「頑張れ」は呪いの言葉
この世界で言葉というものが最も残酷だとわたしは思う。
何気なく放った言葉がナイフになる。
どれだけ親しくなろうと心の距離が縮まろうと、
不意に放たれる他者の言葉が、胸に、心にいつも突き刺さる。
たった、たった一言で人は人を殺せてしまう…。
その中でも「頑張れ」という言葉は多くの毒を秘めている。
普通に聞ければ激励の言葉になるだろう。
しかし、「頑張っていた者」や「頑張り続けている人」、「頑張れない人」が聞けば、
それはもう暴力に他ならない。
「頑張れ」という人は同じ事を何度も何度も繰り返して言ってくる。
そうなればこれは呪いになる。
言葉の呪い、言葉は呪い
苦しみの鎖を心の根の奥に打ち込み、
胸をギシギシと縛り絞めつけてくる。
わたしはこの言葉を聞く度に苦しくて、死にたくなる。
人は様々な事情を抱えて生きている。
一見すると怠けているような人にも他者には理解できないような複雑な問題を抱えているかもしれない。
それは例えば親でも理解できないような事かもしれない。
主観と客観の違い、立場の違い、考え方、育ち方、思惑、感情、秘密、プライド。
理由を挙げていたらキリがない。
そんな事情を知らない、知ろうともしない、知っていても理解できない人たちが、
無責任に、無感情に、まるで当たり前のように「頑張れ」と言ってくる。
「頑張れ」「頑張れ」「頑張れ」
わたしは「頑張ってきた」んだ!
ずっとずっと我慢して耐えて抑えて、親や先生や他人の期待に応えようと、
「頑張ってきた」んだ!!
なのにそれでも、誰もが未だに「頑張れ」と言ってくる!
ならばわたしは何処まで「頑張れ」ばいい?
死ぬその間際まで「頑張り続けなければ」ならないのか?
期待も重圧も辛くて仕方がない……。
苦しみの先がいつまでも見えない………。
「頑張れ」という言葉でわたしは身体も心ももうボロボロだ。
死にたいほどに痛いのに「頑張らなければ」という思いが足枷になり、
死ぬことさえできない。
死んだ先にも「頑張れ」の呪いがあるのかと思うと憂鬱になる。
生きている今にも、死んでしまった先にも、「頑張れ」があるならば、
世界の全てが地獄でしかない。
「頑張ってきた」わたしを認めてほしいだけなのに………。
そしてこういうと必ず現れる「頑張れ」の重圧を押し付ける奴を擁護するものが。
貴女が理解される努力を怠っただけだろうと。
貴女の努力が足りないと、
ここでもまた「頑張れ」と努力しろと言われ続ける。
理解される努力をわたしが怠っているならば、
彼らはきっと理解する努力を怠っているのだろう。
そう考えるものはいないのだろうか?
努力を見せろ、結果を出せと皆が言う。
まるで見せてもらえるのが当たり前のように……。
努力は見つけてもらえない。
過程は蔑ろにされる。
理解はされない。
今日もまた家族の「頑張れ」が来た
嫌な事を投げ出したい。
全てを捨てられるのなら楽になれるのに。
「頑張らなくていい」世界はいつかわたし達に訪れるのだろうか………?
わたしにとって「頑張れ」と言う言葉が痛み、苦しみ、呪いの象徴ですが、
多分他の人は違うのでしょう。
理解できないかもですが
こういう思いもあるのだという事が伝わると嬉しいです。
きっと色んな人が「言葉」で傷ついている。
その痛みを必死で隠してるんじゃないかと思います。
わたしのエゴですが
どうかそんな人たちに幸福で安穏とした時間が訪れますように………。