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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
52/84

夜会と事件

 キュリエナ……フッ、手ごわい相手だった。

 ぞっとするほどにしっとりと柔らかく、それでいて、こちらの肉体の奥にまで食い込んでくるような貪欲さを持った肌。

 それは、アンジェやテュロンを抱く時に感じるような安らぎや愛おしさとはまた異なった、破滅と隣り合わせとさえ思える、めくるめく陶酔。


 かつて、服の上から一度だけキュリエナを抱きしめたことがあったけれど、その時でさえ私の身体には痺れるような快美が走ったのだった。

 ましてや、互いに生まれたままの姿で絡み合った、その悦楽は想像を絶していた。

 まさに、甘美な毒。それがキュリエナの肉体だった。


 幾度か私自身、背をのけぞらせ、高い声を上げてしまったことは、ちょっと悔しいけれど事実。

 ……で、でも、結局最後には私が勝ったけどね! いつかキュリエナに対して宣言したように、思いっきり泣かせてあげたんだから!

 とはいえ、私に屈服したことまで含めてキュリエナの掌中なのではないかという気もするんだけどね、私の腕の中でくすりと微笑んでいた彼女の唇を見ると。



 まあ、それはともかく。

 長い夜は明けた、ようだった。

 ようだった、というのは、ここは地下だからだ。お屋敷の地下洞窟、今はキュリエナの部屋となっている場所で、私と彼女は狂おしい夜を過ごした。

 

 で、ふと目が覚めた時には、遠くで何か騒がしい声が微かに聞こえていた。アンジェたちの声だ。

 あー。そりゃ、朝いつまでも起きてこない私の部屋に行ったら、私がいないんだもんね。アンジェたちも驚くというか心配するか。


 慌てて身支度を整え、地下洞窟を出る。しなだれかかってくるキュリエナも叱って引っ張っていく。

 私が居間に入った時は、アンジェたちは顔色を変え、慌ただしく屋敷中をひっくり返してでも私を探そうとしていたようだった。



「あー。……おはよう、みんな」



 少々気恥ずかしく思いながら、そんなドタバタした場に私は声を掛ける。

 一斉に私の顔を見たアンジェたちはほっとした顔をしてくれたが、私の背後からひょこっと顔を出したキュリエナの表情を見て、すべてを察したようだった。

 にやにやと薄笑みを浮かべ、アンジェたちに見せつけるようにわざとらしく私の腕に絡みつくキュリエナ。

 待て、朝っぱらからそんな面倒な事態を引き起こそうとするんじゃない!


「……おはようございます、ご主人さま。お姿が見えずに心配していましたけど、どうやら楽しい夜をお過ごしになられたのですね」

「しかし、別の意味で御身を案じた方がよさそうですわね。何やら悪い虫がついたご様子ですわ」


 わー。だからほら、アンジェの可憐な唇の端っこがひくひく痙攣してるじゃない! 

 っていうか、テュロンに至っては瞳孔が蛇みたいに縦に割れて、おでこから角出した地龍族の臨戦態勢なんだけど!


「あらひどいわね、うふふ。でも昨夜、私はすぐに休むつもりだったのよ? 一人でね。でもラツキが私を無理やり」

「わーっ! わーっ!」


 だからそういう煽り立てるような言い方を! いやまあ事実としてはその通りなんだけど!

 てんやわんやになりそうだったその場を、けれど。



「もう、ご主人さまも姉さまたちも、よくわかんないけど、朝からケンカなんかしちゃダメなんだよ。朝からケンカするとその日一日気分悪くなっちゃうんだよ。一日がもったいないんだからね」



 押し止めたのは、めっ、と人差し指を立てて私たちを見回し言った、小さなメイアの大人ぶった言葉。私たちはお互いに顔を見合わせ、ふっと肩の力を抜いて苦笑した。

 うん、「子はかすがい」なんて言葉があるけど、私たちの場合は、「メイアはかすがい」かな。

 メイアの穢れない無邪気さは私たちにとって、とても大切な潤滑油になってくれている。

 私は安堵の吐息をつくと、みんなに向かって言った。


「メイアの言うとおりね。とにかく、遅くなってしまったけれど、食事にしましょう。みんなには、聞いてほしいことがあるの……」


 キュリエナが昨日男爵邸に潜入し、探ってきたことだ。

 温め直した野菜と豆のスープ、干し肉とゆで卵にパンという簡単な朝食を取りながら、私はみんなに、かいつまんで昨夜の顛末を説明した。

 アンジェとテュロン、メイアには、キュリエナの行動とそこで得た情報を話し、またキュリエナとメイアには、『秘法』と、それにかかわる聖殿の裏側についての知識を伝える。

 話を聞いたアンジェは、キュリエナに感嘆の目を向けた。


「キュリエナ……そんな危ないことをやってきてくれたんですね。私、そうとは知らなくて……」

「えー? 別にぜーんぜん危険なんかじゃ……むぐむぐ」


 余計なこと言いそうになったキュリエナの口を慌ててむぎゅっと押さえる。

 ええい、せっかくアンジェが好意を向けてくれそうになってるんだから、自分からひっくり返すんじゃない!


「仲間の為にその身を呈する覚悟、たいしたものですわ、キュリエナ」

「えー? だから私自身のためだって……むぐむぐ」


 だ・か・ら! いちいちまぜっかえさないでってば! キュリエナはほんとに騒動巻き起こさないと生きていけない体質なの!?


「ごほんごほん! えっと、つまりそういうわけで、キュリエナが探ってきてくれた事情はこんなところよ」


 無理やり話を先に進めた私の言葉に、テュロンが眉根を潜めて虚空を見つめ、考え込んだ。


「んー。男爵が、秘法と聖殿の裏側についての知識を得てしまった、というのは、少々面倒ですわね。つまりそれは、これまでは聖殿に行動を制されてきた男爵が、聖殿側に逆襲できる手段を入手したということを意味しますわ」


 彼女の言葉に私も頷く。

 これまで男爵が私やアンジェに対して迂遠な手段しか使ってこられなかったのは、聖殿の強い猜疑と監視の目が光っていたからだ。


 あのネズミ男に私を襲わせ、切り捨てた事件で、男爵は自分に累が及ばないようにするため、かなり強引なやり方をした。

 結果として彼はグレーのまま逃げ切ることができたけれど、聖殿には睨まれることとなった。だから男爵はこれまでは影でこそこそするしかなかったわけだけど。


 しかし、秘法とそれにまつわる一連の聖殿の問題――悩みや苦しみを持つ人を利用し、犠牲者が出ても構わないというやり方で世界の均衡を保っている、という手法を男爵は知った。

 そのことで、男爵はこれまでとは逆に、聖殿に対し、揺さぶりをかけることができるようになったのではないだろうか。


「そうね。詳しくはラフィーネさんに話を聞いてみないといけないけれど。これから出かけて、ラフィーネさんに……」


 言いかけた時、戸口に吊るしてある呼び鐘が鳴らされ、案内を乞う声が聞こえた。

 ぱっと瞬時にアンジェとテュロンが立ち上がり、入口へ向かう。少し遅れて、あたふたとメイアも続いた。

 メイアはまだやっぱり慣れてないわね、っていうか、何も全員で行くこともないのに。

 でもいいんだ、可愛いから。可愛いは正義。


 だけど、こんな朝から、お客さんかな。誰だろう。

 そう思いながら待っていると、やがてアンジェが戻ってきて、私に取り次いだ。


「ご主人さま、聖殿の方々がお目にかかりたいとのことです」

「聖殿の? ……ラフィーネさん?」

「いえ、ラフィーネ様ではなく、ジメイン様がおいでになっています」


 ジメインさんか。聖花の競争の時に知り合った、大柄な猿人の聖務官さんだ。ラフィーネさんよりちょっと偉い人。


「何かしらね。わかったわ、応接室にお通ししておいて」

「はい、ご主人さま」


 もともと貴族のお屋敷なので、ここには応接室なんてものがある。ほとんど使わないけどね。ラフィーネさんとかが遊びに来たときは、普通に居間に通しちゃうし。

 私は手早く身支度を整えると、応接室に向かった。

 なんか面白そう、と言った顔で付いてくるのはキュリエナ。別にあなたは呼ばれてないと思うんだけどな。まあいいや。




「お待たせいたしました、ジメインさん」

「ほむべきかな、いと高き塔。朝からお邪魔を致しまして、申し訳ないのですな、ラツキ殿」


 応接室にはジメインさんと、彼のお付きらしい聖務官さんが二人ほど一緒に待っていた。

 残念ながら、その中にラフィーネさんはいなかったけど。


「ほむべきかな、いと高き塔。それで、御用件はなんでしょう」

「此度の四か国会議なのですが、ラツキ殿とアンジェリカ殿にご出席していただくことが正式に決まったのですな。議題は、もうおわかりでしょうが、光芒剣の扱いに関してのことですな」


 ジメインさんはあいかわらず堅苦しく重々しい態度で訥々と話す。


「なお、会議にご出席いただく方々には、今宵の夜会へのご招待も致しておりますな。こちらにもご出席いただきたいのですな」

「夜会……ですか?」


 パーティか。

 前の世界でも会議は踊るとかいう言葉を聞いたことある気がする。重要な会議でも晩餐会はつきものだったし、こっちの世界でも会議とパーティはセットなのね。


「わかりました。今夜ですね」

「お迎えを遣わしますので、ご用意をお願いいたしますな」


 ジメインさんはそう言うと、少し考えた様子で黙ってから、毛むくじゃらの四角い顎をひと撫でして、むっつりとした表情で口を開いた。


「……会議のことなのですが。ラツキ殿に関わりある範囲で、一応、お伝えしておくのですな。――聖殿は、帝国が、ある種の事案に関し、ある種の提案を行ってきた場合、それに対して明確に反対はしない立場を取ると思われるのですな」



 思わず苦笑が漏れそうになるほど、持って回ったお役所的な言い回し。

 でも、立場的に、これは今ジメインさんが教えてくれることができる最大限の言い方なのだろう。むしろ感謝しないとね。


 そしてもちろん、その意味は。

 ――帝国が、いや、男爵が、アンジェの奴隷身分からの解放と貴族叙勲を提案してきた場合、聖殿はそれに反対しない、ということだろう。

 反対しない、というよりは、反対できないのだ。『秘法』とそれにまつわる聖殿の暗部を知られた以上。


 私は胸の奥で小さく舌打ちをする思いだった。

 まあ、わかっていたことだ。おそらく男爵がそういう意味での取引に使うだろうということは。

 だから、衝撃や驚きはそれほどないのだけど、それでもやっぱりむかつくものはむかつくよね。


 私たちが頼りにしていたのは、聖殿の庇護だ。

 私は登攀者として聖殿に属する人間なのだから、帝国が勝手に私から奴隷を取り上げて貴族にするなんてことに対しては、聖殿は反対してくれるはずだった。普通はね。

 聖殿にとっても、光芒剣と聖王の子孫のアンジェが聖殿側に所属するということは、その権威と立場を強化する上で重視しているはずだからだ。


 だが、男爵に『秘法』関連の情報を握られ、それをネタに揺さぶりを掛けられれば、そうとばかりも言っていられない。

 積極的に賛成はせずとも、少なくとも反対はしない立場を取らざるを得ない、ということになってしまったのだろう。


 くそ。今のとこ、後手に回ってるなあ。

 でも、逆に考えれば、まだ「聖殿が帝国に反対しない」という状況になったに過ぎないともいえる。

 聖殿は権威あるとはいえあくまでも仲介者。四か国会議の主役はその名の通り、あくまでも、帝国・古王国・新王国・都市連合の四か国なのだ。

 だから、帝国以外の各国が反対するのならば、その提案がそう簡単に通るわけではないはずだ。


 それにそもそも、帝国内部でも、まだ意思統一はされてないはず。あの森の熊さんみたいな皇太子殿下は、帝国にアンジェを迎えることに反対の立場だったはずだしね。

 だから、まだその提案が帝国サイドから公式に出されるかどうかも決まってないはずだ。

 その辺が私たちにとっては命綱かもしれない。



「ありがとうございます。お言葉、心にとめておきます、ジメインさん。……それと、ラフィーネさんにお会いすることはできるでしょうか?」


 私は尋ねた。昨夜の詳しい事情をラフィーネさんから直接聞きたいし。

 けれど、ジメインさんは野太い首を振った。


「ラフィーネ4等聖務官は、まさに今宵開かれる夜会の差配の任を受け、現在手が離せない状態だと思われますな。夜会が無事終われば多少手は空くのでしょうが」

「そうですか……わかりました」


 うーん。間が悪いなあ。

 でもまあ、しょうがない。夜会が終わってから速攻で会いに行くことにするしかないかな。

 無理に会おうとしてもラフィーネさんに迷惑だろうし。そんな大事な仕事をしているのなら、邪魔したくないしね。

 


 


 夕刻。

 聖殿から差し向けてくれた馬車がお屋敷に到着し、私たちは揃って聖殿へと向かった。

 身に纏っているものは普段の胴着やミニスカなどではさすがになく、ドレスだ。

 私とアンジェは、以前男爵邸を訪問する時に用意したものがあるが、テュロンとメイアの分は慌てて古着屋さんで見繕ってきた。それに多少手を加えて飾りつけすれば、まあ見られるものにはなったと思う。

 キュリエナは自前でこういう時のための礼服を用意していた。色々な「仕事」の時に使うための様々な服装は準備しているものらしい。


 聖殿に到着し、まずは厳重な身体検査を受ける。各国の要人が集まるパーティなのだし、当然ね。

 もちろん、私の剣、陽炎と不知火は帯びていない。

 キュリエナは知らん顔で、飾り紐に擬装した鞭を持ち込もうとしていたけど、私がやめさせた。めんどくさい事態になったら私が困るんだから。


 ボディチェックが終わると、私たちは夜会の会場へと案内された。

 そこで私の口から出た第一声は、



「わあ……シンデレラだ……」


 

 だった。

 まあ、私なんかでも、穢れない幼いころはシンデレラとか読んだ時代はあったのよ、これでもね。

 私はこういう女だから、王子様には別に惹かれなかったけれど、華やかな舞踏会には心躍らせたものだった。

 それが今、現実として目の前に、ある。


 数多の人数を飲み込んでなお余裕のある広大な室内は、いくつものきらびやかな金銀の装飾やタペストリーで飾りたてられ、華やかな輝きが目を射るほどだ。

 高い天井から下がる巨大な燭台は無数の灯を揺らめかせ、その灯火がそちらこちらに惜しげもなく飾られる宝石に跳ねて、昼の太陽さえ欺かんばかりに明々と煌めいている。

 巨大な極彩色のステンドグラスが幾つも神々しく壁を埋め、美麗でありながらも荘厳な雰囲気を形成していた。


 用意された食卓には、まさにとりどりの山海の珍味、あるいは色味深く香り立つ酒などが並べ立てられ、舌だけでなく、目と鼻も極上の味わいで楽しませようとしてくれていた。

 その食卓の傍らには何人かの聖務官さんたちが立っており、食事の案内をしている。軽く口を付けてから勧めたりしてるのは、毒見をしてるのかな。


 そしてそこに、美々しく壮麗ないでたちの多くの人々が歓談している。

 帝国、古王国、新王国、都市連合、そして聖殿。いずれ劣らぬ高位高官ということが一目でわかる貫録を備えた人たちだ。


 会場の奥の方に、そんな高貴そうな人たちの中でも、ひときわ目を引く集団がいた。

 ……うわ。よく見たら、あれ、帝国の皇太子殿下だよ。

 しかし、私と野試合をした時の、森の熊さんみたいな恰好とは全然違うな。

 あのもじゃもじゃした髭もきちんと整えられ、むしろ風格があるし、無論衣服も金糸銀糸が輝くようで豪華絢爛。

 こうなると、あののっそりした大きな体が、威圧感さえ覚える立派な王子様として、ちゃんと見えるものね。


 どうしよっかな。皇太子殿下に、私も挨拶に行った方がいいかしら。

 そう思っていると、後ろから声を掛けられた。



「ラツキ・サホ殿とお見受けしたが、間違いないかな?」


 振り返ると、金属の塊がいた。

 ……いや、一瞬そう勘違いするほどに、じゃらんじゃらんと勲章や徽章やらをぶら下げまくったおじさまがいた。

 背は高くないけれど、前後左右にその存在感を主張した体形。まあ平たく言うと、栄養のあるご飯をいっぱい食べてらっしゃるのね、といった風貌だ。たぷんとした顎が、金モールで飾った高い襟にちょっと食い込んでいる。

 その丸いおじさまは、ぐいと胸を逸らし、横柄そうな目つきで私を見つめていた。


「はい、私がラツキですが、失礼ながら……?」


 答えると、丸いおじさまは、隣にいた一人に、くいっと顎をしゃくった。

 その人は丸いおじさまとは正反対にひょろりと背が高く、けれど枯れ木のように細い体形で、丸いおじさまと並ぶと私は目線を上下させるのが大変だ。

 そのほそっこい身体に大きなだぶだぶとした衣服を着込み、手袋をした手で神経質そうに大きな手巾ハンカチを握りしめた彼は、丸いおじさまの合図に応じて、言った。


「こ、こちらは、王国の外務卿、ムグディフ閣下であられます。私は王国の聖都駐留官、フォジョンと申します。お見知りおきを」



 王国、王国っていうと、えーと、古王国の方か。

 この世界には古王国と新王国がある。けれど、古王国の方はその名の通り歴史が古いだけに自負心が強く、自分たちが正当なのだという考えのもとに、『新王国』と対にされる『古王国』とは名乗らないらしい。古王国以外の人たちは、区別しやすいように、みんな古王国・新王国って言ってるようだけど。

 で、王国、と名乗るからには、その古王国の方の人か。


「初めて御意を得、光栄です、閣下」


 会釈した私に、丸いおじさまこと外務卿さんは尊大に頷いた。なんかまあ、偉そうな態度ね、っていうか実際偉いんだから、別に怒ったりはしないけどさ。


「君の噂は聞いておるよ、ラツキ殿。今年の聖花の摘み手に見事選ばれたそうだな。その若さで、大したものだ」


 外務卿さんは品定めをするように遠慮なくじろじろと私を見回す。好色な目で見られることにはまあ慣れてるんだけど、そうでもなく、単にモノの値踏みをするような目。

 うーん、なんかちょっと苦手かも。


「賭けの結果も大波乱だったようだ。わしも、ラツキ殿に賭ければよかったかな? はっはっは。なあフォジョン?」

「は……いえ、その……まことに……ははは」


 細い方のおじさん、駐留官のフォジョンさんが曖昧に力ない愛想笑いを浮かべ、手に持った手巾を所在なさげに揉む。

 なんとなく、頼りない人っぽいな、この駐留官さん。

 聖都駐留官と言えば、帝国で言えばレグダー男爵と同じ地位。つまり古王国を代表し、男爵とかと時には駆け引きしたりしないといけない立場の人だと思うんだけどな。他人事ながら、この人で大丈夫なのかしら。


「ラツキ殿。このフォジョンは、賭け事に目がなくてな。そうでありながら、いつも外してばかりおる。今度の聖花の競争も、見事に大外れだったらしい。はっはっは」

「か、閣下。それはもう、よろしいではございませんか」


 冷や汗を浮かべたフォジョンさんが、その汗で濡れた額を手袋で拭う。その手がかたかたと震えていた。

 あはは、と私も乾いた笑いを漏らすしかない。

 まあ、賭けだもんね。当てる人もいれば外す人もいるし。で、外す人に限って熱くなっちゃうパターンってのもあるんだろうけど。


「わ、私、お飲み物を取って参ります」


 いたまれなくなったのか、フォジョンさんはあたふたとその場を小走りに立ち去った。その猫背を見送りながら、外務卿さんはやれやれと首を振る。


「我が王国を代表してこの聖都に駐留しておるというのに、あの男は体ばかりではなく心も細くてな。常に気を落ち着ける薬を手放せんでおる。情けない話だ。……時に、ラツキ殿。君は、どこの国の出身だね?」


 不意に聞いてきた外務卿さんに、私は言葉を詰まらせた。

 え、ええっと。「設定」としては、私は秘法を使ってこの力を手に入れて、その代わりに記憶を失ってることになってるから、出身地については適当に言葉を濁した方がいいのよね。

 だが、私が返答するより前に、外務卿さんは勝手に話を進めてくれた。


「帝国の人間かね? そうではあるまいな。帝国の人間のような薄っぺらい感じがしないからな」

「は、はあ」


 なんか思わず頷いちゃったけど。途端に、外務卿さんは喜色を満面に浮かべた。


「おお、やはりそうか。ならば、久々に帝国出身者以外の聖花の摘み手が現れたというわけだな。いや、これはめでたいことだ。すばらしい」


 えーと。これまで数年間、聖花の摘み手に選ばれていたのはユーゼルク。

 彼は帝国貴族の出身だから、まあ確かに、これまではずっと聖花の摘み手の栄誉は帝国出身者に独占されていたことにはなる。

 この外務卿さん、さっきの言葉といい、帝国のことがお気に召さないみたいね。


「ふん、帝国などと、大仰な名前を名乗りおって。たかが1000年やそこらの歴史しかないものを」


 忌々しそうに低く言う外務卿さんに、私は思わず突っ込みたくなるのを必死で抑えた。

 「たかが1000年」って。私の前の世界基準で考えれば、1000年前って確か藤原道長とかその辺よね。すっごい長い歴史だと思うんだけど。


「それに比べ、我が王国は、実に1150年の歴史がある。帝国などという成り上がりにいつまでも大きな顔をさせておくのは我慢ならんと思っていたところだ」

 

 ……うわあ。

 た、耐えろ、耐えるんだ私。突っ込むな。

 150年しか違わないじゃん! とか言っちゃだめだ。

 まあ、一世紀以上の違いがあるといえば、確かにそれなりの差なのかもだけど。

 だが、外務卿さんはそこまで言ってから、何かに気付いたようにちょっと気まずそうに顔色を改めた。


「……ああ、いや、まあ、聖王アンジェリカに関しては確かに傑出した人物であった。それは認めるがな」


 ああ、私の後ろのアンジェが困った顔してたのに気づいたのか。

 うん、帝国は聖王にゆかりの国だしね。聖王の子孫であるアンジェの前でそれをけなすのは気が引けるだろう。


「しかしだな、優れていたのはあくまで聖王個人であって、帝国がそれを鼻にかけてのさばる根拠には……」

「か、閣下、そのあたりで。ラツキ殿に仰っても、お困りになるだけです」


 ほっといたらいつまでも愚痴を垂れ流していそうな外務卿さんを止めたのは、飲み物を持って戻ってきた駐留官のフォジョンさんだった。

 むー、と難しい顔をしながらも、駐留官さんが持ってきた飲み物を、外務卿さんはがぶりと無造作に飲み干す。それで多少は落ち着いたようだった。


「失礼したな、ラツキ殿。では今後も奮励努力してくれたまえ。帝国の鼻を明かすためにもな」


 私は別に帝国がどうとかいうセイジテキ意図で塔に登ってるわけじゃないんだけどな。なんか、全部自分に都合のいいように取っちゃう人みたいね。

 言いたいことだけ言って、外務卿さんは悠然とその場を去っていく。そのあとを、ひょこひょことフォジョン駐留官さんがついて行った。


「な、なんだか、すごいかたでしたね、ご主人さま」


 苦笑しながらアンジェが私にささやく。キュリエナがくすくすと笑いながら、皮肉気に唇の端を歪めた。


「まあ、あれはちょっと極端だったけど、古王国の上流階級って、程度の差こそあれ、大体あんなものよ。頑迷固陋で保守的。ガチガチの石頭で自尊心ばかり大きいの」


 ふーん。お国柄ってやつなのかな。

 それに比べて、ここ聖都は雑然としているとはいえ、かなり自由な空気の街だし、私にはここが合ってるな、と改めて感じる。


「……ねえご主人さま、難しいことはわかんないけど、僕、お腹空いたよ。あそこに並んでるお食事、食べちゃダメなの?」


 メイアがしょぼんとした表情でお腹を押さえながら言うのに、私たちは破顔した。確かに夕食はまだだったし、せっかくの豪華な食事が並んでるんだものね。


「そうね。遠慮するようなことでもないし、いただいてきましょうか。でも、ちゃんとお行儀よくするのよ、メイア?」

「うん、大丈夫だよ、ご主人さま!」


 途端に元気よく答えるメイアの頭をわしゃわしゃと撫でる。ほんとにわかってるのかな、とちょっと肩をすくめたくはなるけどね。

 でも、私の胃袋もちょっと悲しい声を上げそうになっているし。じゃあ、どの食卓に行こうかな。あっちの卓は肉料理、こっちは魚料理、あ、こっちはお酒が美味しそう。



 ……と。

 室内をきょろきょろとしていた時。

 それは、起こった。



 会場の喧噪を貫く破壊音。

 驚愕の叫びと恐怖の悲鳴。

 そして、低く重い苦悶の呻き。だが、それはほんの一瞬。


 会場が、水を打ったように静まり返る。そして次の刹那、ざわめきとどよめきが津波のように巻き起こった。

 その場のすべての人々のまなざしの焦点にあったもの。それは。



 床に倒れ、表情を醜く歪めて激しく痙攣しながらのたうち回っていた、一人の男だった。

 がしゃがしゃと金属音が空しく響く。その男が鈴生りに付けていた勲章や徽章の立てる音。どれほどの栄耀栄華も、もはや意味をなさない。

 聖務官、治癒魔法、と口々に人々が叫ぶ中、彼は白目を剥きだし、舌をだらりと垂らしたまま、動かなくなる。

 それは、たった今まで私が話をしていた人。

 古王国の、ムグディフ外務卿だった。




 外務卿の身体の前にかがんで、必死で介護をしようとしているのはフォジョン駐留官。

 しかし、どう見ても、もう無駄だ。

 すぐに聖務官さんたちが駆け付け、聖魔法を行使しようとしたが、やがて力なく首を振る。

 やはり、手遅れだったようだ。


 同時に私は、外務卿の亡骸の隣で、茫然自失として立ち尽くす人の姿を認めた。

 真紅の髪が慄き震えている。


 ……ラフィーネさん。


 そうか、彼女はこの夜会の差配だと聞いていたっけ。

 私はすぐにラフィーネさんの傍に駆け寄ろうとしたが、他の聖務官さんたちに遮られた。

 現場保存か。しかたないとはいえ、ラフィーネさんが気になるのに。傍にいてあげたいのに。

 私は後ろ髪を引かれる思いで、棒立ちになっているラフィーネさんを、ただ遠くから見つめていた。




 結局、その夜会は、当然ながら散会となった。もちろんある程度は事情聴取をされた上でだけど。

 事件の影響で、四か国会議の開催自体も数日の延期となってしまったようだ。

 重要な国際会議を前にした、華やかな夜会。そのさなかに要人の一人が命を落とすなんて、まさかそんな事態、誰も想像していなかっただろう。


 自殺? まさかね。あんなバイタリティあふれた人が、自分で自分の命を絶つような真似をするとは到底思えない。

 だとすると、誰かが。

 ……誰かが、やったのだ。




 事件そのものも、もちろん衝撃的だった。

 けれど。さらなる驚愕が、すぐに私たちを襲うことになる。

 ムグディフ外務卿の殺害に関する重要参考人として、一人の人物が拘束され、事情を聴かれているという。

 その人物の名は。




 ――ラフィーネ四等聖務官。

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