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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
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聖務官と甘味

 濃厚な草の匂いが私の鼻を突く。森に分け入って数十分も歩くと、もううっすらとした獣道しか歩く(しるべ )がない。起伏の激しい、整地されていない森の奥を踏みわけ歩くという行為は、現代日本人の私が想像していた以上に困難で、体力を奪うものだった。慣れているこの世界の人ならともかく、私では、『身体能力強化』のスキルがなければ、とてもここまで歩けなかっただろう。


 ――聖都を出て、街道沿いの森の中に今の私はいた。先ほどアンジェリカ達が襲われた場所から、さらに奥深くである。


 頭上には何重にも茂った木々の葉が重なり、陽の光は申し訳程度にしか差し込んでこない。森の入口付近には、焚きつけにするための折れた枝や、あるいは木の実、草の実などを採集しているであろうと思われる、人の立ち入った跡が目立ってはいた。しかし、ここまで奥に入り込んでしまったら、もう誰も訪れまい。

 そして、だからこそ人目をはばかり隠れ住むのに適した場所でもあるのだろう。


 私は、スキル『ワールド・リサーチ』の地図を開きっぱなしで歩いている。自慢ではないが元の世界ではカーナビを使っても道に迷う方向オンチだった。このスキルがなければ一瞬で迷子になる自信がある。いくら剣や拳が強くても、森の奥で迷ったらどうにもならない。

 ――剣や拳が強くても、か。

 私は先刻の邂逅を思いだす。

 私に匹敵し得る男。ユー……ユーゼルク、とか言ったか。

 彼の存在は、一朝一夕にして万能の力を得たかのようにのぼせあがっていた私に冷水をぶっかけるものだった。


 彼はおそらく、善良な男だろう。だが、性質が善良か邪悪かの問題と、味方になるか敵になるかの問題はまったく別のものだ。もちろん、敵味方の二元論だけで物事を判断するのも幼稚で愚劣な話ではあるが、それでも、「彼はいい人だ! 敵対しないに違いない!」……などという根拠のない思い込みを元に行動するのは、輪をかけてさらに愚かだろう。

 可能性としては、私のほうが道を外れるというパターンだってあるだろう。その時に彼の善良さは彼を私の恐るべき敵と化さしめることも考えられる。


 なんにせよ、「基本的には自力救済」という登攀者の基本原則、ラフィーネさんから聞かされた時にはさほど気にもかけなかったその決まりが、今私の前に恐ろしい現実感を持って迫ってきていたのは事実だった。

 いざとなればEXスキル『ブースト』や、陽炎・不知火に付加した特殊効果を使うことで、なんとかなることはなる、だろう。しかしそれは私の正体が露見する可能性を持つ諸刃の剣でもあるのだ。

  

 私はほっと吐息をついて、足を速めた。

 まあ悪い方向にばかり考えていても仕方がない。最悪の可能性は常に考慮しなければならないが、しかしそれにばかり囚われて身動き取れなくなっては意味がないわけだ。あとは状況次第で判断していくしかないんだろうな。


 そんなことを考えているうちに、目の前が不意に開けた。さほど広くはない範囲だが、木々が切り払われて陽が射し込んでいる。その少し奥に、小さな崖があり、洞窟が口を開けていた。だが天然のままの洞窟ではない。その入口の前には、簡素ではあるが柵が設けられ、人の手が入っていることを物語っていた。


 私の目指してきた場所はここである。

 ここは、アンジェリカ達を襲った盗賊たちの(ねぐら )だった。

 『パーソナル・リサーチ』のスキルで、死に際の盗賊たちから収集した情報の中から、この場所を知ったのである。


 私は陽炎と不知火の鯉口を切り、周囲に注意を払いながらゆっくりと洞窟に近づく。情報によれば盗賊どもは私が倒した連中ですべてであり、残っている者はいないはずではある。――盗賊どもは、だ。

 だが、この場所に用がある者は、盗賊たちと私、それだけではないはずなのだ。

 柵を乗り越え、洞窟の入り口そばに身を寄せる。盗賊たちからコピーしたスキル『気配察知』と『聞き耳』をパッシヴからアクティヴに切り替えて機能させる。彼らのスキルで彼ら自身の塒を探るというのも皮肉なものだが。

 しばらく洞窟内の気配と音を探ってみたが、反応はない。私は陽炎を抜き放ち、ゆっくりと洞窟内に足を踏み入れた。


 日中で、外には日差しが射し込んでいるとはいえ、洞窟の中に数歩入るともう薄暗い。

 私は陽炎を掲げ、念じた。


「――『フレイムオーラ』」


 瞬時、陽炎の刀身から煌めく黄金の炎が立ち上る。炎・光・聖の三つの属性を同時に備える霊炎を身に纏う、これが陽炎に付加しておいた特殊効果のうちのひとつである。不知火にも同様の効果を付加しており、こちらは水・闇・妖の三属性を兼ねた漆黒の闘気『フリーズオーラ』だ。


 ……で、その盛りすぎだろ的強化を施した聖剣・陽炎を掲げて、やっていることが懐中電灯代わりである。ごめんね陽炎。でも便利だしさ。

 事実、陽炎の黄金の炎は洞窟内の隅々までを照らしだした。日本人的感覚で言えば二十畳ほどだろうか、奥の方には石床が敷いてあるが、ほとんどは岩肌がそのままだ。結構広いが、乱れた寝床や喰いかけの食器、脱ぎ捨てた服などがごちゃごちゃと整理もされずに放りだしてあり、むさくるしいことこの上ない。酒臭いし。いや私も酒好きという点では人のこと言えないが。

ここには秘密の隠れ場所などないことは情報収集済みである。周囲を改めて見回すが、人は誰もいない。


 いないのか。

 まだ来ていないのか、もう去ったのか、どちらかということだ。

 ――あの、盗賊たちに「仕事」を依頼した、フードの男は。


 そう、それが、私がこの場所を訪れた目的の一つ。フードの男を捉え、アンジェリカを狙ったその意図を聞き出すことだった。

 確かに、アンジェリカの襲撃から結構時間が経ってはいる。しかし、「もう去った」の選択肢はあり得まい。あの男は確かにアンジェリカを欲していたのだから。ならば後から来るのか。

 私はいつ誰が来てもいいように入口に気を配りつつ、手早く洞窟内の捜索を開始した。


 洞窟内の情報は入手しているわけだから、いわゆる「勝手知ったる他人の家」というやつだ。どこに何があるのかは把握済みである。思春期男子の部屋のどこにエロ雑誌が隠してあるのかちゃんと分かっているお母さんのように。

 洞窟最奥の寝台の下、床石を三つずらすと落とし戸が出てくる。そこを開けると、……ほらあった。

 エロ絵が。

 春画というのだろうか。エロ雑誌ではないけど、こういうのはどこの世界でも一緒だな! この世界で紙に色刷りしてるって、結構高価なんじゃないだろうか。稼いだ金をこういうのに使ったのか、この盗賊どもは。

エロはすべてに優先するって気持ち、わからなくはないけどさ。結構可愛い絵だが、さすがにこいつらの持っていた春画を持って行く気はない。生理的に。


 いや別に私はエロ絵を探していたわけではないのだ。このエロ絵秘蔵コーナーのですね、さらに下に隠し扉があるわけですよ。鍵掛かってるけど。エロ絵はカモフラージュなわけだ。

 鍵の隠し場所ももちろん知っているが、あえて鍵は使わずに陽炎でぶっ壊す。

 扉を開くと、そこが隠し金庫になっていた。


 『アナライズ』を使うと簡単に数をカウントできるので楽だ。収納されていたのは金貨が33枚、銀貨が52枚、銅貨が29枚。むー、意外に少ない。まあ、あの盗賊どもはお宝を溜めこむタイプではなさそうか。

 それ以外には多少高価っぽい銀食器がいくつかあったくらいだ。まあいい。私の主目的は別に盗賊どもの上前を撥ねることではない。


 とりあえず金庫の場所だけ確認して、洞窟の入り口を振り返る。人影はなく、『気配察知』にも『聞き耳』にもまだ感知はない。一応入り口に引き返して外を覗き、それでも誰もいないことを確認して、私は洞窟内に引き返した。入り口付近にその辺のガラクタをばらまき、稚拙だが一応不用意に誰かが踏み込めば音が出るようにしておいてから、寝台を動かしてその陰に隠れ、座り込む。


 陽炎を鞘に納めると、洞窟内は途端に暗くなった。剣はいつでも抜けるように手元に置き、その体勢で寝台の影から洞窟の入り口を窺いつつ、私は待ちに入った。

 ――フードの男は来るだろうか。アンジェリカを狙う男は。




 ……って、来ないじゃん!

 もう夜が明けたし!

 一晩中見張って気疲れしたのに丸損だ。美容にも悪すぎる。この身体はまだ17歳だけど、若いうちに無茶すると、年取った時に来るんだよ。経験者は語る。


 しかし、何故フードの男は来なかったのか。アンジェリカを求めていたなら、一刻も早く入手したいはずだ。いくら条件を付けていたとしても、放っておいたらあの盗賊どもはアンジェリカに何をするかわからないだろう。ならば昨晩のうちには遅くとも来るはずだと思っていたのだが。


 ふむ。

 考えられるとすれば、盗賊どもの襲撃が失敗に終わったことを知っている、という可能性か。

 襲撃現場を遠くから見ていたのだろうか。あるいは、聖都のメガックさんのお店付近をさりげなく見張っていれば、アンジェリカが無事にお店に届けられたことはわかるから、襲撃が失敗したことは判明する。どういう形にせよ、相手がこっちの張った網に踏み込んでくることはなくなったのか。

そうなると、もうこちらとしては手繰る糸がなくなってしまった。

 すっきりしないし、不安が残る。だが、今のところ打つ手がない。

 やむを得ない。さらにもう少し待ってみたが、結局無駄骨に終わったので、私は待ち伏せをあきらめた。


 一応警戒しながら洞窟の外に出る。途端、眩しい日差しが私に降り注ぐ。くう、お日様が黄色い。

 仕方がないので聖都に戻り、もう一つの所用をすませねばならない。ならないが、その前に。

 私は寝不足でふらつく頭を振りながら歩き出した。


 目指したのは、洞窟から歩いて数分ほどの場所に流れる小川である。盗賊どもはここを水源にしているという情報を私は得ていた。

実際ついてみると、水は透明で綺麗。少し手ですくってみると、程よい冷たさが身を引き締めてくれるようだ。『アナライズ』で調べてみたが、飲用にも問題はない水質だった。現代日本人なら、いくら綺麗でも生水はなかなか飲めないだろうけどね。私の場合はこの世界に適合するように体が変わっている。


 唇を潤す。新鮮で心地よい清らかな刺激が口から喉へ、喉から体中に染み通っていく。今まで疲労していた体中の細胞が喜んでいる感覚。なんか、ちょっと元気が出てきた。

 もう数口水を飲んでから、顔も洗う。肌に伝わる清冽さが、えもいわれぬ心地よさだ。

 ……うーん。

 そろそろ、こっちの世界に来てから、一日くらいか。

 身体、洗いたいな。髪も。


 周囲を見回す。『気配察知』も『聞き耳』も使う。

 誰も、いないね。いないよね。

 よし。

 ――脱いじゃえ。


 ブーツ、胴着、シャツ、スカート、そして下着もすべて脱ぎ捨てて、私は川のせせらぎの中に身を浸していった。さんさんと降り注ぐ明るい日差しの下、誰もいないとはいえ、野外で一糸まとわぬ姿になっていることに、羞恥心と共に倒錯的な快感も覚える。

 全身を水中に沈めると、ひんやりとした流れに包まれて、一種陶然とした感覚が私を襲う。吐息をつきながら、私は爽やかで優しい水の流れに存分に自分自身を愛撫させた。


 しかし、そうか。これが私の身体なんだ。

 改めて、陽の光の下で、私は私が得た新たな身体を再確認する。

若く瑞々しい、17歳の肉体。

 白く透明感のある滑らかな肌。ほっそりとしなやかでありながら力強さも秘める肢体。

 白鳥のように優雅な首筋から流れるラインは、そのまま豊満でありつつも張りのある、愛らしく尖った胸へと形を結ぶ。

 

 綺麗だな。素直にそう思う。もちろん、私がそのようにデザインした身体なのだから、綺麗で当たり前なのだが。

 水面に映す自分の姿。それは、これまでに抽象的な概念としてのみ把握していた自分の外見を、現実の、実態を持った、そして生々しい美として、ようやく私自身に認識させてくれていた。ギリシア神話のナルキッソスみたいだと自嘲の念がなくはないが、それでも、私は水鏡に映る私自身に見とれたと、正直に告白せざるを得ない。

 見惚れて、そして。

 そっと自分の身体に指を這わせる。

 それだけで、唇から湿った声が漏れる。

 身体の奥に熱の塊が蠢いているのを自覚する。

 冷たい水に晒されながらも、その熱は際限なく高まり、私を飲みこんで行った――。




「……ふう」


 息をつく。

 すっきりした。

 いや、なんですっきりしたのかとかそういう話は置いておこう。まあ私も健康な女性だしね?

 ただ一つ言えることは、『身体能力強化』のスキルは、五感も強化してるようだということだ。

 いろんな感覚が鋭敏になっている。

 いろんな感覚が。すごく。

 うん。

 いい検証だったのではないでしょうか。


 まあ、その話はもういい。こんな森の奥までやってきた目的の一つは、残念ながら空振りに終わってしまったが、もう一つの目的を遂行するとしよう。





「確かに、懸賞の懸かっていた法外の者たちの住居だったようです。残留魂魄紋が一致します」


 ラフィーネさんが確認してくれた。彼女の小脇にはノートPCほどの大きさのクリスタル板。そこから伸びた端末にも青白く輝く貴石がはめ込まれ、それを使って洞窟内を検査してくれたということらしい。私も持っている魂魄波紋投影板の、大型高性能版という感じの魔法道具で、場に残留した魂魄紋も数日以内のものなら検知できるという。この世界はこの世界で、相応の技術の発達があるわけだ。


 あの後、一旦洞窟を出て聖都に戻った私は聖殿に向かった。そこで折よくラフィーネさんに逢うことができ、ここまで御足労願ったのだ。目的は、この洞窟が、確かに私が倒した盗賊たちの塒だと証明してもらうこと。


「しかしラツキさん、良く見つけられましたね、こんな場所」

「ええまあ、賊どもが息を引き取る前に何とか聞き出せて」

 

 感心してくれるラフィーネさんに答える。まあ嘘はついてない。


「それで、ラフィーネさん。昨日お尋ねしたことなんですけど」


 と、私は彼女に確認した。


「ええ、法外の者の所有物は、それを倒した人のものとなります。もちろんそれを証明できればの場合ですけど、今回の場合は、こうして」


 と、ラフィーネさんは小脇のクリスタル板をちょっと持ち上げ、


「ちゃんと証明できましたからね。この洞窟内のものもすべてラツキさんのものとなります。……この汚い布団とかこの汚れた食器とかもね、ふふ」

「わあい、うれしいなあ。……って、それはいらないですから」


 しかし、私は密かに満足する。フードの男を捉える目的は果たせなかったが、もう一つの目的はこれで達成できた。


「それにしても、ずいぶん溜めこんでいたんですね、ここの盗賊さんは」


 ラフィーネさんは私が陽炎で破壊した隠し金庫を覗きこむ。


「金貨100枚以上はありますよ、これ。すごーい」



 ――そう。

 私は、クソ電飾のところでポイント交換により得た金貨100枚を、この盗賊たちの隠し金の中に紛れ込ませていたのである。


「じゃ、遠慮なく頂いちゃいます」


 堂々と金貨を背嚢の中に移す。これで、私の財産にはすべて出どころの説明がついた。金貨200枚以上なんていう目の玉の飛び出るような大金を、何故私のような小娘が持っているのか、誰に聞かれても胸を張って理由を言えるというわけだ。これが狙いだったのである。


「はい、どうぞ。で、他のものはどうしますか。お布団とかお布団とか」

「いやだから、それはいいですって」


 一応少しは高価っぽい未使用の銀食器をいくつか頂いて、後は不要と決めた。少しは(こしら )えのよさそうな武器・防具などもあったが、まあいいや。


「じゃあ、後のものは放棄なさるんですね。でしたら、聖殿が始末させていただきます」


 ラフィーネさんは私を洞窟の外まで連れだすと、くるりと洞窟内の方に向き直る。


 すっ、と、彼女のしなやかな手が持ち上がり、洞窟内を指差した。次の瞬間、まるで風に煽られたかのように彼女の真紅の髪がはためき踊る。息を飲んだ私の前で、ラフィーネさんの指先に眩く透き通った紅玉のごとき光が宿った。

 熱気――いや熱風が私の頬を打つ。と感じた刹那、ラフィーネさんの手から湧き起こった光の渦が炎の形を取って大気を飲みこみ、荒れ狂いながら洞窟の中に向かって迸った。

 

「――!」


 絶句する私の前で、ラフィーネさんが放つ炎は存分に洞窟内を舐め尽し、狂猛に焼き尽くした。


「他の無頼の徒などに利用されても困りますのでね」


 何でもないことのように笑うラフィーネさん。

 これは、魔法か。これが、魔法か。

 昨日、アンジェリカが光魔法を撃った直後の姿は見たけれど、魔法が発動する瞬間を見たのはこれが初めてだったので、度肝を抜かれてしまった。というか、ラフィーネさん、魔法使いだったのか。それも、相当の使い手なのではないだろうか。

 さすがに聖殿に仕える聖務官だけのことはある、ということか。ただの楽しいお姉さんじゃなかったんだ。




「ラツキさん、いきなりお金持ちですねえ。凄いなあ」


 洞窟を後にしながら、ラフィーネさんが言う。


「ところで話は変わるんですがラツキさん、聖殿の近くにですね、美味しい甘味屋さんがあるんですよ。お高いからなかなか行けないんですけどね」

「……はい?」


 きょとんとする私に、ラフィーネさんは続ける。


「また話は変わるんですが、ここまで来るのって結構大変でしたよね」

「……はあ、来ていただいた事にはありがたいと思って……」

「もう一度話は変わるんですが、ラツキさん今お金持ちですよね」


「……あー」


 はいはいそういうことね。私は痛んできた気のするこめかみを押さえて、棒読み口調で答えた。


「わたしもー、そのかんみやさんにー、いきたいなー。らふぃーねさん、いっしょにいきませんかー。おれいにー、おごりますからー」

「ええっ! そんな! 私は催促も何もしていないのに! 奢っていただけるなんてー!」


 ――この人ほんとに聖職者なのかな。ただの楽しいお姉さんじゃないのかな。まあ可愛いからいいんだけどさ。




 結論から言うと、確かにその甘味屋さんで出してくれるものは美味しかった。蜜のかかった果実入りの杏仁豆腐のようなものだったが、現代日本の味に慣れた私でも、さほど遜色ないと思うくらい。先ほどの魂魄紋を検出した魔法装置にしてもそうだが、やはりこの世界にはこの世界なりに発達し洗練された技術があるわけだ。一概に現代日本より劣後しているなどと決めてはいけないんだな。

 ラフィーネさんも、マスクしているのにも関わらず、嬉しそうな笑みを満面に浮かべていたのがよくわかった。まあ喜んでいただけたなら何よりです。


 ラフィーネさんを聖殿まで送って行って、そのまま金融局に向かう。金貨を預けて、これで私の所持金は総額で金貨247枚。盗賊の塒で得た銀貨50枚余りを合わせると金貨252枚分になる。

 これでアンジェリカを競り落とすことができるだろうか。


 メガックさんの予想では、アンジェリカの落札価格は金貨百数十枚程度ではないか、ということだった。250枚あれば大丈夫……なんじゃないかなあ。いや不安なら、電飾野郎のところで、またポイントからいくらでも換えてくればいいんだけど、そうするとまた金貨の出所に説明を付けるのが面倒になってしまう。そこまで神経質にならなくてもいいのかもしれないが。

 ――とりあえず今回はこの250枚で行ってみよう。足りないかも、と言い出せば、いくらあってもきりがない。


 オークションの日は明後日だ。

 それまでどう過ごそうか、微妙に手持無沙汰となる。

 もう『塔』に入ってしまってもいいのだろうが、オークションのことが気になって集中できない気もする。気がかりをなくしてから『塔』に入った方がいいか。


 じゃ、まあぶらぶらと暇を潰しましょうか。

 実際、この世界のことを良く知ろうと思えば、いくら時間があっても足りないわけだ。

 まずは聖都のことを知りましょう。ということで、『ワールド・リサーチ』の世界地図を広げ、これと付き合わせながら聖都をそぞろ歩く。どこに何の施設、あるいは店舗があるのかなどは優先的に知っておかなければならないことだろう。


 有難いと思ったのは、聖都にはいくつもの公衆浴場があるということだった。聖都周りは水の便が良いことから井戸も多く、また公衆浴場の設置にも事欠かないらしい。文化としても、この世界の人々にはちゃんと入浴の習慣がある。

 もっとも、入浴時間は主に早朝、つまり仕事を始める前であるらしく、一日を終えて汗を流す、という日本的な湯の浴び方ではないようだ。日本のような高温多湿の気候ではないからかな。つまり、日本的な感覚とは逆に、夜になると閉まってしまうお風呂屋さんもある。これは気を付けないといけないかも。


 もちろん、私が今朝したように、川などで水浴びすることも多いのだろうが。

 内湯がある家に住めれば一番いいのだろうけど、さすがにその規模の家ともなると簡単には手に入れられないだろう。



 そう、家。

 家についてもしっかり考えないといけないな、と、私はベッドに横になりながら思った。

 ――私は今、聖殿にいる。正確には聖殿内の客殿という区画、その一室。ラフィーネさんから紹介してもらったのだが、確かに広々としており調度も素晴らしく、ホテルのスイートルームという感じ。聖殿内には湯殿があり、これは夜になっても使えるので、寝る前に入浴することもできる。


 もっとも、居心地は最高なのだが、一泊につき銀貨4枚と、料金面でも最高だ。金貨1枚、つまり銀貨10枚で庶民の一家が一カ月暮らせるのだから、相当なものだ。この世界に慣れるまでは、と自分に言い訳して、高級なこの部屋を借りたが、いつまでも居続けはできないだろうな。仮にアンジェリカに金貨250枚全部使っちゃったら、私の手持ちは一気に銀貨30枚弱まで減ってしまうし。いやそこまではいかないと思うが……と思うこと自体フラグだろうか。

 あー、色々考えることがあって大変だ。




 結局、翌日も日中は聖都内をうろつき、夜になると聖殿に泊って一日が終わった。

 油は高価なので、この世界では、起床時間も就寝時間も全体的に早めにシフトしている。極端な事を言えば夜明けと共に起き、日が沈んだら寝るのだ。魔法の灯りはあるけどね。その生活リズムに合わせるのが大変かも。

もちろん例外はある、この聖殿自体がそうだ。登攀者は昼だろうと夜だろうと『塔』に出入りしているということもあり、聖殿の営業? ……というのかな? とにかくその活動は休むことも眠ることもない。


 私自身もまた、そんな早くは寝付けないので、私はベッドの中で『ワールド・リサーチ』や『ソーシャル・リサーチ』をずっと眺めていた。Web上のフリー百科事典をずーっと読んでいる感覚。知らないことしかないわけで、どの項目を読んでも興味深く面白い。まあ歴史とか文化とかの真面目な項目より、噂話などの項目を読んでいる時間の方が長かった気はするが。『秘法』とか『登攀者殺し』とか、この世界にもいろんな都市伝説があるものだ。



 で、ついに。

 ついに、オークション当日となった。

 ひたすらに情報検索を読み耽っていたのは、不安を紛らわせたかったからということもある。

 オークションで、アンジェリカを落札して。

 そして、それから。

 私はどうするのか、彼女を。

 一応の方向性は考えてある。あるが。それは、自分の馬鹿さ加減を否が応でも自覚させるものだ。まあ今更いいんだけどさ。馬鹿だもん。わかってるよ。ふん。


 ぐるぐるした私の頭に、聖殿の鐘が重く響く。 一点鐘(いってんしょう )、つまり夜明けの鐘だ。聖殿では夜明けから始まって日本時間でだいたい二時間おきに鐘を撞き、それがこの世界での時刻の基準になっている。

昨日のうちに調べておいたが、オークション会場は一点鐘に開場、二点鐘から開始らしい。ずいぶん早いなと思ったが、これもまた『夜が明けたら動き始め、日が沈んだら寝る』ということだ。


 さっさと着替えて客殿を出る。同じ聖殿内に寝起きしているので、いろいろな部署に行くのも気軽なのは助かるな。金融局に行き、金貨252枚を全部払い出してもらう。


 さて、いよいよ勝負の時だ。

 オークション会場へ赴き、魂魄板を出して資産証明のチェックをしてもらう。そして参加費の金貨1枚を支払って、入場。字が読めるかどうかを聞かれた後、番号札を渡された。77番。うーん、この世界でもラッキーセブンとかあるんだろうか。


 中に入ると大きめのホールがあり、既に大勢の人々が詰めかけて賑わっていた。参加費金貨1枚は結構高額だし、さらに資産証明まで求められるのに、思ったより参加者が多いな。

 会場はホールの奥らしいが、開始まではこのホールでいろいろと情報交換をしている人も多いようだ。壁にはオークションに出される奴隷の簡単な説明が記された木札が掛けられている。この順番で出品されるのかな。

アンジェリカの順番は、えーと……10人中の10番目。……最後かい。まあ今回の目玉ではあるんだろうけど。


 あー、そう言えば、メガックさんも来てるんだろうな。挨拶くらいしておこうか。

 そう、思い。

 あたりをぐるっと見回し、混雑の中にメガックさんの姿を探そうとして。

私の目は、それを見出した。


 細く尖った顎に細い顎髭。やや小柄な体格の。

 ――フードの男。


 それは、盗賊たちから得た情報映像の中で見た男。


 アンジェリカの襲撃を依頼した、あの男の姿だった。


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