刀語りと演説
二振りの刀の激しい衝突。
その交点から同心円を描いて広がる重く鈍い金属音。
飛び散る火花の煌きは反逆のカリスマの顔を下から照らす。
浮かび上がる狂おしい笑みは四百年以上前に天草四郎と祀り上げられた若者の表情そのものであった。
三池典太が振り下ろされるたびに四郎時貞の『記憶』がタロへと伝播される。
幾度となく繰り返される死と再生。
周囲の大人たちに作り上げられたかりそめの偶像。
十字教へ懐いた希望、絶望と化した幻想。
裏切り、離反、謀略、嘘の歴史・・・外された梯子・・・
積み上げられた屍、正義という名の虐殺、暴力装置・・・
艱難辛苦な救いのない悲劇の原風景とともに、斬撃に乗せて四郎は問いかける。
「何故、闘わない?」
刀が交わる度に放たれる想い。
「その『凶刃』を私に振り下ろせ!」
檄を飛ばす歴史上の悪役に、ヴァンパイアの少年は悲しい眼差しを向けるだけで、唯々黙していた。
「何故、闘わない?」
今度は刀が、三池典太自身がそう問いかける。
「さて、何故かのう・・・」鬼丸国綱が答えた。
『悪意に悪意を向ける事、暴力に暴力で対抗する事、それは、愚者に目線を合わせて自らを貶める事なの』二振りの刀達に女の声が響く。
「誰そ彼?否、何ぞ此そ?」
「童の垂乳女じゃ」
「あの鬼の子の御母堂とな・・・」
「うむ、童のおもひでじゃな」
以前に鬼丸国綱が接したタロの記憶を媒介して彼等の前には黒洲・トランシルバニア・陽子が現出していた。そして、その姿は淡く朧となって消えてゆく。
「汝の記憶でもある」
「ああ、儂はこの童と遊んでもろうた・・・楽しいおもひで・・・」
「我も亦、古の主との逢瀬を・・・」
「だが、解せぬ。儂は死んだ筈では?」
「うむ、解せぬ。我等『もの』に時の概念など無いはず・・・汝が懐く生死などというものも・・・」
「それでも儂には幾百年の血塗られた記憶があり・・・」
「我も亦、我を深く愛したこの男に振られておる事を誉と思ひ・・・」
「我等は・・・」「儂とおぬしは・・・」
「何故、刃を交えておる?」
「それは、宿命」
「それは、必然」
「武器として生まれた当然たる帰結」
刀たちは、美術工芸品として人に愛でられる事を拒むかのように嬉々として語り合う、鬼気に酔いて交わる倒錯の世界。殺傷の具と自認しながらも、意識と記憶を有するモノへと昇華してゆく矛盾。
「儂は・・・この童に救われた・・・」
「救われた?滅されたのであろう」
「うむ、それが救いじゃ。永きに及ぶ閉塞から儂は解き放たれた」
「だが、今亦柄を纏い己の仇に握られておる」
「そうじゃ、この童を守る為に・・・」
「それでも、この鬼の子の命運は・・・」
「童の行く末は・・・」
二振りの刀達は、タロの未来、天草四郎の言う『語り合い』の結末を見た。
すると、鬼丸は子供の姿へと還り大声で泣きじゃくった。
「ぎぃやあぁぁぁ!」
凶刃の泣き叫ぶ声に、驚いたように彼を見つめるタロ。
その一瞬、ほんの刹那に生まれた人刃の隙は、天草四郎の一太刀がタロの頬をかすめるのを許した。
「!」
少年の左頬には数センチの切傷が現れ、僅かに血が伝わり落ちた。
塞がらぬ切傷へタロがそっと手を添えると三池典太の思念が伝わってきた。
「闘わねば死ぬぞ、小僧・・・」
タロの中で『凶刃』との邂逅が甦る。まるで、四郎の振りし刀がかつての彼のようである。
「妖刀だの凶刃などとは、所詮、人の為す所作・・・我も主が望むならばそう成るまで」
「なるほど・・・」
実存のない肉体が傷付く印象、塞がらぬ傷口から零れる思念が伝える死。それらは『この地』の危うさを不死の少年に伝えていた。
「闘え」
「闘え」「闘え」
刀たちの声に包まれるタロ。彼の指先へ滴る血のぬくもりとは別に、傷口から新たに多くの『言葉』が聴こえてくる。
「もしや、現世で君の家へ詫びに行かなかった事を不服に思っているのかい?」
「君の父上は強い御人だ」
「あの家には守り神が居てね・・・」
「私の家族が迷惑をかけた事は申し訳なく思っているのだよ」
「己を呪った神を許す事ができるなんて・・・」
それらは、眼前の天草四郎からではなくタロの心象の中で益田神父の姿と共に現れては消えて往く。
膨大な数の益田の思念はやがて一つに収束し少年へ語り掛ける。
それは、まるで大学の授業で講演する教授のようであった。
時々の権力者や為政者たちは、世界を牛耳るために何を支配しようとしたか?
金?土地?人心?その答えは『時』だ。
時=暦を支配しようと彼らは躍起になった。それは、文明の萌芽から現在に至るまで変わらずにいる。
『時』を支配できれば、文化・思想・価値観・宗教・生活・経済等々あらゆるものを都合の良いように仕様変更でき、人々を洗脳することが可能だ。
現在のグレゴリオ暦、グリニッジ標準時、NIST時刻・・・標準化され古くから存在していたかのように振舞っているこれらの『時』も歴史上においては新参者だ。にも拘らず多くの人間は大した抵抗感もなく受け入れ、その『時』の中に身を委ねており、統率・支配されていることすらに気付いていない。
それどころか、環境やジェンダーに対する問題意識だけならまだしも、正義感や道徳感さえ標準化され押し付けられ、その導線から外れたものは敵視し排除する。
多様性の尊重を謳いながらも、排他的な強権を振るう様は大航海時代と何ら変わりはない。植民地支配や奴隷制度の悪癖から、何一つ進歩していないというのが現実だ。
さて、この傲慢な欧州思想の根源にあるものは何であろうか?
そう、宗教だよ。
十字教、ひいてはその源流にある原始宗教が彼らの血となり肉となりDNAを構成している。
しかし、浅はかで御粗末な愚人どもは、血脈に流れる宗教さえ分断し争いの素と貶め殺し合いを始めた。互いの神が「殺せ」と罵り合い、他者を許容する事も出来ず、独自の正義を掲げ覇権を奪い合う。現代も変わらぬ欧州の、そして、人の歴史だ。
では何故、人は宗教に惹かれるのか?
水や食い物のように必須であろう筈も無い物を欲するのか?
人間は『幻想』が好きなのだ。
異種族、異国人、異教徒らと繰り広げられる生存競争。勝ち残らなければ我が身だけではなく子孫すら根絶される恐怖。
そんな重圧の中、人々は奇跡とそれを成す『神』を欲した。
信仰により己の存在意義・正当性を担保したかったのだ。
だが、今日ある宗教が崇める神どもは皆まがい物で奇跡の物語は絵空事、そんなことは重々承知の上で人は『幻想』を見ていたいのだ。
現代社会に於いて根幹となる貨幣経済もまた『幻想』だ。
紙幣というただの紙切れに価値を与え、銀行システムの確立で紙幣は数字に置き換えられた。国がキャッシュレスを推奨し今やデジタルの中へ貨幣の価値が移行している。
暗号資産など幾らでも財を生み出す事ができるシステムの完成は、中世錬金術の夢が叶ったようなものだ。
幾度となく陥った金融危機でそれが幻だと思い知らされながらも、他に拠り所が無いが故に現在の金融システムは存続している。
人の価値もまた然り、年収・年棒、人の死ですら金額換算される。古の偉人が残した殴り書きのメモに何億何十億という値が付き、スポーツのスーパースターにも驚くような契約金が支払われる。今や壁に描かれた落書きやスナック菓子のおまけのカードにさえ高値が付く。
それらの金があれば果たして何人の飢えを満たすことができるのだろうか?
富は少数の人間へと集積し独占され膨大な数の貧困者を生み出す。だが、人々はそれを自由と呼び平和と称した。私が重税に苦しみ兵を挙げた四百年前と構図は同じだ。
まぁ、当時の私も『幻想』を信じ闘っていた訳だが・・・若年の無知に因るものだと恥じているよ。
それでも、国は民のために在るべきものという持論は変わっていない。
国というものが牢獄で、民が「模範囚」を志すような世界であってはならないのだよ。
だが、私は民にも国にも裏切られ命を奪われた。今となっては悲劇の英雄のような扱われ様だが、知っての通り歴史などというものは時の為政者によって幾らでも書き換えられる。真実は隠滅され史実というフィクションが語り継がれる。偽史により教育洗脳された囚人の子供たちが押し付けられた価値観を元に作りあげる世界が良い方向に進む筈もないだろう。
私に与えられた不死とは恩寵だと思っている。真の『神』からの試練、だとね。
罰ゲームのようだと自虐する事もあるが、この力は『神』に選ばれし証。
老いや死から免れ永遠という時間を生きる、つまりは『時』を超越した「我々」は特別な存在であり、民を救済する事が出来る筈だ。
だから・・・
「長い・・・」
益田の演説を中断させるようにタロは目を瞑った。
「・・・そして酷くつまらない」
ヴァンパイアの少年は左頬の切傷を鋭く尖った爪で縦にゆっくりと引搔いた。
刀傷と垂直な爪痕から滲む血。
その十字になった血痕の上、銀色の眼を輝かせた左目を見開いて少年は言う。
「わかった、闘おうじゃねぇか!」