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満月の輝く夜に  作者: 剛田豪
第一章 月不見月
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満月の輝く夜に

 娘に泣きすがる平井静香の姿を見つめタロは拳を握りしめた。

  俺が望を守れていれば・・・

 無念さと無力さに苛まれタロは視線を窓の外に移した。

 夜空に明々と浮かぶ満月は彼の意に反し新宿の惨劇を思い出させた。



 血に濡れた白装束の少女は裸の獣人と丸腰のヴァンパイアに容赦なく斬りかかった。

 上段から振り下ろされたその太刀は、月光を纏い軌跡に残像を映す。

 刀がその標的を捉えようとした時、高く大きな音と共に火花が散り、回転する光の棒が放物線を描いて地に落ち刺さった。


 『祷り人プレイヤーズ』の刀が真っ二つに折れたのだ。


 タロが水平に振り抜いた右手の先には、十字クロスのペンダントヘッドからチェーンの切れ端が揺れていた。

 折れた刀を握り締めたまま呆然と立ち尽くしていた瞳子は、やがて、力が抜けてゆくようにゆっくりと両膝を付いた。震えながら折れた刀の柄に額を埋めるようにして己を呪った。

「未熟だ・・・未熟すぎる・・・」

 瞳子の嘆きに重なるように、別の声がタロに届く。

 ――ほう、そんな使い方もあるんだな――

その嘲るような口調の声は、耳ではなく、彼の心の中で響いていた。

 握り締めた十字クロスを見つめるタロへ、銀色の瞳をした青白い顔の男が嫌悪感を抱かせる笑顔で言葉を続けた。

 ――ほら、そいつを捨てて自由になれよ

   その屈折した友情の女も

   その化物もみんな血まみれにしてしまえばいい――

 十字クロスを暫し見つめた後、タロはそれを腰とベルトの間に挿み込んで呟いた。

「お前の出番は無しだ・・・」


 軽く溜息をつき目を伏せたタロの耳に今度は遠くから犬のような遠吠えが響いた。

 音のする方向をすぐさま見やると、神社本殿の屋根の天辺で大型の野犬が大鳥居に向かって吼えていた。

 いや、あれは、狼だ。

 本殿前で『祷り人プレイヤーズ』に斬られた獣人の亡骸が見当たらない。

 あの狼はおそらくあの獣人が化けた姿だ。

 そう思いながら見据えるタロの傍らで、竜造寺瞳子が驚愕の眼差しで打ち震えていた。

 遠吠えに呼応するかのように獣人化した望が吠えると、神社の境内に再び狼の咆哮が響いた。

「やめろぉー」

 懇願するかのように瞳子は叫んだ。

 少女の叫び声の残響の中、シュンという風切り音が狼の体を貫いた。

 肩辺りから血を噴き出しながら屋根の上でよろける獣の肉体を、さらに数本の矢が捉える。

 それでも狼は屋根の上で踏みとどまり、最後の力を振り絞るように鳥居に向かって吠えた。三度目の鳴き声がか細くも少しだけ長く響く。

 そして、使命を完遂したかのごとく崩れ伏せると、屋根から落ちてドスンという鈍い音を立てた。

 本殿前の階段の途中で横たわるその亡骸は、人間の姿をしていた。


 茫然自失の『祷り人』を横目にタロは考えた。

 今、月光を欲するように浴びながら震え唸っている望も、やがて人型さえも失い本殿の屋根で吠えていた狼のようになるのであろうかと。

 だが、その思考は遮られた。背筋を走る幾つもの殺気によって。

 狼を撃ち抜いたやじりが今度はこちらを向いている。

 月明りに浮かぶ獣人に弓をつがえているのだ。

 迫りくる殺気に反し見えない射手しゃしゅの姿。

 焦燥感を抱きつつも周囲を冷静に見回すタロ。

 そこへ小さく風を切る音が鳴り、一本の矢が獣人をかすめ地に突き刺さった。

 太く力強い二の腕から血が飛び散り、彼女は悲鳴か怒号かの叫び声をあげた。

 次の矢から望を守るべく振り向いたタロであったが、暴れ狂うその姿に一瞬だけ躊躇してしまった。

 そのわずかな間げきを縫い彼の横を「ゾミ!」と叫びながら白い影が横切る。

竜造寺瞳子が獣人を庇うように抱きついたのだ。

 その時すでに二の矢が放たれていた。

 まだ獣の血が乾かぬ白装束を射抜く一本の矢。

 瞳子は激痛に目を見開いたが、声は上げずにそのまま獣人を抱きしめた。

「ゾミ・・・」

 力なく親友の名を呟いてから、ゆっくりと彼女の体を滑ってゆくように瞳子は望の足元に堕ちて伏した。

 暴れていた獣人は動きを止めその場に立ち尽くすように、崩れ堕ちた白装束の少女を見つめていた。

 タロはその光景に刮目してすぐに矢が飛んできた方向を睨みつけた。そして、両手を広げ二人を守る様に立ち呪詛の言葉を吐いた。

「Say your prayers」

 ――お前らを殺す。だから祈れ――と

 その殺気は、見えない狙撃手たちのものを凌駕して彼らに届いた。


 音もなく張りつめた空気だけが場を支配していた。

 そこへ言葉と思しき獣人の声。

「ミ・・・コ・・・」

 瞳子を見つめてどうにかその名を呼ぶと獣人は天を仰ぎ絶叫した。

 ぎゃああああ!!!

 都心の夜空に鳴り響く耳をつんざく奇音。

 その声の主は悲鳴がこだまする中静かに崩れ両膝をつき、そのまま固まる様に動かなくなった。

 タロはその様を見守ることもできずに狙撃手たちを威圧し続けていた。

「く、ろ・・・す・・・」

 背に矢が刺さったまま倒れ伏す『祷り人』が懸命に声を絞り出し彼を呼んだ。

 視線だけを少し後ろにやって瞳子に答えるタロ。

「しゃべらない方がいい・・・」

 しかし瞳子は目を閉じたまま言葉を紡ごうとあがいた。

「ゾミを・・・たの・・・む・・・」

 開けることのできなかった瞼から涙を落として少女は再び気を失った。

 少女の涙こそ見てはいないが、タロにはそれが落ちたことが分かった。

 その涙に、その声に、タロは意を決した眼差しで振り向き、暫し少女を見守った。

 そして、着ていたジャケットをおもむろに脱ぐと獣人に歩み寄りその肩にそっと掛けた。

 タロは険しい表情の中に少しだけ悲しい顔を浮かべながら望を抱きかかえた。俗に言う『お姫様抱っこ』のように。

 姫とは程遠い獣の姿の少女を抱え立ち上がったタロの周囲に、人影が一人、また一人と浮かぶように現れた。

 気付けば映画で見る忍者のような和装の黒衣の者たちに取り囲まれていた。手に洋弓や銃、短刀などを携えている姿は、顔に掛けられた暗視ゴーグルと相まってアンバランスでミスマッチな不気味さを醸し出していた。もし、状況が違えば滑稽にさえ思ったかもしれない。

「こいつの仲間か?」

 タロは鋭く光る眼差しと低い声で聞いたが、連中は誰一人としてその問いに答えなかった。

 返答の無い事も気に掛けずタロが歩き出すと、それに呼応するかのように黒装束の者たちは静かに動いて距離をとった。

 瞳子の治療をしろとタロは言うつもりだったが、すでに彼らの一人が彼女を抱き起している。それを横目で確認しタロは少しだけ安堵したが、未だ暗視ゴーグルの視線と消えることのない殺気に囲まれていた。

 一刻でも早くこの場を離れたかったが、少年の歩みはゆっくりと力強かった。そして、まっすぐ前を見据え進みながらこう言い放った。

「やってみろよ」

 その迫力に彼を取り囲む輩の輪は少し大きくなって崩れた。

 一陣の風が鈴緒を揺らし、鰐口わにぐちがかすかに鳴り響いた。


 獣人をお姫様抱っこするタロの背中には未だ複数の殺気が浴びせられている。

 赤いレーザーのポイントが付けられている訳ではないが、冷たく光る銃口や洋弓に捕らわれているとタロは感じていた。しかし、力強い歩みの速度に変化は無い。

 張りつめた静寂の中、自分の鼓動と手に伝わる望の鼓動が違うリズムを刻んでいた。

 一歩、また、一歩、石畳を踏みしめて歩を進めてゆく。

 怒りや悲しみ、無力感、渦巻く殺意。

 いろいろなものが混ざり合う闇の中で、少年は自らが進む方向の景色に注意を払っていなかったが、大鳥居にあと数歩という所で見覚えのある車が環状道路に止まっている事に気がついた。


 銀色シルバーのメルセデス・ベンツSLRマクラーレン。

 陽子だ。


 誰もが目を引くその車にやっと気付いた息子を母はバタフライドアを開けて出迎えた。

「早く乗りなさい」

 笑顔の陽子に自らも思わず笑みを返すタロであったが、背後への意識の集中とゆっくりとした歩みに変化はなかった。


 大鳥居を抜け助手席に望を抱えたまま滑り込んだタロは、軽い安堵の溜息と共に右側のドアを閉めた。

 なぜ陽子がここにいるのか、母がどうやって自分の居場所を突き止めたのかをタロはあえて訊こうとはしなかった。ただ、携帯電話を持っているとプライバシーというものが無くなるように思え心の中で苦笑した。

 息子の緊張が緩和された事を表情から読み取った陽子はタロにあきれ顔を装い質問した。

「この間、犬を拾ってきたと思ったら、今度は何?」

 ふっと目を閉じて笑った後に、優しく真摯な顔で少年は答えた。

「友だちさ・・・」

「そう・・・」

 母は優しい横顔でアクセルを踏んだ。

 銀色のツーシーターはタイヤを鳴らしテールランプの波の中へと消えてゆく。

 フロントウインドウに満月を映しながら。





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