高一の五月にやって来た転校生?その名は『タロ』
タロ・M・トランシルバニアは、自分の名前が気に入らなかった。
父方の姓であるトランシルバニアを名乗るのもさることながら、ミドルネームである『ミヒャエル』が何故自分に与えられたのか、呪ってさえいる。
大天使の名は自分が生まれて間もない頃教会で洗礼受けた際、今自分の首に架かっている十字と共に授かった。記憶があるはずはないのだが何故だろうその時のヴィジュアルがタロの脳裏に焼き付いている。
教会の中に響く赤ん坊の泣き声
祭壇の前で十字架を握り締める牧師
そして、若き母の姿・・・
幼い頃に誰かから刷り込まれた後付の記憶なのだろうか?それとも実際に経験で得たものなのか?定かではない。
ただ、その光景は、たまに夢の中で繰り返される。悪夢として・・・
そう、苦しかったのだ。まるで身を焼き尽くされるような、体の一部を切り取られるような、そんな苦しみとして遠い記憶――いや、胸の奥深い所に忌まわしく刻まれている。
しかし、輝く太陽の下自分が無事でいられるのは、洗礼のおかげであり胸の十字に拠る事をタロ自身解っていた。
忌まわしき力の庇護の下生きる呪われた血が流れる者。自分をそう思っている。
「・・・つまり・・・英字表記だと『TARO』さんですが、漢字を充てると
『太郎』さんとお母様はおっしゃっていましたので、『タロ』さんというよりも『タロー』さん、もしくは『タロウ』さんとご紹介したほうが良いのでしょうか?・・・」
気弱そうな教師が黒板の前に立つタロに話しかけていた。
「『タロ』でいい・・・」
ぶっきらぼうに、その気配希薄な男にタロは小声で答えた。
「あ、そ、そうですか・・・では、あの・・・トランシルバニアさん。クラスの皆さんに自己紹介を・・・お願いします。」
日本ではゴールデンウィークが明け数日が過ぎたこの日、タロはこの学校に初登校した。
私立楷木高等学校。小等部と中等部をも持つ私立校で、七、八割はそこからのエスカレーター組だ。生徒の学力は総じて高めで進学率はほぼ100%に近い。
だが、偏差値が高いだけでは入学を許されず生徒の人柄・家柄を重んじるいわゆる名門校である。よって、ここに通う生徒の多くは裕福な家の子息子女であり、また、教師をはじめとする職員らもその出処を問われるため同様にお坊ちゃまお嬢様が多い。
一年二組担任の氏原浩志も例外ではないように思える物腰の柔らかさや雰囲気を醸し出していた。
生徒を男女問わず “さん” 付けで呼び、決して怒鳴ったりもしない。おっとりとした言葉遣いや声のトーンは社会の荒波にもまれた事の無い『苦労知らずのボンボン』と十代の子供たちに揶揄されるに十分で、中肉中背の眼鏡をかけた外見は、一昔前に欧米の新聞の風刺一コマ漫画で描かれた猫背の典型的日本人のようだ。
一年二組の生徒たちがざわめき始めた。自己紹介を促されたタロが数秒沈黙のまま教室の窓の外を眺めているからである。
「・・・あの・・・トランシルバニアさん・・・自己紹介を・・・」
氏原は蚊の鳴くような声でおずおずとタロに話しかけた。
「・・・何処に座れば?」
窓の外を見据えたまま呟いた後、タロは氏原に視線を向けた。
「あ、あは・・・窓側の一番後ろにあなたの席を用意しておきました。と、とりあえずそちらへ」
無言のまま教室の後方へと歩き出すタロに、二十数名の生徒たちのざわめきはさらに大きくなった。彼らの喧騒を静めようと担任は自分なりの大声(といっても、それほど大きくない)で話し始めた。
「えー、トランシルバニアさんは日本に来てまだ間も無く、日本語に慣れていないのかもしれませんので、えー、私が代わりに彼を紹介することにしましょう。トランシルバニアさんは、本来、四月に皆さんと一緒にこの高等部に入学する予定だったのですが、ご家族の都合で帰国が遅くなり、本日から皆さんのクラスメイトとなった次第で・・・」
生徒たちは必死で取り繕おうとする教師の話には耳を傾けず、淡い灰色の詰襟を着た背の高い外人の転校生に興味津々だった。意外にも氏原の話を一番良く聞いていたのは、指示された席に腰掛け空虚な眼差しで空を眺めていたタロだったのかもしれない。
「帰国・・・か・・・」
母親が日本人である事からタロは日本国籍をも持っている。しかしながら日本にいた記憶は幼い頃のほんの僅かなものしかなく、いつからいつまでどのくらいの期間この極東の地にいたのかも定かではない。ただ、小さい頃、たぶん夏であろうと思われる時期に里山のような場所で同年代の子供たちと遊んだ記憶がある。それは全くおぼろげで紗が掛かったような空ろな思い出でしかない。だが、それは楽しくほんのりと暖かいものであった。
「・・・えー、ですから、転校生ということではなく四月に一緒に入学されたお友達としてですね、トランシルバニアさんをよろしくお願いしたいと・・・」
氏原の話をチャイムが遮った。
「で、では、これでホームルームは終わりにします。」
冷や汗を拭きながらも担任はにこやかに教室を後にした。一旦静けさを取り戻した教室は生徒たちの声や椅子を引き摺る音で再び賑やかになった。そんな中、座ったままのタロに隣の席の少女が遠慮がちな笑顔で話しかけた。
「あの、私、み、御手洗楓・・・です。何かわからない事があったら、何でも聞いてくださいっ。」
まるでバレンタインデーに好きな男子へチョコを渡すかのように、意を決し顔を赤らめながら、やっとの想いで声を掛けたようであった。タロが顔を向け視線が合うや否や、少女の顔は更に赤くなり笑顔は引きつり言葉も出なくなった。
楓の言葉に堰を切ったように、数人の女子生徒がタロを囲み矢継ぎ早に質問を浴びせる。
ハーフなんだね
日本語は喋れる?
身長はどれくらい?
何処に住んでるの?
どんな学科が得意?
彼女はいるの?キャー!!!
皆、目を輝かせ余所行きの声で、突如現れた王子様候補を好奇心丸出しで見つめていた。
――女はいつもそうだ。徒党を組むと性質が悪い。ノックもせずにずかずかと人の部屋へ勝手に入ってくる。――タロは心の中で毒づいた。
目を細め人差し指を唇の前に立てたが、それは逆効果で、そのタロの仕草に少女たちは歓喜の声を上げた。
苛立ちを覚えたタロは、少しだけ眉間に皺を寄せ指を下ろしながら
「黙れ。と言っている」と低いトーンの声を発した。
鋭く迫力のある眼光に女子たちの笑顔は真っ白に凍りついた。特に御手洗楓は今にも泣きそうに一瞬で涙ぐんだ。
ふぅ、と小さな溜息を漏らし左手で頬杖を付くと、タロはまた窓の外へと視線を移した。
何処に行っても同じだ。母の国、日本に来てもまたこれか・・・タロは他人からどのような目で見られてきたか、うんざりしながら振り返っていた。
そう、どの国、どこの町へ行こうが大抵好奇の目で見られる。
容姿のせいか、自分の持つ雰囲気のせいなのか、そんな事はどうでもいい。
好意だろうが悪意だろうが皆一様に同じ目で自分を見る。異形の人形を見るような目で。
確かに俺はお前らとは違う。半分ほどではあるが呪われた血がこの体の中には流れているのだから。
四月に日本に来られなかったのが家族の都合だと?
何を言っている、原因はこの俺自身の都合だ。