表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法おいしい。 〜イディアル大陸美食異端健啖奇譚〜  作者: 太刀呪 駁/たちじゅ ばく
1/3

一話:魔法、おいしい

 街行く人の顔に浮かぶのは笑顔。両親と手を繋いで歩いてゆく小さな男の子。楽しそうに話しながら歩いていく男女。


 ……寒い。


 呟いてみた。でもそれが「音」として発されたかどうかは、主に二つの理由から分からなかった。寒さと空腹で耳鳴りが酷いのと、口を開くためのエネルギーが足りていないからだった。

 幸せそうな街行く人々は、道路の隅にほとんど雪に埋もれるように倒れているこちらのことには目もくれようとしない。気付かないフリ、見ないフリをしているのかもしれないし、もしかしたら、本当に気付いていないのかもしれない。

 もう、お腹も鳴らない。


 五年くらい前までは、自分もあちら側にいたのに。お気に入りの真っ赤な手袋、お母さんの編んでくれた襟巻き。

 ふと、そんなことを思い出した。

 五年ほど前、いきなり路頭に迷うことになって以来、生きるのに必死で忘れていた。思い出すこともなかった。自分が幸せだった頃のことなんて。

 毎日暖かいご飯が食べられたし、ふかふかのベッドもぬくぬくお風呂も、日が落ちて暗くなれば、灯りだってあった。


 今となってはもう、ほとんど思い出せないような、まるで読んでいた物語かのような、そんな記憶だ。自分のこととは思えない。

 覚えていることは、とても、とても幸せだったことだ。

 そして、ただ一つ不幸だったのは、十歳検診で「魔力無し(アラズ)」だと診断されたことだった。運が悪かったのは、生まれた家が大貴族の家で、跡取りの長子が人非人、不可触民とまで言われ差別される、役立たずの「アラズ」では面子が丸潰れになってしまうということだった。自分は、事故で死んだことになった。

 どこか僻地の別荘に幽閉だとか、そんな待遇が妥当な処遇のはずだったが、人に非ずと認定された人間を、否、下等種を、国民の血税で生きながらえさせるわけにはいかないのだった。


 ある日突然、人間ではなくなってしまった。魔力を持たない人間はいない。もしいれば、そいつは人間ではなかったのだ。数十万人に一人程度の割合で生まれるらしい「アラズ」が、不幸にも自分だった。

 しかし禍福は糾える縄の如し、捨てる神あれば拾う神あり。捨てられた自分を拾ってくれたのは、町外れの宿屋のおばさん。隣国では奴隷にすら差別される「アラズ」の自分を、差別せず拾ってくれた。住み込みで働かせてくれた。


 もうそのことを思い出しても流す涙はなかった。そう言えば、と、今更喉の渇きを覚えた。水分が足りない。

 四年くらいだ。なんのストーリーもなかった。普通に経営難で、宿屋は潰れてしまった。それがつい最近の話で、田舎に戻るというおばさんには一緒に来てもいいと言われたが、断ってしまった。実は宿屋の不信が「アラズを飼っているらしいから」という噂を小耳に挟んでいたからだった。

 申し訳なかった。

 でも、おばさんみたいな人は例外で、堂々と、「アラズ」への差別をしない人間は、もういなかった。


 おばさんにもらって貯めていたお金は半年でなくなった。日常生活のちょっとしたことにも魔力を使うようになって数百年、もう、魔力を持たない人間「アラズ」の働き口はなかった。社会に貢献する術がなかった。

 そうして二十日程前、この名前も知らない通りの隅っこで、倒れたのであった。

 雪は三日前に降った。美味しくなかった。

 日が沈めば暗くなるし、夜は硬い路面がベッドで、溶けた雪が風呂。三食抜き。睡眠取り放題おやつ抜き。


 灯りのないところでいるのはあまりにも惨めだ、と、最後の力を振り絞って街灯の真下まで這いずって行く。

 視界が白いのは、きっと雪のせいだけじゃない。

 とても眠たかった。

 最後くらいは、最期くらいは、明るいところで眠りたかった。いつからか闇に塗れた暮らしを送ってきたが、せめて、せめて。


 ……パリン


「……あっ」


 街灯には、半永久的に光を発し続ける光魔硝子が使われている。要は発光する魔法が押し込められた硝子ガラスのことで、安価に作成でき、硝子が割れるまでは使い続けることができるという代物であった。その上滅多に割れることはなく、産まれてから死ぬまで、硝子の交換を見たことがない、なんて人がザラなくらいである。

 張り付いていた喉がこじ開けられ、声が漏れた。思わず、であった。隣の街灯までは歩けば十歩くらいだが、それでも、もう動けそうになかった。

 もはや目は自分で閉じることすらできないくらいに冷え切り乾燥している。

 意識が薄らいでいくのをぼんやりぼんやり考えながら、目の前、手を伸ばすとすぐにでも拾えそうな光魔硝子の欠片を、ゆっくりゆっくり眺める。

 危ないので、街灯に使われる光魔硝子は、割れようが砕けようが落ちてくることはないようになっているはずだったが、ここまでくるととことんだ。とことん運が悪い。あと少しでもずれていれば、手の上にでも落ちて大怪我をしていただろう。硝子は使いすぎで割れるが、外部からの衝撃には強い。


 街灯が割れ、光に満たされた町で、唯一影に覆われた場所、死に場所には悪くない場所だ。自分みたいな人間に非ずの「アラズ」が死ぬに相応しい。自嘲の笑みすら溢れる。もちろん頭で思っていることに、必ずしも体の動きが伴うわけではなかったが。

 死んだら楽になれるかな、と考えるでもなく思っていると、駆けて来た少年が雪に足を取られて転び、手にしていた袋を投げ出してしまった。小さなパンが一つだけ袋から飛び出し、眼前まで転がってくる。少年は袋を拾うと、落ちたパンを一瞥し、また駆け出して行った。

 パンが落ちている。先程の少年は拾わなかった。雪の解けて黒くなったような水溜りに落ちたものだから、拾おうとは思わなかったのかもしれない。

 左右を見渡す、と言っても首も眼球ももう動かないので、視界の中に動くものがないか確認して、冷たく棒切れみたいになった右腕を持ち上げた。

 お腹が鳴った。死ぬんだ、死のう、そう思っていたところだったのに、なんだ、体は正直だ。

 雪水に浸った部分を千切ってしまえば、他は食べることができるだろう。でも、早く取り上げないとパンがスポンジみたいに水を吸い上げてしまう。はやく、はやく、急く心に体はまるで応えないで、ゆっくり、ゆっくり、じわじわじわじわとパンに近づいていく。


「おい、あれ、見ろよ、生きてんのか?」

「てっきり死んでるのかと思ってたぜ」


 声の主の姿は、足元、ピカピカの黒い革靴しか見えなかった。男が二人。


「おいボウズ、そんなパンなんか食わなくても、もっといいもんがあるぜ」

「おっ、やっさしー! 死に掛けの乞食に施しを与えるなんて、お前善行積みすぎだろ!」


 近づいてくる革靴。

 ほらよ、そう言って、革靴は、パンを水溜りのより中に蹴り入れ、そして踏んだ。


「おら、お前みたいなのに相応しい、ぴったりなパンだぜ。食えよ」


 ……ギャハハハハハ


「うっわぁー……ご馳走じゃん! もっと喜べよボウズ!」

「……なんだよ、動かなくなったぞ」

「ショックで死んだんじゃねーか?」


 ……ギャハハハハハ


 音が遠い。

 パンに向かって伸ばしていた手を落とす。すると、何か硬いものの上に落ちたようだった。火傷しそうなほど熱い。光魔硝子の欠片だった。ちょうど、パンと同じくらいの大きさ。


「おいおい、こいつ、まじでゴミ拾ってるぜ! さすがに無機物食えとは言ってないんだけど」

「ギャハハッ、なんならこれ食わせてみるか?」

「お前やれよ、俺触りたくねー」


 しゃーねぇ、声が聞こえ、光魔硝子に力なく乗っていた右腕が持ち上げられた。硝子が転がり落ちると、右腕は放り出され、落ちた硝子が拾われて無理矢理口に突っ込まれた。

 抵抗すらできなかった。

 されるがままに口を開かれ、硬い硝子を突っ込まれる。

 火傷しそうなほど熱い。先程まで辺りを照らすほど発光していたのだから当然だ。硝子は寿命で割れてしまって光らなくなるが、込められた光の魔法は不滅なのである。光れないかわりに、エネルギーは熱として発散されている。

 熱い。唇が、歯が、舌が、口腔が、焼けるように熱い。焼けるように熱くて……熱くて……


「抵抗もしねーや」

「おい、もう行こうぜ。面白くねぇや」


 言って、革靴二人が去っていった。

 硝子を押し込んで離さなかった力がなくなったが、しかし、硝子を吐き出すことをしなかった。

 むしろ、噛む。

 魔法の詰まった硝子の塊に、ゆっくりとだが歯を突き立てると、中から甘味が溢れ出した。熱くて、そして、蕩けるように甘い。

 齧る。噛み割る。嚙み砕く。飲み込む。また次の一口。噛み割る。嚙み砕く。飲み込む。また……

 その動きはだんだん早くなっていって、ものの数分で光魔硝子の塊は、すべて胃袋の中へと消えていた。

 不思議と体に元気が戻っていた。

 指に付いた硝子の破片を舐めとる。


「……おいしい」


 立ち上がった。

 ずっと倒れていたからか、節々は固まって少し痛むが問題ない。

 体中に塗れる雪を叩いて落とそうとして諦め、しっかりと二本の足をもって地を踏みしめ、見た。

 隣、歩けばわずか十歩の距離にある、街灯を。煌々と光を発する、光魔硝子を。

 唾が湧き出る。先程まではそんな水分すらなかったというのに。


「……おいしい。魔法おいしい」


 気付いてしまったのだった。

 魔法は食べ物だったのだ、ということに。

 まだ自分が人間だった頃、すなわち幸せだった頃を含めても、最高に甘い。どんな高級なお菓子よりも、どんな素晴らしい職人が焼いたケーキよりも、素晴らしく甘くて、なによりも美味しい。

 ただ甘いわけではない。世界中の甘い食べ物を並べた時、その中で一番美味しく感じる甘さ。その最高峰。あまりの美味しさに、枯れたと思っていた涙が溢れてきた。

 一歩、力強く踏み出す。


 その日、この辺り一帯の街灯から光魔硝子が消えた。



 ちなみに略称系は「魔お〜譚」です。「まおーたん」と読みます。ゆるふわ萌え系ファンタジーだったら(、、、、)可愛さ増し増しですね。

 次話は12時間後、2016,4,30の18:00に予約投稿してあります。三話は明日2016,5,1の18:00です。ブックマーク、評価など、よろしくお願いします。


(2015,10,13)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ