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魔法おいしい。 〜イディアル大陸美食異端健啖奇譚〜  作者: 太刀呪 駁/たちじゅ ばく
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二話:何事においても大事なのは

 人間の出す音が嫌いだった。


 食事を共にするとき、ふと訪れる沈黙。わずかに耳に届く咀嚼音がどうしても我慢できなかった。

 昼休みが近くなってきたころ、誰かが鳴らす腹の虫の音も嫌いだ。

 どうしても我慢できない、誰かの咳やくしゃみの音も嫌いだ。

 風邪予防のため、誰かがうがいをする音も嫌いだ。

 誰かの呼吸音も嫌いだ。

 誰かの足音も嫌いだ。


 とにかく人間の出す音というものが嫌いだった。その癖音楽だけは人一倍好きで、家では良くCDに耳を傾けた。

 音楽という旋律を伴った時のみ、人間の出す音は素晴らしいものに変わる。

 あんなに嫌いな人間の声が、歌になった途端、大好きに変わる。

 人間が机や床を蹴ったり、扉を開けた時になるような物音も、楽器を介せば聞き惚れる。


 高校受験の差し迫った中学校三年生時の秋、ふとしたタイミングで「妥協」という言葉を知った。

 調理実習の時間に、同じ班だったナントカさんが言った言葉だった。


––––料理は愛情なんて言うけど、一番大事なのは妥協。


 妥協。

 なんとなく耳に残った言葉を、ほんの気まぐれで辞書で引いてみた。「対立した物事で両者が譲らない時に、譲って解決とすること」

 ナントカさんが使ったのは、「理想には幾段か届かないが、それで納得すること」という意味だろうが、本来辞書に載っていない後者の意味よりも、前者の意味に「なるほど」と思った。

 そうして物事に対して譲ることを覚えた。

 あらゆることに対して、「そういうものなのだ」と思い譲るようになって、人間の出す音というものが気にならなくなっていった。

 引き笑いというか、吃音のような気持ち悪い笑い声だけはどうしても我慢できないままであったが、それでも、人間の出すほとんどの音が、平気になっていた。


 高校も三年目、五月の中旬。苦手な古典の中間テスト返し、そしてその解説の授業を、両の眼を開けたままで聞いていることは至難の技であった。

 苦手で理解できない古典と、それに反してなぜか七割弱、そこそこの点数は取れたテストの解説に、窓際最後列、ポカポカ陽気が合わさって、睡魔が襲ってこないわけがない。


––––そういうものだ。


 わざわざ眠気に抗うこともせず、頬杖をついたまま、意識を手離そうかというその瞬間、たった一瞬。

 ふわ、と体が浮き上がるような心地がしたが、そのころにはほとんどの意識が遠のいていた。

 中間テストの要点をしきりに説明する甲高い教師の声は、とっくに聞こえなくなっていた。


!×!


 頬杖をついていた肘を支えるものがなくなった時の、あのガクッという不安定感で目を覚ました。

 咄嗟に体勢を立て直して、座り直す。

 真っ先に気付いたのは、机がないこと。硬いプラスチックの椅子の感覚だけが尻の下にある。


––––机がない?


 確かに、机はない。

 だが、無いのは机だけではなかった。

 本来、教室にあるべきもの。机だけではない。

 黒板、ロッカー、掃除用具入れ、黒板消しクリーナー、ゴミ箱、チョーク。

 無いものはそれだけにとどまらず、白い天井や木の床、廊下側、運動場側の窓ガラス、そして。

 古典の先生や、居るはずの級友まで。

 苔色プラスチックの椅子と、学ラン、スラックス。それ以外、本来学校にあるべきものが何もなかった。

 でも。まあ。


––––そういうものか。


 現状無いものは分かったので、寝起きで薄ぼんやりしたままの頭で、あるものを確認していく。

 まず周囲。

 ちょうど教室くらいの空間を薄暗闇が満たし、床に描かれた五芒星の頂点で燃える紫の炎のみが光源となっている。

 脳の奥の方で、何かが瞬いた気がした。


––––何かを、忘れている?


 思い出せないことは、考えても思い出せない。何か大事なことを思い出しそうな状態を脳の片隅に押しやって、再び周囲に目を走らせた。

 紫の炎の後ろに、頭まですっぽり覆い隠してしまう白いローブを被った人影が一つずつ、全部で五つある。

 床と天井、そしてそれらを支える柱は、すべて同じ石材で造られているようだ。自宅の玄関ホールの床材とよく似ている。大理石だろうか。


––––パルテノン神殿みたいだ。


 柱の形がそれと酷似していた。下端から中間に向けてだんだん太くなってゆき、中間から上端に向けて今度はだんだん細くなってゆく。

 場を満たす音。紫の光を発する炎が時々爆ぜる音を除くと、今この場は、一つの音が支配していた。

 すなわちローブの人影が発する、何語とも見当のつかない呪文じみた音声である。

 その呪文は、声高に唱える者もあれば地の底から響くような低音で唱える者もあり、よく見れば体格にも大きなばらつきがある五つの人影が、それぞれに違う音域を持って唱える様は誠に不気味だ。

 人間の出す音は嫌いだったが、歌を嫌いだと思ったことはなかった。だが、この呪文じみた歌は、好きになれそうに無い。

 ちくりと脳のどこか大事な記憶を刺激するようで、より不快感を煽る。

 体の芯から寒気が走り、おぞましさが尻から頭まで抜けた。

 

 そこで、特に自分が縛られているわけでもなければ、体が動かせないというわけでも無いことに意識が向く。

 てっきり身代金目的の誘拐か何かで、ついに来たか、相手はカルトか、くらいにしか思っていなかったのだが、どうやら違うらしい。

 身代金と交換するための人質というよりはむしろ、何かを召喚するための儀式に使う生贄のような気分だった。


 と。


 突然、五芒星の頂点に立つローブが、皆跪いた。ほとんど土下座のような姿勢で額を床に擦り付け、唱える呪文はどんどん大きく早くなってゆく。

 さすがにそういうものかとは思えなくなって来て、わずかに焦りを覚えた。喉が渇き、背中を汗が伝う。

 猛烈な吐き気に体を折った時、初めて自分が自由に動かせるのが上半身だけであることに気付く。

 上半身は自由に動くが、尻が椅子から離せず、なおかつ椅子が床に縫い付けられたかのように動かないことにも今更気付き、その焦りは強まった。

 あまりの非現実的な展開に麻痺していた脳が、ようやく現実に追いついたのだとも言える。

 今までただ漫然と、世界をただそういうものなのだと、享受するだけの生活を送っていた身としては厳しい感覚だった。

 自分が自分で無いような感覚。胸がざわつく。脳裏に「死」の一文字がチラつく。


 どんどん大きく早くなってゆく呪文が渦巻く。


 声をあげることもできない。

 口がだらしなく開閉するのみで、あ、だの、う、だのと言った声にならない呻きだけが漏れる。


 渦巻く呪文がなってゆく、更に大きく早く。


 立ち上がれない。

 ここから逃げ出すことは叶わないのだ。


 呪文が止んだ。

 耳が痛いほどであった大音声が途切れ、今度は先ほどとは逆方向に、耳が痛いほどの沈黙が訪れる。

 紫の炎が爆ぜた。


「う、わ、ああぁぁあ––––––––––––––!」


 叫びが口から走り出た。

 プラスチックの椅子がけたたましい音を立てて床に転び、初めて立ち上がれるようになったことに気付くが、どこに行こうとも、そして行けるとも思えない。

 そして叫びが途切れると同時に、その場に倒れ込み、そして意識を失った。


!×!


 知らない天井だった。

 見覚えの無いわけでは無い、というか、むしろ普段よく見る光景ではある。いつも朝起きた時の光景と変わることはなかった。

 天蓋付きのベッド、教室より広い部屋、高い天井、傍に控える召使いに、柔らかそうな絨毯、しみ一つない真っ白なカーテンが開けられた窓から吹き込む風に揺れる。

 知らない天井だった、というのは、あくまで見覚えの無い家具がある、といった程度で、驚きはそれほどではなかった。むしろ、こういう時はそういう風に言うものだと、クラスメイトの誰かが口にしていたのを覚えていただけだった。


「茶を」

「かしこまりました」


 傍で微動だにせず侍っていた若い召使の方を見もせずに、言葉だけで告げる。窓の外には抜けるような青空が広がっていた。

 窓際には、高級品だけを上品にあしらった部屋の雰囲気をまるで無視した、どこの学校の教室にもありそうな苔色のプラスチックの椅子が所在無さげに佇んでいた。

 茶の入ったカップを受け取るために、体を起こす。そこで気付いたが、身に纏っているものが学ランでは無くなっていた。不思議な手触りの布で出来た上下。気を失っている間に着替えさせられたのだろう。

 良い香りのする茶を口に含む。特に茶にこだわりは無いが、味の良し悪しくらいはわかる。


「美味い」

「ありがとうございます」


 そこで初めて召使を見た。短く切り揃えられた金髪の、妙齢の女性である。ミロのヴィーナスのような、彫刻じみた冷たい美しさを漂わせる、そんな女だ。

 そして茶をカップ一杯分、ゆっくり楽しんだ後、言った。


「さて、ここはどこだ。説明はしてもらうぞ」

「旦那様がお待ちになられております」

「どこへ行けば良い」

「こちらでございます」


 頷き、ベッドから下りて立ち上がった。


!×!


 その者は、正しく王様そのものである。

 長い黄金の髪の上に乗る、負けじと輝く黄金の冠。中心でひときわ大きな碧玉があしらわれたその冠は、まさに王冠としか形容できなかった。つまりそれを被る者は、王様でしかありえない。


「やあ、気分はどうかね」


 豊かな金髭を揺らして、王が言った。


「最悪だ」


 王の御前であることにまったく気負った様子もなく、返す。

 不敬としか言えないその態度に、王のまします広間の、入り口から玉座までの両壁側にずらっと並ぶ騎士たちが剣の柄に手をかけるのを制して、王は乗り出していた身を深く玉座に沈めた。


「それは重畳。記憶に異常は無いか? 貴様は誰だ? 名を申してみよ」

久遠寺くおんじ灯景ひかげだ」名前を告げ、そして王が言葉を発するより早く、二の句を継ぐ。「……全部思い出したぞ」


 王は鼻を鳴らすことで返事とした。


 灯景の脳裏に、先程の光景がフラッシュバックした。紫の炎、床の五芒星。そして、おぞましい呪文の大合唱。

 その記憶に、今まで脳が厳重に防護していた、幼い頃の記憶が重なった。ちょうどつい先刻と同じように、おぞましい呪文の大合唱を聞いていた時期があったのだ。

 それは四歳になるより以前の記憶だった。

 毎晩、眠りにつくと同じ夢を見た。耳元で轟々と響く呪文の大合唱、そして毎夜寝るごとに、こちらに少しずつ近づいてくる人影。四歳の誕生日を境に、急に見なくなった後、すっかりそのような夢を見たことなど忘れていた。


「お前は、誰だ」

「ボニファテーゼ=ヴァーダナシュタイン。この国の王だ」

「そうか。初めまして(・・・・・)久し振り(・・・・)


 全部思い出した。

 今目の前にいる男は、四歳になるまで毎夜、灯景の夢の中に出てきた人物そのものであり。

 人間の出す音が嫌いだ、というトラウマの、象徴でもあった。


「突然で悪いが、貴様には、勇者になってもらった(・・・・)。金はあるから、支援は惜しまない。魔王を殺してくれ」

「殺せとは、穏やかじゃないな。それに、俺に武術の心得はないぞ」

「貴様が四歳になるまで、毎日見たであろう夢を覚えていないかね? あれは、貴様が元いた世界の魔力をその身に吸収し、その身に蓄えるための処置だったのだ。願え、唱えろ。貴様の願望がその武器となる」


 取り敢えず色々言いたいことはあったが、その中でも今一番聞いておかなければならないことを灯景は口にする。


「ここは俺のいた世界とは、別の世界か? 一応聞くが、帰れるのか?」

「そうだ。手前勝手だが、異世界から、異世界の魔法の素質を持った人間を一人、召還させてもらった。元の世界に帰りたければ、魔王を殺してもらわねばならん」


 元の世界に帰りたいか?

 否、それは別にどうでもいい。

 帰りたい帰りたくないではなく、ただ純粋に、帰ることが可能なのかどうかだけが知りたかったのだ。

 帰れるのなら帰れば良いし、帰れないのなら、この世界で生きていく術を考えねばならない。


「俺は魔王を殺せば良いのだな? 勇者として」

「その通りだ。お前は、魔王を殺してくれさえすれば良い」

「わかった」


 何故なら。

 そういうもの、なのだから。


 灯景は鷹揚に頷くと、これ以上話すことはないとでも言うかのように、王に背中を向けた。

 真っ白の床材でできた大広間の、入り口から玉座までまっすぐ伸びる碧色の絨毯の上を歩いて入り口のところまで行き、振り向く。


「準備ができたら呼べ。着替えてくる」


 それだけ告げると、何事もなかったかのように王の広間を後にした。

 灯景は先程起きた時に着替えさせられていた、寝間着のままだった。

 書けるうちは短いスパンで更新したいですね。


 ちなみに十万から十二万文字程度で、短く終わらせたい(前作は十万のつもりではじめて七十万文字超えた模様)



 ちなみにボニファテーゼ=ヴァーダナシュタイン王、ボニファティウス八世とハルシャ=ヴァルダナ王を合体させて、シュタインはなんかボニファテーゼ=ヴァーダナだとバランスが悪かったので適当につけました。

 この物語のカタカナの名前の人(主人公除く)は全部世界史の範囲で名前が出てくる人の合体になると思います。


(2016,1,23)

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