせるわけにはっーー」
地面が爆発したんじゃないかと錯覚するくらいの瞬発力を発揮したオーガが扉に手をかけるエルフを引き倒し馬乗りになる事でその言葉を遮った。
古びた宿の床はその衝撃でかなりの悲鳴を上げてしまっている。オーガが飛び出す為軸にした床に至っては抉れて落ち窪んでしまっている有様だ。
マウントを取られたうえ振り上げられた拳を見てエルフは己の死を覚悟し目を瞑るがいつまで経ってもその鉄拳が振り下ろされる事はない。
疑問に思い薄っすらとその目を開いてみるとオーガの目には今にも零れ落ちそうな量の涙が溜まっておりそれを拭いもせず自分を睨みつけているのだから頭の中が真っ白になってしまう。
「なんでっ、そう言う事になるんだ!!私はお前との旅をやめたくなんて無いからな!!」
叫んだ拍子に溜まっていた涙がぼろぼろとその赤い肌の頬を伝う。
自分は何かを間違えたのだろうかと思いながらエルフは懐からハンカチを出しオーガの顔を拭った。
ちゃんと話し合おう。泣いているオーガを見てエルフはそう考えた。自分達は旅を共にする仲間であり友人なのだ。
こんな風にすれ違いで仲違いをするなんて悲し過ぎる。
何より自分もまだ彼女との旅を続けたいと心から思っていた。
「何でそんなに悩んでいたか話してくれませんか?でないと僕もどうすれば良いのか分かりません」
エルフの言葉を聞いたオーガは手元のスマホを一瞥した後懐にしまい込み、何故か顔を赤くしながら普段通りの凛とした目で彼を見据えた。因みに未だマウントポジションのままである。
「娼館…」「…はい?」
「行ってもいいけど街に訪れる度と言うのはやめてくれ」
「?????????」
「わ、私がそんなこと言う立場でないのは勿論分かっているけど、なんかモヤモヤするんだよ!」
「…????…んんん?僕は娼館なんて行ってませんよ?」
「え?」「へ?」
「「…」」
すれ違いすぎてやしませんかねぇ…。
「あー、1つ確認しても?」
額を抑えるエルフの言葉にオーガはコクリと頷いた。
「前提として僕は娼館通いなんてしていないのですが誰にそんなん事を吹き込まれたんですか?貴女の考えじゃありませんよね?」
「前に立ち寄った歓楽街の友達に聞いた」
エルフの頭には1人、カラカラとした笑い方をしながらキセルを咥える娼婦の女が浮かんだ。
そうか、いつの間に友達も作っていたのかと親心的な目線でホッコリとしながら、いたいけな少女になんて事吹き込んでいるんだとも同時に思ってしまった。
気分は娘にガラの悪い友人ができてしまった父親の心境だ。
娼婦というのは立派な職業であるし、彼女も友人として接している事からある程度の理解はしている筈なのだがやはり女性として、同行している男が娼館で遊び呆けているというのは思う所があるのだろう。
しかしエルフが本気で隠し事をしていたわけでは無いといえ、オーガの少女に詳細を告げずにコソコソと何かをしていたのも事実だ。
「本当に娼館じゃ無いのか?」
「ええ違いますよ」
何度もされる確認に苦笑しながら降参とばかりに手を挙げる。
エルフがコソコソする理由は別に隠すようなことでは一切無く、言ってしまえば彼の趣味であり遊びであり、本人も当初はオーガも誘おうかとも考えていたのだが…。
「料理を食べに行ってたんですよ…それもクソ不味い料理をね」
エルフの言葉にキョトンとしてしまうオーガはその発言の意味を考えていたがサッパリ分からず、見下ろす無駄に端正な顔へ不躾な視線を送る。
「お前は何を言っているんだ?」
オーガの疑問は尤もだ。彼女にとって美味い料理を食べる事は至高の喜びであり、娯楽であり、強くなる事に次ぐ人生の目的でもある。
だからこそエルフの言う人目を盗んでまで不味い料理を食べに足を運ぶ意味が理解できないでいた。
エルフは彼女の言葉に「ですよね」と声を漏らす。
彼は理解していた。だからこそオーガを自分の趣味に付き合わせることをやめたのだ。
彼女が美味しい料理を食べる事が心から好きだから、自分が作った美食を口に運ぶ度に顔を綻ばせるのを旅の間ずっと見てきたから。
「エルフが長命だと言う事は知ってますよね?」
「?ああ」
突然振られた今の話と関係がなさそうな話題にもオーガは律儀に答える。
「長い時を過ごすという事はそれだけ精神的にも摩耗していくものでありエルフだってそれは変わりません…寧ろ過ぎていく年月の分、寿命が短い人間や亜人よりもその傾向は顕著です」
オーガは黙ってエルフの話を聞きつつ「ならこいつは一体幾つなのだろう」と馬乗りになりながら疑問を浮かべていた。
「かくいう僕もこんな見た目ですがそれなりに長い時を経て様々な経験をしています。故郷の村を飛び出したのも料理の腕を高める為なのですが…まあそこは長命種だけあって時間だけはタップリ持てたので才能は無くともそれなりの腕を身に付ける事ができました」
悪戯っぽく笑うエルフだがそこで少し表情が曇ってしまった。
「でもある時ですね。参考にでもなればと街一番の料理人自慢の一品を食べた際こう思ってしまったんですよ。『こんなものか』ってね。確かに美味でもあるし味付けに関して新しい発見もありました。でもそれだけです。感情の揺れ動きは微々たる物でした」
その時の焦りを思い出したかのようにエルフの顔は余裕の表情で固まってしまう。
「エルフに限らず長命種というのは段々とその感情の起伏が薄れていくものです。僕自身はまだそこまで年長者ではなかったのですが、片鱗を自分の中に見た気がして焦りましたよ。故郷の村で見た長老達みたいな物言わぬ植物染みた生物になってしまうのかってね」
独白を続けるエルフであったがそこで一度息を整える。己の腹の上に人1人が乗っていて少し苦しそうであった。
「僕はまだ人生を楽しみたかった。だからこれまで以上に勢力的に旅をしましたよ。名のある料理人の噂があればその国へ赴き、繁盛している店があれば下調べもせずに特攻して感情が跳ねるような料理を探してね…でもそんな風にがむしゃらに店を当たっていたらどうなると思います?」
「どうって…大して美味くも無い店にも当たったとか?」
半分正解です。とエルフは少し困ったような笑みを浮かべた。
「大して美味くも無いどころか弩級に不味い店がありましてね…どうやら観光地だったので地元の客引きに引っかかってしまったみたいでして」
確かに辺境の方の観光地だと来たばかりの客に「旨い店があるんだよ」と吹き込み自分の店に誘導する輩を度々見かけた。オーガの少女も旅の最中それで何度か痛い目にあっていたのでよく覚えている。
ああいう店は不思議な事に得てして料理が不味い事が多い気がした。
「僕はその時不味さに悶絶していたのですが一度食べた料理は残すまいとしっかり完食して店を出ました。しかしその時気づいてしまったのです」
勿体ぶる様なエルフの物言いにオーガはクソ不味い料理に拘る理由の核心に至ることを察して背筋を伸ばす。一体どんな理由が隠されているのか…美味な物が大好きな彼女には想像も出来なかった。
「美味な料理を食べた時より不味い物を食べた時の方が感動したのです」
「はい?」
「勿論味音痴と言うわけでもありませんし美味な料理も大好きです。でもそれ以上に口にした先から体内より排除したくなる様な不快感に感情が横殴りにされてしまいました。それ以降街に立ち寄る度にスマホや聞き込みで情報を集め美食めぐりの傍マズ飯の開拓にも繰り出しています」
以上です。と話を終えたエルフをジッと見つめたオーガはおもむろにポツリと呟いた。
「お前は変態だったのか?」
「うん、何でそうなったのか聞かせてもらえますか?」
エルフは例によって余裕の笑顔である。
「だってわざわざ不味い飯食べて感動してそれで毎回、って…変態だろう」
「違いますよ!?って…まあ、妙な趣味だと言う事は理解しているので長命種ならではの戯言と聞き流してください」
少しだけ照れながらいい加減体を起こそうとするエルフだったが依然体の上から退かないオーガを見て戸惑ってしまった。
何か考え込む様に口元へ手を寄せるオーガは意を決したように強い光の篭った眼差しでエルフを射抜く。
「お前が何をしていて、その理由も取り敢えず分かった」
その言葉にホッと息を吐いたエルフであったが続けられた彼女の言葉にその顔は驚きに染まりかける。
「そのマズ飯巡りに私も連れて行け」
「ええ!?分かっているんですか?僕がいくのは貴女が好きな美味しい料理屋では無くてそれどころかドが付くほどの不味さを誇る店ですよ?」
一瞬うっ、と顔を顰めるオーガであったがその心はもう決まっているようで発言を改める事はなかった。
「確かに私はお、美味しい物が好きだ。いや、大好きだ。だけどそれを味わう事と同じくらい旅の仲間のお前と色々な楽しみを共有して行きたいとも思う」
それが例え死ぬ程不味い料理を食べる事だとしても。
彼女の決意が固い事を見て取ったエルフは少し考え、それからニヤリとその整った顔を歪めた。
オーガはそれを見て一瞬悪寒を覚えるが自分で宣言した手前、怯える様子を察せられないよう努めて平静な顔を装う。
「少しは手加減を」と言う言葉は武人の端くれとしてどうにか飲み込んだ。
そんな様子を察したのかエルフは益々楽しげな表情を浮かべる。
単純に彼は嬉しいのだ。オーガが旅の楽しみを共有したいと思うほど自分に信頼を寄せてくれているのが。
そうとくればまず最初に何処のクソ不味い料理屋へ連れて行くかとこの悪戯好きなエルフは考えを巡らす。
「…決めました。この街にもまだ不味い料理屋はあるみたいですけど僕達が最初に行くなら相応しい店があります。覚悟はよろしいですか?」
ニヤリと口元を歪めるエルフは言外に覚悟が必要なほど不味い店に連れて行くと宣言している。
幸か不幸かそれを完璧に読み取ってしまったオーガは形の良い眉を八の字にしてしまいそうになったがエルフが何かを感じた世界を自分も味わう為一歩を踏み出した。
「ああ!!どんと来い!私はお前と旅を楽しむって決めたからな!!」
冷や汗を流しながらも大きくよく通る声で宣言してオーガは己の胸をドンと叩いた。
…念のためもう一度言うが彼等がいるのは場末の古びた宿屋だ。
高級な宿とは違いその壁や床は薄く声もよく響く。そんな中大騒ぎをしていればどうなるか、その答えは彼等が宿泊している部屋の扉の前まで迫っていた。
「うるせぇぞ!!こんな夜中に何をバタバタしてん…だ…」
乱暴にドアを開けてきたのはこの古びた宿の主人であったのだがその言葉は尻すぼみになって行く。
理由は、まあ…室内の状況を見たからなのだが。
美しい容姿をした少年にこれまたスッキリとした顔立ちの美女が跨っていて、その女性の方が何やら興奮して上気したように顔を赤らめている光景。
事案である。
「お客さん…うちは連れ込み宿じゃ無いんですけどねぇ」
その言葉はエルフでは無くオーガに向けられていて、どうやら宿の主人はオーガが男娼を連れ込んで行為に及んでいると勘違いしたようだ。
見た目的には確かにそう思っても仕方がないかもしれないが純情なオーガは主人の言葉に湯気が出んばかりに顔を赤くする。
「は!?ちっ違う!私達はそんな関係ではっ」
アタフタとしながら弁明をするオーガは未だエルフの腹の上であり、時折彼の口からフグゥ…という呻き声が漏れた。
オーガの下敷きになりながら彼は考える。
次に向かう目的地の事を、凄まじく不味い料理の事を。
流石に不味い物相手によだれを垂らし待ちわびる、という事は無いがオーガと一緒にそれを食したらどんな反応が見られるか期待に胸を膨らませるのであった。
♢
寂れた宿でエルフの趣味が露呈した一件から2ヶ月ほど掛けて2人はとある目的地に向けて旅をしていた。
その間エルフは一切趣味に走る事なく真面目に(?)美食を巡り、オーガは武者修行に勤しんでいる。
不気味だ…あんな啖呵を切ったくせに、どういうつもりだ?。
大鉈であいも変わらず襲いかかってきた狩猟者の首を落としながらオーガはこの2ヶ月の間何度も芽生えた疑問に目を細めてしまう。
今2人は鬱蒼とした森の中で最早見慣れてしまった奴隷狩りの人間達に襲われ立ち往生しているところであった。
そんな勿体ぶる程に最初の飯は不味い物を、と考えているのかとオーガは内心恐々としているとふと周りの風景に見覚えがる事に気づいた。
ここって…最初にエルフと出会った森…だよな。
もう半年以上も経っていてオーガはすぐには気がつかなかったようだが、旅を先導していたエルフの足取りに迷いは無く当初からこの近辺を目指していたことが分かる。
「気がつきましたか?そうですここは僕達が始めて出会った場所、そして目的地は何と僕がその時追い出された亜人排他主義の街です」
エルフの言葉に何度も驚かされているオーガも良い加減そのぶっ飛んだ発言に慣れたと思っていたのだが、まだまだ修行不足なようでその顔にはありありと驚きの色が浮かんでいた。
「正気…何だよな?そんな殺される危険性を犯してまで街に行くのか?」
何のために?それは勿論クソ不味い料理の為。
亜人だと見つかれば捕まり拷問されるか犯されるか売り払われるか、取り敢えずろくなことにならないのは明白だ。
実際エルフも前回この街に侵入した際エルフだとバレて狩猟者達を差し向けられてしまっている。
「正気ですし、勿論行きます。最初に貴女を連れて行くなら貴女と最初に出会いそして食する事を断念したここしか無いと思っていましたので」
彼の言葉に返す言葉が無くなるオーガ。
その不安げな様子を見て取ったエルフは荷物をガサガサと漁り始める。
「安心してください、前回と同じミスは繰り返しません!考えはありますのでご安心を」
そう言ってエルフが取り出したのはいつぞやオーガが拒否した化粧品の数々だった。
♢
街の喧騒に混じり息をひそめるような小声の話し声が紛れる。
「なあ…本当に大丈夫なのか変じゃ無いのか?」
「大丈夫ですよ、問題があるとすれば貴女が自信なさげにそわそわしている事ですかね」
もっと胸を張れというが冗談では無い。
こんな周囲に敵しかいない状況でなんでそんな余裕そうなのか理解できない…あ、余裕そうな顔という事は内心平静では無いってことか。
何となく笑いそうになるオーガとエルフの二人組は無事に街への侵入を果たした。
亜人排他を謳うそこそこ大きな街だけあり入り口には憲兵がいたがその間だけはエルフの魔法で耳と角を隠し、『姉弟』と名乗ることでやり過ごした。
エルフに「お姉ちゃん」と呼ばれ思わず目を剥いてしまったのは責めないでもらいたい。
街へと入ってからはエルフの耳を耳当てで、角を帽子で隠しているのだがここにいる間は魔法で隠せばいいじゃ無いかと言ったら「魔法の効果はそんなに持続出来ないしずっと使っていたら帰りの魔力が尽きるので無理です」と言っていた。
会った当初言っていた通りこのエルフは本当に魔法も弓もからっきしのようだった。寧ろ私に会う今までよく生きて来られたものだと感心してしまう。
そしてオーガにはもう一つ隠すべき場所がある。
人間達ではありえない赤い肌だ。
しかしそれも抜け目ないエルフがしっかりと対応している。
オーガが横を通る度に吸い寄せられるかのように男性達の視線を奪って行く。いや、下手したら彼女の持つ凛とした雰囲気によって女性達の関心も引いているかもしれない。
元々彼女は戦いに適した露出の多い格好でいることが多かったのだが今回に限りエルフが厳選した布地の多い服装をしていて、肌が出ている部分は化粧によりその色を誤魔化していた。
無論顔の部分の化粧にもエルフは手を抜かず、オーガの爽やかな魅力を殺さずに小悪魔的な妖艶さを演出する事に成功している。
結果は誰もが振り返る洗礼された美女の完成だ。…侵入という観点からしたら失敗かもしれないとエルフは呟いていたが私からすれば何で女の私より化粧に詳しいんだとそっちの方が気になった。
オーガは普段しない服装に化粧、注目されている恥ずかしさで普段よりも俯きがちになっているが、その姿も慎しみ深い令嬢のように見えて周囲の関心をさらに引いてしまっている事に気付かない。
これ程の辱めや苦難を超えてまで街を行く目的が『クソ不味い料理を食べる為』だという事にモチベーションが底をつきマイナスへ振り切ってしまっているせいで卒倒し掛けてしまう
そんな私の手を取ってエルフは柔らかい笑顔のまま街を案内した。
これだ、私は常々疑問に思っている。
用心棒として私を雇い、荒事があればその力に頼る癖にそうでない時はこんな風に女として扱う。
チグハグなその態度に初めはただの駄目男なんだなと考えていたが共に旅をするにつれそれが間違いなんじゃと思い始めたのだ。
だけどそのう考えを改めたきっかけがイマイチ自分でも分からないでいる。
…オーガが知らされていない動画配信でエルフは1度こんなコメントを貰っていた。
「女戦わせて自分は安全な所に居るとかありえない」
確かに尤もだとエルフは思った。
しかしこうも考えられないだろうか。
オーガは武者修行のために故郷を出てきた。それは強くなりたいという彼女の本心であり己で立てた目標だ。
そんな彼女の戦いを自分の尺度で見て否定するのは彼女に対し失礼に当たるのではないか?。
女だからと、戦う事をやめさせる事は傲慢であり強くありたいと願う彼女への冒涜だとエルフは考えた。
だがその分お返しと言うわけでもないけれど彼は自分が得意な分野では全力で彼女をエスコートをすると決めていたのだ。
無論この者の言うように自分だけ戦いから逃げてる自覚もあるためコメントには波風立たぬよう冗談めかして「それなw」と返信をしておいた。
そんなエルフの考えというか、オーガの事を思う心が彼女にもそれとなく伝わっているのかもしれない。だからこそオーガは何となくでも彼を信用しようと思うようになったのだろう。
オーガが周囲の目線から逃避する様に考える事に浸っているとふとエルフが足を止めている事に気づく。
エルフはスマホと目の前の建物を数度見比べて、満面の笑みで振り返り芝居のかかった仕草で手を広げた。
「お待たせ!此処が目的地の地獄軒です!!」
物騒な名前にギョッとしながらオーガは店の外観へと視線を向ける。
垂れている暖簾や古典的な懐かしさを感じさせる外観から此処が中華料理屋だという事が察せられた。
しかし事前に驚かされていた『凄まじく不味い』という触れ込みに反して店自体はそこそこ小綺麗にも見える。
「不味い物を食べたいだけなら街中の粗悪な屋台でも巡れば済みます」
店先でエルフは唐突に口を開いた。…というかこんな聞こえるような場所で不味い不味い連呼して大丈夫なのだろうか?流石にそれで怒って出てきた店主を斬るのは申し訳が無いと思うのだが。
まあ普段よりも多少声のボリュームが抑えられている事からエルフもその事は懸念しているのだろう。
「でもそれじゃあ駄目なんです。確かに不味い物は食べられますがあれらは食品以外が含まれている場合が多々あって、値の張る白パンは石灰を混ぜたりなんて事もよく聞きます。そんな物は料理では無い、人の食べるものでは無い、しかしこうして店を構えている場合は違うんですよ」
エルフの言葉にオーガの視線は再びノスタルジー溢れる店構えの方へと向けられる。
「店を構えるという事は土地を得るという事、つまりは粗悪な屋台で商いしている浮浪者やはみ出し者とは違い多少の蓄えと信用があるという事を意味している。しっかりと料理と呼ばれる品が出てくる安心な店…にも関わらず不味い!!僕が求めているのはそういう事なんです!!」
満足気に語るエルフを見てオーガは思う「やっぱりコイツただの変態なんじゃ無いか」と。
横開きの扉に手を掛けながら此方を振り返りピンと伸ばした人差し指を口元に当てる。
「なんでこんな話を今したか分かりますか?」
コイツの考えている事は私にはもう分からないので正直に首を左右に振った。
「これから料理を作ってもらう相手に食べる前から不味いと言うのは失礼だからですよ」
そう言い放ちエルフは店内へと入って行った。
…この男に常識的な事を言われると無性にイラっと来るのは何でだろう。
♢
エルフに続き店へと入るとフワリと熱気が顔に纏わりついてくる。
美味しく無いと事前から再三伝えられていただけあり私たち以外の客は当然のようにいなかった。
カウンターか、テーブルか…どこに座るのかとエルフを見ればスマホの画面に噛り付いて気持ちの悪い笑みを浮かべながら食べログというサイトを覗いていた。
「料理屋を探す時のコツはまずはネットのグルメサイトを覗く事、そこでめぼしい店を見つけた後はTwitterやInstagramなどのsnsで検索をかける事で実際にその店を訪れた人の生の声を確認できるのでそれで判断をします。これが一番手軽の出来る方法ですが後は実際に近辺に聞き込みをしたり己の中で育てた感で見分けたりと自分の足でも色々調べたりするのも楽しいですよ」
エルフはそんな事を旅の最中そんな事を言っていた。
つまりここに来て彼がサイトを覗きながら笑みを浮かべているという事は評価は文句無いくらいに最悪と言っていいのだろう。
この男なら情報収集にも余念は無いはずだ。でなければ奴隷に落とされる危険を冒してまでこんなところまで来るわけがない。
結局テーブルの席に着いた後しばらくしても誰も注文を聞きに来ないのでエルフが「すいません」と声を上げると店の裏から何故か驚いた顔をした人の良さそうな中年男性が現れた。
「え、客!?…一体何ヶ月ぶりだよ」
おっと?今物凄く不安になる呟きが聞こえたぞ?店や店主の雰囲気に違和感は特に無い、しかしこの言動という事は本当の本当に料理が絶望的なのかも知れない。
「注文よろしいですか?」
顔を青くする私を尻目に動じた様子もなくエルフは店主に声をかける。
当然だ。この男は今までこのマズ飯と言う魔物が跳梁跋扈する荒野を一人で進んできたのだ。この程度の状況は何度も経験したのだろう。
此の期に及んで尻込みをしていた自分を恥じる。
私はこのエルフと本当の仲間になると決めたのだ。ならば共にこの荒野を進んで行く覚悟を決めなければならない。
「っし!!」「!?」
気合いを入れるオーガに店主がビクリと肩を震わせるが彼女の整って容姿を見て途端に表情がだらしなくなる。
エルフと1つ2つやり取りをすると名残惜し気に厨房へと引っ込んで行った。
エルフとオーガが注文したのは限りなくシンプルでありきたりな物である。
『ラーメン半チャーハンセット』
一般的なラーメン屋なら大概食べられるメニューだがエルフが迷わずオーダーした所を見るにこ一品に狙いを絞っていたのは明白だ。
正直、そんな大げさな程不味いラーメンやチャーハンを食した事がないオーガにとって拍子抜けな部分が大きかった。
ラーメンは兎も角チャーハンに至っては自分ですら食える物が作れる。あれを不味く作る方が難しいんじゃ無かろうか。
決戦の前に凡ゆる思考を巡らすオーガであったが隣のエルフはウキウキとこれからサーブされる不味いと評判の料理を心の底から待ちわびているように見える。
見た目もあいまりその姿はまるで少年のようで、基本落ち着いた雰囲気の彼氏か知らなかったオーガは虚をつかれてしまった。
(いつもこんな顔をしていたのか…)
この相方の楽しそうな顔を見れただけでもここに来れた価値はあったと満足し思わず席を立ってしまいそうになるがそうはいかない。
地獄はこれかやってくるのだ。
「お待ち、ラーメン半チャーハンセット2つね」
料理を置いたそばから店主は逃げるようにその場を後にする。
益々不安を掻き立てられる反応だがここまでくれば腹をくくるしか無い。
チラリと料理へと目を向ける。
そこにあったのは極々一般的なラーメン、チャーハン、中華スープのセットであった。
どこも突飛な部分も無い何処までもポピュラーなその姿に私は一気に脱力してしまう。
「いただきます」と既に余裕そうな表情でラーメンを啜るエルフを見てホッと息を吐き自分も食事に手をつける事にする。
何だかんだエルフも気を使ってくれたのかも知れないな、と思いながらオーガは器用に箸でラーメンを摘み口に近づける。
…何か違和感を感じる。
ピタっと動きを止めるオーガは何かの予感を感じ取っていた。それは小さな小さな違和感、まるで暗殺者に物陰から押し殺した殺意を向けられているような…水面下で何かが起きている感覚。
フッと思わず私は笑ってしまった。
たかがラーメンを食べるだけの事で何大げさな事を考えていたのだろう。
ほら、エルフも美味そうにチャーハンを食べている。さあ、私も早く食べよう!そして帰りにそんなに不味くなかったなと笑いあうのだ。
そしてオーガは一息にスープに絡んだ麺を啜った。
「…」
麺を啜り固まるオーガにチラリと視線を送るエルフであったが自分にできる事はないと、すぐに自らの戦場へと戻っていた。
固まるオーガの中を言葉で表すなら、まずは『虚無』が近いだろう。
スープが絡みつく麺を咀嚼しその味が口を満たした瞬間彼女に虚無が訪れた。
何も無い、衝撃に全ての感情や思想は消しとばされた。
しかしその虚無の時間はすぐに終焉の時を迎える。その時になって彼女は虚無という何も感じない時間がいかに幸せであったか痛感する事となる。
なんだ…これはっっつ!!!!?!。
麺を咀嚼した瞬間独特の粉っぽさと獣臭さ、そして饒舌に尽くしがたい生臭さが鼻を駆け抜けていく。
その凄まじい臭気に一瞬嗅覚が麻痺したような感覚があるが残念なことに丈夫な体を持つ彼女はすぐに正常な状態に復帰する。いやしてしまう。
その臭気だけでも鮮烈な悪意を持って襲いかかってくるのにも関わらず味さえも容赦無く牙を剥いてきた。
麺の味は以前食べた中華麺とはまったく違い原料も別の穀物を使っているらしく妙な雑味が下を刺してくるうえ繋ぎに獣の脂か何かを使っているのか啜る度に胃が持たれるような感覚を覚えた。
問題はこれだけでは終わらない、スープ、一体、何だこれは。
つい語彙力までも無くなってしまうオーガだったがこの冒涜的な液体の前ではそれもまた仕方がない。
麺を掬いスープが掻き回された瞬間何の冗談か凄まじい程の生臭さが爆発し飛散したのだ。
麺に絡んだスープが舌先に触れた時、私は幼い頃亡くなった祖母が川の先で手を振っている幻影を見た気がした。
爆発する生臭さとエグ味、謎の酸味、申し訳程度に醤油で味を整えましたと言いたげな態とらしい塩辛い味。
それらが渾然一体となり私に襲いかかる。まさにマリアージュ。
馬鹿が、そんな生易しいものでは無い。様々な味覚の化学反応により引き起こされたパンデミックによる大災害。大量殺戮兵器。緻密に構成された不快感のオーケストラ。己を殺しにかかるこの物体の喩えを考えていたら日が暮れそうだ。
ここに現代の若者がいたらこのラーメンから化学反応でmarvel作品なんかの悪役が誕生するだろうと考えるのは想像に難く無い。サノスもその他DC作品の悪役達もビックリの物が仕上がる筈だ。
そして何より許せない事にオーガは気がついた。
出てきたばかりのラーメンなのにも関わらず温いのだ。最初に感じた違和感の一部はこれだろう、あの時は気が動転して気がつかなかったが今思えば湯気が一切出ていなかった気がする。
そしてもう違和感の正体を解明するためのもう1つのピース。
それはこのラーメン全体に広がる多量の油だ。
これがこの強烈な臭気を押し込めていた物の正体である。
厚い油の層により臭気も違和感も全てが隠されオーガの口で炸裂するその時まで息を潜めていた。
しかもこのラーメンは不味さのロジックでも組まれているのかと思いそうなくらいに徹底している。
臭気を解放して混ぜられた油が薬味、スープ、麺の全てと融合しその不味さにさながら強化魔法のようなバフをかけたのだ。
多量の油で全てがヌルヌルとしているせいで食感が死に、胃もたれが加速する。
臭気、味、食感、食後、全てが私を殺す為の罠。そう考えてしまう位にこの不味さは完璧であった。
乾いた目で隣のエルフを見ると中華スープを余裕そうな表情で飲んでいた。
コイツもしかして自分と違う物を食べているのでは無いかと一瞬本気の殺意を滾らせそうになるがそこでオーガは思い至る。
エルフは感情が荒れると余裕を装った表情で固まる。これは旅の最中実際に見て本人もそう公言していた彼の修正だ。
オーガが改めてエルフを観察してみるとその中華スープの杯を持つ手が不自然に震えているのが見える。
自分は何を疑っていたんだ。今までの旅で私に気を使い一人で散々食べ歩き、今回もこれだけの労力を払った男が今更そんな小細工をするはずがないじゃ無いか。
いかんいかんと一度頭を落ち着けるために比較的まともそうな中華スープを口に運ぶ。
マリアージュetc…。
何故なんだ。一体私が何をしたって言うんだ!!!!何故コイツらは私にここまでの殺意を向けてくるんだ!?ラーメンやチャーハンの箸休めの為にあるのがこの少量の中華スープだろうが!!それがなんで主役を食う勢いの重厚な不味さを備えているんだ!!!!!。
最早オーガのhpは残り僅かだ。あとひと押しで棺桶になりエルフに引き摺られ教会で銭を巻き上げられながら復活する未来が確定してしまうように思えたその時、白目を剥きかけるオーガに天よりの声が舞い降りた。
「限界でしたら残りは僕が食べますよ」
声の主であるエルフはもう既にこの地獄を平らげたようで悟ったような顔で此方を見ている。
額に脂汗を浮かべている事からどうやら今回の料理は満足のいくものであったみたいで安心した。
私は美味しい料理が好きだ。
一人で旅をしていた時もそうだしエルフと一緒になってからは更に顕著になった。
エルフに連れられ名店を満喫し、時には彼自身が作り出した手料理に舌鼓を打った。戦いに明け暮れながら美食を巡る毎日は幸せだと胸を張って言える。
ならばもういいのでは無いかと心のどこかで叫んでいる。この目の前のラーメン半チャーハンセットという戦略兵器を食する事を放棄したとしても誰も彼女を責める事はないだろう。
だが、とそこでオーガは好戦的な笑みを浮かべ蓮華を片手に未だ手をつけていない半チャーハンに向き直る。
「いいや、これは私が食べる。一度手をつけたモン残すのはオーガの矜持に反するんだよ」
オーガの言葉にエルフは真珠のような目をパチクリした後、酷く優しげで暖かい笑みを浮かべた。
オーガの言う幸せは旅に中で徐々に形を変えていった。
戦って美味しい物を食べていれば全て良しと考えていたオーガだったがある日例によってエルフが一人でマズ飯の荒野へと繰り出した際一人で食事を取る機会があった。
勿論それは初めての事ではなく最早慣れっこと気にせずオーガは食事を始める。
その時食べたのは豪快なスペアリブであった。特製のタレに漬け込まれ炭火により香ばしく焼き上げられた肉からは旨味の凝縮された雫が滴っている。
食する部分をちぎり取り口に運べば豪快さに反した繊細な肉の甘さと染み込んだソースとのハーモニーによってあっという間に飲み込んでしまった。
間違いなく旨い。私は幸せを口に運んでいるのだと確信できる味だ。
しかしこの時のオーガはこうも思ってしまった。
「旨い…けどなんだか味気ないな」
以前までなら出てこなかった言葉だ。
何が、今までの旅と何が違うのか…答えは単純。
エルフの存在だ。幼い頃故郷を飛び出しそれから殆食事の時間を一人で過ごしてきた彼女は共に食事をして笑い、その美味しさを共有する充実さを知ってしまった。
食事は一人で摂るよりも気のおける誰かと食べられたとしたらそれはずっと尊い物だと思う。
勿論その食事が旨いに越した事はないけれど、それが例え不味かったとしてもそれは誰かとの思い出になる。
だから…。
勢いよく半チャーハンへと挑み掛かる。
そのオーガの姿は歴戦の龍に挑む勇猛果敢な戦士にも似た闘気と気迫が備わっていた。
私は負けない!必ずこのラーメン半チャーハンセットを倒してみせる!!!。
♢
「ありがとうございました〜」
ガラリと閉められた戸で気の抜けた店主の声が遮られる。
「「……」」
戦いの後、地獄軒の前、二人の戦士の間に会話は無い。
「あー…店主が言うにはですね」
「…」
努めて明るく振舞おうとするエルフだったが俯くオーガからはこれと言った返答も反応も無かった。
「何でもこの地獄軒の発祥は30年前に異世界から召喚された勇者たちが広めたラーメンをクソ不味い物として広める事で彼らの権威を失墜させると言うくだらない目的だったらしいですよ。一応国が推進する立派な事業だったので資金も潤沢で沢山の人が関わりながらここのレシピが開発されたみたいですね」
「…」
「国の知識の推を集め勇者を相手にするため作られたラーメンですか…」
「…」
「あれは流石に初心者には厳しすぎましたね、リバースしてしまうのも無理は…」
その続きを話す前にエルフの体は宙を舞った。
クルクルと高速で回転しながら地面へと落ちていく、このまま激突すれば怪我は免れないだろうといところで颯爽とオーガがその華奢な体を抱きとめる。
これが男女逆であったらロマンスが始めるのは明白であったが、残念な事にそうではなく、そもそも殴り飛ばした犯人がオーガという時点でロマンスもクソも無い。ただのマッチポンプである。
「デリカシー」
「すいません…」
乱暴に捨てられ地面に結局転がるエルフだがすぐに立ち上がりオーガに話しかけた。
「今回は何というか…申し訳ありませんでした。つい貴女が僕の趣味に付き合ってくれるという事で舞い上がっていたのかもしれませんね。勿論次からは…」
「次も共に行くからな」
そうぶっきら棒に言いながら自分のスマホを突きつけてくるオーガにエルフは今度こそ驚く顔が抑えられなかった。
「LINE入れといたから連絡先を教えてくれ…ちゃんとご飯を食べるときは私も呼べ!分かったな」
飯は一緒に食べた方が楽しいだろ?
未だ驚きから復帰出来ていないエルフはぼんやりとした手つきで彼女のLINEに自分の連絡先を登録する。
「あと今度から私も料理屋を一緒に探してみたいからsns?も入れてみたから使い方を教えてくれそれと…」
タップリと間をとって言葉を紡ごうとするオーガをエルフはほのかな笑みを浮かべ待つ。
「こ、これからの旅もよろしく頼む…っじゃあ早く教えろ!!」
「ふふ…こちらこそよろしくお願いします」
クスクスと鈴を鳴らすように笑いながらそう言葉を返すエルフは娘の様に思っているこのオーガにとても暖かい気持ちにさせられている事に気付いた。
彼女のスマホを操作しTwitterをインストールし使い方を教えながらこの先の旅に思いを馳せる。
彼女と共に飛びっきりの美食、そして飛びっきりのマズ飯を楽しむ。ああ、とても心踊る。一人で店を巡っていた時が嘘の様だ。
長命種特有の病気に苛まれるのはまだまだ先の事になりそうだ、と頷きながらオーガを見ると何やら画面を見たまま固まっている。
(うん?一体何を見て…あっ!!!!!!!!!)
彼女の持つ液晶に映し出されているのは間違いなく自分のTwitterアカウントでありもっと言えばとあるツイートが表示されていた。
それは最初に出会った時に狩猟者達を大鉈でスプラッタしていく動画だ。因みに2万リツイートを超えている。
彼女の顔ががっつり映らない様配慮したもの見る人が見れば本人の確認など容易い。
そしてたった今Twitterについてレクチャーをしたばかりのオーガはこのツイートの意味もしっかりと理解している
つまり…。
「これ僕死んだんじゃ無いですか?」
さて…エルフの頭がカチ割られたかどうかは読者の皆様の想像にお任せする事に致しましょう。
お疲れ様でした。
誤字などが見つかり次第修正していきたいと思います。