ハト記
作者:正木
3月18日
先生、ひる休みのドッヂボール、遊んでくれてありがとうございました。お楽しみ会でのてじな、おもしろかったですか。今日で朝の会で書く交かん日記が終わるけど、ノートが新しくなったのはもったいないです。今日一日だけでうめるのはむずかしいと思います。だからここでおしまいです。四年二組でよかったです。先生、一年間ありがとうございました。
〇ハトが飛び出す手品には驚きました。三国くんは天才マジシャンだったのですか(笑)。三国くんは一年間できれいな文章を書くようになりましたね。先生との交換日記は今日で終わりですが、これからも日記を書き続けてみてください。このノートの余りから書き始めてみましょう、きっと三国くんの財産になりますよ。誰かに読んでほしかったら、先生のところまでぜひ持ってきてください。先生も四年二組の担任でよかったです。一年間ありがとう!
11月16日 (水)
おれ、今日ハトふんだ。
そして福井先生が死んだ、らしい。芦原から聞いた。もう葬式も終わっているらしい。先生が今どうしているかおれは何も知らなかった。もう墓の下にいるのかもしれない。水居なんかは泣いていたが、おれが真っ先に思い浮かんだのは、先生に見せる日記がない。だった。今書いているこれしかない。先生、おれ日記を書き続けませんでした。一度も先生に見せに行きませんでした。もしも待っていたようなら、ようなら……これ以上は考えない。だからこうして日記を引っ張り出して書き始める。
11月17日 (木)
一日経って、福井先生が死んだということがどうにもうそくさく思えてきた。芦原だって、死んだ先生を見ていない。それに先生はおれたち四年二組のあいだでは百才の妖怪だということになっていた、だから死ぬはずがない。妖怪福井ババア。五年経った今思い返すと、ババアというほどの外観でもなかったけれど。その話を芦原にしたら、それは小学生に対するジョーダンだろう、と鼻で笑われた。本当に妖怪だった場合どうするんだ。先生は人間世界にまぎれることにつかれて、一度人間として死んだだけなのかもしれない。ほんとうのほんとうは、生きているのかもしれない。希望がわいてきた、先生は生きている。いいや、おまえはバカか。昨日泣いていた水居が学校に来ていないじゃないか。先生は死んだ。けれど日記は見せる。だから書く。
11月18日 (金)
今日はカバンにハトが落下した。ハトがカバンにべっとりと張り付いていて取れなくなった。その現場をもれなくクラスのクソヤンキーに見られていたのだから運がない。学校中におれのハトカバンの話をまき散らしやがった。一日中好奇の目にさらされたので、今日は体中に穴が開いている、多分ねたら治る。家に帰った今になっても、ハトカバンはハトカバンのままだけれど。
11月20日 (日)
昨日は一日ぐうたらして過ごした、さっそく日記をさぼる。ここでやめたら三日ぼうずだったが、今日書き続けることができたのでまぁ気にしない。今日は休日なので弟の付きそいで公園にかりだされる、母さんは「受験勉強の羽休め」と言ってくるが、おれはいつも羽を休めっぱなしなので、この言い分はおれを外へ出すための理由としてはあまり成り立っていない。弟は餌付けが趣味なので、今日は公園のハトにパンをやっていた。おれはベンチでそれをみていた。弟が空にまいたパン(賞味期限がだいぶきれている)にハトがむらがって、むらがって、一匹の巨大なハトになっていた。ポポ、ポロポロと鳴くので、弟が同じように鳴き返すと、どこか遠くへと飛んで行ってしまった。家に帰ってカバンを確認すると、相変わらずハトカバンだった。
11月21日 (月)
学校で芦原に会う、おれの身体が穴だらけであることについて指摘される。土日でだれも指摘してくれなかったし、おれ自身も気が付かなかった、ハトカバンと同じくねても治っていなかったらしい。今の芦原はメガネなんかかけて、学級委員なんてたいそうなオシゴトをしているが、中身は四年二組のころの、あの短気なままなので、穴だらけな理由を聞かれて「おれにも理由がわからない」と言ったらブチ切れられてしまった、あいつはあんなに短気で仕事がきちんとできているんだろうか、先生、どう思う。
11月22日 (火)
身体は穴だらけなので、試しに自分の腹のあたりに空いている穴に手を突っ込むと、そのまま背中まで通り抜けて背中をポリポリとかくことができた。お、便利。孫の手いらず。とはいえ制服を着ているとこの穴もあまりわからない。耳と左手に空いた穴くらいしか見えない。芦原から先生の墓参りに行くかどうかの相談を持ち掛けられたので、怒らせないよう早いうちに答えたい、けれど先生に見せる日記がもっと増えてから行きたい。あいつは昔からキレキャラだったし、長い付き合いもあるのだから、今更怒られるのを怖がる方がどうかしている。うん。
11月23日 (水)
ハトカバンは相変わらずハトカバンのままなので、うわさを聞きつけた一年生集団がわざわざ教室を訪ねてきた。受験生の教室なので、ハトカバンが授業中にポウポポウポしているのをよく思わない生徒ばかりで、申し訳ない気がしないでもなかったところだったので、帰るまでの時間引き取ってもらった。一年生の教室でも元気にポウポしてくれたらしく、帰りに担任の松本に「そのカバン、どうにかならないの?」と聞かれた。おれの身体は穴が開きすぎて口の部分がなくなっていたので、何も言い返すことができなかった。どうにかなるならどうにかしてもいいけど、と言いたかった。
11月24日 (木)
一週間ぶりに水居が学校に来る、保健室にいた。おれはとうとう視線のせいで右足がなくなってしまった。足がいたいです、というそぶりをして、体育の時間を保健室でだらだらした。ほんとうは足の感覚の一切がないのでいたくもかゆくもない。保健室に入ると、ソファに小さなハトが座っていたので、なんだろうと身がまえてしまった。ハトが水居の声で「だれですか」と喋ったので、そこでようやくそれが水居だとわかった。おれは口がなかったので(もちろんこれを書いている今も口はないままだ)、右手で文字を書いておれがおれだと伝えた。水居はハトの首を左右にカクカクさせて文字を読み取っていた。そしておどろいていた。三国くん、その身体どうしたの。そんなのおれが知りたい。それに水居こそその身体はどうしたんだと思った。先生も知っているとは思うけれども、水居は先週までは、普通の、長い黒髪のおとなしい女子生徒だった。
11月25日 (金)
保健室のハト、もとい水居がおれのハトカバンと共鳴することがわかった。ハトカバンの一部になることもできそうだったが、最初に張り付いたハトのようにはがれなくなった場合のことを考えると、おそろしくなってやめようという話になった。芦原が給食を運んできたが、おれは口がないので食べられなかった。芦原は水居がハトになったことをおれよりも先に知っていたらしく、水居さんも大変だな、なんて言っていた。福井先生の墓参りには行くと答えておいたので、今度この日記も持って行く。
11月26日 (土)
足がなくなった、起きたらなくなっていた。好奇の目で穴が開くのかと思っていたが、今日は休日で、家族以外のだれとも顔を合わせていないので、ちがう理由で穴が開いている。ということに今頃気がついたがどうでもいい。足はないが、移動に困ることがないので、家族は何も言ってこないし、町を歩いていても何も言われない。ユーレイのように上半身をぷかぷかとさせている。これでけっこう何ともない。先生、おれは身体がなくなっているけれど、先生もこうやって身体がなくなったのか、と思うと恐怖がどこかに行ってしまった。身体はなくなるのだろう、と思う、けれど死ぬ気がしない。やはり先生は生きている、先生はきっと妖怪だった。おれにはわかる、多分、先生と同じだ。
11月27日 (日)
とうとう顔のほとんどがなくなった。口がなくなったときから食事をとっていないが、何ともない。身体に穴があいた最初の日から胃のあたりに穴は開いていたので、空腹という状態にならない。脳みその部分がなくなってしまったが、考えるということができているので、おれの思考は頭にはなかったのだろう。さいわい右手だけは無傷。この右手がある限り、おれはこの日記の中では死なないのかもしれない。おれの右手は考える右手。今日も、弟がハトを餌付けするというので、ほとんどない身体でついていった、巨大なハトが空から降ってきて、そいつの大きな口に、ポストに投かんするみたいにパンを入れて、おしまい、ハトのエサやりって、こんなだったっけ、ああ、句点を打つのがこわい、句点を打って文章を終わらせたら死ぬ気がする、昨日はうそを書いた、こわい、
11月28日 (月)
朝、窓の外が一斉にハトになって飛んで行っていた。だから窓の外はそれ以降真っ白になった。家の外に出ようとしたら、延々に白の崖があって、延々に白の空があった。落ちるのか浮くのかわからなかったので、学校に行くことを断念することにして、部屋でにどねをキメる。昼間、水居がおれの部屋の窓まで飛んできて、福井先生の所へ行こうと言った、人間の身体で言った。どうして人間の身体があるんだ、と訊いたら、三国くんだって足がある、と答えられる。なるほど、足がある。頭も口もあるし、目だって二つついている。しかし右手がない。右手はペンをにぎってこれを書いている感覚があるのに、右手がない。右手。右手がないことにあせりを感じつつ、墓参りなら今度行くんだろう、と言い返すと、ちがう、本当に会いに行くの、と言われる。先生は妖怪だから死んでないんだよ、だから行こう、待ってるよ、と。やはり先生は妖怪だったらしい。水居はジョーダンをいうようなやつじゃない。けれど右手がないし、なにより日記がない。書いている感覚はあるのにどちらもない。先生に会うときに日記を見せる約束だった、今は日記がないから行けないと言ってことわる。水居は窓から飛び去って行った。いけない、右手がない、窓の外もない、おれはハトではないので飛べない。部屋を見渡すと、いつも通りハトカバンがクルクル鳴いている。こいつは飛ぶのかもしれない。
11月29日 (火)
いつ昨日が終わって、いつ今日になったのかがわからない。窓の外がないからだ。おまけに時計の針はずっとおどっているので、正確な時間もわからない。多分とっくに日付が変わっているだろうから、新しい日付にしておく。右手は相変わらずないが、右手以外の身体がきれいに整った。背伸びをする、ラジオ体操をする、第一も第二もする、支障がなかった。右手はどこかで日記を書き続けている。右手と日記だけがどこかに飛んで行ってしまったのだろう。ここは日常の世界なので、例えばもっとおかしな世界とかに。水居がハトだったり、福井先生が死んだりしているような。そんなバカなことがあるか。先生は妖怪なので死ぬわけがない。おれは人間だから死ぬけれど。右手がこうして日記を書き続けているので、右手側の世界の人がこれを読んでいるかもしれない。読んでいたら、おれの右手を日記と一緒にここまで送り飛ばしてほしい。
11月30日 (水)
水居に会う。正確には、連れ去られる。起きたらハトカバンの上にいた。まっさらな世界であたりを見渡すと、前の方に水居がいた。何もかも真っ白な世界なので、何をしているのかしばらくわからなかったが、飛んでいるのだとわかった。このハトカバン、やはり飛べるらしい。ほら、先生が手を振っている、と水居が言うが、おれには見えなかった。先生は妖怪だから見えないのかもしれない。
11月31日 (木)
昨日はあのままカバンの上で眠ってしまったらしい。もしかしたらひるね程度にしかねていないのかもしれないが、とりあえず日付を変更しておく。水居にもここの正確な時間はわからないらしい。今日水居は「福井先生」と延々話をしていた、おれに先生は見えないままだ、しかしおれの身体がどんどんなくなっていった割におれの存在がなくならなかったことを考えると、先生が完全に身体を失って、存在だけがそこにあるのだと思えることもないような気がする、水居の正面の空間に先生はいるけれど、おれの隣にだって先生はいる。先生、今度日記見せに行きますね、今はないんですよ、ほら、右手もない、と口に出して言っておいた。ここは白いので全くひびかない。
11月32日 (金)
福井先生はわたしを助けて死んだ、ほんとうは先生は死んでるんだよ、と水居が言った。そのことがつらくなって、学校に来ることができなくなったと。数日前、あんなに泣いていたのは責任を感じていたからなのか、と思うと合点がいった。海でおぼれかけたわたしを助けて死んだ、りんかい学校だった、先生の旦那さんも娘さんも、四年二組のみんなもわたしを責めなかった、福井先生のことだからどこかで生きているのかもしれないよと言ってくれたけれど、きっとみんな先生を死なせたわたしを責めたいにちがいない、という。りんかい学校。おれは骨折したので行っていないし、それは小学校五年生のころのことだ。おれは高校受験をひかえた受験生だ(それにしては漢字が書けない自覚はある、国語の新米教師にいつもため息をつかれる)、足が健全だったとしてもりんかい学校になんか行くわけがない。いや、行くのかもしれない。おれは今ほんとうは小学校五年生なのかもしれない、うっかり中学三年生だと思い込んでいるだけなのかもしれない、水居は小学校五年生のころと全く変わらないじゃないか、おれだってそうだろ、と言い聞かせるとなんとなくそんな気がしてきた。そのために今日は左足が骨折した。先生は死んだ、水居はそういうが、どこかで生きているのかもしれないと言われたのならば、どこかで生きているのだろう、水居は先生は妖怪だから死んでないんだと言った、先生が生きているどこかはここだ。
11月33日 (土)
とうめいな先生と語るのにも飽きたので、水居と話し合った結果、先生に肉体を与えようという話になって、ちょうどこの空間にあるハトカバンに先生になってもらうことにした。相変わらずクルクル言っている。カバンにくっついたまま取れないのか? と思い引っ張ると、ハトが三匹になってうち二羽がそのままどこかに行った。小四のおれがやったという手品、これかもしれない。水居に訊ねると、そんなのやってたっけ、と言う。先生に訊ねても何も言わないけれど、それでこそ天才マジシャン、と首をかしげて言ってくれている気がするので、そういうことにしておく。おれがこうしてどこかで書き続けることで、どこかに留まり続けているように、先生も想像で補完することで生かしておける。水居はみんなわたしを責めない、と言うけれど、先生はほんとうに生きているので、責める必要もない。明日は教室に出てきたらどうだ、と言ったが、おそらく今が明日なので、できない約束だとことわられる。
11月34日 (日)
先生は四年二組の担任で、今考えなおすと三十代の後半くらいの、同じように学校の先生をしている旦那さんと、五才の娘がいる、おばさんと言うにはまだ若いけれど、おねえさんというわけでもない、くらいの人だった。クソガキなる生命体は大人の年齢をとりあえず百才と言うので、先生は百才ということになっていた。先生は他の先生のようにおれたちをクソガキ扱いすることはしなかったし、ケンカをするな、とも言わなかった。先生はしょっちゅう他の先生と教え方のちがいでケンカをしていたけれど、大体勝ってくるので、とんでもないババアだ、あいつにケンカを売ってはいけない、あれは妖怪だ、と当時クソガキだった芦原が言い始めたことによって先生は妖怪になった。百才の妖怪。それが死んだ? まさか。おれは葬式に出てもいない。左足は骨折していて、おれは今日も松葉づえをついている……。
11月35日 (月)
もうどれだけ時間がたったのかわからない、先生は相変わらずハト言葉を話す、だからおれにはわからない。水居は気が付くと人間になっていたり、ハトになっていたりするので、先生の言葉がわかるのだろう。おれはなぜハトになれないのだろう。先生はハトで、水居も半分ハトだ。あ、そうか、水居は先生に助けられて生きているから、半分先生なのか。そうか、先生は水居の中に生きている。
「そうです、先生は、私は生きています」
ハトが喋った、先生の声で、喋った、ような気がする唐突に、言葉はすぐに透明になってしまった、右手が書いてくれないと記録にのこらない、かけ、できるだけはやくかけ、どこかにあるみぎて。先生は確かに喋ったが、喋ったがもう何も言わなくなった、水居が叫ぶそぶりをして、ハトになって、けれどここは白いのでひびかない。ハトの鳴き声だけが響いている、あれ、なんでこのハトを先生だと思い込んだんだ、おれ……。けれど先生、だから先生、なぁ先生、おれを待っていたのなら。なぁ先生、退院したら、みんな先生は急に転勤になったんだよ、と言ってきたが、母さんから先生は死んだって、聞いたんで。口に出すがひびかない。知ってます。あれ、知っている。先生は死んでいる。ついこの間芦原から聞いたのではなく知っている。ポロポロないた。ハトかおれかが。すると突然、先生ははじけて無数のハトになって、白の空間に一列に並び始めた。空間の白と重なって、横断歩道のようになる。一羽がおれのまわりを飛び交って、ついてきなさい、と言いたそうにする、それが体育の授業中の先生に似ていると思った。だからついていった、おれはその上を歩く。先生がそこかしこで羽ばたいて手を振る。先生、おれがお楽しみ会でやったというマジック、全く記憶にないのですが、あれはこうして先生がハト役をやってくれたんじゃないんですか。だったら納得がいきます、おれはそんな超現実、できないので。横断歩道を渡りきると、水居はもうどこにもいなかったし、無数の先生もどこにもいなくなっていた。おれの身体もなくなっていた。日記だけが書き続けられていて、それだけがおれになった。
11月14日 (金)
目が覚めると保健室だった。右手がある、ペンをにぎっている、ベッドのわきで芦原がうでを組んだまま眠っている。オレンジ色の外光があることに違和を感じた。窓の外を見ると、白くなかった。まぶしいオレンジ色の光が射している、木がある、土がある、空がある。そしておれのカバンをみると、ハトカバンではない。ポウポポウポしてみる、反応がない。ねたら治る。ねたら治った。しかし夢にしては壮大すぎる、と思いこの日記を見ると、この通りきっちり記録に残っている。水居は人間に戻れたのだろうか。芦原をたたき起こして水居の行方をたずねた、水居さんならもう帰ったよ、言われた。どこからどこまでが本当だったのかわからない。福井先生が死んだのは? と問うと、先生は俺たちが小五のときに死んだだろ、でも俺たちの中では生きてんだよ、そういうことになっただろ、それより今度先生のところに行くのどうするんだ早く返事しろ、まったく体育の授業中にブッ倒れやがって、とキレられる。ねたらいろいろは治って、先生は治らない。
11月15日 (土)
福井先生の墓に行くと、先生が群れになって待っていた。ばったり水居に会ったけれど、身体が穴だらけのおれのことや、右腕のないおれのことは全く覚えていなかった。そもそも水居が人間で、しかも成長していたことにおどろかされた。背は伸びていたし、髪も短くなっていた。おれの会ってきた水居はおれの記憶と全く同じだったが、今日の水居はおれの知らない水居だった。そういえば、そうだった。人間は成長する。水居さん、やっぱり教室来れそうにない? と芦原が言っていた。水居は保健室登校だった。水居、先生死んでないよ、おまえになって先生が生きてるよ。言ったが、わかってもらえただろうか。
先生に手を合わせてから日記を見せる、先生は首を左右に何度も振って、それからおれをじっと見た。顔の横についた目がつやつやしていた。けれど先生からのコメントがここに書かれるわけでもない、ハトの鳴き声だけの空間が、こんなにむなしいとは知らなかった。先生はやはり待っていたのかもしれない、おれは先生が死んだことを知っていたけれど、知っていたけれど……墓に来たら本当に死んでしまったような気がして来たくなかった、水居がいてくれてよかった。少し泣いたかもしれない。あ、今日からの文章は先生が読むわけでもないのでカッコつけなくてもいい、だから書く、泣いた。
帰りがけ、自転車で公園の中を突っ切ると、ハトがいっせいに夕暮れに逃げて行った。シルクハットから飛び出す手品のようだった。もしかしたらこの日記は、妖怪が見せに来てほしくて、仕組んでおれに書かせたものなのかもしれないな、と思った。生きているけれど死んでいる、半とうめいな先生が、どこまでも点々と飛んでいた。