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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
71/84

開始と予兆

 柔らかい草を蹴立てて、その巨大な物体は爆走する。

 ごろんごろんごろんごろん……。

 と、「ごろん」を20回ほども繰り返した後で、ようやく、そのまん丸い物の転がる勢いが少し落ちた。

 まん丸いそれの後を追ってダッシュで走り出していた私はその辺で追いつき、「ごろん」を押しとどめる。


 ……いやあ、改めて見るとおっきいわね。確かにこれだけ毛布とか布団とかでぐるぐる巻きにされていたら衝撃は大丈夫だろうけど、窒息しないかどうかの方が心配になるな。

 一応、アンジェの風魔法をこのまんまる包みの中に充填させておいたから、短時間なら息は出来ているはずなんだけど。


 ということで、私は小刀を取り出し、まん丸を縛っていた……というか、縛ることによってまん丸を作り出していた縄を切っていく。陽炎や不知火みたいなおっきな剣ではこういう細かい作業はしにくいしね。


 で、ある程度縄を切ったところで、まん丸の内側からも、もぞもぞと自分から殻を破ろうとするひな鳥のような動きがみられ、やがてついにそのまん丸は解体された。

 ──まあ、中から出てきたのは、可憐なひな鳥とかではなく、森の熊さんだったんだけど。



「皇太子殿下、お身体、大丈夫ですか?」

「せ、世界がぐるぐる回っておるし、ラツキ殿の顔も四つか五つに見えるが、だ、大丈夫だとも。は、ははは」


 どんぐり目をぐるんぐるん回しながら、皇太子殿下は説得力のない笑顔を見せてくれた。

 まあ、あれだけゴロゴロ転がされたら目が回って当たり前だし、逆に言えばそれくらいで済んだみたい。私はほっと安心する。


「し、しかし、なんだ。い、今もうすでに、この毛布の山から脱出するのをラツキ殿に手伝ってもらったわけだが、この時点で単独踏破の条件を破ってはおらんかな」

「いいえ、殿下。条件はあくまで殿下が単独で塔を横断し、中央天移門まで到達すること。しかし、今私がお手伝いしたのは、塔の中への転移を完了することについて、です。ですので、問題ありません」


 もちろんこんな強引な屁理屈はテュロンの入れ知恵なんだけど。



 そう、ここは塔の一階層。

 皇太子殿下が皇帝に即位するにあたっての条件、すなわち単独で一階層を踏破すること、について、結局私たちの意見はなんとか通ったのだった。つまり、その護衛兼監視役として、私たちが付くこと、ということだ。かなり侃々諤々の議論はあったらしいけど。

 それでも通用したのは、やはりなんといっても、光芒剣の所有者であり聖王の子孫であるアンジェと、聖務官のラフィーネさんの存在。それが大きな説得力を持ったようだった。私の聖花の摘み手としての名声も、軽く後押しした程度の力にはなってくれたかな。


 で、当日。

 私たち6人と、皇太子殿下を加えた7人が塔に入るために天移門の上に乗る。いつものように蒼白い霞がかかり、塔の外の光景が薄れ、代わりに一階層の光景が見えてきたかどうか、というその刹那。

 テュロンがものすごい勢いをつけて、皇太子殿下の布団包みを投げ飛ばしたのだ。まあ彼女の本気からすれば十分手加減してたんだろうけど、それでも、私たちみんな、見ていて一瞬ドン引くほどの勢いだった。


 しかし、その結果、私たちは全員一度に塔の中に入ることができ、そしてみんなも注意深く周囲を伺っているようだが、塔による人数超過の制裁が来る様子もない。

 つまり、ここまでは、うまくいったということだ。


 とことこ、とテュロンがこちらへ駆けてくる。

 一瞬皇太子殿下が彼女の姿を見て顔を痙攣させたような気もしたが、大丈夫、むやみに人をブン投げたりはしませんから。……でもまあ、殿下の立場からすれば、トラウマになっちゃうのもわかるけど。

 テュロンは殿下の分の旅支度を抱えて来てくれたのだ。食料と水、薬、簡易テントや火を起こす道具などの詰まったバックパック、そして、武器。


 皇太子殿下は棒術に優れておいでなのは知っていたが、今回持ち込んできたのはなんと狼牙棒だった。長い棒の先端に球を引き延ばしたような形の丸長い鉄の塊をつけ、そこに無数の牙というか、刺を植え込んだ武器だ。いわゆるモーニングスターをもっと大きくしたもの、と言った感じ。

 皇太子殿下の大きな体でこの武器を振るえば、叩きのめされた相手は鎧兜などほとんど意味を持つまい。ビルの屋上から落とした完熟トマトみたいになりそう。



「で、では、行こうか……」


 と立ち上がろうとして、もう一度ごろんとひっくり返った皇太子殿下に、慌てて手を差し伸べながら、私は苦笑する。


「殿下、まずはごゆっくり休まれて、その、なんと言いますか、世界が回るのが止まってからでいいと思います。時間制限はないのですし、その間に、こちらにも用意がありますから」

「そ、そうか。で、ではちと不甲斐ないが、そうさせてもらうか」


 私は振り返り、遠くにいる仲間たちに手を振って、オッケーのサインを送った。

 当然のことながら、人数制限は既に発動しているので、殿下の毛布包みを助けに来たのは私だけ。みんなは私に付いて来ていない。殿下を含むと6人を越えちゃうからね。

 その遠目でも、ラフィーネさんがその法衣を脱ぎ捨て、背中の大きく空いたビスチェとショートパンツというあのスケベチックな恰好になったのが見える。

 というか、それを見るために視覚レベルを最大に上げた私。……いや、いつも、彼女の、もっとあられもない姿はたっぷり見ているんだけど、それとこれとはやっぱり違うじゃない?


 ラフィーネさんはその姿で背に炎の羽を纏うと、アンジェを抱え、ふわりと空に舞い上がる。アンジェは大きく深く呼吸して精神を集中しているようだった。

 そして次の瞬間。

 アンジェの両手から、巨大な光の塊が高く高く、さらに上空へ向かって撃ち出された。

 その光球は花火のように大きく華やかに空の真ん中で絢爛と咲き誇り、色とりどりの光の軌跡を残して四方八方へと散華していった。



「綺麗ねえ。あれならわかるかしらね」

「ええ、十分、どこにいても場所の目印になったと思われますわ。ただ、問題は、彼らがどこに跳んでいるかではあるのですが」

「そうよね。近くならいいんだけど、最悪、もしここと正反対の場所にいたら、結局、合流できるのは中央天移門ってことになりそうだし……まあその辺は運に任せるしかないわね」


 テュロンとそんな話をしながら、私はアンジェの光球の美しさを堪能していた。

 そう。

 アンジェの撃ち出したあの光球は目印。私たち、つまり皇太子殿下がどこにいるかについての。

 そして、それを伝える相手は──ユーゼルクたちだ。



 私たちを護衛兼監視役に付けるにあたって、フェルゲイン公は不承不承それを容認する代わりに、一つ条件を付けたのだった。

 それが、ユーゼルクたちも立ち会わせること。

 といっても、さすがにテュロンの毛布玉ブン投げ作戦をもってしてもユーゼルクたちと一緒に塔には入れない。

 なのでユーゼルクたちには先に塔に入っておいてもらい、後から入った私たちが合図を打ち上げる、という段取りにしてあった。

 とはいえ、天移門が登攀者を塔の中へと導く、その場所はランダムだ。ユーゼルクたちが今この近くにいてくれるかどうかはわからない。近くならいいんだけどな。


 私は宙に散っていく合図の光球を見ながら、けれど。

 一抹の不安が胸中をよぎっていくのを押さえられなかった。

 一階層にいるユーゼルク、か……。





 そのことについて、ユーゼルクたちのところへ相談に行った時。

 彼は面白そうに笑った。この間の事件からもうほとんど回復したような、元気な笑顔だった。


「ははは、うん、父から連絡が来てね、そういうことになったとは聞いていたが……一階層か。何年ぶりだろうな、一階層に行くなんて」


 確かに、ユーゼルクは塔に挑むようになってもう10年ほどになるし、今はもうすぐ百階層に手が届きそうな位置にいる。年に一度の聖花の摘み手の競争以外で、低階層に来ることなど、ほとんどないだろう。


「ま、父としては、君だけに栄誉を独占させたくないんだろう。皇太子殿下の即位の儀式に立ち会ったという名誉を。その場にはフェルゲイン家のものもいた、と言うことにしたいんだろうね」

「で、あなた自身はどうなの、ユーゼルク? あなたはそういう意味での名誉にはあんまり興味のない人だと思ってたけど」

「ああ、もちろん、僕もそんなことには興味ないよ。だから父の思惑に乗るのもあんまり面白くはないけどね。ただ、この間の、君に助けられた事件以来、ようやく体も動くようになってきたからね。体慣らしにはちょうどいいかな、とは思っている」


 肩をぶんぶんと振り回しながらユーゼルクは微笑む。ま、確かに彼にとっては、普通に考えれば一階層なんて体慣らし……ううん、それ以前の準備運動にさえならないでしょうね。


 だが、その時、狼人の剣士、ルーフェンがむっつりした声と表情で口を挟んだ。


「拙者は不承知だ。体慣らしもわかるが、いかに何でも一階層では話にならぬ。逆に体がなまってしまうわ。それに、儀式だのなんだの、そんなことは帝国民でもない拙者らに関係のない話よ。いちいち巻き込まれるのは迷惑だ」


 と、そこまで不機嫌そうに言ったところで、ルーフェンは不意ににやりと口元を緩めた。不敵な笑顔。


「……と、普段の拙者ならば言うであろうな。だが、単に帝国の機嫌取り、と言うだけの話ではないわけだな? 今回のことには、もうひとつ、目的があるのであろう。ならば、拙者も拙者の剣も、そちらの方には大いに興味があるぞ」

「ええ、その通り」


 ルーフェンの指摘に、私は頷いた。



「今回のもう一つの目的は──『登攀者殺し』を釣り出すことよ」




 そう。 

 以前、アンジェが提案してくれたことがあった、囮作戦。

 どうせ避けられない儀式なら、それを今回やってしまおう、というのが私たちの考えだった。


 恐れ多くも皇太子殿下を釣り餌に使ってしまうことになるけどね。ご本人にそのことを申し上げたら、さすがに驚かれてはいたようだった。

 まあ、次期皇帝を囮に、どんな危険な化け物かもわからない奴をおびき出そうなんて、大胆というか不敬にもほどがあるわけだけど。

 それでも、もじゃもじゃ髭をなでながら、皇太子殿下は、やや蒼褪めた貌ながらも、ニヤリと頷いてくれたのだった。


「まったく、ラツキ殿と共におると退屈せぬわ。いや、退屈したくてもできん、と言ったほうがよいかな、はっはっは」


 ……とか笑っていたのは、褒められたのかどうか微妙なところだが。

 でも、なんだかんだいっても、危険を承知で肯ってくれた、皇太子殿下の度胸の据わり具合と覚悟の決め方は、さすがに頼もしいお方だな、って思う。




 そんな皇太子の様子を思い出しながら、私はユーゼルクたちに説明する。


「もちろん、『登攀者殺し』が今回出てくるかどうかはわからないわ。むしろ、何事もなく、空振りに終わる可能性の方が高いかも。でも、せっかくの機会だもの。やれることなら何でも試してみたいって思ったのよ。

 『登攀者殺し』の正体はわからないしね。あの、伯爵夫人のお屋敷の地下洞窟で戦ったような化け物かもしれないし。だからあなたたちにも一緒に来てもらえればありがたいわ」


 私たちだけだって、そんじょそこらの相手に後れを取るつもりはない。けれど、念はいくら入れても入れすぎるってことはない。あの地下洞窟での『淀み』との戦いの時のように、ユーゼルクたちと協力できるならそれに越したことはないわけだ。

 なので、私はフェルゲイン公の出してきた、ユーゼルクたちも同行する、という条件に、むしろ喜んで賛成したのだった。


「……その『登攀者殺し』の情報についてなんだけど」


 艶めかしい唇を開いたのはキュリエナ。彼女はその白銀の瞳を、卓の向こう側にいるバートリー老人に流した。

 あー、そういえば二人とも凄腕の間士か。裏の世界では以前から顔見知りだったりするのかも。……敵だったか味方だったかはわからないけど。


「そちらのご老人と協力して、少し深く聞き込ませてもらったのよね。ラフィーネの調べてくれた資料に基づいてなんだけど」


 ラフィーネさんの名前を口にした時のキュリエナの口調は少し硬かった。言われたラフィーネさんの表情にも薄く影が刷かれる。

 やはりまだ、二人の間にはわだかまりがあるのだろうか。


 自分のせいで死んだと思っていたお姉さんが生きており、しかも少しだけだが、心が近づけたラフィーネさん。彼女にとって、お姉さんに悪意を向けるキュリエナの存在は、自分の中で整理をつけづらいだろう。

 しかし、キュリエナの視点で見てみれば、ラフィーネさんのお姉さんは、登攀者殺しの正体を知りながら故意に放置し続けた人。そして、結果的にキュリエナにとっては昔の恋人を間接的に死に追いやった原因ともいえるわけで、やっぱりこちらも、気持ちをうまく処理できないでいると思う。


 キュリエナとラフィーネさん、二人の気持ち、どちらもわかるだけに、私もどうしたらいいのかわからない。

 そして、それは二人とも同じなんだと思う。お互いにお互いの気持ちは、頭では十分わかるだろうし、相互に明確に嫌悪感や敵意なんかを持っているわけではないけど、それでも、もやもやした自分の感情を持て余している、そんな状態。

 あんまり長引かせるのは良くないのだろうけど、と思いつつ、とりあえず今はキュリエナの報告を聞いてみる。



「『登攀者殺し』そのものというより、別の角度から改めて見てみたのよ。──『被害者』という観点からね。……ちょっと、心境の変化があって」


 ……キュリエナの昔の彼女のこと、か。

 彼女が殺されたことから、キュリエナは「誰が殺したのか」「どうやって殺したのか」という点よりも「何故この人が殺されなければならなかったか」という部分に意識を向けるようになったのだろう。

 

「って言っても、被害者は老若男女問わないし、種族も出身国もバラバラで、統一性がないって話じゃなかった?」


 私の問いに、キュリエナは微かに目を細め、静かに答えた。


「ええ、まあね。

例えば、私たちが聖花の摘み手の競争の時に遭遇したあの時の被害者は、新王国出身の二十代半ばの男女で、人間族、塔に登り始めてから数か月、腕前もそこそこ。

そして、──ついこの間の……あの犠牲者……あの子は、都市連合出身の女性、私と同じ妖鬼族で、二十代初め、塔に登り始めてから数週間、腕前はまだまだ初心者級。全然違うわね」

「だったら……」

「それから」


 私の言葉を片手を上げて遮り、キュリエナは再度口を開く。


「もう一つの例。これは少し前、ラツキが聖都に来る前かしらね? これもおそらく登攀者殺しによる被害者が見つかってる。猿人族の男性、辺境出身、三十代初め、塔に登り始めて一年弱、腕前は結構なものだったというわ。

 この被害者は、自分の腕前を鼻にかけ、傲慢で横暴だったという話よ。そして事実、その倨傲に相応しいだけの実力は持っていたらしいわね。その男は、塔に登り、功を立て、自分の名前を売り出すことが目的だったらしく、いずれはどこかの国の騎士団長になってみせるとか、貴族になってやる、などと、大酔しては他の客に絡みつつ、盛んに吹聴していたそうよ」

「やっぱり、何の共通点も見えないように思うけど……」


 前の二人は他者に好感を抱かれていた人だったけれど、今例示された人は他者から嫌われていた、性格のあまり良くなかった人らしい。つまり、別にいい人だから狙われるとか、逆に嫌われている人が狙われるとかいうわけでもない。

 眉を顰めた私に、バートリー老が今度は白髯をしごき、枯れた声で言う。


「そうかの? 気づかぬか? 聖花の摘み手の競争の時に出た被害者の男女は、いずれ結婚を望んでおり、塔で実績を作ってそれを両家の親に認めさせるつもりだった。そのことは良く知られておったな。

 この間の少女は、ラツキ嬢ちゃん、あんた方の肖像画を大事に持っており、いつかは自分もこうなりたいと周囲に話していたというな。

 そして猿人族の男の場合も、塔に登って名を上げ、立身出世するつもりだと盛んに大言壮語しており、それを多くのものが聞いておる……」


「……何が言いたいの、二人とも」


 二人が出した結論らしきものを、朧げに私も捉えることができ始めているような気がした。だが、それは私自身も信じたくない結論だった。

 いや。キュリエナもバートリー老も、同じだっただろう。まさに信じたくないものを語らねばならない、という表情で、キュリエナは仮定とはいえ、ひとつの答えを出した。



「『塔に登ることによって何らかの希望を持つもの』──塔に登ることで自分の目的を持ち、それを多くの人が知ることができた状況にあった人たちが犠牲になっていることがほとんどだ、というのが私たちの結論よ」



 一瞬、場を沈黙が支配した。

 無理やり、その凍った空気を割り砕くように私は力を振り絞り、言葉を紡ぐ。


「だって、そんな……登攀者は誰だって多かれ少なかれ、何らかの目的を持っているからこそ、塔に登っているのでしょう!?」

「単純にお金を稼ぐとか冒険心を満たすとか信仰のためにとか、そういうことだけじゃなく、その中でも、特に……なんていうのかしらね、『夢を持っている人』。それが被害者たちに唯一、共通する点だと、私たちは考えたのよ」


 呆気に取られて、私たちはキュリエナとバートリーを見つめる。

 だが二人の表情は真摯で、その瞳には一点の翳りも曇りもなかった。


「さよう。もちろんこの三例だけではなく、他の例もつぶさに検討して得た答えじゃよ。

 ある者は落魄した名家の家臣でその遺児に忠誠を誓い、主恩に報いるため、主家を再興するのだと周囲に熱く語っておったそうな。またある者は、たんまり稼いで聖都随一と名高い舞姫を己のものにしてやると欲望を漲らせていたそうな。

 つまり、その『夢』は気高いものであっても、独善的で欲望に塗れたものであってもよい。とにかく、何か、自分だけが追い求める強い願いを持つ者。それが被害者となる可能性が高いというのがわしらの考えじゃ」


 バートリー老はそこまで言ってから、ほろ苦く笑んだ。


「夢や希望。なんとも曖昧で抽象的、そしてわしらのような裏の世界の住人にとっては最も縁遠き言葉じゃ。故に気付くのが遅れた、などとは言い訳にもならぬがの。

 ……じゃが、もしやすると、ある一定の存在に対して、その言葉は──夢と希望という言葉は、まるで猛毒のように作用するのかもしれぬ。その言葉を公言する者を生かしておけぬと……どうしても殺したいと思うほどの、のう」



 笑い出したくなるようなばかばかしさと、背筋の凍るような恐ろしさを、同時に感じる、という奇妙な体験が私を襲っていた。


 だって。夢のある人なんて、いくらだっているでしょう。それこそ、私だってそうだし。

 でも、もしそれが動機なら。夢や希望を持つ他者に対して、無条件に無差別に、悪意を……殺意を抱くというのなら。その相手はもう、まともじゃない。


 ──壊れている、と。


 狂気という以外に表現しようがない。


 もちろん、それは、相手が人間だったら、という仮定の下だけど。

 でも、単なる化け物や自然現象が、夢や希望に反応する、なんてことがあるのだろうか。そう考えるとやはり……。


 想いに沈んでいた私たちに、キュリエナたちはさらに続けた。


「それから、今度は犠牲者の、殺され方についての話」

「そっちも、斬られたわけでも、殴られたわけでも、刺されたわけでも、締められたわけでも、毒を盛られたわけでもない、全く不明、なんでしょう?」

「それは「殺された方法」についての話よ。私が言おうとしているのは、「殺され方」のこと」

「どういう意味よ?」


 首を捻った私に、キュリエナは急にぺこりと頭を下げた。

 何、この珍しい姿。この子が誰かに頭を下げるなんて、明日は空から槍でも降るんじゃないかしら。


「な、何?」


 驚いていると、キュリエナはその頭を下げた姿勢のまま、言った。


「この格好、よ。犠牲者のほとんどは、『うつ伏せになって死んでいた』の。聖花の摘み手の時の犠牲者も、それに……あの子の時も、そうだったでしょう?」

「……あ……」


 そう言えば確かに。

 聖花の摘み手競争の時の二人は地面に突っ伏し、そしてキュリエナの元恋人の子は川に頭を突っ込んで亡くなっていた。姿勢で言えばどっちもうつ伏せだ。


「ま、ほとんど、というだけであって、こちらには例外が幾つかあるのじゃがの。たとえば、高い崖から飛び降りさせられた、とかじゃが」

「それは単に事故か自殺じゃない?」


 さすがに何でもかんでも『登攀者殺し』のせいにするのはどうかしら、と思って私がそう口を挟むと、バートリー老人は皮肉気に口許を歪めた。


「崖上に残っていた足跡の検証記録があるのじゃ。その者の足跡は、崖から離れた地点から、迷いもなくまっすぐに崖際まで歩いて行き、ためらった様子もなくそのまま飛び降りたように見える、という記録じゃったよ。もちろんその足跡は一人分で、守護獣に追われて逃げたり争ったりしていたような形跡はなく、誰かに無理に連れていかれ、突き落とされた、というような跡も残っておらぬ。

 そして、自殺と言うたかな? 忘れたかの、犠牲者はすべて、何らかの夢や希望を持った者たちじゃ。そんな者たちが、そう簡単に自ら命を捨てるものかのう? 塔は貴き場所で、そんなところで命を捨てるのは不敬だという考えを除いたとしてもじゃ」

「……そう、ね……」


 確かにそれは不自然だし、異常だ。『登攀者殺し』のせいにされても仕方がないかもしれない。

 だけど、どうすればそんな殺し方ができるというのだろう。まるで……。


 と、頭の中で何かを思いつきそうだった時、メイアが困惑したようにぺちぺちと自分の頭を叩いた。


「んー、僕、なんかよくわかんない。だって、結局、そういうこと全部調べても、『登攀者殺し』の正体には近づいていないんじゃない?」

「そうですわね。結局のところ、相手の正体は闇の中。ですが」


 と、今度はテュロンが微笑んで答える。


「これまでは、全くの無秩序であり混沌としか思えなかった『登攀者殺し』のやり口に、とにかくは何かしらの、一定の法則性があることが、どうやら分かってきたといっていいようですわ。

 すなわち、まったく理解できない、想像もできない、「抽象的な恐怖という概念そのもの」を相手にしているのではなく、明確に形を持ち、姿を持ち、おそらく意思を持った「具体的ななんらかの存在」が相手らしい、と考えることができるのは、心構えの点に置いて異なってくると思われますわ」

「……うー。テュロン姉さまの言うことも難しいよ」

「では簡単に申しましょう。よく聞くのですよ」


 テュロンは指を一本立て、教え諭すようにメイアに優しい眼差しを向けた。



「──つまり、『形のないものは無理でも、形のあるものならブン殴れる!』 そういうことですわ」



 ……それがオチかい!

 前半はなかなか深遠なこと言ってるかと思ったのに。

 って、メイアもなんかすごく納得したように目をキラキラさせて、「そっか! さすがテュロン姉さま!」とか言ってるし。騙されてないかなそれ。

 まあ、さすがにうちの頭脳担当脳筋であるテュロンのお言葉って感じで、いかにも彼女らしいけどさ。

 みんながその言葉に思わず噴き出したところで、ユーゼルクたちとの会合はお開きとなった。




 帰途に就いた私たちを、ミカエラとエレインが送ってくれた。

 というより、「送るわね」とこちらが口を挟む間もなく言い置いて、勝手に付いてきたというか。


「えと……何?」


 ま、多分何か用があるのだろう。そう察して、ユーゼルクたちの元を辞去してしばらく歩いてから、私は彼女たちに水を向けてみた。

 そういえば、彼女たちはさっきの話し合いの中でも一言も口を開いていなかったっけ。

 ミカエラは下唇を軽く突き出すいつもの癖を見せながら、私をじっと見つめる。


「ラツキ。私は……私とエレインは、正直、今回のことをどう考えていいかわからないの」

「ルーフェンが最初に言ったように、余計なことだから帝国に協力したくない、ってこと?」

「違うわ。そんなことじゃない。っていうか、ルーフェンも御老もロッグも、知るはずはないことが理由よ……少し前から始まった、ユーゼルクの寝言のことですもの。私とエレインしか知らないわ」

「寝言……?」


 私は一瞬顔色を変えた。

 この間、ユーゼルクが「暴走」した時、悪夢を見ることから異変が始まったと聞いた。だとしたら、それがまた始まったのだろうか。


「いえ、悪夢ではないようなのです。彼の寝顔は穏やかで、特にうなされているわけではありませんでしたから」


 と、今度はエレインが深い光を宿す青銀色の瞳を困惑に揺らして答えた。


「ただ、眠りながら、ごく小さな声で、けれど何度も何かをつぶやいているのです。最初は私もミカエラも、彼が何を言っているのか、よくわかりませんでした。いえ、よくある、普通の寝言だと思い、気にも留めなかったと言ったほうが良いでしょう。ですが」

「よく聞いてみると、同じことを何度も言っていたの。何度も何度も。まるで……誰かに何かを教えてもらって、それを口頭で繰り返しているように」


 私は言いしれない不吉な雰囲気を肌身で感じながら、彼女らの次の言葉を黙って待つ。



「その言葉はこうだったのよ。『……僕は一階層に行く。僕は一階層に行く……』と、ね」


 

 私たちは息を飲んだ。

 足元の地面が大きく揺らいで裂け、飲み込まれていくような感覚。

 なんなの、それは。

 ユーゼルクを皇太子の試練に同道させること、つまり一階層に行くことが決まったのはつい先日。

 だが、その前から彼は……夢の中で、一階層に行くと言っていたのか。体慣らしにもならない、普通なら行くはずもないような場所へ。


「彼が起きてから聞いてみても、きょとんとするばかりで覚えてないみたいなの。さっきも言ったように、悪夢を見てたっていうわけでもないみたいだし。だから私たちも、それほど重大に考えないで、なんか変な夢見てるのね、くらいにしか思ってなかった。けど」

「今回持ち込まれた、このお話です。ユーゼルクの寝言と符合している、このお話。どう考えればいいのか、私たちにはわかりません。ただの寝言に過ぎないではないかと言われれば、そうだとしか言えばいのですから。ユーゼルク本人は何のためらいもなくお受けするとのことでしたが……」



 私たちは黙り込んだ。

 ただそれだけのことか、と笑い飛ばしてしまうことだって、できなくはない。

 エレイン自身の言うように、ただの寝言にしか過ぎないのに、そんな重大に受け取ることはない、と。

偶然に過ぎないじゃないか、と。


 ……偶然?

 いや、そんな偶然があるのだろうか。


 私たちは──釣りをするつもりでいた。得体のしれない化け物に対して。

 だが。

 もしかしたら。

 何かに釣られようとしているのは私たちなのかも、しれない──。

 そんな不気味な予兆が私の心を凍らせていた。


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