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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
9/84

オークションと指嗾者

 いたのか。いや、来たのか。

 探していた、あの男が、ここに。

 私は一瞬硬直したが、強引に全神経を起動させる。

 彼もまた私の方を見つめていたが、私が彼の方を見たと気付くや、さりげないしぐさで視線を外し、踵を返して会場へと向かっていった。

 なるほど、私を見ていたのね。つまりあの男は私のことを知っている。やはりどこかで私の姿を見知っていたことになる。しかし、「私も彼のことを知っている」ということは知らない。それも当然か。記憶映像を覗き見るなんていう強引な力技は普通想定できないだろうし。


 どうする。追うか。ここで事を荒立てるのはまずいかな。あの男が盗賊どもを動かしたという証拠がなければ。

 いやそもそも、奴はなぜここに来たのだろう。会場に入ったということは、奴もオークションに参加するつもりなわけだろうけど。アンジェリカを求めて、というのが最も想像しやすいが、オークションに出る気ならなぜ最初からそうしなかったのか。単純に金銭的な問題か? 盗賊どもに金銭を支払う方が、アンジェリカを落札する価格よりは安くつくのだろうか。


 逡巡していると、後ろから声が掛かった。


「これはラツキ様。やはりいらっしゃいましたな」


 メガックさんだ。


「今もちと同業者と話していたのですが、やはりアンジェリカは前評判でも相当の注目を受けていますな。これは想像以上に価格がつり上がるかもしれません」


 別に私、アンジェリカを狙いに来たって言ったわけじゃないんだけどね。でもまあ今更隠しても仕方ないか。


「まあ、そうですか。では私も頑張らないといけませんね……」


 適当にメガックさんと話を合わせながら、『気配察知』をパッシヴからアクティヴに切り替えて会場の方を探ろうとしてみた。だが、私の現在有している『中級』のスキルでは、特定個人の気配を感じるということまではできないようだった。隠密系のスキルはこの世界に来て以来、非常に有効に使えているし、クソ電飾のところに行って上位のものを改めて購入してもいいかもしれないな。


 そんなことを考えているうちに、会場の入り口から、おそらく職員だろう、間もなく競りを開始する旨を告知する声が聞こえてきた。

 メガックさんに一礼し、会場へと向かう。

 ここへ来るまでは結構呑気に構えていた私だったが、あのフードの男が相手になるというのであれば、気は抜けないかもしれない。私はパン、と頬を一つ叩いて気合を入れつつ、会場へ入って行った。


 オークション会場はさほど大きくはないが、内部の作りは凝っていながらも上品にまとまっており、会員制の高級クラブ的な雰囲気がある。いやそんな場所行ったことないけどイメージ的にね。

 壁の周囲には警護の人だろう、武装した人が何人か並んでいる。

椅子の背には番号が振ってあり、これが先ほど渡された番号札とも対応しているのだろう。私の番号である77番の席は、前から二列目の中央寄りの位置にあった。


 着席しながらさりげなく周りを窺ってみる。あのフードの男は……。

 いた。

 私の前方左側に座している。悠然とした態度で、もの慣れている感があるな。オークションそのものに慣れているというより、こうしたハイソな場の雰囲気に馴染んでいるというべきかもしれない。それなりに上流階級の男、ということか。


 後から続々と会場に入ってくる客は、トータルでざっと200人くらいにはなっただろうか。聖都だけではなく、世界各地から集まっているとメガックさんから聞いた。うっかりすると、フードの男だけではなく、他の客に油揚げをさらわれかねないかもしれないな。気を付けなきゃ。

 

 やがて前方に(しつら )えられた舞台の上に、一人の男性が登った。パリッとした服装で、見事な髭を蓄えたナイスミドル。きびきびとした挙措が見ていて心地よく、慇懃な態度でありがらも貫禄のある素敵なおじさまという感じだ。小さな角が生えているからそういう種族なのだろうけど、その角さえお洒落に見える。司会者さんなのかな。


 彼は物柔らかな口調で、まず集まった客たちへの謝辞を述べ、続けてオークションの制度や方法、その注意点についての説明を行った。簡潔でありながら要領を得ている話し方で、わかりやすい。それに比べて私の以前の会社の社長は……いやまあそれはいいや。


 司会者さんが説明を終えると、さっそくオークションが始まった。

 最初に舞台の上に登場したのは、頭部が勇壮な獅子となっている、鋼のような筋肉を隆々とさせた逞しい獣人男性。わ、パンツ一枚だ。しかも結構なビキニパンツだよ。違うところも隆々としてるよ、って言わせんな。ちょっと恥ずかしくなって目をそらしてしまう。乙女か。乙女だよこれでも。

 しかし、私の中のスキルが、彼はなかなかの手練れだから良く見とけと訴えてくる。スキル空気読め。


「獅子人族、男性、30歳。長剣、大剣、大斧に熟達しております。闘技奴隷または登攀者の随伴奴隷にお薦めでございます」


 司会者さんが言うと、傍らの助手らしき人が獅子人のパンツマンに大剣を渡す。刃引きしてあるようだが、大きさ、重さは実物通りだろう。獅子人の男は、それを軽々と振り回し、見事な型を演じて見せた。ほう、と感嘆の声で会場が満たされる。

 力だけで強引に扱っているのではなく、脱力すべきところは脱力し、節目節目でピシッとツボを外さない動き。なるほど、私の中のスキルが言うように、これは本物だ。私やユーゼルクにはもちろん及ばないとはいえ、相当の使い手といえる。さすがに世界中から人が集まる最高級オークションだけあって、素晴らしい「品ぞろえ」のようだ。


 ちなみに、武器を持たせたとしても、奴隷が他者に襲いかかることは魔法で封じられている。つまりこの間アンジェリカが魔法を撃って苦しんでいたような目に遭うわけだ。


「開始価格は金貨30枚から。入札単位は金貨1枚以上5枚まででお願いいたします。では、開始でございます」


 司会者さんが言うと同時、会場の各所から一斉に声が上がった。


「35枚!」「40!」「45!」「ええい、50!」「55、55だ!」

 ハイペースでどんどん値が上がっていく。まあ確かにそれだけの価値はあるだろう。


「60!」「65!」「70!どうだ!」「くそッ、75だ!」


 この辺まで来るとさすがにそろそろ声を上げる人数は減り始めるが、逆に言うとここまで残っている人はぜひ欲しいと思っているわけだ。


「は、80!」「8…85!」「90!」


 90、の声と同時に、会場にはほうっと諦めたような声が流れた。一瞬の静寂が戻る。


「現在90枚、ございませんか、90、90ございませんね? では90枚で落札でございます」


 司会者さんの確認が終わったと同時に、助手の人が合図の鐘を鳴らした。高く鋭い音が響き、これで獅子人の剣士は落札されたというわけだ。


「いきなり90枚が出ましたねえ」「さすがに年に一度の奴隷大市。気分が高まりますな」

 

 私の後ろで客同士が興奮した口調で感想を言い交わしている。今のオークションの熱気で、いわば会場が「温まった」状態になった感じだ。


 次に舞台に上がってきたのは、緑色の長い髪をした、すらりとしたスタイルの女性。さすがに女性はビキニパンツではなく、裾の長いシンプルな白いワンピースを着ている。べっ別に残念だなんて思ってないんだからね!


「森霊族、女性、23歳。地魔法を習得。中級言語を習得。詩と魔法史学に精通。帝国貴族階級基準の礼儀作法を会得。侍女などの高位家内奴隷としてお薦めでございます。――なお愛玩奴隷として購入なさる場合、彼女は 処女(おとめ )であることをあらかじめお断り申し上げます」


 最後の言葉に、壇上の彼女は少し顔を赤らめてうつむいた。それはそうだ、公衆の面前でそんなこと言われたらね。女としてはいい気持ちはしないよ。


「処女ですか」「ちと残念ですかな」「まあその分、安くつくでしょう」


 周りの客達が好き勝手な事を言っている。

 そう、処女だと値が下がるのだ。私もこれは昨夜『ソーシャル・リサーチ』を斜め読みしていて知ったばかりの知識で、驚いたのだが。処女の方が高く売れそうな気がしていたのだけど。


 つまり、愛玩奴隷……言いかえれば性奴隷というのは、買い手に性的サービスをすることが主目的の奴隷だ。しかし、処女であれば、主人に喜んでもらうための、そちら方面の知識も技術も持ち合わせていない。従って安い、ということになる。病気とか妊娠の心配もあるのだろうが、それは魔法でいくらでもチェックできるわけだ。

 もちろん、何も知らない女性をゼロから仕込むことが醍醐味だという客も多いから、処女の奴隷にも需要自体はあるのだが、全体としては安価な傾向になるということらしい。


 かといってこの世界では処女性が重視されていないというわけではない、というかむしろ一般的には高い価値を見出されている、というのが面倒くさいところだったりもする。自由民女性と奴隷女性では価値観が反転していて……いやまあその辺はもう民俗学とか文化史学的な問題になるので、私なんかの理解の及ぶところではないが。この辺まで読んだところで寝ちゃったし。


 森霊族の女性は結局金貨73枚で落札された。おとなしやかで淑やかな顔立ちの彼女は、少しだけ寂しそうな表情をしていたのが印象に残った。備えた技術や知識から見て、おそらく良家の出であっただろう彼女が奴隷となるには、どんな事情があったのだろう。もし彼女の順番がアンジェリカより後で、そして私の所持金が残っていたら、私が買ってあげられただろうか。

 ――いや、買ってあげるとかどんな上から目線だよ私。何様だ。思いあがんな馬鹿女。

 頭を振ってそんな思いを振り払う。高額で買ってもらえたのだ、彼女はきっと粗末に扱われることはないだろう。そう、祈った。



 その後もオークションは順調に進んだ。弓手、魔術師、野伏などの戦闘系奴隷、また愛玩奴隷としての女性も何人か。いずれも金貨70枚を下ることはない高値で取引され、会場内は否が応にも盛り上がりを見せていった。

 だが、あのフードの男は不気味な沈黙を保っている。私もまた同じだが。


 そして。

 ついに、最後の順番となる。




「――天使族、女性。17歳」



 アンジェリカ。

 彼女が、壇上に静かに歩を進めてきた。

 優雅に、可憐に。黄金に輝く髪を靡かせながら。

 彼女の玉貌は緊張のためか、やや蒼褪めているが、その美しさにいささかも影を落とすことはない。身に纏うものは質素な白いワンピース一枚のみだが、それがかえって彼女の清楚な艶やかさを強調する効果を生み出していた。

 会場に静かなざわめきが起こった。客たちが息を飲んで見つめているのがわかる。


「……聖魔法・光魔法・風魔法を習得。並びに刺突剣を習得。帝国貴族階級基準の礼儀作法を習得……」


 司会者さんの紹介が続く中、壇上に至ったアンジェリカは、何かを探すように、ゆっくりと会場を見回した。

 何かを。――誰かを?

 見上げた私と、壇上のアンジェリカの視線が、空中で一瞬絡む。

 微かに、彼女の表情が変わったのは、何を意味していたのだろうか。その瞳が煌めいたのは。

 喜んで――くれたと。

 そんな自惚れを、私は抱いても、いいのだろうか。


「高位家内奴隷、登攀者の随伴奴隷、および愛玩奴隷などにお薦めでございます。なお彼女は処女であることをあらかじめお断りいたします」

 

 アンジェリカが長い睫毛を伏せた。羞恥にか、目元が赤くなっている。

 司会者さん、アンジェリカをいじめちゃダメ。お仕事だけどさ。

 しかしそうか、アンジェリカ処女か。

 うん。そうか。

 ……いやいや今はそんなこと考えてる場合じゃない。気合入れ直せ。


「開始価格は金貨50枚から。入札単位は金貨1枚以上5枚まででお願いいたします。では、開始でございます」


 司会者さんが言い終わった瞬間、凄まじい勢いで一斉に声が飛び交った。


「55!」「60!」「65!」……


 沸騰した(かなえ )のごとき喧噪の中、私はまだ動かない。フードの男もだ。


「80!」「くっ……85だ!」「90! 90でどうだ!」


 90まで届いても、まだ多くの参加者が引かない。アンジェリカにはそれだけの価値がある。私自身の感情論を排除しても、これだけ多くの魔法と剣を駆使でき、元貴族らしい知性と礼節を有し、そして美しい少女なのだ。処女の値段が安くなるという傾向など、彼女の前には意味を為さなかった。


「9…95!」「ええい、100だ!」


 100に届いた。これからが本番だ。



「――105です」



 私は初めて声を上げた。うつむいていたアンジェリカが、ふと顔を上げる。金の睫毛が微かに揺れていた。

 だが、私の顔を見たのは彼女だけではなかった。あのフードの男も、ちらりと私の方を振り返り、そして自らも口を開いたのだ。あの特徴的な、やや甲高い耳障りな声で。


「110」


 動いてきたか。どこまで張ってくる?

 

 私とフードの男だけではもちろんない。100を超えた時点でさえ、まだ相当数の客が眼の色を変えて、アンジェリカを競り落とそうと猛っていた。


「ひゃ、115!」「120だ!」「125!」……


 競り上げは止まらない。止まらないが、そのペースは少しずつ落ちていく。私もフードの男も、その中であまり目立たない程度に参加を継続し続けていた。


「150」


 そこまで達した時、一瞬、場の空気に間隙が生まれた。おそらくここが一つの到達点。もちろん単純に資金が切れたと言う客も多いだろう。また金貨150枚は、今回出品されているような最高級の奴隷を二人ほどは買える値段だ。であれば、これ以上出すのは費用対効果としても疑問が出てくるラインか。


「さ、さすがにもう無理だ……」「惜しい出物だがなあ……」「あれほどのものは十年に一度、いやそれ以上かもしれんが……ここまでか」


 あちこちから口惜しむような声が聞こえてくる中、それでもまだ食い下がる参加者が数名。


「155じゃ!」「160だ」


 一人はギラギラした欲望の眼差しをアンジェリカに向けている老人。もう一人は地味だが精悍な顔つきをした壮年の男性、おそらく登攀者だろう。老人のほうはおそらくアンジェリカを愛玩奴隷として欲しがっており、登攀者の方は随伴奴隷として得たいのだろうな。


「165です」


 無論、どちらにも渡すわけにはいかない。私は声を張ってさらに釣り上げた。


 フードの男が小さく面倒くさそうに鼻を鳴らす。彼はおもむろに手重りのしそうな革袋を取り出し、それを足元に置いた。ガチャリ、と重量感のある音が室内に響く。わざと袋の口を緩めていたらしく、中身が見える。鈍く光る大量の金貨が。その上で彼はさらに競る。


「170」


 揺さぶりか。これほどの資金を持っているのだから他のものは早く諦めろと。事実、登攀者の男の方はそのずっしりとした革袋を見て顔色を変えた。老人も不機嫌そうに唇を歪める。

 だが私に対して、それは悪手だ。わざわざ中身を見せてくれてありがとう。


『アナライズ』起動。

 革袋の中の金貨を指定して、情報を取得する。

 ――金貨250枚。


 一瞬、私の顔から血の気が引いたはずだ。少なくとも全身に冷たいものが走り抜けたのは間違いない。脳裏に非常ベルが鳴り響いて頭が内側から割れそうだ。

 250枚。

 それは私が用意した資金と同額。

 しまった。

 あと10枚、いや5枚でいいからポイントを換えてくるべきだったのか。

 私が競り落とせる確実性はなくなった。どうすればいい。

 落ちついて考えろ。って落ちつけるか。だが落ちつけ。ヤバい完全にパニックだ。


「ひゃ、175じゃ!」


 老人が絞り出すような声を出す。それに対し、登攀者の男も額に脂汗を滲ませながら、さらに上げた。


「170……7。177だ!」


 ほんの僅かな上積み。それが彼にとっての本当のぎりぎりだったのだろう。しかしフードの男は嘲笑うように、軽々と上をいく。


「182」


 登攀者の男はがっくりと肩を落とす。彼は脱落だ。しかし老人の方はまだ食い下がる。


「187じゃ!」


 だが老人にとってもやはりそれが限界点だったようだ。

フードの男が192を宣言したと同時に、癇癪を起したように手に持つ杖を床に叩きつけ、そっぽを向いてしまった。老人もここで脱落。会場内に静けさが戻る。他の声は上がらない。


「192。現在192です。ございませんか」


 司会者さんが会場を見回して確認する。フードの男は満足そうに椅子に深々と身を預けた。助手の人が終了の鐘を準備する。だがその時。



「――195です」


 私だ。ギリギリと胃の痛みを実感しながら。今の登攀者と老人とのやり取りの間に、多少考えをまとめることができた私は、かすれ声で再び参加したのだ。

 フードの男がじろりと私を睨み、拳を握りしめる。そう、彼もまた苛ついている。吐き捨てるように、彼は競り上げた。


「200」


「200、200を超えました。今後は入札単位金貨5枚以上、10枚まででお願いいたします」


 会場がどよめき、司会者さんもさすがに驚きを隠せないように言う。このルールも事前に聞いていた。

 互いの所持金が同じなら、それ以上は上げられない数字を先に言った方の勝ちだ。


「205です」


 私は大きく息をつき、疲れたように言った。計算は合っているはずだ。最大の10枚ではなく、5枚だけ上げて、205の数字を取る。それでいいはずだ。いいはずだよね。

 ちらりと壇上のアンジェリカを見る。その細い手は胸元で組み合わされ、彼女はしっかりと目を閉じ、唇を引き締めていた。まるで祈るように。何を祈っているのか。私に落札されることを? それとも、されないことを?


「215」


 フードの男は早く勝負を付けたがったか、一気に10枚上げてきた。私の心を折りたいのだろう。だが、そうはいくか。


「220です」


 少しずつ上限が近づいてくる。私は頭が悪いんだからこんなめんどくさいことやらせないで欲しい。泣きそうだったじゃない。……だがこれでいい。これで勝った。


「230……うっ!? い、いやお待ちを!」


 フードの男は初めて明確に慌てた声を出した。そう、さすがに気付くだろう。何かまずい雰囲気だと。だがもう遅いよ。

司会者さんは無情に彼を促す。


「どうなさいましたか? 競り上げがなければ77番の方の落札となります」


 さあどうするかな? 考える余裕はないはずだ。私はさっき、お前が老人と登攀者さんと遊んでるときにシンキングタイムをもらってたけどね。


「に、に、にひゃく……うう……」

「競り上げございませんか? なければ……」


 助手の人が終了の鐘を鳴らす間際、フードの男は混乱しきった声でようやく言った。


「……220……5」


「235です」


 それに対し、私は先ほどまでとは一転して平然とした声で宣言する。フィニッシュだ。


 競り上げできるのは5枚以上10枚以下なのだから、私の235にフードの男が245を出せば、私は次に250を出して終了。彼の持ち金は250だからそれ以上を出せない。彼が240を出せば私はやはり250を出して終わりだ。


 ちなみに先ほど私が220を宣言した時、フードの男が230を出していても、私はやはり235を出せるので勝利が確定する。他のどの数字でも私は次に235を出せるので、220を宣言した私の勝ちなのだ。さらに遡っていけば同様の手順で、205枚を取った者が220を取れるから、この流れをコントロールできる。つまり205の時点で決まっていた。


 ……いやまあ、単純な、「よいこのさんすう」レベルの話なんだろうけども。この切羽詰まった状態で即時答えを出せって言われたら、アホの子である私からすれば頭から湯気出たよ。数学なんて社会に出たら役に立たないなんて言うけど、そんなことないね。奴隷を競り落とす時に役立つもん。


「……うう……2、245」


 相手も、もうどうしようもないことがわかったのだろう、その細い顎をがっくりと落として椅子からずり落ちそうになっている。相手は私の持ち金を知らないから、最後に、すがるような声で最大まで上げてきた。それに対し、私は冷ややかに答える。



「250です」



 フードの男はギリリと歯を食いしばる。細い顎髭が震えていた。しかしもう動けない。出来の悪い石像のように固まった男に、司会者さんが最後に確認する。


「250枚、ございませんか。……ございませんね? ――では77番の方に落札でございます」


 終了合図の鐘の鋭い音色が会場に響き渡る。

 私は大きく重い息をつき、天井を見上げた。

 一瞬視界がぼうっと霞み、会場のどよめきがまるで遠雷のように聞こえる。

 アンジェリカは、私のものとなったのだ。


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