魔王の召喚獣になりました
短編です。暇つぶしにサラっと読んでいただけたら嬉しいです。
学校帰り、友達とクレープ買い食いしてたら、いつの間にかイケメンに膝抱っこされてた。
というのも。
友達と駅前に出来たばかりのクレープ屋さんへ行き、少しだけ並んで手に入れた抹茶クリーム餡子もちもちきなこ餅クレープを一口食べて
「これすごいおいしいよ。食べる?」
と友人に差し出した瞬間。
よくある、隣に居ると思って話しかけたら違う人だったってやつ。
あんな感じで、いつの間にか知らない人が横に居た。
いや、横というか下というか、顔は横にあったんだけど、私のお尻の下に膝があった。
尻から膝が生えた!
と思うほどいつの間にか。
私は、見知らぬ人。
しかも銀色の長い髪で紫色の目をした、ファンタジックな出で立ちのイケメンの膝の上に座ってた。
こんなこと、よくはない。ありえない。
驚きすぎて、クレープを差し出したまま固まってたら
「食う」
銀髪のイケメンが、私の手首を掴んで、クレープを頬張った。
「うまいな」
表情一つ変えることなく頷く彼の口元に、緑のクリームがついている。
「口……」
ポロっと言葉がこぼれた。
殆ど何も考えてないがゆえの指摘だ。
「ああ」
ペロっ
己の舌で口元を舐めとる彼の仕草は、獲物を狙う獣が舌なめずりしているようで、怖かった。
「で……でしょ」
私は、混乱して、普段まったくやらないヘタなウィンクをしながら、親指を立てるという、妙にフランクな態度を取った。
親指ちょっと震えてる。
だって横に居たのは友達で、下に居るのは誰かの膝さんで、そして顔を上げたら横に居るのはやっぱりイケメン。
駄目だわけわからなくなってきた。この人誰?
目を離すことも、質問することも出来ず、ただただ彼の膝の上でじっとしていたら、銀髪イケメンの顔がスゥーっと薄くなり始めた。
「あ……」
「え?」
イケメンが出した間の抜けた声に、疑問符を投げかけたが、返事は帰ってこなかった。
幽霊が昇天するように……見たことないけれど、そんな感じで彼の姿が消えていったからだ。
そしてそこに
「どしたの?」
友人が現れた。
当然のような顔で、イチゴだらけクリームもっさりクレープを齧っていた。
周りを見渡すと、いつもの帰り道だった。
銀髪のイケメンなんてどこにもいない。
ああ私、女子高で友達と妄想話をし過ぎて、とうとう白昼夢を見るようになってしまったんだ。
これはヤバイ。
だってものすごくリアルだったし。
「なんで空気椅子なの?」
「え。ああいや。あれじゃん? ちょっと最近足腰が弱ってて、少しでも運動しとこうと……」
「今?」
友人の冷めた目が、より一層私のヤバさを浮き彫りにした。
おかげで、その日の夜は、なかなか眠れなかった。
目を閉じて、闇に身を預けようとしても、昼間のことが気になって集中出来ない。
そもそも寝ることに集中なんてしたら、余計に寝れないとわかっていても、出来ないものは出来ない。
「もぉ~寝れない」
イライラしながらゴロンっと横を向いたら、目の前に顔があった。
「っおおおおおーーーーーーーー!!」
叫び声を上げて、拳を突き出したけど、避けられ、大きな手で口を塞がれた。
むぐむぐ言いながら薄闇に目を凝らすと、昼間見た銀髪のイケメンが、当たり前のように私の横に寝転がっていた。
「うるさい。眠れないから呼んだのにうるさい」
殺される。
青ざめた私は、抵抗をやめて、誰かが駆けつけてくれるのを願った。
あれだけ騒いだのだから、ごくごく普通の一軒家の二階だし、誰か気付くはず。
一軒家の……二階だし…………。
あれれぃ? ここ私の部屋じゃないんじゃない?
天井が高い。シングルだったベッドがものすごく大きいものになってる。
シーツの色がツヤっとした黒だ。
「どうされましたか? 魔王様」
絶対お母さんじゃない声がした。見ると、下半身が蛇の美女だった。
いやいや下半身が蛇って……。
二度見した。
やっぱり美女の下半身は蛇だった。そういうスカートでもだまし絵でもなくて、リアルな質感の蛇だった。
ああ……これ夢か。
私は、あまりに衝撃的な美女の姿を見て、逆にほっとした。
夢の中で夢を確信したら、あとは主の望むままだ。
怖がる必要なんてない。
「なんでもない。召喚獣が吠えただけ。消えろ」
銀髪イケメンの言葉で、蛇美女が薄くなってすーっと闇に消えていった。
ほらね。やっぱり夢だ。今のところ主導権私にない気はするけど。
「早く。眠れるようにしてくれよ」
鋭い瞳を更に鋭くして催促してくる銀髪イケメンの顔が近い。
彼の紫色の瞳に映った私の顔……すごい間抜けだ。
ゴシックファンタジーの中にパジャマのおさげが迷子です。
でもまあ夢だし。シチュエーションからして、恋人か何かかな?
知らなかった。私ってこんな人が好みのタイプだったんだ。
猫科っぽいつり目、高い鼻、凛々しい眉、紫色の目って綺麗だけど…………こんな人現実には存在しないだろうな。
「早く」
しかも上半身裸じゃーーん。
贅肉ゼロの細マッチョだよ。こんなに近くで男の人の裸なんて見たことないのに、鮮明に再現出来る私の脳内すごい。
下は……履いてるのか確認したら私の今後に大きくかかわるからやめておこう。
私変態説が私の中で浮上してしまう。
「はーーやーーくーーしーーろーー」
私の妄想彼氏が、肩を掴んで揺さぶってくる。
「わかっ……わかったよ! でも眠れるようにって言われても。こっちのセリフ……あっ私は寝てるんだ」
兎に角夢なんだし、適当に対処すればいいよね。
寝かせるといえば、あれかな?
私は、子守歌を歌ってみた。
途中で歌詞が思い出せなくて、ふんふん鼻歌で誤魔化したら、じっとり睨まれたからやめた。
次に、桃太郎とか、はなさかじいさんとか、昔話をしてみた。
桃って何? などと聞かれて話が一行に進まず、これもやめた。
なんだか私の方が眠くなってきた。夢の中なのに。
もう早く寝てくれ。
パッチリ目を開けて瞬きすらしない彼の肩を、小さな子をあやすようにポンポンと叩いた。夢とはいえ、こんなに気安く男の人の素肌に触れられたのは、眠気あってのことだ。
夢の中で眠いってどうよ。
自嘲気味に笑いながら。
ポンポンポンポン
彼を寝かせるために、眠るのを我慢して、ひたすら同じリズムで叩き続けて……いた……はずが――。
気が付くと朝になっていた。
黒いベッドではなく、自分の部屋のベッドで目が覚めた。
当たり前か。
だって夢……だし。
起きてから暫く夢が夢だったのか悩むという不毛な時間を過ごしていたら、学校に遅刻した。
朝ごはんを食べないのはいつのもことだけど、通学路を爆走して教室へ滑り込み、息が落ち着いてから、再び考えはじめ。
お昼休み辺りで、なんかものすごく馬鹿なことで悩んでるなと気付いた。
夢なんてどうせ忘れるだろうし……。
一回、二回ならね。
銀髪のイケメンさんったら、我が夢の定住者になったみたいで、たびたび出てくるもんだから、忘れることなんて出来なかった。
早く彼氏を作れとの神の思し召し。いやいや、神様そんなに暇じゃないわ。
しかし、寝てるときならまだしも。
クレープの時みたいにふとした瞬間。
例えば授業中、ふと窓の外を見たら、雷鳴轟く荒廃した大地があって。
あれ? と思ったら翼の生えた龍の背中……龍といっていいのか、頭部から幾本も骨が突き出して、翼の筋線維が透けて見えるグロイ生き物の背中に居たりするのは、勘弁だった。
「わうっ!? っと……怖いんだけど。ここどこ?」
私は、いつも当然のように横に居る銀髪イケメン……青年に訪ねた。
「エンデバンドの背中に乗って散歩中。暇だからお前のこと呼んだ」
銀髪青年は、いつも私のことを自分が呼んだんだと言う。
私の中に秘められた誰かに求められたい願望のせいとかだったら恥ずかしい。
「散歩って歩くことだと思うんだけ……」「俺の暇を早くなんとかしろ」
彼はいつも私の言うことを聞かない。妄想のくせに。
俺を満足させないとお前帰れないよ? と脅してさえくる。
「じゃあ降ろして」
私の妄想世界は、天変地異というのか、空は厚い雲に覆われて薄暗く、常に稲光っており、木々は枯れ果て、大地がひび割れていた。
なんか病んでるのかなって不安に思ってたけど。
今日の白昼夢スタート地点から見渡したところ、遠くに赤い屋根の町を確認出来た。そのあたりの空は晴れてるようだ。
滅びた世界じゃなくてよかった。
でも、銀髪青年の居る場所だけ荒れ果ててるってどういうことだろ。
私以外の女子はここに入れないんだからね! 的なことかな。我ながらイタい。
「降ろす……ね」
彼のお住まいは、この天変地異域にぽつんとある黒い屋根の大きな洋館で、大抵はその中から夢が始まる。
尖った屋根がたくさんあるし、部屋もたくさんあるし、てっきりお金持ちかと思いきや、壁や床はボロボロ。長い廊下に置いてある甲冑や石造が壊れてて薄気味悪く、灯も少ないから夜は超怖い。
一回トイレに行きたくなって、下半身蛇な美女――ルーフェさんに同行を頼んだら、快く引き受けて、ドアの外で歌を歌ってくれた。
頭の芯に響く美しい歌声を聞きながら便座に座ったら、視界が遠のいてブラックアウトしたけど。たぶん、夢でトイレしたらヤバイから、無意識に止めたんだと思う。
目を開けたら現実……じゃなくて、心配そうに私の顔を覗き込むルーフェさんがいた。一度起きてトイレに行って続きを見たのかもしれない。覚えないけど。
ルーフェさんはいつも、ジュースやお菓子を振る舞ってくれる。
瞳孔縦に割れてて、肌は全体的に緑で、ボンテージみたいなのを着てるけど、素敵な女性だ。
彼女が、ときどき箒とか掃除道具を持ってニョロニョロしているおかげか、トイレは綺麗だった。
トイレはというか、洋館の中は、ボロボロだけど、汚いわけじゃない。
床に穴が開いた銀髪青年の寝室のベッドは大きくてフカフカしているし。一番最初に彼が座ってた玉座っぽい椅子は全面黒い革張りの立派なものだった。カーテンは深紅のビロードで、風に揺れると美しい。埃が舞ったり嫌な臭いがしたりもしない。
怖い廃墟で素敵に住んでますって感じだ。
って……私が考えた設定だからわけわからんことになってるのかも。
トンっ
背中を押された。
突然の浮遊感。視界に入る稲光。
私の体が、骨飛び出し龍……エンデバンドから落下していた。
ああ、あれかい? 降ろしてって言ったからかい?
でもまあ夢だし。ときどきあるよね。落ちる夢。体がガクンってなる嫌な夢。
そういうときって、身長が伸びてるって本当かな。私まだ成長期だし。もう少し身長欲しい。
カプっ
「ぐえっ!」
エンデバンドが私の下に滑り込んで口でキャッチしてくれた。
「エンデバンドっあり……がとう」
エンデバンドは、絶妙な噛み具合で私の体を固定して、ゆったり降下し、そっと地面に降ろしてくれた。
体中よだれでデロデロだけど。本当に助かった。
夢でも地面に激突は避けたい。
ギュバァァァァァ!!
エンデバンドが喉を鳴らし、とがった骨だらけの頭を差し出してきた。
骨の間を縫って撫でてやると、今度は体全体で懐いて来ようとした。
「消えろ」
ボヒュンっ!!
私の腹に骨が刺さる寸前のところでエンデバンド強制退去。
原理はわからないけど、私についていたデロデロも一緒に消えた。
「怖がって泣くと思ったのに、つまらないな」
「めちゃくちゃ怖かったし泣いてますけど。なんならちょっとチビっ……っていうか何やってくれてんの!?」
私殺人未遂事件の容疑者である銀髪青年が残念そうにしている。片目を閉じ、少し首を傾げるのは、何か不満なことがあるときに彼がする癖だ……と思う。
ドスドスと歩いてきた彼を睨み上げたら、身長差がありすぎて首が痛かった。
縮め。足短くなれ。地面にめり込め。
自分の夢だから、念じれば叶うかもしれないと思ったが
スっと動いた銀髪青年がやったことと言えば、私の目じりに溜まった涙を人差し指で掬い取り、ペロっと舐めるという。
「悲鳴が欲しかったけど。これでいいか」
「うわああ!! 何してんの!!」
どれでもないことしてきた! 恥ずかしい! 穴があったら入りた……なんで私がめり込まなきゃいけないの!
「ん。そういうんじゃなくて、もっと喘ぐ感じの悲鳴のほうが……」
最初は、彼のイケメンっぷりに怯んでいたけど、こう何度も出てこられたら……いや、出て来てわけのわからないことをされたら、口調も荒くなるというものだ。
「言い方!! 喘ぐってっそもそも高いところから落ちたら絶叫だわ! じゃなくてっ嫌がらせするのやめて!!」
「嫌がらせじゃない。お前は俺の召喚獣だ。俺の言うこと聞いて当然だ」
召喚獣って。
名前的にも見た目的にもエンデバンドやルーフェさんのことでしょう。
「私獣じゃないし」
「見た目はな。でも俺の召喚獣だ。俺を満足させなきゃ駄目だ」
「満足させるために死ねと?」
夢なのに心臓バクバクいってる。このままベッドの上で死んだらどうしてくれる。夢に驚いてショック死とか笑えない。
「死んだらもう一度召還する」
シレっとリセットボタン宣言してきましたよこの男。
私よりも年上っぽい容姿のくせに。
「そんなことするなら二度とこの夢みないから」
「夢?」
「召還されないから」
彼流に言いなおしたら、眉間に皺を寄せられた。綺麗な顔だけど、目つきが人らしくなくて怖い。
殺人鬼とか、ヤバイやつの目なんだもん。それで淡々と落ち着いた声で話すから、余計怖い。
「それは俺が決めることだ。お前にどうこう出来るもんじゃない」
「じゃあ無視する。目が覚めるまで無視する」
「無視ってなんだ」
「…………」
私は目を閉じて、その場に座り込んだ。
地面が固くてお尻が痛いけれど仕方ない。
「何やってるんだ。帰りたいなら早く俺を満足させろ」
「…………」
その後、十分程度は無視し続けたけど。
「ようやくお前の召還方法思い出したのに、言うこと全然きかない。なんか間違えたのか? お前どう思う?」
私のことを私に聞くな。
「無視って話さないって意味か。これに何の効果があるんだ?」
あなたにはないかもしれない。
「なあおい。せめて目は開けろ。俺の顔が見たいだろ」
自信がすごい。
「じっとしてるなら食うぞ」
「食うな! こわっ!」
全然堪えてないふうだったから、やってるのが馬鹿らしくなった。
「っわかった。もう無視やめる」
「うん」
素直な返事に不覚にも笑ってしまった。許したわけじゃないのに。
なんとか笑いをかみ殺して見上げたら、銀髪青年の姿が、ボヤーっと薄くなり始めていた。
もうすぐ目が覚めるという合図だ。
「ん? なぜ帰る? 俺はまだ満足してな…………これが無視の効果か。声が聞けただけでこの満足感。侮れんな」
少し驚いた彼の顔が消えて、教室の窓枠に切り取られた普通の空が見えた。
前を見たら、まだ数学の授業が続いていた。
夢だけど、あんまり時間経たないんだよね。数学退屈だし、どうせなら終わっててくれたらいいんだけど。
ため息をついたら先生に睨まれて、しかも当てられた。
高所から落下して奇跡的に生還したばかりなのに、なぜこんな問題を解かなければならないのか。
「わかりません!」
「はぁああん!?」
勢いって怖い。
一人だけすごい大量の宿題を課せられた。
こういうことが、一日に何度もということもあれば、二、三日ないこともある。
夢は夢でも普通じゃない。不思議だらけの夢だ。
世界観が変わらないのも、五感があるのも不思議。
そのとき着ている服や持っている物が再現されるというのも不思議だ。
おかげで一度、シャワー浴びて、タオルを取ろうとしたら、目の前に彼が立っているという、バッドタイミング白昼夢に遭遇してしまった。
「っ!?」
無表情だが、口を開けて、固まっている彼の前で。
私は、いろいろ隠すのではなく。
モザイクかかれ!
念じた。夢なんだからそれですべてが隠せる。三点同時は無理だし、二か所なんて選べなかった。
彼の紫色の瞳が、下から上へゆっくり動いて、喉が上下した。
無言でいられると、意志疎通のとれない野生動物と対面しているような気になる。
こういうときは、鼻先を弾くって聞いたことある。口に拳とか腕とかなんか突っ込めって見た気がする。でもそれって熊とか野犬とか?
じゃあ成人男性なら?
…………知らん。
堂々全裸を披露したまま考え込んでいたら、空中を滑るように近づいてくる彼の手を見逃した。
フワっと頬に空気を感じて正面を見たら、ものすごく近くに紫色の瞳があった。
彼の指が、私の顎に触れ――
「主っ」
ズダーンっ!!
突然目の前に飛び込んで来た真っ白な獣――体は虎、顔は人間の人面白虎が、銀髪青年を押し倒し、鞭のような長い尾っぽでベッドシーツをはがして、私の方へ投げてよこした。
「紳士たるもの、無防備な女性を前に己を失ってはなりません」
低音で体に響く、素敵な声だ。
銀色の美しい毛並に男性の顔が埋まっているのは、ホラーだけど。
「ジルラド……重い。消えろ」
「お嬢さん。我が主がすみません」
人面白虎、ジルラドさんは、前足を折って私にお辞儀をしてから、スーっと消えていった。お礼を言うべきだったかもしれないけれど、そんな余裕なかった。
私は、黒いシーツで体を覆い、部屋の隅まで後退した。
「服……かして」
見たか見てないか、もはや聞くまでもなく、あまりの恥ずかしさで血の気が引いた。こんなときは、夢だということを忘れてしまう。
「はっ早く!!」
催促したら。
ムクっと起き上がって、おもむろに生成りのシャツを脱いだ銀髪青年が、バスケットゴールにダンクシュートする感じで、私の頭にズボっとシャツをかぶせた。
着ているやつを貸してって意味じゃなかったんだけど。
仕方なく袖を通し、彼を見上げたら、夢が終わりかけていた。
「あ……またか。満足しないよう我慢してるのに」
彼は、不満げに銀色の髪をかき上げてため息をついた後。
急に私の肩を掴んで、強引に己の方へ引き寄せ
「わっ」
顔ぶつかる!!――という寸前で消えて、お風呂場に変わった。
「う……」
今、唐突なラブ展開だったような。
いや。違うよね。ないないな…………でもあれは私の妄想……の中の彼氏? なわけだからなくはないか。
むしろ今までのが、どんだけドМなんだって話じゃないの?
百歩譲ってラブ展開だったにしても、いきなり全裸を披露するなんて、私の思いつく男の誘惑方法はそれしかなかったのだろうか。
「あれ……?」
濡れた体を拭こうとタオルを手に取ったら、服を着ていた。
どうみてもお風呂場に持ってきたパジャマじゃない。
温もりが残っている、彼の服だ。夢の中で着たものが、現実に……。
どういうことだろう。
わけがわからない。
不思議にも限界がある。
まさか……まさか……本当に召還されてるってことは…………。
混乱して、びちゃびちゃのまま自室へ帰り、布団に倒れ込んだら。
なんと風邪をひいた。
ものすごく高い熱が出たので、病院へ行ったら、インフルエンザだった。今……春なのに。
濡れたままとか関係なかったかも。
「もうっなんでこんな時期にインフルエンザ? 私予防注射受けてないのに。部屋から出るときは言って。避難するから」
「うん。ごめんねお母さん」
病院から帰宅して、玄関先でお母さんに背中を向けられた。
私は、靴を脱ごうとして、グラっと後ろに倒れた。
バランスが取れない。
衝撃を覚悟して目を閉じたら、フワっと体が宙に浮いた……ような心地がした。
期待して目を開けると、案の定、夢……なのかなんなのか。いつも通り銀髪の青年の顔が傍にあって、なんだかほっとした。
お尻の感触からして、クレープの時と同じように、彼の膝の上に居るようだ。
私は、体を起こしていられず、彼の胸に頭を預けた。カチャンっと彼が身に着けている鎧が鳴った。
少し錆びた匂いがする。
「どうした? レミ」
あれ。名前知ってるんだ。教えてないのに。
私は彼の名前……知らないけど。
「インフル……で」
「なんだそれは?」
「病気です」
そういうと、銀髪青年は、片目を閉じて、首を傾げたが、そこにいつもの不遜さはなく。
どうしたものかという風に、紫色の瞳がうろうろしていた。
「っ……う」
彼は、私をヒョイと俵を持ち上げるみたいに担いでいつもの寝室まで運び、ベッドに寝かせてくれた。
ふかふかに体を沈め、息苦しくて、頭が痛くて、誰か助けてくれーーという気分で彼を見上げたら。
またも、紫色の瞳がうろうろ、どこを見ていいのか迷うみたいに彷徨った。
表情も態度も変わらないけど、目だけ挙動不審だ。
どうしたんだろ。
暫く眺めていたら
「ルーフェ」
彼がサっと片手を上げて空中に光る円を生み出し、そこから、ルーフェさんが出て来た。
これが召還か。
「医者を攫ってこい」
なんか物騒なこと言ってるけど。
ベッドに転がる私を見て、心配そうな顔をしたルーフェさんは
「わかりました」
ズズっと床に溶けるように消えていった。
いつもの消え方と違う。薄くなるんじゃなくて、床が水みたいに波打っていた。
どうなってるんだろ。
「わっ」
頬に冷たいものが触れて、驚いた。
銀髪青年の手だった。
彼の動きには気配がない。いつも唐突だ。
しかも、何がしたいのかわからない。
熱を確かめようとか、そんな常識あるんだろうか。冷たくて気持ちがいいけど。
「水……貰えますか」
喉が渇いてしかたないので、そういうと。
頷いた彼は、さっきと少し違う光の円を描いて 「ウレイっ」 名前を呼んだ。するとその円からドロっとした液体がボタボタ落ちてきた。
「水持ってこい」
ウレイと呼ばれた……申し訳ないけどヘドロみたいなものは、ウニョーンと伸びて
プルペピポパパっ
金髪の美少年姿になり、機械みたいな音をだして、部屋から出て行った。
喉どうなってるんだろ。
私の調子が悪すぎて、変な生物が生まれた。
夢であるならばだけど。
夢じゃない……のかな。やっぱり。
実のところ、夢じゃない説が濃厚だというのはだいぶ前から薄々感じていた。濃いのに薄いってなんだろう……じゃなくて。
だったらなんだと言われればそれこそわからなくて。
ありえない比率が少ない方を取って、夢ということにしていた。
でも今……ここが現実だと認めたところで、騒ぐ気にはなれない。だるすぎて、何もする気が起きない。もうなんかどっちでもいいや。
ビューピョロー
暫くすると、ウレイがコップに入れた水……じゃなくて、水の球体を手の上でプカプカ浮かせながら持ってきた。
どうなってんの?
銀髪青年が、スっと私の背中に手を差し入れ、強い力で起こしてくれた。グワンっと揺れて、気持ち悪くなった。
「うっ……ありが……あ」
ウレイから水の球体を受け取った彼は、ストローも使わずその水を……なんと自分で飲みよった。
水が意志を持ったように彼の口元へ伸びて、吸い込まれていった。
なぜ喉が渇いている私の目の前で水を飲む。
つっこむ体力がなくて、呆然と見ていると、水を飲み終えた彼が、顔を近づけてきた。
あれ。
ちょっと待て……まさかこれは……。
「待てい!」
精一杯の力で彼の頬を叩いたら、案の定綺麗な形の唇から水が噴き出た。飲んだんじゃなくて含んでた。
「…………」
口の端から水をたらし、紫色の瞳をスーっと細めた彼の恨めしそうな顔といったらもう。
それはこっちのセリフっ……じゃなくて、こっちの表情ってもんだ。
「水を飲みたいんじゃないのか?」
「誰が口から飲みたいと言ったよ」
「口じゃない場所から飲むのか?」
しんどいです。大変しんどい。
でもほっといたら大変なことに。頑張れ私。
「今口移ししようとしたでしょ」
「した」
何を言ってるんだこいつは、とでも言いたげな顔をしている彼に、果たして私の言葉が届くのか。
「普通に、コップから飲みたいです」
めげずに、根気よく、わかりやすく言ってみたものの。
「…………コップない」
子供の言い訳かっ。
「いやあるでしょ!」
「ルーフェしか場所知らない」
「じゃあ後で飲む」
ぜえぜえ反論したら、さすがに黙った。
彼は片目を閉じて、フイっと横を向き、持っている水の玉を壁に投げ、跳ね返って来たのをキャッチしてまた投げるというボール遊びを始めた。だんだんと壁の染みが大きくなって、水の玉が小さくなっていく。
さらば愛しき水分たち。
「なあ。病気って医者に診せればすぐ治るよな」
「え。いやすぐってことは……」
水の玉が完全に消え去り、手持無沙汰になった彼は、四足の獣が地面に降り立つみたいに
、私の顔の横に手をついた。
壁ドンではなく、フトンドサっだ。
「早く元気になって俺を満足させろ。待つのは嫌いだ」
心配してくれてるのかと思いきや、そういうことか。
私を閉じ込める逞しい腕も、獰猛な光を称えた瞳も、意図がわかれば色気も怖さも感じない。
「そういえば今日はなんで呼んだの? 暇だった?」
こうなったら速攻満足させて帰ろう。帰ってすぐ薬を飲めば楽になるはずだ。
「お前に触れたかった」
「…………」
思わず黙ってしまった。目の前がグワングワンする……のは熱のせいか。
「前、触れ損ねたから」
それって全裸で登場したときのことですか? とは聞けない。なかったことにしてほしいから聞かない。
「その……どの程度触れたいんでしょうか」
私は譲歩した。だって早く薬飲みたいし。
「キスがしたい」
「は?」
「だからキス」
「え?」
「お前の唇を奪いた……」
「ああん?」
つらい。体も気持ちもつらい。
楽しませろ。寝かせろ。怖がれ。などなど、今までいろいろ言われてきたが、こんなに具体的な要望はなかった。しかも内容が内容だ。
まったくもって意図がわからない。
「あの……まさか。さっき口移ししようとしたのって……病気で……苦しんでる私に対して、己の欲求をぶつけようとかそんな……無体なこと考えてたんじゃないよね」
「ちょっと考えた」
彼の胸を押し返してみたが、びくともしない。これ以上近づきもしないけれど。
「いや……ちょっとじゃないでしょ」
「ちょっとだ。息苦しそうなお前にキスしたら、たぶん死ぬからしない。無視は嫌いだ。でも水を飲ませるという目的があればちょっとぐらいいいかなって」
「よかないわっ」
どんなキスしようとしてるんだこの男。
というかなんでキスなの? 欲求不満なの? 変態なの? それとも私のことが……。
ドタタンっ!!
「嫌だっぁぁ!! 私を離せ化け物め!! この城のものなど死んでも診ないぞぉぉぉぉぉ!」
すごい怒号が聞こえた。
驚いて、彼越しにドアの方を覗いたら、ルーフェさんが白衣の男の人を引きずって部屋の中へ投げ飛ばすのが見えた。
華奢な腕からは想像できない腕力だ。
「うわああ!」
ドガガっ!!
丁度私の居るベッドの前に転がされた白衣の男は、態勢を崩しながらも素早く起き上がり、こちらに目もくれず走り出した。
そして
ガッシャーン!
窓を突き破って落ちて行った。
あっという間過ぎて、息を吸うのも忘れた。
追いかけるように窓際へニョロっと移動したルーフェさんが、青ざめた顔でこっちを振り返った。
「死んではないようですが、あれじゃあ診れない。もう一人連れてきます」
「ああ」
二人のやり取りにゾっとした。
「ルルっルーフェさん!!」
私は、ルーフェさんを呼びながら首を横に振った。目の前の彼の胸倉をグワシっと掴んでいた。
「いいですいいです! っ連れてこなくていいです! 誰も連れてこないでください! さっきの人も元の場所へ返してきてください!」
何が起きたのかしっかりとは理解しないまま、半ば泣きわめくように言うと、チラっと銀髪青年とアイコンタクトを取ったルーフェさんが、ガクっと項垂れた。
「わかりました……ごめんね」
彼女は小さく呟いて、頭から床に飛び込み、さっきと同じようにその場から消えた。
「ううっどうしよっあの人っ」
ルーフェさんはいい人だ。それなのに、男の叫び声と窓の割れる音が耳に残って、震えが止まらない。怖い。
私は、掴んでいるものを一層強く握りしめた。
「うっ……く」
「飛び降りっ……ごめっごめんなさいっ……」
熱のせいか、一度泣いたら感情が制御できなくなった。
今のは事故!? 事件!? どうしてあの人飛び降りたの!? 私のためにっ医者っ呼んで……わわっ……私のせい!?
「レミっ……おちつけっ」
泣きながら、なぜかこの場に居ないのに 「ごめんなさいっお母さんっ」 と呟いたら、覆いかぶさるように抱きしめられた。
恐怖で体が強張り、ヒっと息が漏れた。
「消えろ」
殆ど吐息みたいな小さな声が聞こえた。
「消えろ」
深く抱きこまれた。苦しくないけれど、肩や背中をギュっと掴まれると、まるでしがみつかれているみたいで……。
自分よりも怖がる人が居れば怖さが半減する現象が起きたのかもしれない。
「レミ……消えろ」
何度も何度も耳元で呟く彼の声を聞いているうちに、少しづつ気持ちが落ち着いていくのがわかった。
「消えろ」
彼がいつも召喚獣を消すときに使う言葉だ。
私のこと帰そうとしてくれてるのかな。
でも私、今まで一度もその帰り方したことない。
「もうっ…………大丈夫……ごめん」
私は、彼の背中をポンポンと叩いた。タップアウトだ。
「…………」
消えろ。は言わなくなったけど。なかなか離れてくれない。
気付いていないのかな、と強めに叩いたら、ゲホっとむせてようやく離してくれた。起き上がろうとする彼の胸倉にいつの間にか私の手が引っ掛かっていて。いや……ごめんなさい、がっつり掴み上げていたので、慌てて離した。
「本気で消えろって思わないと無理だな。消えて欲しくないし」
彼は、事も無げにそう言った。
「えっ?」
「やはりお前だけは、俺を満足させないと帰れない。諦めろ」
帰れない。
ということよりも、消えろ消えろと何度も言っていた彼の声と、今の発言とが頭の中で混ざり合って、ボバーンっと爆発しそうだった。
「あ……そ…………うなの。大変だ」
頭どころか全身熱くなって、まるで他人事みたいな返事をしてしまった。
熱い。関節痛い。頭も痛い。気分も悪い。
それなのに、謎の高揚感に苛まれて、わけがわからない。
彼は、私の顔に残った涙と鼻水を、自分の服の袖でガシゴシ拭いて、私の上からのいてくれた。
全部の動作が荒っぽくてちょっと痛いけど、文句を言う気は起きなかった。
もう疲れた。一度眠りたい。
私は、フカフカに身を預け、考えることを放棄して微睡もうとした。
がしかし
「かけるもの……ないな」
ゴウっ!
銀髪青年が、なんてことないテンションで炎の渦を生み出したので、目が冴えた。
ゴゴゴウっ!
蛇のようにうねる炎が、壁や家具を掠めて部屋の中を動き回っている。
ここは地獄か。
「……あの」
「ん?」
「やめて」
「なにを?」
「それ。火、やめて」
「なんで? 寒いだろ」
「危ないし熱い」
「そうか」
見た目の派手さとは裏腹に、彼が拳を握るとあっけなく消えた。
その魔法みたいなやつ、素敵だと思うけど、もう少し使い方を考えて欲しい。
私は疲れきって、今度こそ目を閉じた。
間髪入れずに、ブチブチブチっという音がした。
またか。
薄眼を開けて見ると、彼が、ビロードのカーテンを引きちぎっていた。カーテンレールが歪んでいる。
勿体ない。けど、今までの奇行に比べればマシかな。
短期間で寛容になった私は、見なかったことにして上を向き、目を閉じた。
バサっ。
体の上に布を……たぶん今引きちぎったカーテンを掛けられた。それから、ポンポンっと肩を優しく撫でられた。前私がやったみたいに。
ポンポン
優しいリズムで体から力が抜けていく。
私は、とてつもない安心感に身を預けて、意識を手放した。
――それから一週間。
私は、銀髪青年の洋館にて、インフルエンザを自力で直すはめになった。
つらい。
ありとあらゆる意味でつらかった。
夢だと思おうとしていたときは、この世界が変なんだから仕方ないと、割り切っていたが、医者飛び降り事件含め、恐ろしいやらなにやら、とにかく精神的負荷がすごかった。
「レミ。大丈夫? 気分は悪くない? お腹すいた?」
ルーフェさんは、毎日私のところへお菓子や、消化によさそうな食べ物を運んでくれるけど、ときどき顔や服に赤い液体をつけていた。あえて赤い液体と言わせてほしい。
前はそんなことなかったのに。たぶん私に早く届けようと急いでいる結果だろうと……思う。いつも綺麗に整えられていた髪が乱れ、額に汗をかいていた。
これはどこからどのようにして運ばれてきた食事なのだろうか。
想像したら怖い…ので
「私、ルーフェさんの手作りが食べたい」
言ってみた。
すると、ふぁーっと天にも昇りそうな顔をした彼女は、丸一日かけて、薬草やキノコが入ったスープを作ってくれた。
出所不明のものよりこっちの方が何倍もおいしい。
それとなく伝えたら、泣かれてしまった。
やっぱり優しい。優しくて繊細な女性だ……けど怖い。
ギュババババオーーン
エンデバンドは、しょっちゅう窓から死んだネズミとカエルを投げ込んで来た。
ただのネズミとカエルじゃない。超巨大ネズミとカエルだ。
叫ぶ気力がなくてある意味助かった。
「エっ……ンデバンド。私は今っ食べれないっていうかその。エンデバンドが食べて元気で飛び回ってくれたら、もうほんっと……私も元気になれそう」
小さな窓枠から頭を突っ込もうと必死のエンデバンドにそう言ったら、ひときわ大きな声で鳴いたので、部屋の窓全部にヒビが入った。
ここがボロボロなのはエンデバンドが原因かもしれない。
次の日から、エンデバンドは窓の外でありとあらゆる飛び方をして見せてくれた。迫力があって怪獣映画見てるみたいだった。
「生きてるかい? お嬢さん」
ジラルドさんは、ときどき現れては、その美声でいろいろな話を披露してくれた。
主が、セーゼンデイ大国の首都を一夜で焼け野原に変えた話。
主が、フィッタウ城の王族を誑かし、内輪から破滅させた話。どうやらそこが前の住処だったらしい。
主が、この国だけは助けてくれと献上された姫を……。
「おっとこれは可愛らしいお嬢さんに聞かせる話ではなかったか。すまない。主の自慢話となるとつい口が滑るな。
ああそういえば、この洋館を奪ったときのことをまだ話してなかったな。主は人の恐怖心を食すんだが意外と選り好みもあってな……」
「いえ。あの。えっと……私あの。眠くてちょっと」
「ん? ああ……退屈だったかい?」
「退屈ではないですけど。ジラルドさんの声を聞いてると気持ちよくて」
嘘ではない。衝撃的すぎて退屈になれないから。あと、ジラルドさんの声が気持ちいいのも本当だ。
「ふふっ。お嬢さんにそういわれると照れる。主には内緒にしないとな」
フサっとした白い毛を膨らませて微笑む人面部分に笑い返した私……すごい。慣れってすごい。
主は恐怖心を食すってなんだ? と思ったけど、そこはもう全力で聞かなかったことにした。
ニッコリ笑顔のジラルドさんの立っている個所から煙が上がり、ジューっと床が溶け始めていたけど、そこももう全力で見なかったことにした。
ペプーーンっ
意外なことに、ウレイはまともだった。意外とか言ってごめん。でも見た目ヘドロだし。ほんとごめん。
ウレイは、しょっちゅう私の額に冷えた水の玉を当ててくれた。割れた窓も水で塞いで風が入らないようにしてくれた。
ドブっぽい匂いに何度かえずいてほんとごめん。
「ありがとうね。ウレイ」
お礼を言うと、ウレイは、ミョーンと体を伸ばして小さな女の子の姿になり、にっこり笑った。
「ウレイっ」
みんながおどろおどろしいことばかりするもんで、可愛らしい態度のウレイに気持ちがふわーっとあったかくなった私は、思わずその女の子を抱きしめた。
ビチャっ
とした感触がして離れたら、借りてた服が汚れて、ウレイがドロドロに戻っていた。
ミュイイポピポ
私は
シュンとして離れようとするウレイの手――ドロっとした部分を掴んで引き留めた。
「大丈夫だからっもう少し傍に居てっ。笑顔が見たいの」
心の底から望んでそう言ったら、ウレイは少しだけ私から離れて、また、嬉しそうに微笑んでくれた。今度は、男子中学生っぽい姿をしていた。
「生きてるか?」
「死なないし」
そして、彼は……というと。
私がトイレやお風呂に行くとき、抱き上げて運んでくれたり、気が付くと隣で寝てたり、始終傍に居た。
「うつるから隣で寝ないほうがいいよ」
「大丈夫。それに起きてるし」
夜中、苦しくて目が覚めたとき、横でじっと目を開けている彼に驚いたことが何度かある。
「そういう問題じゃないんだけど。なんで寝ないの? 寝不足はよくないよ」
綺麗な顔の成人男性が横で寝てるなんて考えられない事態も、夢だと思いこんでいた間にすませていたおかげで、ちょっとびっくりする程度になっている。
「一日が長いと感じるときに寝るだけで。別に寝なくても支障ない」
話すと息がかかる距離に居るのは困るけど。
「そんなこと言って……体調壊したら大変じゃん」
ググーーっと押せば、少しだけ離れてくれる。なぜ押す? と聞かれたとき、私の空気が減ると言ったら、離れてくれるようになった。
「大変? …………何がだ?」
本気でわからない様子だ。病気イコール大変っていう考えがないのだろうか。
「体つらいし」
「俺はつらいとかそういうの、今はもうない」
今はってどういうことだろう。
「えっとほら。周りの人とか大変でしょ。今みたいに」
「今…………?」
二人して同じ言葉にひっかかるとは。
彼と話してて噛みあわないことはよくある。こんなときは、絶対知ってるでしょ、という固定観念を捨てることだ……けど。あまりうまくいったためしがない。
「あなたが倒れたとして、あなたのことベッドに運び込めるのって、ここじゃ……えっと手がある人は……私とルーフェさんだけでしょ。女子二人でだと重いし大変だし。体拭いたりとかも、お互い抵抗あるでしょ?」
一生懸命わかりやすく言ったつもりが、眉間に皺をよせられた。
「俺は、お前に俺を運べと言ったりしない」
「ん? ……」
「そんなことで俺は満足しない」
満足するしないの話だっけ。
「うーーん? なんというか……あなたは私のこと運んでくれたり、いろいろしてくれてるでしょ。立場が逆になったらっていう話で……」
「俺は、早く俺のことを満足させてほしいからやってるだけだ」
見返りがあるからやってるって言いたいのかな? わざわざそんな言い方したら損だと思うけどなぁ。
「善意でやってるかどうかとか関係なくて、今、私みんなにいろいろやってもらえて、嬉しいよ」
あ……そうか。
この人にはまだ言ってない。
「ありがとう。いろいろ面倒見てくれて」
横になったまま頭を下げたら。彼は、目をまん丸くして、瞬いた。
たぶんまだ噛みあってはいない。
けれど、さっきより……わかってもらえたのではないか、そんな気がして。
「キス……」
「え」
「したら……理解できると思う。お前の言いたい事」
かけらも伝わってなかったーー! 結局それかーー!
心の中で叫んだら残りわずかな体力が消えた。
「…………っどうして……そう……思うの?」
そもそも何がどうなってキスなのか、聞いてない。熱のせいで聞こえた幻ということにしたかったが、二度も出てきたら、置いとく方が怖い。
「俺は人間じゃない」
「はい。そうじゃないかと思ってました」
私は、一も二もなく同意した。
一見、目つきの悪いファンタジー色強めのイケメンでしかないけれど、やることなすこと人間離れしているのは見聞きしている。
「人間じゃないから、俺は俺のためにしか動かない。お前が泣こうが喚こうが、俺は俺の望みを叶える」
「へぇ……」
適当な返事をしてしまったのは、そうでもない気がしたからだ。
泣こうが喚こうがの部分に関しては、確かに高いところから落とされたりはしたけど、やめてと言えば割と聞いてくれたりするし。二度も同じことはされてない。
そもそも、人間じゃないから自分のためにしか動かないって、人間でもそういう人居るよ。
「人間じゃないから、人間らしい欲を己の意志で操作できる。魔力のために食は必要だが、それも欲求とは違う」
人間らしい欲って睡眠欲とか? それを操作できるって……だから寝ないのかな。でもなんだろ魔力のために食……食欲ないけどご飯は食べますってこと? 魔力って具体的になんだろう。
わからない。この話ちゃんとアレ……キスにつながるのかな。
「そして、お前は召喚獣だ。召喚獣は、俺を満足させるか、俺が消すまでこの世界に存在し続ける」
「う。は……い」
返事に詰まる。消えろと囁く彼の声がまだ耳に残っている。
「これは置いとく」
銀髪青年が、ぱっと見えない箱を持つ動作をして、それを横に置いた。
あ。これ私が一回やったやつだ。
その話は置いといてってやつ。
ちょっと前、彼にその動きは何だ? と聞かれて説明した覚えがある。
まあそのあと、置いといた話を忘れて、別の話に移行しちゃったんだけど、そしたら彼がチラチラ見えない箱の方を気にしだして、ついには、これはどうするんだ? と持ち出してきた。
今更蒸し返すのもアレだったので、あげるって言ったら、どうもって枕元に置いてた。本当に冗談が通じない。
あの話、結局なんだったっけ。
食べ物の話とかだったような気もする。
「俺は移動が面倒なとき、エンデバンドを呼ぶ」
「え? あっはい」
「目的地に到着したら、エンデバンドは消える。それは俺が満足したからだ」
「はい」
例え話かな?
「しかし、お前を呼ぶときは、大抵明確な願いはない。取りあえず呼んで、そして、いつの間にか満たされている。何かで満たされている。俺はそれがどういうものか知りたい」
寝かせろとか、怖がれとか、その場で適当言ってたってこと?
んん? でも何かって……なんだろ。私何かなんてあげたことない。
首を傾げていたら、彼が置いておいた見えない箱を早速取り出して、私の目の前に置いた。
「初めて明確な……知りたいという願いをかなえるためにお前を召還したら、欲求のない俺が、お前にキスしたい、触れたいという衝動にかられた。つまりキスすれば願いが叶うということだと思う」
なんかよくわからなかった。
私に女性的な魅力を感じてキスしたいとかじゃないってことはわかったけどこの野郎。
「キスに人の心を読み取る能力でもあられるので?」
キスって言葉が飛び交いすぎて、しまいに魚が浮かんできた。
「そうだな。もしかしたらそういう能力が生まれたのかもしれない」
同意されたよ。冗談なのに。
「あの……キスって何か知ってます?」
口を塞いで息の根を止める技だとでも思ってるんじゃないの? もしくは私と同じように魚か何か……とか。
無知なところがある彼のことだ。
冗談すら通じない彼のことだ。
私は、子供に聞くみたいに、優しい声で言った。
彼が……フっと妖艶に笑った。
「ああ。女を抱くとき、大人しくさせるためにする。つまり性技だ。ちゃんと知ってる。俺は上手いから、体調の悪いお前にやったら、大人しくなるどころか息の根が止まるだろうから、待ってやってるんだ」
どぁぁぁぁぁぁーーーー!!
ひっどい答え返って来た!! どことなく得意げなのが腹立つ!! 見た目通りのプレイボーイ発言腹立つ!! 女子に気をつかわない発言腹立つ!!
っていうかこの人彼女とか居るんだ。じゃあこのベッド……いやいや考えちゃだめだ。
あれ。なんかほんとマジで腹立ってきた。
「へーー。それがあなたの思うキスなんだ。絶対私にはやらないでくださいね」
「? お前に拒否権なんてないぞ。お前は俺の召喚獣……なんか話し方変だぞ」
「断固拒否します。あと私が居るせいで彼女を呼べないんでしたら、別の部屋に移りますけども」
寝返りを打って、背中を向けたら、肩グイっと引っ張られ、速攻元の位置に戻された。
さっき遠ざけたはずが、また顔が近い。
「彼女?」
しかもまたまたこの顔だ。本気でわからないって顔。
「恋人。居るんでしょ」
「そんなもの居るわけない。ここに人間を呼ぶこともない」
「私は人間です」
「お前は召喚獣だっ」
ちょっと強めに言いきられた。
駄目だ。らちが明かない。
もういいや。恋人居ないんなら……ってなんだこの考え!
やめる! この話はもうやめる!
私は、怒りをグググっと収めて、頭痛も我慢して、フーーっと息を吐き出しながら、彼の肩をグググっと押した。
一ミリ程度しか動かなかったけど、疲れたのであきらめた。
私は、見えない箱……さっきまでしてた話を持ち上げて、グシャっとつぶす動作をして彼に投げつけた。
彼は首を傾げながらも、律儀にそれを受け取って、またも枕元に置いた。
意外とノリはいいんだよね。
「あの。今更なんですけど。あなたのお名前は?」
私は、思い切って話を切り替えた。不自然だろうとなんだろうとどうでもいい。
実は、今更聞きづらくて、機会をうかがっていたけど、この勢いで聞いてしまえっと思った……ら。
「二回も言いたくない」
彼にしては珍しく感情あらわに、肩を落とした。ガックリされた。
あれ? 一回聞いた? 覚えがない。どうしよう。失礼なことしちゃったかも。
「えっと……あの……そうだよね」
「そうだ。もう一度聞いたら許さない。もうお前が元気になってもキスしてやらない」
「は……い?」
「お前。帰れないからな」
「っ…………」
理不尽!!
まるで私がキスしてほしいみたいになってるし。っていうか本当にそれやらないと帰れないの?
頭がグルグルして、ギューっと目を閉じたら。
肩までカーテンをかけなおされた。
寝ようとしたわけじゃないんだけれど……。
彼は、とても怖い人なのだろうと思う。ここに居る召喚獣のみんなも、恐ろしいことをしているのだと思う。
けれど……眠って、目が覚めて、彼の姿を見つけるたび、この人は私を消したくないんだ……ここに居て欲しいんだ……と。
嬉しくなってしまう。恥ずかしくもなるけど。
「レミ。本当に大丈夫?」
ギュギュギィーー。
「まだ寝てた方がいいんじゃないかい?」
ポポポムピー。
みんなの看病のおかげでなんとか熱が下がり、ベッドから起き上がれるようになった私は、区切りをつけるようにお礼を言った。
いつまでも病人扱いで甘やかして貰うのも悪い。
「みんなありがとう。おかげで元気になりました。もう大丈夫だから」
頭を下げてお礼を言い、顔を上げたら、みんな笑顔だった。
そろそろ帰らないと……なんだけど。
私は、目に焼き付けるように、いや、時間稼ぎの意味合いもあったかもしれない。一人一人とアイコンタクトを取り、最後にチラっとだけ銀髪青年を見た。
「っ……!?」
衝撃で、いろんなものがふっとんだ。
驚いたんじゃなく、いつもみたいに怖いのでもなく。
胸の奥にあったものが解放されたような、そんな衝撃だった。
彼が……微笑んでいる。
柔らかい笑みで……彼なのに彼じゃないみたいな笑みで……彼が微笑んで……。
落ち着け私。
まだ熱あるのかな。
「あ……」
彼の姿が……薄くなっていた。みんなの姿も、すっかり見慣れた景色もどんどん薄くなっていく。
まだ彼の望みを叶えてないのに。
「無視された後の返事と同じ効果を得てしまったようだ。途中、お前、死ぬんじゃないかと思ったからな」
生きてるか?
何度か彼にそう言って起こされた。
からかってるのかと思っていたけど、彼は冗談がわからないし言えない……。
「死んでも召還するって前言ってたけど」
何かがグググっとせりあがって来て、思わず軽口叩いていた。
こんなことが言いたいんじゃないのに。
「言った。でも……お前が死ぬのを想像したら、嫌だった。死は傍にあるものだと思っていたが……お前の傍にあるのは嫌だ…………こんな気持ちを…………誰しもが抱くんだろうか」
妙に人間らしい声色に、手を伸ばしたら、玄関だった。
まるで夢から覚めたみたいだったけど。夢じゃない。これは夢じゃない。
私は、彼に借りた服の胸元を握りしめた。
それから一か月。
私は、あの世界に召還されることはなかった。
どうしてだろう。何かあったのかな。
彼は気まぐれだから……と思おうとしたけどダメだった。やっぱり夢だったと思おうとしたら、もっとダメだった。
前と同じように生活出来ない。勉強もままならず、期末テストの成績が悪すぎてお母さんに怒られた。
お父さんにも……お父さんと言っても、お母さんの再婚相手だけど、いやいやという感じで注意された。
「もうすぐ妹か弟が出来るんだからしっかりしてもらわないと。学費のこともあるし、大学へ行くなら公立へって……君のお母さんは言ってるけど。行きたくないなら就職しても良いんだぞ。おじさん応援する」
「は……い。すみません」
怒られて床を見るたび、顔を上げたら彼らが居るんじゃないかと期待した。
どんな場所でもいいから。高所でも汚い場所でもなんでもいいから。ネズミとカエルの死骸があってもいいから。
呼んで。
私は、毎日毎日、願い続けた。
そのおかげ……ではないかもしれない。
一日のうち唯一何にも考えてない時間。朝起きて伸びをした瞬間、目の前に彼が居た。
居た……けれど。
「っ!?」
大きな椅子にぐったりと座っている銀髪青年の胸に、何か生えていた。
「な……に?」
よくわからないまま、目の前のものを呆然と見ていたら、全身が震えだした。
銀色の燐光を帯びた剣が、深々と彼の胸に突き刺さっていた。
室内は、焼け焦げた跡があって、壁は前以上に崩れ落ちて瓦礫の山がそこかしこに出来ている。
私は、手を伸ばした。
少し距離があって届かない。
「なっ……何がっどうしっ………手当っ」
上手く声が出ない。頭の中でサイレンみたいな大きな音が鳴って、思考もまとまらない。
ブワっ
血にまみれた銀色の髪が、風で舞い上がった。崩れた壁の向こうにある空が……目に痛いほど晴れている。
眩しい光が彼の顔に差しこみ。右目が薄っすら開いた。紫色の綺麗な瞳が、うろうろと宙をさまよって、私をとらえた。
「レミ」
体を起こして、私に手を伸ばそうとしたようだが、胸に刺さった剣が背もたれまで貫いて彼の体をつなぎとめているため、届かない。
「動っかない……」
きょとんとした顔をしている。
「どうしてっ……こんなっ」
ガクガク震える脚で、一歩彼に近づくと、ますますひどい有様に、腰が砕けそうになった。
「勇者がっ……来た。結構頻繁に来るんだあい……つ……ら」
「勇者ってなに?」
漫画やアニメではよく聞く単語だけど、まったくわからなかった。本気で、まったく、意味がわからなくて、そんなこと聞いてる場合じゃないのに、質問してしまった。
「さあ……そう名乗るから勇者なんだろ。考えたことない」
「っみんなは?……怪我ひどいっ誰かっルっルーフェさっ……なんでっ…………なにされったの?」
目の前の光景でいっぱいいっぱいになっているせいか、彼の声が頭に入ってこなかった。
「いつもっゲホっ……は適当に追い返してたんだが、ちょっと失敗した。あいつら呼ぶ理由が浮かばなかっカっケホっ……た。力も……なんでか使わなかった。そしたらこうなって……」
「なんでっ私を呼ばなかったんですか!!」
やっと声が出たと思ったら、咳き込みながら話す彼を遮って、叫んでいた。
「私っあなたの召喚獣なのにっ……」
涙がぶわっと溢れた。縋るように彼の肩を掴んだら、ものすごく戸惑った顔をされた。
「お前は戦いっ……で……役にたたない。お前は…………俺っを満足させるための召喚獣だ」
「そんなっこと……いや……そうじゃなくてっ違うよ今違うっ……これなんとかしないと」
聞きたいのに、聞いているのに、彼の言葉が理解出来ない。もう頭の中がぐちゃぐちゃで、とにかく彼の胸に刺さっている銀色の剣を抜かなければとか、もっと怒りたいとか、泣きたいとか、わけがわからなかった。
ピシシっ
氷にヒビが入ったみたいな音がした。
何!?
剣が刺さっている個所からだ。
私は、唇を噛んで彼の胸元を見た。
剣が発する燐光から氷のようなものが生まれ……それが徐々に彼の体を覆っていく。
「これっ……何?」
触れようとしたら、パチっと弾かれた。そこまで痛くないけれど、触れない。
磁石の同じ極を近づけたときみたいに触れられない氷が、どんどん彼の体を覆っていく。
「レミ。そっろそろッゲホッゲホっ……時間だから」
「時間って?」
「帰れ」
意味が分からない。
私は首を振った。
「私帰らない。あなたを満足なんてさせない」
彼は、フっとやわらかく笑った……かと思いきや、わざわざ盛大に咳き込んで大量の血を吐き、咳払いした。
「やっちょっと!?」
「よし。声出るな」
いつもの落ち着いた声に、私は口をポカンと開けて固まった。
崩れた壁も、空も、何も見えない。そこには彼だけしかいなかった。彼しか見えなかった。
「今回は、気付いたことがあって、それを伝えたくて呼んだんだ」
彼の声だけが頭の中で……心の中で響いた。
「お前がくれた箱、お前の好きな物の話と俺が知りたいことの話、あれのおかげで、わかった」
氷が彼の顔を半分まで覆い、その唇までもを塞ごうとしている。
私は、そっと彼の頬に手を伸ばした。
「俺、お前が笑ってるのが好きだ」
バチっ
弾かれて尻もちをついた。
震える脚で必死に立ち上がると。
氷の中で微笑む彼の姿が……薄くなり始めていた。
「な…………何……聞こえっ……なかった。私聞いてなっい……満足しないで」
嫌だ。
そんなの嫌っ。
ここに居る。
そう思っても、消えていく。
私は叫んだ。彼に届くように、大声を出した。
「呼んで! お願い!! 私を召還して!! 目を開けて! もう一度呼んで!!」
散々、喉がかれるくらい叫び続けていたはずが、ふと気が付くと。
目の前の景色が…………変わっていた。
黒い木々。濃い土のにおい。
自室じゃない。洋館でもない。
私はいつの間にか薄暗い森の中に立っていた。
「っ……どこ? どこに居るの!?」
傍に彼が居るのではないか。
そう思って必死で周りを見渡してみたけど、誰も……。
「っあ」
少し先に、誰か倒れている。小さな子供だ。
私はこけそうになりながら子供の元へ駆け寄り、膝をついて手を伸ばし――。一瞬躊躇した。
子供の周りに、何かの儀式みたいに小石が並べられていた。それが気味悪くて。
「っ……」
そっと踏み入って子供を抱き起した。
軽い。怖いくらいやせ細っている。服もボロボロ。触れたところから崩れてしまいそうだ。
「だっいじょうぶ? ねえっどうしたの?」
痛む喉で声を掛けたら、薄っすら目が開いて、ほっとした。
紫色の瞳……をした、黒い髪の男の子は、私の顔を見て、片目を閉じた。
「かあさんじゃない……」
彼のつぶやきは、どこか不満げだった。
胸の奥がざわざわした。
「大丈夫? どうしたの?」
私は、ゆっくりと、震える声を紡いだ。男の子をびっくりさせないように。
「だいじょうぶ」
掠れた声は、見た目に反して大人びていた。
「ここでおかあさんまってるだけ」
ここで?
私は、周りを見渡した。
ここ……どこだろう。
何が起きたの?
考えようとしたら、喉の奥が痛んだ。
何もかも投げ出して泣きわめきたい衝動に駆られたけれど、腕の中に居る男の子の存在が、そうさせてくれなかった。
「本当にここで待てって?」
こんな小さな子が母親を待つ場所としては、暗くて何もない。寂しい場所だ。
「うん。いしのなかでまってろって」
石の中って、小石で作った輪っかの中ってこと?
どうして?
考えようとしたら、気分が悪くなった。唇を嚙みしめて唾を飲み込んだら、吐きそうになった。
待ってろ……。
前住んでた家の玄関で聞いた父親の声が、お腹の底でグルっと動いた。
たまにしか帰ってこない父親を、私一人だけが見送ったときに聞いた声だ。
お父さんが帰ってこないと寂しいか?
そう聞かれて、私は……本当は別に寂しくなかったけど、気をつかって頷いた。
殆ど家に居ない人が、居なくたって寂しいわけない。
でも……頷いた。その場を取り繕うためだけに。
そうか。帰ってくるからまってるんだぞ。
ああ……お父さんも……この場を取り繕うためだけに、言ってるんだ。
私はわかっていたけど、また頷いた。
お互い突き放すほどの関係さえ築けなかった。
曖昧な……言葉で…………傷を残すことさえしないで…………背中を向けて去って行った。
でも覚えてる。ずっとその言葉を覚えている。期待はしない……それなのに、忘れることが出来ないで、死ぬまでずっと……ただ覚えてる。
「いつ……から?」
「えっと……」
小さな子供が、両手の平を私に向けた。伸ばした腕も指も、枯れ木みたいに細い。
10日っ。
「水とか食べ物とかないとっ死んじゃうよ!」
何が何だかわからない。これこそ夢なのかもしれない。でもこの子はここに居る………………こんなとこに。
「だいじょうぶ。ぼく、まがみちてるから。しんかできるもん」
「まが満ちて……?」
魔王様。
ときどきルーフェさんが彼のことをそう呼んでいた。私は、子供の紫色の目を見て……ざわつく気持ちと向き合った。
ありえない。けれど、もともとがあり得ない出来事だった。
「たたかれたら、いたくないようにできたし、さむいときも、あついときも、だいじょうぶにできたよ。みんなはできないけど。ぼくはできる。だからいまは、おなかすいてるけど。だいじょうぶ」
無表情で、当たり前みたいに言ってのける男の子。
「っ……」
目つきや態度が……彼だった。彼でしかなかった。
「たべものじゃなくて、もっとたくさん。ぼくのまわりにいっぱいあるものをたべれるように、しんかするから」
私は、ジラルドさんが言ってたことを思い出した。
主は人の恐怖心を食す。
私には、彼が普通の子供……いや違う。虐げられ、置き去りにされた哀れな子供にしか見えないのに。
「ぼく。おかあさんがこわいっていわないように、しんかするの。おとうさんに、じゃまっていわれないように、しんかするの。そしたらむかえにきてくれるって……」
「私!!」
私は、思わず子供を……彼をギュっと抱き上げて立ち上がった。
羽のように軽くて胸が痛んだ。
「あなたに呼ばれて来た、あなたの召喚獣なの」
きっぱり宣言したら、彼が、大きな瞳をぱちくりさせた。
「しょうかんじゅう? ぼくがよんだの?」
「そう。あなたは進化して、そういう力を得たんだよ」
自分で言いながら、わけがわからないと思った、けれど、そんなのいつものことだ。常識なんて通用しない。私の常識なんてここではいらない。
「私はあなたをこの円から連れて行く。あなたのお母さんが泣いたって構わない。私、人じゃなくて獣だから。あなたのための獣だから。あなたを傷つける人は許さない」
ガっと足元にあった小石を蹴散らすと、彼は……口をポカンと開けて、けれど文句も何も言わず、私の服を掴んだ。
ギュっと強く。掴んだ。
私は、彼を抱いて、ただただ前へ、歩き出した。当てもなくまっすぐ。
わざと、ドスドス足音をたてて歩いた。
水を探さないと。あと食料だ。
どこかから盗んでもいい。奪ってもいい。
何か食べさせて、暖かい場所で寝かせて……肩をポンポンって撫でて。
クイっと服を引っ張られた。
「あのね。ぼく、ヴェイルっていうの。しょうかんじゅうさんのなまえはなに?」
ヴェイル。
二度は名乗らないって……。
私は、グっといろんなものを押し込んで、小さな彼の目を見た。
「レミだよ。ヴェイル」
私は、はじめて……彼の名前を呼んだ。
刹那
目の前の景色が、フーっと薄くなった。
ガクっと腕の力が抜けそうになって、慌ててヴェイルを地面に降ろしたら、小さな彼の姿が薄くぼやけていた。
「待って! まだっ……」
手を伸ばしたら、フフっと笑い声が聞こえた。
「なまえ。よばれたの……ひさしぶり」
私は、彼の手を取って、握りしめた。
「ヴェイル。またすぐに私を召還して。食べるなら、私のこの……感情……気持ちを食べて」
「このきもち……どのきもち?」
どの気持ちって!
私は、やせ細った小さなヴェイルの頬に唇を落とした。
けれど、何の感触もなかった。
気が付くと、自分の部屋のベッドで蹲っていた。
あの日から……召還されなくなって、5年が経った。
21歳になった私は、バイトをしながら、奨学金で大学へ通っている。
将来どうするかとかは、決めていない。
何も決めずに、ただ毎日をすごしている。
やっぱりあれは夢だったんじゃないだろうか。
なんて、ときどき思うことがある。
けれど、すぐにそうじゃないと、否定する自分がいる。
彼らは……確かに居た。存在していた。
そう思うと、胸の奥が冷たくなって……耐えられない気分になる。
だから何も決められないんだ。
何か決めようとするたび、彼の顔が浮かぶから。ヴェイルの顔が……浮かんで。
笑おうとしても笑えなくて。
笑っているのが好きだと言ってくれたのに。そんな彼の気持ちが、この先のどこにもない。未来にない。過去の……あの一瞬の中にしかないのが……。
「レミ~」
「わっ! どしたの?」
友達が後ろから飛びついてきた。
「今日バイト? 暇ならどっかいこ」
「バイトじゃないけど。どこ行くの?」
気が乗らない。けれど、せっかく誘ってくれてるんだし、家でじっとしているよりはましかもしれない。
こんな気持ちで友達と付き合うなんて、申し訳なくて、一時期距離を置こうか考えたけど、出来なかった。
私は、何もかも中途半端だ。
「う~ん。どっか考えとく。みんなも誘ってくる」
「はいはい~」
帰り支度をしていた私は、適当に頷いて、一応財布の中身を確かめた。
乏しい。
一人暮らしは快適だけど金銭的には苦しいな。
飲みに行くとかなら断ろうかな。
「レミ~なんか駅前のケーキ屋の割引券あるって~」
「でかした!」
笑顔を作って、財布をしまおうとしたら、小銭入れが開いていた。
チャリリっ
大事な五円玉が、机の下へ落ちた。
私は膝をついて、机の下に手を伸ばし――。
グイ!
その手を引っ張られ、腰を抱き寄せられ、思わず目を閉じた。
「ふぃっ?」
間抜けな声が出た。唇に柔らかいものがぶつかった。でも痛くはない。触れたと言った方が正しいかもしれない。
そっと目を開けると、ツヤっとした紫色の宝石が見えた。
違う。宝石……じゃない。
私は、グっと目の前のものを押して、体を離した。
「ヴェイっんん!?」
今度は唇を全部が覆われた気がした。
「っ……?」
息が出来なくて、またも目の前のものを……押せなかった。
力が抜ける。
崩れ落ちないようにしがみついて、されるがままになっていると。
「ぷはっ」
ようやく解放された。
「ヴェっ……ヴェイっ……」
私はこみ上げてくる感情と戦っていた。本当に夢かもしれない。夢なら耐えられない。きちんと彼の姿を確かめなければ。
そう思うのに。
「んん~~~~っ」
何度も角度を変え、口を塞いでくる。
「っ名前……呼ぶな。今っ……呼ぶなっ耐えられんっ」
「んん~~っぷはっふふぇ! わっわかっ! ちょっ!」
唐突な熱を十分堪能させられて、私はもう、泣いていた。
酸欠でなのか、彼が……もう会えないと思っていた彼が居るからか。
どちらなのか、目にも耳にもはっきりとわからせたい。
「もう!!」
精一杯の力で、彼を突っぱねたつもりだったが、彼の腕の中からは逃れていなかった。
涙でいっぱいの瞳で見上げると、ヴェイルがゆらゆら水の中で揺れていた。
瞬きしても、消えない。
代わりにボロボロと涙がこぼれ落ちて、眉尻を下げて嬉しそうに微笑んでいるヴェイルの姿がハッキリ見えた。
銀色の長髪が、黒髪短髪になっている。いつもの鎧や、ラフなシャツとパンツ姿じゃなくて、西洋の王子様みたいな、けれど悪役っぽい黒が基調の服を着ている彼を、じっくり確認した。
「レミ」
すぐ耳元で、ヴェイルの声がした。
ぐっと抱きしめられ、足が浮いた。
彼の首に腕を回してギュっと抱き返したら、肩越しに、美女が見えた。
見覚えのある美女だけど、下半身が人間だ。肌の色も緑じゃなくて、褐色。髪をひっつめて、メイドみたいな服を着ている。
「レミ。お帰り」
「ルっ……ルーフェさん?」
声がルーフェさんだ。
「レミっ」
呼ばれて横を見ると、真っ赤な髪を逆立てたガテン系あんちゃんと、金髪ツインテールの女の子がいた。
「おいらっエンデバンドだよ! こいつはウレイなんだ! 主が擬態の魔法かけてくれた! あとで一緒にネズミ捕り行こう!」
真っ赤な髪のあんちゃんが、満面の笑みでそう言い、ツインテールの女の子も頷いた。
「お嬢さんはネズミなんて捕りにいけないさ。主が許してくれないだろう」
私は口をポカンと開けたまま、首を動かして後ろを見た。
一瞬だけ、白い法衣のような服を着た坊主頭のダンディなオジサンが見えたけれど、グイっと後頭部を掴んで正面を向かされた。
「進化するのに千年かかった。人間に溶け込むのに百年かかった」
「進化……て…………凍ってたのから抜け出せたの?」
ヴェイルが頷いた。
ここは……あの絶望的な景色の……未来なの?
「勇者の封印は邪悪な魔を封じるものだった。俺は己に満ちる、恐怖を食らって肥大した魔を暫く放置して萎縮させ、ためておいたものを注いで別の力へ変えた」
「ためておいた?」
「いつも俺を満足させてくれてただろ。それだ」
「それ……?」
「お前の……気持ちだ。お前がそう言ったんだろ」
食べるなら私の気持ちを……。
私は、自分が言った言葉を思い出した。
あの子……も……夢じゃなかった。
今も……夢じゃない。
過去も未来も、召喚獣である私には関係ないのかもしれない。
いつ何時でも、呼ばれれば召還される。
ヴェイルのために。
「ヴェイル。私、あなたのことが大好き」
「えっ?」
「あなたを愛してる」
告げた途端。
頬を染め、今にも泣きそうな顔で私に手を伸ばしたヴェイルの姿が、薄くなり始めた。
「あっ! 待て待て! 今はよくない!! せっかく呼んだんだぞ! 千年以上も我慢したからまだいけるはずっ」
珍しく慌てふためくヴェイルは、もはや人間にしか見えなかった。
薄暗い洋館ではなく、大きな窓からたっぷり日の光が入る部屋が似合う、さわやかな青年だった。
「レミ! すぐ呼ぶ! またすぐに!」
「うん!」
「お前が永遠に俺から離れないよう進化するから心配するな!」
「う!……うん?」
返事をしそうになったけれど、首を傾げた。
「俺はお前の気持ちで始終満たされたい。よって四六時中未来永劫お前をこの腕に抱いていたい」
「へ??」
「次にここへ呼ばれたときは、帰れないと思え」
「やっ! ちょっとそれはまだいろいろ準備が! あのっ嫌とかじゃなくて!」
「毎日たっぷり可愛がってやる」
「言い方!!」
怒鳴ったら、彼の姿が、床に落ちた五円玉に変わった。
拾い上げて握りしめると、脱力感に襲われて、尻もちをついた。
その後
「私、レミのためにいろいろ覚えたの。食事もお手入れも、レミの体のこと全部私がやってあげるからね」
ルーフェさんの過剰な世話焼きや。
「千年以上ものときを、多くの知識と共に暮らした。お嬢さんは何も考えなくてもいい。私にゆだねれば、すべての答えを探して聞かせてあげるよ」
ジラルドさんの甘すぎる誘惑や。
「おいらっ今は一緒に邸に居られるよ。おいら人と一緒に居られるんだ。一緒に遊んで、一緒にお昼寝して、一緒に体洗いっこしよう!」
今やガテン系あんちゃんだということをわかっていない、絵面的にヤバイ発言のエンデバンドや。
「レミ。あげる。これ飲む。きぶんよく。なる。おくすり。研究した。レミ。ずっと健康。ずっと生きる。ずっと楽しい」
可愛い顔で怪しげな薬を進めてくるウレイ……。
「レミっ。こっちこい! っ駄目だ……やはりもっと下がれ。いや待て! もう少しこっち……」
「どっちよ! もう! 今友達と遊んでたのに!」
「友達?」
すーーっと彼の紫色の瞳に、かつての光が宿る。
黒髪が銀色の光に包まれる。
「レミ」
低い、地を這うような声に体が固まってしまう。
「おいで」
なんだかんだ言ってたくせに、頬を染めて、私になかなか近寄れなくなったヴェイルがときどきみせる、恐ろしいまでの独占欲に翻弄されまくることになるのは……想定外だった。
でも……そんなに後悔はしていない……かも。
おいでと言いながら、結局自分から来て、私を優しく抱きしめてくれる、そんな魔王様が大好きだから。
最後までありがとうございました。