烈火の夏
プロローグ
そんなに、悲しいか。
神園真也は、マリアをじっとにらんだ。淡い闇のベールに覆われ、
彼女はいまにも泣き出しそうな顔で立ちすくんでいた。
真也はゆっくりと礼拝席を立ち、祭壇まで進み寄った。そして、黒のジーパンの尻のポケットから、ピースの箱と、銀のライターを取り出した。紺の箱からタバコを一本取り出し、そっと火をつけた。
「ここは禁煙です」
後ろから、女ではない、男の声がする。朗々と響く声は、ここの教会の司祭のものだろう。
「ここは聖堂です。いかに神聖な場所か、熱心に教会に通っていたあなたならわかるはずです」
司祭様、と真也は声を上げた。
「僕は、今から戦いに行くのです」
「戦いですか?どちらに?」
「正義を貫きにいくのです」
シンヤ、と司祭はたしなめるような声を上げた。
「いけません」
「何故ですか」
「だれかの血が流れる方法を選んでは行けません。思いとどまるのです。シンヤ」
「だれも血なんて、流しやしませんよ」真也は、マリアに背を向けた。聖堂の入り口からすこし離れたところに、黒い服の司祭が立っている。青い眼をした彼は、マリアと同じように白い顔をしていた。彼は、白い顔のまま言った。
「わたしにはわかります。あなたが考えていることが」
「司祭様、非科学的なことを言わないでください」
「シンヤ....」
「僕は、僕なりの正義を貫くだけです。司祭様」
真也はほくそ笑んで、聖堂の出口へと向かった。聖堂の床を踏むたび、ミシリ、ミシリと床が軋んだ。木製の扉を開け放った時、司祭のシンヤ、という声が聞こえた気がしたが、真也は気にも留めなかった。左手に見える西の空には黒い雲が立ち込めている。その雲の下から、夕日の紅が滴り落ちている。
まるで血しぶきみたいだな。
これから、見るにんげんの血は、この空の血しぶきよりも、あかいのだろうか。
真也は、吸いかけのタバコを空に放って、急な階段を駆け下りた。ざあと、生ぬるい風が肌を撫で、真也は思わず身震いした。