無理と道理
「そりゃ、どう考えてもラツキ殿のせいだが」
「えー!」
海の水を飲めば塩辛いよね、みたいな当たり前の口調と、きょとんとした表情でそう言ったのは皇太子殿下。
どんぐり眼に団子鼻、丸顔に髯もじゃの、例の森の熊さん。そして、次期帝国皇帝に即位するべきお方だ。
私たちは黒の聖務官に言われた通り、あの翌日に帝国の大使館を訪れ、そこで皇太子にお目にかかることができた。
もちろん、いくら「聖花の摘み手」たる私に、そこそこの社会的地位と栄誉があると言っても、いきなり帝国皇太子のとこに行って、「ちょっとお会いしたいんですけど」なんて言って通るわけにはいかない。
その辺は、聖務官であるラフィーネさんに役立ってもらった。即位前に塔の一階層を単独で踏破するのが帝国皇帝を継ぐための儀式。その打ち合わせを、聖務官であるラフィーネさんが聖殿代表という形で行うために、皇太子の元を訪れ、私たちはそれにくっついて行った形。
……ただ、さらに言えば、これもまたちょうどラフィーネさんがその交渉役に任じられるというのもちょっと都合の良すぎる話。聖務官は、ラフィーネさんより偉い人も含めて、他にいっぱいいるんだしね。
ということはまあ、黒の聖務官が裏から手を回したんだろうな、くらいのことは察しが付くんだけどさ。
で、実際にその儀式の日程や準備について打ち合わせをしたのち、皇太子殿下の方から、私たちと久闊を叙したい、と私室に誘ってくれた。皇太子の武術の師であり、お目付け役っぽいフェルゲイン公爵はあまり好意的な目つきでそれを見てはいなかったが、止める理由も特にはないようだった。
こっちはこっちで、皇太子殿下と懐かしく楽しく四方山話──というわけにもいかない。
今現在、『塔』では『登攀者殺し』が猛威を振るっていることと、その時期に儀式を行う危険性について当然訴えたのだ。何故儀式を、その危険な今、やらなければならないのか、もう少し、延期するわけにはいかないのかと。
そしたら。
その答えが、冒頭のセリフである。
私が「えー!」って言ったってしょうがないよね。
相手が皇太子でも。
だが。
よくよく聞いてみれば、確かに私のせいであるような気がしなくもないこともなくもないというか何というか。
「外的要因と内的要因の複合、とでもいうべきであろうかな。まあさっさと身内の恥のほうから晒してしまうと、もともと、帝国内には三つの勢力があってな。それがぎりぎりの、危うい均衡を保った形で現状を維持してきたのだ」
皇太子殿下はもじゃ髯の中から太い息を吐き出しつつ言う。
「すなわち、我が皇室、そしてフェルゲイン公爵家に与する者たち、さらにはレグダー男爵家の一派だ。この三派が実に微妙な形で帝国内の勢力を保ってきたのだよ。
ところがだ。そのうちの一人、レグダー男爵を、貴君が倒してしまったではないか、ラツキ殿。おかげでその勢力の均衡が一気に崩れた。今回の儀式もそれにつながっている。だからラツキ殿のせいだというのさ。わっはっは」
半ば豪快な冗談めいた口調で皇太子殿下は笑ったが、その言葉は真実を語っていた。
やれやれ、ともじゃもじゃ髭を撫でながら、ぽつぽつと皇太子が話してくれたことによると、つまり。
あの事件では、レグダー男爵の個人的な欲望に原因があり、それは帝国が国家として意図したことではなかったとしても、やはり一国を代表する外務官が他国の外務卿を毒殺させたという事実の有する意味はあまりに重い……重すぎたのだ。
この事件によって、帝国の、他国に対する威信は大きく傷ついてしまった。これまでは、事実上最大の国家として他国へのリーダーシップを取ってきた帝国が、その鼎の軽重を問われる結果となってしまったわけだ。
その傷ついた威信を取り戻すために、早急な、しかも思い切った手を打たねばならない。帝国は変わったのだという対外的アピール。つまりそれが、新皇帝の即位というわけだ。
まずそれが、外的な要因。
次に内的な要因として、先ほど皇太子自身が言ったように、帝国内部での勢力争いの問題があるという。
レグダー男爵はもともと地位や権力に恋々とする人物ではなく、もっぱらその異常なまでの興味は例の趣味嗜好──武器武具の収集に向けられてきた。だが、その収集のための資金として彼が貯め込んだ金はまさに莫大な額に登り、その金を目当てに群がってきたものも多く、自然にそれが、いわば男爵派を形成したのだという。
だが、私によって男爵はその奸計を暴かれ、没落し、刑場の露と消えた。
「すると、残された男爵派はどうなるか、という話だ。残念ながら我々皇室は一歩遅れてな。ほとんどの男爵派の残党をフェルゲイン公派に吸収されてしまった……」
思い出してみると、確か、もともとフェルゲイン公爵とレグダー男爵の間には、光芒剣の奪取に成功すれば、男爵は公爵の派閥に入っても良い、という密約があったはずだ。そうした入念な下準備があらかじめあればこそ、フェルゲイン公派の動きも早かったのだろう。
「今やフェルゲイン公派の勢力は絶大だ。恐れながら、今上陛下は心身ともに柔弱でおわすため、公と渡り合い、その勢力を削ることはできん。そこでわしが登場せねばならんというわけさ」
そこまで言うと、皇太子殿下はにやにやと皮肉っぽい悪い笑みをその丸い顔に浮かべた。
「のう? わかってくれただろう。ぜーんぶ、ラツキ殿がレグダー男爵の罪を暴き、倒したのが原因ではないかな。はっはっは。だからわしも、即位を早めねばならず、そして即位をするためには危険があるとわかっておっても塔に登らねばならんというわけだ」
「そ、それは……うーん……そうなのかもしれませんが……」
……はうう。
なんか本気で自分が全部の原因であるような気になってきて落ち込んできたぞ。
しかし、そんな私の肩を、皇太子殿下はわざわざ立ち上がって近づいてきて、その太くゴツい手でポンポンと叩いてくれた。
「いやいや、今のは半分冗談だよ、ラツキ殿。どうせいずれは男爵の悪事は明るみに出て奴は没落していただろうし、いつかはわからぬがフェルゲイン公との対立が避けられなかったのも事実だ。たまたまその時期に居合わせたというだけで、貴君がそのすべてを背負う必要はない。心配せんでよいさ」
すぐにこうやって気配りをしてくれるあたり、さすがに皇太子という地位にふさわしい人なんだなあと感じる。外見は森の熊さんだけど。
まあ、私は別に帝国の内政に、必要以上に干渉する気はないし、そんな身でもない。個人的にこの森の熊さんはいい人だなあと思ってるから、そのレベルでは応援してるけど、基本的には、言ってしまえばだれが皇帝になろうが、構わないと言えば構わないのだ。
ただ、あの四か国会議事件の時、この熊さんは、他国や聖殿と軋轢を起こしてまで、無理強いをして光芒剣を帝国の手中に収めるよりは、穏やかにことを収めた方がいい、という考えの、いわば穏健派だった。
一方、フェルゲイン公は、ある程度強引な手を使ってでも帝国の威光を輝かせたいという、強硬派。
どっちかと言えば、穏健派の方が皇帝になってくれた方がいいのかなあ、なんていう程度には思っている。
「……立ち入ったことですが、そもそも何故そうまで、フェルゲイン公と対立なさっているのです?」
不思議に思って私は尋ねた。確かに、穏健派の皇太子と強硬派のフェルゲイン公という政治的主張の対立はあるのかもしれないけど。でもよりによって、皇太子なんていう雲の上の、大それた存在とそんなに激しく対決するものなのだろうか。
……と、そこまで考えて、私は気づいた。
皇太子も、私が「それに気づいた」ことに気付いたようだった。大柄な肩をすくめ、髭の中から苦笑を浮かべる。
「そう。フェルゲイン公は聖王陛下の直系だ。……女系の直系が、そこにおられるアンジェリカ殿だというのは最近分かったことだがね。少なくともこれまでは、聖王陛下の直系と言えばフェルゲイン家のみ。堂々と我ら皇室と渡り合えるほどの家格があるのさ。だからこそ、フェルゲイン家は不満なのだ。なぜ自分たちがいつまでも、臣下の座に甘んじておらねばならぬのか、とな」
うん。それは前から変だなとは思ってた。
帝国って、聖王アンジェリカの直接の子孫が皇帝になってるわけじゃないのよね。まあ公爵っていう、とっても偉い立場なのは確かではあるんだけど。
……って聞いたら。
「おや、ラツキ殿は、聖王陛下の遺勅、というのは聞いたことがないかな? 割と知られていると思っておったが」
ぎっくうっ。
久しぶりにヤバげな地雷を踏んだか、と焦ったが、しどろもどろになりながらも、さも今思い出したかのように曖昧に頷いて見せた。頑張れ私の面の皮。
「あ、ああ、えーと、その、思い出しました。そういえば聖王陛下はあれでしたね、あの、……」
「そう。血脈によってではなく、識見能力人格に優れたものに帝位を継がせよ、と仰せになったのだ」
おお、切り抜けた。さすがに長く生きてると、これくらい、しらばっくれる演技力は身に着くものね。──いやまだ20代だけどね、私の中の人は!
しかし。そういえば、私の元の世界でも、三国志の劉備が亡くなるとき、諸葛孔明に対して、実子である劉禅の出来が悪かったら、君が自分で君主になってくれ、と言ったという話を聞いたことがある。孔明は断って臣下のまま、劉禅に忠誠を尽くしたんだけど、この世界の帝国は、聖王アンジェリカのその遺言を守ったということなのか。
「聖王陛下御自身はご自分の御子たちを愛していられたようだが、それでもあえて帝位は譲らず、臣下の中から優れたものを選んでそのものに帝位を譲った。以後代々その遺勅は守られ、実際その方針は成功し、帝国は勢力を拡大していった……」
だが、と皇太子は太い眉をしかめた。
「人は弱いものでな。代を重ねるうち、我が子に対する愛着を断ち切れぬ皇帝も出てくるようになった。確かに、我が子を皇帝にしてはならぬ、と聖王陛下はおっしゃったわけではない。自分の実子が真に優れた能力を有していれば、帝位をそのまま譲っても、聖王陛下の御言葉に反することにはならぬわけだ。だが」
皇太子は言葉を切る。私もそこからは想像が付く。
それほど優れた資質を有していなくとも、我が子に対する情に負け、帝位を譲ってしまう皇帝が現れ始めた、ということなのだろう。
「ここまで話したのだ、今更隠すこともせぬが、その実の親子で世襲をなさったといううちの一組が、先代陛下と今上陛下でいらしてな。だがさきほど言ったように、今上陛下は温和な方すぎ、今一つ覇気に欠け、お身体も病弱であらせられる。そのためもあり、フェルゲイン公やレグダー男爵といった貴族たちがすかさず勢力を伸ばしてきたのだ。今上陛下も頭脳は明晰な方なので、この現状を憂い、皇太子として、遠縁のわしをお立てになったというわけだ」
今の皇帝は文化や芸術と言った方面への庇護には篤い反面、老齢ということもあり、大貴族たちと正面切って勢力争いをしたり、政の前面に出たりする気力はないお方らしい。
「時期的に、かなり滑り込みであったのだがな。つまり、わしが立太子されて少し後に、まさに「識見人格能力に優れた」有望で頼もしい若者がフェルゲイン家に現れた。もし「彼」が現れるのが少し早ければ、皇太子は「彼」であったかもしれぬ。そうすれば、フェルゲイン家は長年の宿願である、帝位の奪還を為し得たかもしれん。フェルゲイン公の内心、いかに歯噛みしていたかと慮られるな」
あ。
あー、そっか。
……ユーゼルク。
能力とか人格とかカリスマとかが重要視されるのなら、まさにユーゼルクは次期皇帝に目されても、誰も文句のつけようがないほどに完璧な存在であったわけだ。それに加えて、聖王の直系という家柄でさえあるわけで。
でも、ユーゼルクは登攀者になる道を選んで家を出てしまったから、今のところはその候補者からは外れているんだろうけど。
「……とはいえ、『もしわしの身に万が一のことがあれば』、「彼」が再び次期皇帝の候補に挙がるであろうな。そして、帝国内の内紛をこれ以上長引かせることは、慈愛に溢れた彼にとっても心を痛めることであろうから、やむを得ず引き受ける可能性が高いのではないか、とも思われるがね……」
皇太子は口元に笑みを浮かべながら、そんな可能性について語った。実現して欲しくはない、しかし見逃してはならない可能性のことを、表立っては笑顔で。しかしその心中はさぞかし重い覚悟が渦巻いているのだろう。
私たちにとっても、それは重大な話だった。
皇太子に何かあれば、ユーゼルクが皇帝として即位する可能性が最も高い……。
皇太子に、何かが、あれば。
もしかしたらだけど。悪い方に考えすぎなのかもだけど。
もしかしたら、フェルゲイン公は、帝位の奪還という長年の宿願のために、してはならないはずのことを、考えていたりはしないだろうか……。
もちろん、私はフェルゲイン公のことを個人的によく知らない。だからそんな人のことを悪く考えてはいけないのかもしれない。
だが、以前。フェルゲイン公の実子であるユーゼルクは、こうも言っていた。私はそれをはっきり覚えている。
曰く──「父は家のためには手段を選ばない」と。
その『手段を選ばない』の範囲が、果たして一般常識的な範疇に収まるものなのか、それとも……それとも。
「長々と話し込んでしまったが、つまりはそういうわけだ、ラツキ殿。内にあっては帝国の内紛を収め、外にあっては帝国の威信を取り戻すべく、わしはどうあっても早急に即位を行わねばならぬ。そのためには塔に登る儀式を行わねばならんのだよ」
むー。
そうやって詳述されると、確かに帝国の事情も分かりはするんだけど。
それに、『登攀者殺し』が必ず現れると決まっているわけでもない。
だけど、『皇太子の身に万一のことがあれば』の可能性としてものすごく具体的なことが出てきた今、簡単に引きさがりたくもない。
じゃあせめて、遠くから見守っているという警護役に私たちを起用してはくれないでしょうか、と聞いてみたが、さすがに断られた。これは帝国内部の問題で、外部の人間の立ち入るような話ではない、と。
それにそもそも、警護役の人たちは、同時に、いわば「見届け人」でもあるのだ。皇太子がきちんと、ズルをしたりせずに単独踏破が出来たかどうかを見届ける重い役目。ならば、なおさら、外部の人間を使うわけにはいかない。警護役に内定している人たちだって、私たちほどではないが腕利きが揃っているし。
……というか、私たちの隊はもう6人。皇太子を含めたら7人になってしまうので、塔の内部に転移する際の人数制限に引っかかってしまうわけでもある。
ダメかー。
私がしゅんとうなだれた時だった。
「くっふっふっふっふ」
なんか肉食獣が……いや、地獄の悪魔が獲物を見つけて舌なめずりした時のような笑い声が私の傍から聞こえてきた。なんていう表現をすると失礼かもだけどさ、──テュロンに。
そう。それは私の後ろに侍立していた、テュロンの笑い声だった。
普段は可憐な唇を、まるで死神の鎌の様な形に歪め、澄んだ栗色の瞳をぎらつかせているテュロン。
ぎょっとして全員がテュロンを見つめる。が、私を含め、彼女と付き合いの長い数名は、もうわかっていた。
あー、何か知らないけど、この子のスイッチ入ったな、これ、と。
「卑賎な奴隷の身で僭越ながら口を挟むご無礼をお許しくださいませ。ですが、今、殿下のおっしゃられた事々すべて、果たして我が主ラツキの提案を封じる論拠になっておりましょうか。私の輝ける知性はそこに深い疑念を抱くものですわ」
皇太子殿下が、何が始まったのこれ、と言った表情で私を見つめるが、私も肩をすくめ、もうこうなったらこの子は止まんないんです、と目で伝えるしかなかった。
そんな私たちに構わず、テュロンは続ける。
「まず、技量ですわね。殿下ご自身がおっしゃられた通り、我が主とその一行は、聖花の摘み手という高貴な名誉を有しておるのみならず、殿下の御身を守るだけに十分な能力を備えておりますわ。単に戦闘だけではございません、索敵や治癒回復に至るまで揃った、いずれも高い技術の持ち主。まずこの点で問題はないどころか、むしろ護衛として好ましいものと判断されますわ」
テュロンは栗色の縦ロールをふぁさっと靡かせる得意のポーズを取って続ける。うん。ペース上がってきましたね。ええ。
「次いで、帝国内部の問題であるから外部の人間は使えない、とのこと。ですが、果たしてそうでしょうか? 殿下、我が主の一行には、帝国出身の人間が──それも! それもですわ! かの聖王陛下のまぎれもないご子孫という、まさに帝国の成立その時点から深いかかわりを持った血筋のものがおりますことをお忘れでしょうか? 我が朋友アンジェリカはまさに、聖王陛下のご子孫として、殿下の試練を見届けるにあたり、これ以上ないほどの資格を有する者といえましょう」
あー、そっか。と言った顔でアンジェが自分の頬を軽くぺちんと叩く。そう言われればまさにその通り……なのだろうか。
「さらに、我が主は、先程殿下ご自身がおっしゃられましたように、帝国を現在の危機的状況に追い込んだ張本人ですわ。いわば、対外的にも体内的にも、帝国にとって、決して好ましからざる人物。しかし、そうであるからこそ厳しい目で殿下の儀式を見届け、不正がないかを監視することができるともいえるはずではないでしょうか。
さらに、我が一行には、聖殿からの監視者である聖務官殿、ラフィーネ様がおられます。中立公正さに関して、聖殿の監視という非常に決定的な担保がここでさらに為されるわけですわ」
無意味に両手を大きく広げ、舞台上の主演女優のような独壇場を繰り広げるテュロン様。
皇太子殿下のもじゃもじゃ髭の奥で、そのお顔がどういう反応をしたらいいかわからないように痙攣しているのがわかる。
諦めてください、私も初めてこの子と出会った時、そんな感じだったんで。
「そして、人数の問題がございますわね。しかし、ここであの良く知られた逸話を思い出していただきたいのですわ。かつてのある王が百名の騎士を塔に送り込んだところ、塔の制裁にあったという。──ここから読み取れることは何でしょうか? すなわち、「塔に入るだけ」なら、同時に何人でも入り込めるということなのですわ。皆様、なんとなく、6名までしか共に入れないように思っていらっしゃる方が多いようですが、「共に行動する」には制限があっても、「入るだけ」なら構わないのです。ですから、……」
例えば中へ入った瞬間に、私が全力で殿下を遠くへブン投げる……あら失礼、放り投げるとか致しますれば、一瞬で制限距離外へ脱出できるはずですわ、とかテュロンは平気で言う。
──テュロンの全力でブン投げられたら、その時点で死んじゃわないかな、皇太子殿下。
まあ一階層は特に危険な場所とかない、ただの柔らかな草原だし、全身をお布団とかでぐるぐる巻きにでもしてれば大丈夫だろうか……。って、私もだいぶテュロンの考えに染まってきた気がするが。
「以上、すべての点から、我が主が殿下の護衛に付くことに否定的な論拠が見当たらないことが論証されたのですわ」
オンステージ終了。
ドヤドヤドヤァ。
例によって例のごとく、テュロンの背後に得意げな擬音のビジョンが浮かんで見える。
「いや……それはそうなのかもしれないが……いや何となくそうではないような気もするのだが……しかし筋は通っているようにも思えるし……」
しどろもどろになった皇太子殿下が額に浮かんだ冷や汗を手で拭った。
だよねー。テュロンのこれが始まるともうどう反論していいかわかんないんだよね。
すっかりテュロンのペースに巻き込まれた皇太子殿下の心中お察しします。
「だ、だが、それはわしの一存で決められることでもないのだ。確かにラツキ殿たちに来てもらえれば心強いとわし自身も思うが、既に予定は動き出しており、わしが勝手にどうこうとは……」
「殿下!」
あ、オンステージ終わってなかった。
テュロンがピシッと両手を打ち合わせる。その鋭い音に、思わずその場の全員が背筋をぴんと伸ばす。
「殿下は、大貴族たちとの政争を、即位した後からゆっくりのんびりとお始めになるおつもりですか? それでは相手に機先を制せられるのは必定。よろしいですか、殿下と大貴族たちとの戦いは既に始まっているものとお考えください。すなわち、殿下がいかにしてこの案を周囲に納得させ、承認させ、実行させるか。そこからもう殿下の御器量が試されているのですわ。いわば、これが殿下にとっての初陣なのですわ」
「だ、だが、前例がないことだ」
「即位前から前例主義に凝り固まってどうなさるのです。常に新しい道を模索なさることが帝国に新風を吹き込むことになるはずですわ。
大丈夫です、基礎的な論理がきちんと通っている以上は、あとは気合と勢いで押しきればどうとでもなるものですわ!」
「……えー……」
皇太子殿下は私が最初に出したような声よりもっとプレッシャーのかかったような声で、顎をがくんと落とした。
無理を通せば道理が引っ込む、なんて言葉が私の元の世界にはあったけど。
テュロンの場合、道理そのものを武器にして振り回しながら無理を押し通すから、もっとタチが悪いのよね。
……テュロン。恐ろしい子。
「……しかしだな、もし、わしの身に万一のことがあった場合、貴君たちも責任を取らされることになるはずだが、それは良いのかね」
「もちろんですわ!」
って、おーい!
勝手に人の命を掛け金に使わないでよね!
そりゃまあ、確かに『登攀者殺し』がもし出てきたらそれを倒す絶好の機会だし、皇太子殿下は守りたいし、だから、私としても、その提案は受けたいんだけどさ。
ほっとくとテュロンはどこまで突っ走るかわかんないな。まったく怖い子だ……。
で、結局その案が飲まれるかどうかは皇太子に丸投げという形で私たちは帰途に就いたのだから、私たちもたいがい酷いかもしれない。一応、後から、聖殿からの提案書という形で、その案の後押しをしてくれると、ラフィーネさんがフォローしてくれたけどね。
「次の皇帝さまかあ。なんかすごい話になっちゃったね。でも、僕、わかったよ。皇帝さまは、帝国の中から、心も力も立派な人の中から選ばれるってことなんでしょ? だったら」
と、帰り道、メイアがにっこり笑って私たちを見上げた。
「だったら、ここにも一人、皇帝さまに相応しい人がいるよね。そうだよね、アンジェ姉さま」
「え!? ……わ、私ですか!?」
アンジェが目を丸くしてメイアを見つめる。
あ、そう言えばそうか。アンジェだって、立派な資格者の一人だ。識見も人格も能力もすべて問題ない。しかも帝国出身、どころか、聖王の直系の子孫なんだから。
もちろん、今のアンジェは私の奴隷だから、候補者になるなんて言うのは現実的ではないけどね。
「私など、到底皇帝の器ではありませんよ、メイア」
「そうかなあ。アンジェ姉さまは優しくて素敵な人だし、立派な魔法使いだし。それにだいたい、聖王陛下だって女の人だったんだし、女の人の皇帝さまが出てきたっておかしくないよね」
「もう、困った子ですね、メイア。我が祖先とはいえ、私と聖王陛下を同列に語ること自体、恐れ多いことなんですよ」
アンジェは綺麗な形の眉を困った形に曲げてメイアをたしなめる。
私からすれば、それはそれでアンジェが謙遜しすぎだろうとは思うんだけどね。
なにせ、私から見れば、聖王は多分だけど、私と同じ、異世界転移者の一人にすぎないんだし。
「ああ、でも」
と、アンジェはその時何かを思いついたように、ふっと優美な口元を優しく緩めた。
「私が聖王陛下と同じ──同じように胸を張れる事柄が一つだけありますね」
へえ。いつも控えめなアンジェにしては珍しいな。
「それは、聖王陛下の御伴侶のことです。御承知の通り、聖王陛下の御伴侶についてはその一切が明らかになっていない、謎の御方なのですが……」
え、そうなの!?
と、さっきと同じような地雷を踏みそうになって危うく今度は自重し、こそこそと検索スキルを起動する。
聖王はこの世界でもっとも著名な人物であり、聖王七書なんて言う、彼女の業績をまとめた本だって幾つも出されているほどの人だ。それなのに、彼女の伴侶が誰かが不明なのか。
彼女は私のアンジェの先祖と、ユーゼルクの先祖という、二人の子供を為している。
そうである以上、誰か伴侶がいて、その人との間に子供をもうけたのだろう、というのは確かなことなのに、その肝心の伴侶の名前も素性も業績も一切伝わっていないのだという。
聖王本人もその人については口をつぐんでいたらしい。
だが、嫌な相手だったとかいうわけでは決してないようだった。それどころか、聖王はその相手に付いて尋ねられるたびに、少し恥ずかしそうに微笑み、幸せそうに頬を染め、そして嬉しそうに顔を輝かせて、こう語っていたのだという。
「『私が魂の底からお慕いし、永遠に想い続ける、生涯で唯一の、運命の御方です』……か」
検索して出てきたその言葉があまりにもロマンチックだったので、私は思わず口に出して呟いてしまった。
その言葉を聞いて、私の隣でアンジェもにっこり微笑み、その黄金の瞳で私の目を覗き込んだ。まるで吸い込まれるような深い魅力を、私は改めてその瞳に感じ、引き寄せられる。
「はい、ご主人さま。有名なお言葉ですね。そして、──そのお言葉に対してだけは、私は聖王陛下と同じことが言えると思っています。……目の前の御方に対して」
──うわ。
うわあ。
アンジェ、そういうことを衒いもなく真正面から言うのね。
いや、同じことを公言する聖王さんもたいがいその、すごい人だなって思うけど。そういう意味では、まさしく先祖と子孫なんだなって思うけどさ。
でも、なんていうか、その。そんなこと、まっすぐ言われちゃったら。
……幸せすぎるじゃない、もう。
私は真っ赤になった自分の顔をみんなに見られないように、さっさと足を速めた。
もちろんそんな私の態度はバレバレで、後ろから盛んに、みんなから、からかわれているのが丸聞こえだったんだけど、ね。




