女の闘い。母と母
竜造寺真澄は、楷木高校の廊下を歩いていた。
平日の午後、時折教室から漏れてくる教師の声と雨音だけが静かに響いている。
巫という彼女本来の立場で、その単語を使う事に多少の抵抗があるが、授業中の学園は『神聖』な場所に思える。
自らの母校、そして今、娘の通う学び舎。
娘、瞳子が、その日常を過ごす場所から遠ざかって、一週間以上が過ぎてしまった。
彼女が怪我を負った事に、母として真澄は自分を苛んでいる。未だ十五の少女に自分が背負わせてしまった重荷を呪いたいと心底思っていた。
先程、瞳子と朝食を共にした真澄だったが、娘の様子が引っ掛かっていた。
彼女が背に傷を負ってから、自分を母として接するが出来なくなった事はわかっている。責任感の強い娘が、自責の念に駆られての行為なのだろう。
ただ、今朝のあの様子・・・
表情も会話も普段と変わりないのだが、魂の抜けたような――心此処にあらずといった印象を娘から受けた。気のせいなどではない。何かが、瞳子の中で変わっている。真澄はそう捉えていた。そして、とても気掛かりであった。
その娘の事で、今日は学校に来ている。校長に会いに来たのだ。
真澄が校長室のドアをノックしようと右手を上げると、ドアが開いた。
校長の諸星が少し驚いた様子で真澄を出迎えた。
「おっと、失礼。ああ、竜造寺さん、今、出迎えに行こうと思った所でして・・・」
「いえ、校長先生にそんなことをして頂く訳には・・・」
「事務の者も、ご案内くらいすれば良いのに・・・ああ、どうぞ中へお入りください」
「案内はわたくしの方から、お断りしましたの。勝手知ったる母校ですもの」
校長としては少し若い四十代の男は、訪れた和服の父兄を部屋へ招き入れ自らでドアを閉めた。
「御呼び立てして、すみません。こんな雨の中、御足労頂いて・・・」
「いえ、こちらの方こそ、娘の件ではご迷惑を・・・」
発した言葉の途中で、自分以外の来客がいる事に真澄は気付いた。
「あら、竜造寺先輩、お久しぶりですね」
少し驚いた様子の笑顔で、ソファーから立ち上がるのは黒洲陽子だった。
「あら、ついこの間お会いしたではありませんこと?黒洲さん」
真澄は笑顔を繕ったが、言葉の刺々しさは隠しきれなかった。
――そう、十日程前のあの日、会社にメイド服の女と押しかけて来たのはアナタよね。黒洲陽子――
真澄は、心の中で舌打ちをして、その時の様子を苦々しく振り返った。
あの五月の満月の日、黒洲陽子は谷田部奈菜恵と共に、真澄の経営する会社の会長室へと乗り込んで来た。まだ日の沈まぬ昼下がりの事であった。
受付嬢や秘書の制止も聞かず、強引に陽子は真澄に面会した。
「あら、何の騒ぎかと思えば、黒洲さん、貴女でしたの。どんな御要件かは知りませんが、アポイントくらいお取り頂けないかしら」
椅子に座ったままの真澄に、少し息を切らしながら陽子は言った。
「ごめんなさい!今、余裕がないの。教えて、今夜新宿の神社で何があるのかを」
「相変わらず不躾な人ね・・・」
冷めた表情で机の受話器を取る真澄。
「警備員を呼んでも無駄よ」陽子が髪を掻き上げて言う。
「あら、そう言えば、部屋の外にも一人・・・」
受話器を置いて立ち上がると、真澄は空いているドアの外を垣間見た。
屈強なSPが床にねじ伏せられていた。メイド服の女によって・・・
「まあ・・・」
「ごめんなさいね、うちのナナちゃんは、あんな可愛い顔してても結構強いの」
「そう、こんな所で大立ち回りなんて、貴女も成長しないわね」
「すみません。でも、教えて欲しいの、今夜の事」
「今夜?何の事かしら?」
「とぼけないで。あなた達も動いているんでしょう」
「さぁ、どうかしら・・・」
「お願い!なりふり構ってらんないの!非礼は後で幾らでも頭を下げる。だから、教えてください!」
詰め寄る陽子に、真澄は冷静な顔のまま訊いた。
「珍しいわね、貴女がそんなに必死になるなんて・・・」
「だって、息子とその親友に関わる事だもの。必死にもなるわ」
軽く溜息をつき、真澄は部屋の奥へと歩を進める。
「いいわ、教えて差し上げる。ただし、警察に通報するけど、それでも聞きたい?」
再び机の受話器を持って振り向く真澄に、陽子は晴れやかな表情で言う。
「ええ、聞かせてください!先輩」
「そうでしたね。あの時は色々と失礼を・・・」
言葉とは裏腹に、陽子の笑顔には何の含みも無かった。
「いいえ」
素っ気無い返事で母校の後輩を見つめる真澄。
「それにしても、こんな所でお会いするなんて・・・今日は、どのようなお話で?」
「ええ、娘の事で・・・今、入院をしているものですから」
「ああ、伺いました。何か、お怪我をされたそうで・・・お加減は?」
「お陰様で、間もなく退院できると、今朝お医者様が仰って下さいました」
「そうですか。一先ずは、安心ですね」
「ええ、まぁ・・・それで、黒洲さんは、どんな御要件で?」
「はい、うちの愚息が学校でご迷惑をおかけしているようで、そのお詫びとご指導をいただきに・・・」
「そうですか、それは、それは・・・」
――ふん、こちらが来ることを知っていて、貴女も此処にいるのでしょう。相変わらず喰えない女ね――
真澄は陽子の事が嫌いだった。
――ホットかコールドか知らないが、『リーディング』とやらで色々な事をこの女は見透かす。息子が『あの事件』に関与する事だって本人よりも先に察したくせに、分からない事があれば手段を択ばず行動に出る――
真澄は、冷めた笑顔で陽子を見つめていた。
――私は、この女が嫌いだ――
陽子の行動力やざっくばらんな性格。あまり他人に気を遣わない無神経さ。そのくせ、誰にでも好かれる人柄。全てが気に食わない。
――私は、この女が嫌いだ――
学園に通っている頃から、彼女は自由奔放だった。黒洲という名家に生まれながら、それに縛られない生き方をする陽子が真澄は嫌いだった。
――いいえ、羨ましかったのね、きっと・・・――
「ああ、すみません。お忙しい先輩の邪魔をしては・・・私は、そろそろ失礼しますね」
母校の先輩と校長に会釈して部屋を立ち去ろうとする陽子に、真澄が声をかけた。
「お待ちなさい」
振り向いて真澄を見つめる陽子。
「隼田理事長の事で、貴女にも聞いて欲しいことがあるわ」
「理事長の事?」
訝しむ陽子の横で、諸星校長も気掛かりな表情で真澄を見ていた。
「ええ、一連の『狼事件』に係る事よ・・・」




