聖都と聖殿
「……怖っ」
『神々の塔』をまじまじと見た私の、それが感想だった。
森の中から出て視界が開けた瞬間にそれは目に飛び込んできたのだが、間近に寄って改めて見上げると、その冗談のような大きさがよくわかる。いやむしろよくわからない。
なにしろ、上方は遥か雲の中に消えているのだ。視界すべてを覆うほどのでかい代物が、そのまま上に向かって伸びている。世界そのものを遮っているかのような凄まじい威圧感だ。
道中、遠景に見える『塔』の巨大さに既に驚嘆した私に対して、メガックさんは「『塔』は世界中のどこからでも見えますよ」などと語っていたが。
『ワールド・リサーチ』で調べてみると、『神々の塔』は、直径は30km、周囲90kmの超巨大構造物だとある。30kmって。何その馬鹿みたいな規模。そしてその高さは不明。不明って何のためのEXスキルだよと思ったが、実際、検索結果がそう出たのだから仕方がない。後でクソ電飾を蹴りに行こう。
さておき、その高さはスカイツリーの634mどころの話ではない。おそらく数km、いや十数kmはあるのではないだろうか。SFなどによく登場する、いわゆる軌道エレベータとか言うのはこんな感じなのかな。いやSFよく知らないけど。
「偉大なものでございましょう。かつて聖王陛下が百階層まで到達なさいましたが、それでもまた頂を極めるには遠いとか。まこと、神のおわす座所にございます」
メガックさんが何故かちょっと得意顔で語る。まあ地元の名所に感動してくれるのは嬉しいものか。そして実際大したものでもある。山岳信仰や巨石信仰などというものがあるが、巨大で雄壮な存在は無条件で人の心に訴えかけてくるものがあるだろう。ましてやこの巨大な『塔』を見るに至ってはだ。確かにこの『塔』に対しては『神々の』といった尊称を付けずにはいられないだろう。
というか、実際誰が作ったのよこれ。明らかに人工物だよね。情報検索では有史以前から存在するというが、史書に記録が残され始めてから千年以上たった現在でも、この『塔』を建造する技術は、この世界の人々は持ち合わせてはいないという。そりゃそうだ、この世界だろうが元の世界だろうがこんなもん作れるか。故にこそ『神』の名が冠せられるのだろうけど。
この『塔』の頂を極めれば、そのあたりの謎も解けるのだろうか。
ぼけーっと塔を見上げていた私は、歩行者とぶつかりそうになり、慌てて身をかわした。あ、ケモい。獣人さんだ。お猿さん系の。
「お気を付けくださいませ、人の多い街でございますからな」
「え、ええ。ずいぶんと賑やかなのですね」
情報検索したところでは、この街は『聖都』と呼ばれている。『塔』を御神体として崇める『聖殿』が直接支配し、他のどの国にも属していない街だ。言ってみれば宗教都市であるのだが、その言葉から受けるイメージのような、厳粛さや荘厳さといったものはあまりない。むしろ猥雑さや喧噪といった言葉の似合う、活気に満ちた街に見える。
石畳の敷かれた幅の広い道にはひっきりなしに人々が行き交い、道の両脇には露天商や屋台が所狭しと並んでいる。傍らには大道芸人に人だかり。売り子のかまびすしい呼び声や街ゆく人々のざわめき、笑い声などが耳を覆わんほどだ。
「世界中から『塔』に参拝するために旅をしてこられる方が多く、人の出入りが多いのですな。もっとも、やはり聖都の中核となるのは登攀者の方々ですが」
メガックさんは周囲を見回す。身をよろい、武器を持った屈強な人が、十人に一人くらいは見受けられるだろうか。彼らが皆登攀者なのか。
「聖都は登攀者の方々の拠点ともなる街でございます。数万人の登攀者が、かの聖王陛下の後を追うべく、昼となく夜となく、『塔』の頂を目指して鎬を削っておられるのですよ」
数万人。一瞬多いなとも感じたが、全世界で数万人しかいないと考えれば、やはり厳しい道でもあるのか。
そんなことを考えているうちに、メガックさんが歩みを止めた。
「こちらが私の店でございます」
紹介されたのは、奴隷商の店、というイメージで想像していたような、暗鬱で狭く汚いような店舗ではなかった。むしろ幅広い間口の、石造りの広壮な建物。外観は華やかな飾り付けで下品にならない程度に彩られ、店前は綺麗に掃き清められてもいた。この世界における奴隷商という職業の社会的位置づけが、この店構えを見ただけでもなんとなくわかる。
「おかえりなさいませ、旦那様」
店の中から数人の従業員らしき人々が小走りに近寄り、メガックさんに頭を下げる。
「実は、道中、賊に襲われましてね。供の者たちは残念ながら。しかし、こちらの方が私の命を救ってくださったのですよ」
メガックさんがやや沈痛な面持ちで店の人たちに事情を説明する。店員さんたちも衝撃を受けているようだったが、メガックさんは彼らに指示を出した。
「まずはこちらのお方に寛いでいただきます。お部屋にご案内をね。ラツキ様、どうぞこちらへ」
「あ、でも」
私は手を上げ、彼の言を遮る。
「亡くなられた方々のご遺体の収納をまず先になさって下さい。私のことはその後でも構いません」
「しかし、御恩人をそのような無碍に」
メガックさんは渋る。計算高いかと思うと、こうした義理堅いところもあるようだ。計算と人情、どちらか片方だけでも商人としては大成できないのかもしれない。元同僚の営業マンがそんなことを言ってた気もする。
「いえ、本当に構いませんから。そもそも、亡くなられた方々を放置したままでは、私自身が落ち着きません」
「……さようでございますか。では失礼ながら、少々中座させていただきます。すぐに戻りますので、こちらでお待ちください」
メガックさんは慌ただしく私を応接室らしい整った調度の部屋に案内すると、すぐに出て行った。重厚で磨き上げられた木の扉越しにも、店の中がざわめき始めた様子がわかる。その騒ぎの中、私はぽつねんと取り残された。
――アンジェリカと二人で。
……あれ?
いや、なんでこうなった。
さすがのメガックさんも慌てていて指図し損ねたのか。
出て行けというわけにもいかないし、アンジェリカの方も、多分、指示がないままに別の場所に行くことはできないのだろう。
それはわかるけど、「あとは若い者同士で」みたいなこんな状況に置かれてもどうしたらいいの。こんな、こんな可愛い子と二人きりで一室に。
「……え、えっと。座らない?」
「いえ。私は……あの、どうぞお気になさらずに」
とりあえず声をかけたが、なんかさっき私自身がメガックさんに言ったような言葉を返されてしまった。
まあ確かに、アンジェリカは奴隷の身だ。客人である私と一緒に掛けていたりしたら、彼女の方が怒られてしまうのだろう。また、だからと言って私も共に立っていたりしたら、それもやはり彼女の落ち度になってしまうのかもしれない。
仕方なくソファに座る。豪華なもので、さすがにふわふわだ。元いた会社の応接室にあったソファセットより上……とまでは言わないが、それと同じくらいかも。
「あの」
「あの」
同時に口を開くとか何そのお約束。
はっと顔を見合わせて、お互い慌てて伏せるまでがワンセットだ。
肉体が17歳になったからと言ってメンタルまで17歳になってどうする私。あまずっぺーこととかやってても、中身はアラサーだから。残念なことに。
「も、申し訳ありませんでした。どうぞお話を」
「い、いえ、私も別に用があったわけじゃないの。あなたこそ、何かあるなら、言って」
「あ、たいしたことではなくて。ただ、お強いのですね、って思いまして」
「え?」
「あの、先ほど」
ああ。盗賊どもを斃した時のことか。
「そうかしら。まあ、少しは強いかもしれないわね」
「いえ、本当にお強いです。私も多少は剣を使うのですが、だからこそそれがわかりました」
「剣を?」
私は少し驚いた。この可憐な少女が魔法を使うというのはまあなんとなくイメージできるが、剣を使うこともできるのか。
「ほんの真似事ですが、一応は。嗜みとして」
そうか。そういえば、アンジェリカは元貴族だと聞いた。貴族の家ならば剣を学んでいるということもありうるのか。
そうやってアンジェリカが戦いや剣の話題を出したのは、ただの話の継穂だったのだろう。
だが、私の中では、先ほどから気にかかっていたことと、その話題が繋がった。
「そのこと」を口にするかどうか、やや逡巡する。
「私の、戦い方だけれど」
しばしの沈黙の後、私は思い切って切り出した。
「その。――怖く、なかったかしら」
「はい?」
アンジェリカは大きな眼をさらに丸くして私を見つめた。長い睫毛がぱちぱちと瞬く。対照的に、私は少し目を背けてしまう
「い、いえ。……ああいう戦い方、人から見たら怖くないかしらって思って」
それが私の心中に引っかかっていたことだった。「人から見たら」という言い方をしたが、別にメガックさんが何を思おうがどうでもいい。「アンジェリカにどう思われたか」について、私はずっと気にしていたのだ。
あの戦い方は我ながら凄惨だったし、自分でもそれをわかった上で意図的に盗賊たちを破壊していた部分があるのは否定しない。彼らと私ほどの力量差があれば、同じ倒すにせよ、もっとスマートに片づけることはできたはずだった。しかし私はそうしなかったのだ。
盗賊たちを始末したことについての悔いは全くない。しかし、その行為をアンジェリカに見られたという一点において、――アンジェリカに恐ろしい女だと思われたのではないかという、そのただ一点において、私は、もっと別にやり方があったかもしれないと思い続けていたのだった。
「……そう、ですね」
アンジェリカは私の質問の意図を飲みこむと、手を口元に持って行ってややうつむいた。柳眉が少し曇る。
「少し、怖かった、かもしれません」
ずしりと重い感情が私の胸中に広がった。臓器がことごとく石にでもなり果てたような。
同時に、不思議な安堵もある。悲しく切ない安堵が。
アンジェリカはおためごかしの、口先だけの追従を言う子ではなかったと知って。
そしてそれゆえに、彼女の怯えは真実であるともわかって。
「……そう」
私は短く言った。なるべく、アンジェリカを責めない口調になるよう努力しながら。
実際、彼女は何一つ悪くない。私が馬鹿で愚かだったにすぎない。
ああ、だが不思議だ。なぜ私は悲しいのか。先ほど出会ったばかりの、縁もゆかりもなく、そして別れればもう会うこともないであろう一人の少女に、怯えられたからと言って。何故悲しいのだろう。
「でも」
ふわり、と。私の前に薫る風が舞った。
アンジェリカが膝をつき、私の顔を見上げていた。その深く澄んだ金色の瞳で。
「とても、悲しそうにも見えました。辛そうにも」
「……えっ」
「あ……も、申し訳ありません!」
思わず硬直した私に、アンジェリカは口を押さえたが、しかし思い直したように、なおも懸命に言いつのった。
「とても淡々としたお顔で。それなのにとても荒々しい戦い方で。私の中ではその二つがどうしても結びつかなくて。それが何か、とても……とても切なく見えたんです」
――そういう風に、見るのか、この子は。
確かにあの場では、私の中に、とても冷たく、とても重い塊があった。私はその忌々しい塊を振り棄てるために、荒れた。何に対してなのか、自分でも認めたくない怒りがあった。その怒りは 昏くじっとりと私の中を蝕み、不条理で理不尽な衝動に私を駆り立てていた。
それは醜くおぞましい何かであって、無様で不快以外の何物でもない怪物でもあったはずだ。
だが、アンジェリカはそれを、悲しく切ない何かと見たのである。
それが、この子の鏡だ。この子の中にある、清らかなものを映す鏡なのだろう。
私は、細く長く息をつき、立ち上がって、アンジェリカを見つめた。おそらく初めて、真正面からまっすぐに、この少女の煌めく瞳を見た。
「……アンジェリカ」
「は、はい、ラツキ様」
私はその時初めてアンジェリカの名前を呼んだ。そして彼女もまた初めて私の名を呼んだ。
「あなた、私に、買われたい?」
「え……」
意地悪で無価値な質問だ。アンジェリカはそのように尋ねられたからといってYESともNOとも答えることなどできないし、また答えたところで何の意味もない。彼女は商品であり、自らの意思で買い手を選別することはできない。
それでも、アンジェリカは小さく微笑んだ。
「私が、どなたに買っていただけるのかはわかりません。……でも、どなたに買われるにしても、私はいずれどこかで、またラツキ様にお会いできればいいなと思っています」
うん。
言わせた感は否定しないが。
でも、言って欲しかったんだ。
その言葉で、私を決断させて欲しかったんだ。
「私、あなたを買うわ、アンジェリカ」
きっぱりといった私に、アンジェリカは息を飲む。その胸中にはどんな感情が流れているのだろう。
しかし私は、今から、もう一言、続けるのだ。また会いたいと言ってくれたこの子に対して。
黙ったままであってはいけないと思うから。打ち明けなければならないと思うから。
「でもね、一つ、言っておかなければならないことがあるの」
小鳥のように可憐に小首をかしげる天使の少女に、私は口を開いた。
「あなたを買ったら、私はきっと、あなたを愛さずにはいられない」
「ラツキ、様……?」
アンジェリカの玉貌が不審げに揺れる。私の言葉の意味をゆっくりと咀嚼して。そして次の瞬間、彼女の白い肌がさっと鮮やかな朱に染まった。
「あ、あの……それって」
「私は、そういう女なの。でもね、あなたが嫌だというならあなたにそれを強いる気はないわ。だから、3日後に、答えて。それでも私に買われたいかを」
アンジェリカは答えず、いや答えられず、固まっている。
まあそうだろう。先ほど調べたように、この世界では、否定はされていないが希少な存在だ。――女性を愛する女性というのは。
きゅ、と唇をかみ、アンジェリカはうつむいた。真剣な表情で。一生懸命考えてくれているのだろう。生真面目で誠実な子だ。
でも、本当は、「考える」ことではないのだ。それを聞いた瞬間に、どう「感じる」のか。それがほとんどすべてである。聞いた瞬間に、ああ嫌だ、だめだ、と思ってしまったら、それでおしまいだ。それは仕方のないことだし、そう思ったとしても私は責める気はない。生理的な問題、感覚の問題なのだから――私が男性を愛せないのと同じように。それは人間として評価してくれるか、また友人として親しんでくれるかとはまったく別の問題なのである。
やや気まずい沈黙が流れた室内に、その時、扉をノックする音が響いた。ついで、かちゃりと扉を開けて、メガックさんと、もう一人、お店の人らしい男性が顔を出す。
「すっかりお待たせいたしまして、申しわけございません、ラツキ様」
「いえ。そちらはもうよろしいのですか?」
私は強いて明るめの声を出す。
「はい、とりあえず手配は済みました。そして、こちらが――」
メガックさんはお供の人に合図をする。進み出た店員さんが手に捧げるトレイの上には、棒のようなものがいくつか並んでいる。不思議に思い、『アナライズ』を起動してみると、それは金貨だった。金貨を10枚ずつ、油紙の包装でくるんだものだ。それが10本。100枚だ。
「こちらが、お約束いたしました、謝礼でございます。改めて、このたびは誠にありがとうございました。どうかお納めくださいますよう」
「わかりました。ありがとうございます」
遠慮はせず、私は受け取る。彼は彼の企図があり、私には私の思惑がある。特に謙遜したり辞退したりするような場面でもないだろう。
金貨を背嚢にしまうと、また重みがかかる。私の背嚢の中には、ポイント交換で入手した100枚と、今受け取った100枚。そして盗賊たちの所持金だった14枚を合わせて、214枚の金貨。さらに31枚の銀貨が詰まっているわけだ。金貨一枚で庶民一家が一カ月暮らせる、ということから考えると莫大な財産だ。背嚢の中にはパンツとブラが一緒に入っているため、あまりカチャカチャと音がしないのは、変に目立たなくて良かったかもしれない。ありがとうパンツとブラ。
「では、これから聖殿に参りましょう。治安局で賊どもの魂魄紋を照会いたしますれば、おそらく懸賞金が頂けましょう。それから聖務局で登攀者登録の申し込みをなさり、また金融局へも行かれるとよろしいかと」
んー、よくわからないが、なんかいろいろあるようだ。まあ付いてきてくれるらしいので、メガックさんに任せよう。
素直に頷くと、私はメガックさんに続いて部屋を出た。
振り返り、ちらと、アンジェリカを見る。
深く頭を下げた彼女の表情は、私からは窺い知れなかった。
「いかがでございましたかな、お話をなさってみて」
「は?」
「アンジェリカでございます。気立てもよろしい娘でございましょう」
えっと。
もしかしてうっかり私とアンジェリカを一つ部屋に置いて行ったんじゃなくて、 商品売り込みのアピールのためにわざと二人きりにしたのか。
おのれ、ゆるキャラオヤジ。油断も隙もない。
そしてまんまとそれにハマって、彼女を買う決心をしてしまった 私がここにいるわけだが。
「三日後の奴隷大市はこちらの建物で行われます」
私がギギギってるのにも素知らぬ顔で、街を歩きながら、メガックさんは手で一つの大きな建物を示した。
「アンジェリカをお買いになるかどうかはともかく、彼女の他にも多くの有能な奴隷が出品されます。覗いてみて損はないかと」
「誰でも参加できるのですか?」
「参加費として金貨一枚。そして一定以上の資産を有する証明ができればどなたでも参加できます。資産証明は聖殿の金融局で出していただけます。ラツキ様は現在、金貨百枚以上をお持ちですから、問題ございますまい」
まあ、アンジェリカ以外の奴隷を買う気は今のところないけれど。そう言うと相手の手に乗ってしまったのが丸わかりで悔しいので、あまり関心がないフリをしておく。いや三日後にはバレちゃうんだけどね。
道は『塔』に向かって続いている。改めて、恐ろしい威圧感だ。あまりにもでかすぎて遠近感がわからないな。すぐそこにあるようにも見えるし、いくら歩いても近付けないようにも見える。
お店を出て、『塔』に向かって数分歩くと、大きく円形に開けた広場のような場所に出た。中央に大きな泉水があり、多くの人々が憩っている。聖都の中心のようなところなのかしら。
広場の奥の方にはかなり大きな建物が聳え立っている。これまで街並みを歩いて見てきた、どの建物よりも大きい感じだ。いやもちろん、その後ろに鎮座している『塔』を除いてだけど。
「あちらが聖殿でございます」
って、あれが聖殿なの?
神殿とか神社とかお寺みたいなのを想像してたんだけど、そんな 趣というか、聖所としての特別なありがたさみたいなのはないな。むしろ四角四面のかっちりした外見で、役所かなんかみたいだ。
まあ、聖都は聖殿が治めている街だ。そう考えれば、聖殿が役所みたいな外見でもおかしくないのだろうか。そもそも、御神体である『塔』そのものが目の前にデカデカと存在してるわけで、必要以上に聖殿がもったいぶった神秘性を演出する必要はないのかも。
聖殿に近づいて行くと、妙な一団を目にした。
胸元に赤や青の紋章を記された白いローブを身にまとい、顔の上半分をすっかり隠す大きなマスクを付けている連中だ。思わずぎょっとしたが、メガックさんをはじめ、広場に大勢いる人々の誰も彼らに対して特に反応してはいない。えっと、この場合はどう検索すればいいんだ。白ローブ・マスクで検索?
……あ、出た。
「聖務官、ね」
思わず検索結果を口に出す。
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ。さすがに聖都だけあって、聖務官の方が多いなと」
不審げに振りむいたメガックさんに慌てて誤魔化す。彼らは聖務官、わかりやすく言いかえると神官だ。聖殿に仕える人々で、俗世を捨てた証としてマスクを付け、素顔を隠すのだという。
と言っても、聖都は聖殿によって治められており、政治も経済も警察活動も全部聖務官が取り行っているらしい。それ、俗世を捨てたっていうのか? という気がしなくもないが。まあ聖殿は世界中にあるけれど、聖都や聖都の直轄領以外の他の国々の内政には一切ノータッチであるらしいから、そういう意味では俗世と関わってはいないのかな。
幸いなことにメガックさんは特に追及はせず、私たちは数段の 階を上って聖殿に入った。
一階の内部は大ホールになっており、聖務官だけでなく、一般の人々がせわしなく行き交っている。その中には逞しい体つきに武器を持った登攀者と思しき人々も多い。
ホールの片隅にはカウンターがあり、3人の女性聖務官が控えている。まあ素顔は見えないが、女性だろう。何をしているんだろうか。
「失礼ですが、字はお読みになれますか?」
メガックさんの質問に頷く。ちゃんと識字スキルは取ってある。
「ええ、一応という程度ですが」
「なに、それでよろしゅうございます。難しい文字を判読するのは聖務官の方々や学者、魔法使いなどに任せておけばよろしいのですからな。――で、あれ、あのように」
メガックさんはホールの一角を指した。
「御用のある場所は掲示してございます。治安局、聖務局、金融局などですな。おわかりにならなければ、あちらの案内係の聖務官様にお尋ねになればよろしいかと」
さっきの、カウンターに控えていた女性聖務官のことだ。案内係だったのか。ますますお役所って感じよね。
メガックさんに従って、ホール奥の階段を上る。二階の右側に重々しい両開きの扉があり、「治安局」と書かれていた。
聖都の警察のような部署だ。別に悪いことはしていないはずなのだが、ちょっと身構えてしまうのは小市民根性だろうか。しかしメガックさんは平然とその扉を押しあけ、中に足を踏み入れた。慌てて後に続く。
「ほむべきかな、いと高き塔」
「ほむべきかな、いと高き塔」
中にいた聖務官さんが両手を胸の前で交差し、わけのわからないことを呟く。何こいつ。と思ったらメガックさんも同じポーズで同じ事を言ったので慌てた。これ、聖務官さんへの挨拶か。
「ほ、ほむべきかな、いと高き塔」
急いで私も真似する。聖務官さんは頷くと、尋ねた。
「本日はどういった御用向きでしょう」
「実は先刻、無頼の輩に襲撃を受けまして」
メガックさんが答える。
「供の者が犠牲になりました。しかしこちらのお方が、その無頼の徒を返り討ちにしてくださいまして」
「それはお見事です。聖都の安寧秩序の維持にご協力いただけましたこと、幸甚です。神の御心にも沿うでしょう」
聖務官さんが微笑む。そんな大仰な意図ではもちろんなかったけれど。
「つきましては、その襲撃者、おそらく法外の者にて、懸賞金が掛かっているのではないかと。照会していただきたいと思い、参りました」
「わかりました。魂魄紋は転写なさいましたか」
「は、はい、こちらに」
忘れていたが、魂魄板は私がメガックさんのものを預かってそのままだった。慌てて取りだし、聖務官さんに差し出す。
「ではお預かりいたします。少々お待ちを」
魂魄板を受け取り、聖務官さんは奥に引っ込む。照会するまでもなく、私にはあの盗賊どもが法外の者だということは情報検索でわかっているのだが、ちょっと気になったのでメガックさんに聞いてみた。
「仮にあの賊たちが法外の者ではなかった場合は、私が殺人の罪に問われるのでしょうか」
「いえいえ。無辜の者を襲撃し、人を殺めている時点で、その者は遡及的に法の外に置かれます。それを弑しても罪に問われることはありませんよ」
んー。そういう処理なのか。自招危機とかどう判断するんだろう、と思わなくもないが。
「ただ、仮に初犯だとしたら懸賞金は掛かっておりませんから、その場合は治安報奨金がいただけるだけになりますな。それだと金額は少なくなってしまいますが」
そうこう話している間に、聖務官さんが戻ってきた。
「お待たせいたしました。魂魄紋の照合の結果、確かに我が聖都の他二カ国で重犯罪を為し、法の外に置かれている者どもでした。懸賞金も掛かっておりました」
聖務官さんは、先ほどメガックさんの店で見たのと同じように、トレイに貨幣を乗せてきていた。
「懸賞金は6人分で、金貨31枚と銀貨7枚となります。魂魄板はお返しいたします。転写された法外の者たちの魂魄紋は消去してあります」
私は礼を言って金貨を受け取ると、魂魄板をメガックさんに返した。
「いろいろとお世話になりました、メガックさん」
「滅相もない。命を救われたのは私の方でございますからな。幾許なりとお手伝いができましたなら光栄でございますよ」
ニコニコと言うメガックさんに、私は続いて差し出す。たった今もらった懸賞金を。
「……これは?」
「今度のことで亡くなられたお供の方、ご家族はいらっしゃいますか」
「それは……はい。おりますが」
「でしたらご遺族に、こちらを差し上げて下さい」
メガックさんの表情が、にこやかなまま固まる。
「ラツキ様がそのようになさる必要はございません。遺族の方には私から配慮をするつもりでございますよ」
「ええ、筋違いでしょうけど。私が私の我儘で、そうしたいのです。駄目でしょうか」
「いえ、もちろんそれはありがたいお申し出ではありますが……しかし、よろしいので?」
「構いません」
メガックさんの言葉には、アンジェリカを競り落とすための金額が不足するのではないか、という意図が込められているのだろう。実際には、私には過剰なまでの財産があるのだからその心配はない。仮に私に余裕が全くなかった場合、同じ行為をしたかというと、おそらくそうではないだろう。だから、私の行為は富者の余裕、あるいは傲慢でさえある。控えめに言っても欺瞞で偽善で滑稽以外の何物でもない。
それは十分すぎるほどわかっていて、私自身が私を嘲笑いさえして、だが。
だが、それでも、私はその時、そうしたかった。
私の脳裏にはその時、一人の少女の清らかな黄金の瞳の光が焼き付いていたから。
「……畏まりました。謹んで頂いておきましょう。間違いなく遺族に届けさせていただきます」
メガックさんの常に変わらぬ笑顔からは彼の内心は測れない。安直で安易で安っぽいヒューマニズムやセンチメンタリズムに引きずられた私に失望しただろうか、それとも。
「では、私はこれで。今後のご多幸をお祈りいたします」
メガックさんは深々と一礼すると、踵を返し、聖殿を後にしていく。
私は次なる場所へ向かう。
登攀者。
『神々の塔』を征服する、その名を得るために。