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満月の輝く夜に  作者: 剛田豪
第三章 十六夜
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或る男の回顧

 男は、医療機器に囲まれたベッドで横たわる自分の姿を俯瞰していた。

「これが、私か・・・」

 深く刻まれた皺、白く抜け落ちた髪、自身の知る姿からあまりにもかけ離れた己の様を見ても、男には何の感情も湧かなかった。

 患者クランケを取り囲み懸命に処置を行うスタッフたち、彼らが怒号のように発する医療用語や薬剤の名も男にとっては既知の語彙だった。

「ありがとう」

 笑顔も無く謝意の言葉を医師たちに向けた男は、自らの今生が終わる事を察した。

 また、人を裏切ってしまった。

 また、同じ過ちを・・・

 ベッドの脇にある機械がアラームをがなり立てる様子に「もう、いいんだ」と今度は少し笑って見せる。

「もう、終わりにしよう」

 そう言って男は五十年に満たなかった人生を振り返る。

 幼少期に両親を事故で亡くした彼は親類に引き取られた。子供を授からなかった夫婦は何不自由のない暮らしを与え、彼もその事に感謝した。

 だが、高校生になった頃から彼は養父母と反目してしまう。開業医である養父が彼にも医者になる事を強く望んだのがその理由だ。

 これと言って何か思い描いていた青写真も彼には無かったのだが、勝手に決められ強いられた事が気に入らなかった。そして、自分を引き取り育てた事も単に後継ぎが欲しかっただけで、そこに愛情など無かったのではないかと邪推さえした。

 十代ゆえの青く愚かな考えだったと今際いまわきわにして男は思った。

 敷かれたレールの上を進む事を望んではいなかったが、他の路線を描く事もせず彼は私立の医大へ入学した。

 出来の悪い医者の卵たちと遊び惚ける日々。

 空虚で怠惰な時を過ごす彼だったが、そこへ人生の転機が訪れる。

 所属していたゼミの合宿で『山伏体験ツアー』なるものに参加させられた。教授の発案で「まるで罰ゲームだ」と乗り気の無かった彼だったが、景観の美しさや山の神秘に心を洗われた。自分の中に立ち込めていた濃く澱んだ霧が一斉に晴れたように思えた。

 天啓を得た。と言えばよいのだろうか?筆舌に尽くしがたい感情に彼は包まれた。

 その後は、大学にも通わず修験道にのめり込んだ。家にも帰らず養父母から捜索願が出されたりもした。

 季節が一周した頃、半ば勘当同然で家族から許しを得ると、彼は自分の敷いた道を邁進する。そして、道を究めようという志を持つに至るのだった。

 その道程で超自然的な世界や『人ならざるもの』たちの存在を男は知る。

 人々を苛み苦しめる人々には感知できない『もの』。それと対峙し、それらから人々を守る事が自分の生まれて来た意味だと思った。

 だからという訳ではないが、今回は、妻を娶る事も、家庭を持つ事もなかった。

「これも、前世の影響なのか・・・」

 だが男には妻より重要な存在があった。そして、その美しく聡明な女性と十八年の歳月を共にする事ができた。娘などとは比べ物にならないくらい素晴らしい少女に仕える事もできた。

「だが、私は彼女たちを裏切った・・・」


「大丈夫か?」

 そう言って差し伸べられた若い女の手。だが男はそれを掴む事なく答えた。

「ああ、おかげで命拾いしたよ」

「うむ、ただ、貴方の御仲間は・・・」

「仕方ない、俺一人生き残っただけでも奇跡みたいなものさ」

「そうか」

「ただの鎮霊を施しに来たつもりが、あんなバケモノに出くわすとはな・・・」

「この山にはああいった類の物の怪が集まりやすいんだ」

 木曽の山深い地で男は若く美しい竜造寺真澄と出逢った。

 真澄は自身を陰陽師だと明かしたが、彼女とその部下と思しき者たちのいでたちは映画の中の「軍特殊部隊」そのものだった。

「随分と酷い怪我をされているが、貴方は修験者の方か?」

「ああ、木元だ。このくらいの傷・・・それよりも・・・」

 男は周囲で散り散りに横たわる遺体を虚しい眼差しで見つめた。

 血まみれの兜巾ときんと装束を纏っている三人の仲間。彼らを見ながら負傷した足でどうにか立ち上がった男はよろよろと足を引きずりながら仲間の元へ行き手を合わせた。

「ちゃんと弔ってやりたい・・・」

「気持ちは解るが、この人たちを山から降ろす事には賛同しかねる」

「やはり、そうか・・・」

 山のけがれは里へ持ち込んではいけない。人のけがれを山に残してはならない。男の中で修行中に教わった言葉が甦る。

残酷むごいかもしれんが、この地で埋葬もすべきではない」

「こいつらを、このまま放っておけと・・・」

「ああ、穢れは爬蟲はむし共が喰らう。人の手を加えるべきではない」

「だが・・・」

「山は穢れを嫌うのであろう?それは、貴方の方が承知されているのではないか」

 女は男にそう尋ねると、軍用ヘルメットを脱ぎながら続けた。

「私も、山が嫌う女の穢れを落としてから此処へ来た」

 竜造寺真澄の頭髪はきれいに剃られていた。

 彼女の真直ぐな眼差しに男は「わかった」とだけ答えた。剃髪の影響ではないのだが男には真澄の姿がなぜか神々しく見えた。如来像の様な慈しみと阿吽像から授かる戒めを彼女から感受していた。

「弔いは本職ではないが、この方たちの御霊を慰するすべなら私にもある。宗派の異なりを厭わないのであれば・・・」

「ああ、お願いするよ」

「うむ、だがその前に貴方の治療をせねばな」


 竜造寺の口からノリトゴトが発せられ、男はその後ろで手を合わせていた。簡素ではあるが仲間をおくる事ができた。

「木元さん、遺族の方々と警察への説明なのだが・・・」

「無用だ。こいつ等は三人とも身寄りが無い。警察も・・・必要ないだろう」

 彼らが死んだ経緯など、バケモノに殺されたなどと誰が信じてくれるというのだ。心の中でそう呟く男は唇をぐっと噛んだ。

「そうか・・・」

 短く頷いた後、陰陽師の女は少し間を置いて言葉を続けた。

「では、我々がすべきは貴方を無事に下山させる事だけだ」

 女の傍らには山岳救助用の担架が部下たちによって組み立てられていた。

「陰陽師とか言ってたが・・・あんた等一体何者なんだ?」

 男はこの時初めて『祷り人プレイヤーズ』という組織の存在を知った。


 それから半年ほど経ったある日、男の拠点にしていた山荘へ警察官が訪れる。

「加藤省吾さんについて伺いたいことがありまして・・・」

 加藤とは木曽で死んだ仲間の名だった。

 数週間前、木曽山中で三名の白骨化した遺体が発見され、調査の結果その内の一人が加藤だと判明した。加藤の恋人が捜索願を提出していた事も手伝い、捜査の進みは早かった。

 男は任意同行され警察署で調書を取られた。

 最初は知らぬ存ぜぬを通していたが、数々の状況証拠を突きつけられると「熊に襲われた」などと供述を翻してしまう。男は殺人と死体遺棄の被疑者として逮捕勾留された。

 署内の留置所に入れられ取り調べを受ける日々を一週間ほど重ねた時、面会者が現れた。

 竜造寺真澄だった。

 彼女の髪はボーイッシュなショートにまで伸びており、和服姿と相まって半年前とは見違えるようだった。

「やはり、『こちら』が動くべきでしたね」

 アルカイックスマイルのような笑みを浮かべた和装の女へ男は憮然とした表情で返した。

「はぁ、『あんた等』に何が出来るんだ?」

 命を救われた借りも友を弔ってくれた恩も忘れた訳ではないが、不遇の未来しか見えぬ男の目には一縷の希望も映っていなかった。

「木元さんの現状は、私にも責任がある」

「いや、そんな事は・・・仮にそうだとしても、今更どうしようと・・・」

「確かに、遅きに失した。私の過誤だ」

 真澄はアクリル板に顔を近付けて続けた。

「もし、貴方が『我々』と行動を共にするというのであれば、現状打破を約束する」

「行動を?共にする?」

「ああ、『私の所』へ来い」

 監視官の目も気にせず彼女はアクリル越しに手を差し伸べ大きな声でそう言った。

 その顔は、あの日と同じ輝きを放っていた。

 あの神々しく慈愛と訓戒を帯びた姿を男は再び目の当たりにした。


「わかった、そうしよう」と真澄に答えてから七日の日々が過ぎた。

 男の日常に変化があったのは、勾留延長手続きの為に検察へ連れて行かれた事くらいだった。

 やはり、彼女とて殺人案件の容疑者をどうこうする事など・・・

「十一番、出ろ」

 係官の冷やかな声に誘われ独房を出る男。

「あなたは証拠不十分で釈放になります」

 取調室でただそう伝えられた後、所持品を返却され男は警察署を出た。

 ただ指示に従いきょとんとしたまま放免された男へ一台の車が近付く。

「お乗りなさい」

 後部ドアのウインドウから声をかけたのは竜造寺真澄だった。

 車中で真澄は多くを語らなかったが、男は彼女の組織が警察へ手を回したのだと理解した。

 だが、そんな事が・・・

 車は訝しむ男を乗せたまま東京方面へ向かう高速道路の中へ消えた。「自称修験者の男」という元容疑者もその存在を表社会から消した。


 あの菊綴きくとじの付いた装束を脱いでもう何年になるのだろう?

 齢も三十を超え、男には過去を振り返る機会が増えたように思えた。『祷り人プレイヤーズ』へ宗旨替えして三年、竜造寺真澄の部下である事は男のほまれとなった。

「研修?ですか・・・」

「うむ、パリ本部で部隊長クラスが集まる会議があってな、それに伴った情報交換が行われる。本来なら、私が行くべきものなのだが・・・」

 真澄は第一子の出産後間も無く、部隊長代理の研修名目で彼に行って欲しいとの話だった。

「お嬢、私などが代理で行って宜しいのでしょうか?」

 男の言葉に十歳年下の上司はフッと軽く笑った。

「いや、すまん。出逢った頃の貴方は『謙遜』などという言葉を持ち合わせていなかった・・・などと思ってしまってな」

「恐いもの知らず、でしたか?」

「まぁ、そんな貴方を気に入った私もまだ十代だった」

 彼女と共に昔を懐かしんで笑う、そんな時間が訪れようとは夢にも思わなかった。

 鍛錬と実戦に塗り潰された日々、常に彼女は厳しくも的確な指示を与えてくれた。

 いずれ竜造寺という大家の当主となる宿命を背負い、若くして大勢の猛者たちを統率する彼女に男は心酔していた。


 本部での会議初日、議事前のブリーフィングが行われた。

 内容は『最も警戒すべき対象』についてだった。彼らの脅威となる『対象』、事象・人物・団体などが十ほど挙げられそれぞれについて説明が行われた。

 リストには男にも見覚えのある名が幾つかあり、その内の一つを解説する際スクリーンの画像が切り替わった。

 映し出された人物を見て、男は猛烈な吐き気を催した。

 たまらず部屋から飛び出てトイレに駆け込む男。

 少しざわついた男のいなくなった議場で、大きく映し出されていたのは天草四郎時貞の姿。現代の欧州と思われる街並みが背景の画像だった。

「あの日のままの姿・・・生きている・・・」

 便器に頭を突っ込みガタガタと震えながら何度も嘔吐する男の脳裏には前世の記憶が甦っていた。

 島原の乱一揆軍の浪人。

 四郎を総大将に祭り上げた首謀者の一人。

 若きカリスマからの信頼も厚かった。

 だが、最後に彼を売ったのは、私。

 裏切ったのは私。

 妻があつらえてくれた再仕官の口。

 裏切ったのは私。

「仕方がなかったんだ!」

 裏切ったのは私。

「妻が、妻の口車に・・・」

 裏切ったのは私。

 裏切ったのは私。

 裏切ったのは私。


「そうだ、裏切ったのはお前だ!」

 スクリーンの中の時貞が血まみれになってそう叫ぶ。

 そんな悪夢を男はその夜を境に何度も見るようになった。

 帰国した後も頻繁に彼を苛む夢、だがそのループは、思わぬきっかけで断たれる事となる。

 益田四郎本人との「再会」である。

 彼と目が合い男は震えを抑える事ができないばかりか、失禁さえした。

 場所はとある大学の中だった。薬学のスキル向上の為、男は研究所や製薬会社などに足を運ぶ労を惜しまなかった。この日も「市民講座」と銘打たれたオープン講義聴講の為その学府を訪れる。男にとって専門性は足らないものの、登壇する三人の講師の話を聴く事は休暇も兼ねた見分を広める良い機会だった。

 だが、男が学者たちの姿を拝む事は無かった。

 偶然?にも「あの男」と出逢ってしまったからだ。

「おや、君は、たしか・・・」

 益田の口から前世での名を呼ばれ、男の歯は音を立てて震えた。

「記憶があるんだね、過去世の」

 近付いてきた神父服の人物は穏やかにそう言ったが、男はがくがくと震えながらその場にへたり込んだ。

「す、す、す・・・」

 すまなかった。ただその一言を男は震えで上手く発せられなかった。

 人目もはばからずに怯え座り込む男。益田は男と目の高さを合わせるようにしゃがむと彼の肩にそっと手を乗せた。

「過去に囚われてはいけない。君の事は、もう、許している」

 益田はその言葉を置いて男の前から去った。

 なぜ彼がそこにいたのか?再会は偶然だったのか?男には解らなかったが、益田四郎時貞に背負った重い十字架を降ろして貰ったと思えた。

 学生たちが行き交うキャンパスで大粒の涙を流した男だったが、その日から夢にうなされる事は無かった。


 だが、私にとって本当の悪夢はその十三年後に始まった。

 ガブリエルと名乗るあの悪魔のような人物が私を訪ねて来てからだ・・・

 私は改宗を強いられ、呪いをかけられ、罪もない人間の命を奪った。

 そして・・・

 あなた方を裏切ってしまった。

 詫びて許しを乞えるとは思わないが・・・

「本当に、すまなかった!」

 男の意識はICU(集中治療室)を出て竜造寺家に在った。

 日曜の夕刻、母子で縁側に座る二人の「お嬢」。その稀有な佇まいに涙しながら男は別れを告げる。

「さようなら、そして、ありがとう」

 手入れの行き届いた庭の木々が風に揺れ音を立てた。

 真澄は宵の明星を見上げ手を翳した。




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