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満月の輝く夜に  作者: 剛田豪
第一章 月不見月
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後の祭り

「で、一人でのこのこと帰ってきたわけ?ねぇ、ターちゃん!」

 母は明らかに怒っていた。

 もはやこうなると彼女には何を言っても無駄である事をタロは経験則で知っていた。しかし、やはり気になる。望のあの言動が・・・



 先程、あの新宿の神社で焼きそばを食べていた時、タロは思い出に浸っていた。その横でここへ連れて来てくれた少女が急に無口になった事にも気付かずに。


「タロ、ごめん・・・」

 タロより先に焼きそばを食べ終わっていた望は、うつむきながら小さく震える声で搾り出すように言った。夢想の中にいた少年はその突然の謝罪の言葉に現実に引き戻された。

「・・・」

 箸を止め無言のまま望を見つめた。

「あーもう!・・・ずるいなぁ!アタシ!」

 語気は強めだったが涙を我慢するかのようにその声はかすれていた。

 唐突な言葉にタロは困惑すら覚える間もなく、無言のまま見つめる事しかできなかった。

「・・・ごめん・・・アンタを利用しようとしてた・・・ホントごめん・・・」

 何を言っているんだ?一体、何の事を?

 その言葉の意味を探ろうとした少年の目に少女の頬をつたう一粒の涙が飛び込んできた。


 泣いて・・・いる・・・


 その涙は、たとえ一粒であれタロの思考回路をフリーズさせるに十分だった。

 どうすれば良いのか、一体何が起こったのか、それすら考える事もできずに固まってしまった少年に望はゆっくり立ち上がりながら小声で言った。

「・・・帰る・・・」

 少女は焼きそばの器を屋台のカウンターに置きながら

「おじさん・・・ごちそうさま・・・」

 そう言うと一人で歩いていった。

 割り箸を持ったまま黙って少女の姿を目で追う外人の少年に屋台の主人は低い声で諭した。

「にいちゃん、ついてってやんな」

 その一言に、はっとしてタロは立ち上がり、食べかけの焼きそばを椅子の上に置いて早歩きで望の後を追った。


 まだ、日の沈まぬ神社横の路地は、祭りのせいなのかすでに酒に酔った大人たちが行き来していた。

 法被を着ている者やスーツ姿の男達、派手めな服と化粧の女達の中をうつむき加減で歩いて行く制服の少女。タロは声をかける事もできずに黙って彼女の後ろを歩くしかなかった。

 涙の理由、謝罪の意味を聞きたかった。しかし、彼には掛ける言葉が見当たらなかった。


 駅へ向かう大通りに出てさらに人の波が増えた。

 行きかう人々にぶつかりそうになる少女の肘に手を回し、ぐっと掴んで彼女をガードするかのように歩く事が少年にとって精一杯の行為だった。それでも少女は黙ってうつむいたまま歩を止めなかった。


 駅に着き改札の前でやっと少女は口を開いた。

「・・・ありがとう・・・アタシ、こっちだから・・・」

 その言葉と同時に少年の手から少女の体が離れていった。振り解くわけでもなく、するりと抜けてゆくように。

 そして、暫くの間、タロは人混みに消えて行く望の後姿を見送るしかなかった。

 何もできなかった自分、何が起こったのか全くわからないでいる自分。

 そんな自分がもどかしく情けなく思えた。

 そして、その表情は母親に質問する機会を与えた。



 一部始終を話し終えたタロに陽子は憤慨していた。

「なんで、ちゃんと家まで送ってあげなかったの?もう!」

 少女の涙の訳、彼女の真意を知りたくて母親に話したタロであったが、陽子の頭の中は無粋な息子への怒りで満ちていた。

「泣いている女の子を一人で返すなんて!男として最低よ!」

 確かに自分の行動は褒められたものではないのかもしれない。だが、どうすればよかったのだろう?はっきり言って今でもわからないというのが正直な所だ。

 ましてや、あの横顔は自分に『ついて来るな』と言っているように思えた。

「女が『追ってこないで』って言うのはね、追ってきて欲しいからそう言うのよ!」

 もう支離滅裂で手が付けられない程陽子の怒りはピークだ、などとタロは母親の話を流し気味に聞いていた。

 女の涙。それは最終兵器だ。

 女性に泣かれたら男は、少なくとも自分は何もできない。

 言い訳をする気もないし、今の陽子にはそれを聞く耳が無い事はわかっている。

 しかし、どういう意味だったんだろうか?あの謝罪の言葉、そして、あの涙は・・・


 顔から湯気をあげそうに息子へ文句を並べ続ける陽子をよそに、望の事が気に掛かっていたタロであった。

「今すぐ電話しなさい!」

「?・・・」

「電話で謝るのよ!彼女に!」

「ああ・・・その・・・」

「あ、やっぱ電話じゃなくてメールにしなさい。ターちゃんは話すとぶっきらぼうだから!」

「・・・メール?・・・でも、何て・・・」

「そんなの自分で考えなさい!」

「はぁ・・・」

 困惑気味の息子に陽子は声のトーンを下げて言った。

「自分の言葉で、自分の気持ちを素直に書けばいいの」

 それを聞いたタロは、いつになく真剣な眼差しで携帯電話に向き合った。



 平井望は自分の部屋のベッドの上で携帯電話を眺めていた。

 先程届いた転校生からのメールを開いていた。

『今日はありがとう。とても楽しかった。君の謝罪の意味はわからないが、その必要は無いと思う。俺こそ君の力になれなくて申し訳なく思っている。そして、一人で帰宅させた事を謝罪する。今日は本当にありがとう。』

 その短くも飾り気のない文面を読み返し少女は力なく微笑んで呟いた。

「・・・バカ・・・」

 メール画面を閉じぬまま携帯を握り締め望は物憂げな顔で瞳を閉じた。


 タロからのメールの着信時間は二十二時五分。

 彼が帰宅してから三時間以上が過ぎた時間であった。



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