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満月の輝く夜に  作者: 剛田豪
第一章 月不見月
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屋上の秘密の花園

「ヴァンパイア?」

「ああ、・・・『吸血鬼』か・・・日本語で言うと」

「ふ~ん・・・つまり、アンタのお父さんがそのヴァンパイアで、お母さんは普通の人間で・・・アンタはハーフってわけね。その・・・ヴァンパイアと日本人の・・・」

 ヴァンパイアという国籍など無いと苦笑しながらも、真摯に真顔で自分の話を聞く望に、タロは溜息に似た笑みを浮かべ問いかけた。

「・・・信じる・・・のか?」

「うん。まぁ、アンタがそう言うなら・・・嘘ついているとも思えないし」

「そうか・・・」

「ふーん。やっぱり、アンタもタダ者じゃないってわけか・・・で、自分の正体を明かしたのだからお前も何者か教えろって言いたい訳?」

「・・・いや・・・」


「アタシはアタシ。平井望よ」


 委員長は両手を腰に当て自信たっぷりの瞳を輝かせた。

 タロはそれを他人にあまり見せたことの無い柔和な表情で黙って見つめていた。

「それ以上でも、それ以下でもない。それ以外の何者でもないわ。アタシは、十六歳の高校生。楷木高校一年二組のクラス委員。平井家の長女。兄はのぞむ。父、ひとしと母、静香しずかの間に生まれた平井望!」

「そうか・・・一つ・・・訊いていいか?」

「何よ?」

「・・・クラス委員って、何だ?」



 教室で一人、昨日の出来事を思い出していたタロに望が声をかけた。

「また体育の授業サボったの?」

 少しだけ振り返ってタロは目を伏せて軽く笑った。

「で、ご飯は?」

「?」

「昼休みでしょ!アンタいつも食べてないみたいじゃない」

「・・・食事は・・・」

「ちょっと来なさい!」



 ここ楷木高校には学食があり昼食は基本的にそこで取らなければいけない。食育という観念を古くから教育方針の中に取り入れていて、教室は勉学を行うところであり、特に理由が無い限りそこでの飲食は禁止されている。学食で出される食事以外の物を食する者、購買部を利用する者や弁当持参の者も食堂を利用するように指導されている。ただ、それほど厳格に制限されている訳ではなく、中庭や屋上で昼食を楽しむ生徒や職員も多く見かける。

 昼休みの学生食堂には三学年の生徒が一同に集まる事もあり、かなり騒がしい。授業から開放される一時間程度のオアシス。十代の少年少女たちは他愛も無い噂話や恋愛話に花を咲かせる。


  みてみて!これ!この動画!ありえないっしょっ!

  こないだネットにさぁ・・・カキコミされちゃって・・・

  知ってる?満月の夜に都会に現れる狼男の都市伝説・・・

  そういえばさぁ、この間さぁ、渋谷であの子見かけたんだけど・・・

  思いっきり超ゴスロリで歩いてて・・・

  ウチって美人教師いねーよなぁ・・・

  ねぇ、一年のテイローだけど・・・

  ああ、アイツね・・・


 学食で噂話のネタにされていたタロは、望に連れられ屋上にいた。

 ドアを開けた瞬間は太陽が眩しくて嫌悪感を抱いたが、ホワイトアウトが収まり視野に広がる緑の景色にタロは少し驚いた。

 校舎の屋上一面が庭園になっていたのだ。

 緩やかなカーブを描く遊歩道にベンチが散在しており、すでに何人かの生徒が座って昼食を取っていた。街中で有名人に遭遇した通行人がするような好奇の視線の中を望の後についてタロは歩を進めた。

 遊歩道の終わり、屋上の一番奥は工事現場よろしく金網で仕切られていて

『許可無く立ち入りを禁ず』

 と手書きで書かれた張り紙が貼られていた。


「ふふ・・・」

 振り向きながら小悪魔的に笑って委員長は言った。

「ここがアタシの秘密の場所」


 薄い板に貼り付けられた立入禁止の張り紙をめくり上げるようにずらすと、ダイアル式のチェーンロックがあり、望は慣れた手つきでそれを回し始めた。ガチャッという音とともにロックは解除され、チェーンが外れた。一枚の金網をドアのように開けると満面の笑みと共にタロに手招きをした。

 毛筆で手書きされた張り紙の文字を見て、『入るな』という意味の日本語だよな・・・と考えつつ、タロは、やれやれといった様子で少女の後をついていった。

 その長身の少年をむせ返すような甘い香りが包んだ。さらに歩を進めるとタロの瞳に数百本もあろう真紅のバラが飛び込んできた。

 さすがのタロも歩を止め見入ってしまった。

「理事長の趣味・・・らしいわよ」

 してやったりといった感じで望は説明しながら、さらに奥へと歩いて行く。

 するとそこには花壇に囲まれるような形で、目を差すような緑色の芝生が広がっていた。

「いいでしょ、ここ」

 そう言うと、はしゃいだように小さな深呼吸をする仕草をして、望は履いているローファーを手も使わずに乱暴に脱ぎ捨てた。紺のソックスのまま芝生の中へ入ると、振り向きざまにしりもちをつくように座ってタロに話しかけた。

「アンタも座ったら?」

 日本では芝生の上でも靴を脱ぐ風習があるのか?などと間違った認識をしつつ、タロは靴を脱ぎ丁寧に揃えてから少女の右隣に立った。

 両手をポケットの中に突っ込みながら、歩いてきた方を見やると先程の赤いバラたちが日の光を浴び輝いていた。初夏の風はその甘い香りをほんの少しだけ運び、芝と土の匂いにブレンドした。


 確かに悪くない。


 この高校に来て、いや、日本に来てそんな風に思ったのは初めてかもしれない。

 学園の喧騒が少し遠くに聞こえる。相変わらず太陽は苦手だが、この静けさや頬を横切る穏やかな風は癒しにも似た平穏さを彼にもたらしていた。

 それと同時に少年は不可解な感覚の中にいた。隣にいるこの快活な少女に対して、なぜ何の抵抗もなく従ってしまうのか?

 不可解ではあるが不快ではない。自己満足的な押し付けがましさにはいつも嫌悪感を抱くのだが、彼女の言葉や行為に対してはそうは思わない。嫌悪ではなくむしろ好意に近いものに思える。

 その理由が何なのかは解らない。ロジックではない感覚的なもの『フィーリング』なのだろうか。

 いずれにせよ、こんな人間に会うことは稀だ。同年代の者では初めてかもしれない。日本で、ましてこの学園でこんな人間と出逢うとは・・・

 そう思いを巡らせ芝生の上で大の字になっている女子高生をタロは穏やかな目で見つめていた。タロのそんな視線に気付かないまま、望は瞳を閉じながら言った。

「気持ちいでしょ・・・天気もいいし・・・」

 言葉を発した後、はっと気付いたかのように慌てて上半身を起こし短いスカートで胡坐をかきながら横にいるクラスメイトの顔を見上げた。

「吸血鬼って、日光浴びるとダメなんだっけ?」

 唐突な質問にあきれるように目を閉じて微笑みながら、ポケットに手を入れたまま委員長の横へ腰掛けると転校生は足を組んだ。

「その・・・灰になっちゃたりしないの?・・・」

 望の次の言葉にさらに柔らかく苦笑したが、タロは無言のままだった。


 ヴァンパイアが日の光を浴びて灰になるのは創作上の設定であり、太陽にさらされてそのようになる生物など存在しない。確かに日光は苦手だが、それは自分が持ち合わせている遺伝子によるもので・・・などとつまらない説明をすべきなのだろうか?

 無言で思考するタロに望は申し訳なさそうに続けた。

「ごめん・・・吸血鬼の事とか、その、あんまり聞かれたくない?・・・よね・・・」

「いや・・・別に・・・」

 昨日の夕方、君が言っていた言葉を引用するわけではないが、俺は俺だ。

 自分の特性や属性、生まれ持った素性を否定したり、隠すつもりはない。そう思いながら吸血鬼の少年は目を細め笑みをこぼした。

「そっ・・・よかった」

 無意識に笑顔になっていたタロの横顔に望は続けた。

「へぇ・・・そんな顔もするのね。笑うと結構カワイイじゃん!うん!よしよし!」

 自分の正体について何を聞かれても構わなかったが、『カワイイ』という言葉には、かなりの抵抗感を覚えタロの顔からは笑みが消えた。

「さぁて、メシメシ!」

 少年の横顔から笑みが消えた事も気付かずに、少女はかわいらしいキャラクターがプリントされたハンカチで包んだ弁当箱を紺の手下げ袋から取り出し、結び目をほどきながら訊いた。

「アンタさぁ、いつも昼ごはん食べてないようだけど・・・ああ、吸血鬼だから血しか吸わないとか?・・・」

 触れてはいけない事にまたもや無神経に触れてしまった自分に、はっと気付いて望は二の句が継げなかった。それを察しタロは、また柔らかい微笑を添えて言った。

「血は・・・たまにしか吸わない・・・」

 やっぱ、吸うんだ!たまには・・・などとツッコミたい衝動を抑えながら、委員長は止まっていた手を動かしながら訊いた。

「そ・・・そう、で、普段はどんな食事してるの?なんか、アンタん凄いみたいだから、毎食フルコースとか?自宅に専属のシェフがいるとか?メイドとか執事がずらーっと並んでアンタのお出迎えするとか・・・」

 我ながら何か馬鹿らしい事を言ってしまったと望の笑顔は少し引きつっていたが、タロはまったく気にせず普通に返答した。

「いや、・・・ママが日本食を作る・・・それに、家には家政婦さんが一人いるだけだ」

 高校生にもなって、『ママ』って、マザコンかっ!と、心の中でツッコミながら、これは別に言ってもOKだったかな?などと葛藤しつつ、『家政婦』と言う単語に中年のおばさんが襖の間から何かを覗いている姿をイメージしていた。

「ふ~ん・・・案外普通ね・・・」


 望は包みをほどき体育会系男子が持ちそうな大き目の弁当箱を取り出し、そのふたを開けた。

「じゃ~ん!ほれっ!全男性の憧れ!現役女子高生の手作り弁当よっ!」

 自分なりの気まずさを修復するかのように、少し大袈裟に振る舞い、開けた弁当箱をタロの顔の前に差し出した望だったが、タロは少し呆気に取られた様子だった。

 しらけた空気を払拭するかのように、望は小さく咳払いをし、箸の片方で卵焼きを差しタロに差し出した。

「ママの手料理には敵わないかもしれないけど、はい、一個あげる」

 箸に差された卵焼きを前にタロは躊躇していた。なぜなら、このような箸の使い方は無作法であると教えられていたからだ。

「ほら、取りなさいよ・・・もう、『ア~ン』なんてしてあげるとでも思った?」

 少女の言葉の意味は全くわからなかったが、少年は仕方無さげに箸を取り、卵焼きを口に運んだ。

 タロからすれば無作法ではあるが、その上品な食べ方をする転校生に委員長は訊いた。「どう?美味しい?」

 少年は口の中の卵焼きをゆっくりと噛んで全てを呑み込んでから、箸を少女に返しながら言った。「ああ、とても・・・美味しい」

 その言葉に小躍りするかのように満面の笑みで望は言った。

「でしょ!でしょ!アタシ結構料理は得意なの!はい、もっと食べていいわよ!」

「・・・うん・・・でも、今は、あまり食欲が無いんだ・・・その、昼間は・・・」

「ふ~ん・・・」やはり吸血鬼は夜行性なのかな?と、また少女は発しそうになった言葉を呑み込んだ。

「じゃ、アタシが全部食べちゃうわよ」

 食事を続ける望の隣で、タロはまた無意識のうちに笑みをこぼしていた。


「あのさぁ・・・アンタさぁ、好みとかあんの?」

 弁当を食べながら唐突にされた質問の内容が不明だったため、少年は少女の顔を不思議そうに見入った。

「あ、いや、その女の子の趣味とかじゃなくて、食べ物の好みよ!」

 端正な顔に覗き込まれたからか、質問の意味を勘違いされたと思ったからなのか、望は少し顔を赤らめツンケンした言葉遣いで続けた。「その、何が好きなの?日本食で」

タロは空を、どこか遠くを見つめるようにして答えた。


「ヤキソバ・・・」


「や、焼きそば?」

 予想外な答えに思わず言葉を重ねてしまった望であったが、何か昔を思い出しているかのような少年の横顔に続けた。「アンタのママって、焼きそばが得意料理なの?」

「・・・いや、ママは・・・」

 陽子が焼きそばを作ったのは数えるしかなかった。しかし、タロは幼い頃に口にした “ ヤキソバ ” の味が忘れられなかった。そして、その名前も。

 温かい朧気な日本の記憶の中ではっきりと憶えているのが、その名前だった。

「でもさぁ、焼きそばって日本料理じゃないんじゃない?」

「・・・そう・・・なのか・・・」望の言葉にタロは少し驚いた。「・・・じゃあ・・・何料理・・・なんだ?」

「う~ん・・・B級御当地グルメってとこかなぁ」

「・・・」

 また、望の発した単語がタロにはわからなかった。

 だが、彼の中で『日本=“ ヤキソバ ”』というイメージは崩れるものではなかった。


「おやおや、美味しそうだね」


 突然、二人のすぐ後から男の声が聞こえた。

 タロの振り向いた先には、初老の紳士がにこやかに笑って立っていた。

 正直、タロは驚いた。何の気配も感じず誰かに背後に立たれる事などあまり記憶に無いからだ。人間の気配や匂いには、自分の属性上敏感なはずである。

 一方の望も、突然の声に驚いてはいたが、振り向かずとも声の主が誰かわかっているようであった。口の中の食べ物をゴクリと呑み込むと、引きつった作り笑顔でゆっくりと振り向き、紳士に対して挨拶をした。

「こ、こんにちは・・・理事長・・・」

「こんにちは、平井君。いい天気だねぇ」

 タロは、にこやかに挨拶を返す理事長の足元を見て、やはり日本には芝生の上で靴を脱ぐ風習があるのだと間違った認識を再確認していた。

「あ、あの、転校生に学内を色々案内してたら、その・・・間違えてここに入ってきちゃって・・・その・・・」

 望はしどろもどろな言い訳をしながら弁当箱にふたをし、タロに靴を履くように目配せしていたが、転校生はそれに気付いていなかった。

「行くわよ・・・タロ、タロ・・・」

 愛想笑いしながら小声で話しかける望にタロがやっと気付いた時、理事長が笑顔のまま委員長に言った。

「うん?まだ、食事の途中じゃないのかね?」

「あ、いえ・・・もう・・・その・・・失礼しま~す!」

 ローファーをあわてて足につっかけ、一年二組のクラス委員長は冷や汗をかきながらも笑顔で脱兎のごとくその場を後にした。「タロ!行くわよっ!」という言葉と共に。

 その後姿を微笑ましく見送っていた理事長は、芝生から立ち上がりズボンについた芝草を払い落としているタロに話しかけた。

「君がトランシルバニア君だね」

 無言のまま自分を見据える少年に初老の紳士は暖かな笑顔で右手を差し出した。

「私は理事長の隼田はやたです。ようこそ!わが校へ」



 屋上の庭園を冷や汗をかきながら走り抜ける平井望を植込みの影から目で追っている一人の男子生徒がいた。

 美しいブロンドヘアーのその少年は、制服の内ポケットから携帯電話を取り出しリダイアルした。

「あ、お嬢様、私です」

 小声ではあるが、流暢な日本語だった。

「・・・はい・・・姫とキングの接近遭遇は、第四種に達したもようです・・・それから・・・キングは理事長と接触しました・・・」

「そ、ご苦労様。引き続き観察を続けてちょうだい。それから、学内では部長と呼ぶようにね・・・」

 ブロンド少年の電話の相手は、そう言って保健室のベッドの上で電話を切った。

 そのベッドを仕切るカーテンの外側にぶら下がっている小さな看板にはこう書かれていた。


『超常現象研究会部室(仮)』






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