登攀者と奴隷
「では改めましてラツキ様、窮地をお救い頂きました御恩、心より深く御礼申し上げます」
メガックさんが深々と頭を下げる。この異世界でもわかりやすい礼儀の表し方でよかった。もし逆に、感謝するときは思いっきり上半身を背中側にそらすんですよなんていう世界だったらめんどくさいことになっていたし。
「もっとも、供の者たちは、残念なことになってしまいましたが」
メガックさんはやや沈痛な面持ちで、痛々しく横たわる遺体に視線を向けた。私が着く前に命を奪われたのは、彼のお供の人々だったようだ。
「しかし、私も商売柄多くの武芸者の方々とお付き合いさせていただいておりますが、ラツキ様ほどの鮮やかな身のこなしを拝見することはごく稀でございます。不躾ながら、ラツキ様はいずこかの騎士の方でいらっしゃいますでしょうか? それとも『塔』に挑む登攀者の方で?」
『ごく稀』か。つまりあの程度なら他にも少しはいると。
よかった、手加減していて。
まあ私が戦闘に使う二刀流も拳術もどちらもこの世界に存在するESスキルだから、全力で使っても問題はないのかもだが、最初から必要以上に悪目立ちするのは避けたいしね。
それに、手加減してたのには、もう一つ理由もあるし。
「現在はどちらでもありませんが、とうはん……登攀者を志してここにきました」
話の流れ的には、『神々の塔』に挑むものは『登攀者』と呼ばれるらしい。まあわかりやすくはある。わかりやすいおかげで知ったかぶって会話を続けられる。いや別におじさんと会話続けたくはないんだけどね。私としては少女の方が心配なのだ。
「それはそれは。未来の英雄に諮らずもお会いできたというわけでございますね。いや実際、いずれはさぞかしご高名な登攀者となられましょう。それは保証いたしますよ」
「……ありがとうございます。その、それで、彼女なのですが」
保証されてもなって感じはするが一応お礼は言う。が、気もそぞろな私に、メガックさんはニコニコと語りかけた。
「お気に召しましたかな? その奴隷、名はアンジェリカと申しますが」
「おっ、おほ気にひっ!?……いひえっ……!」
思わず声が裏返る。せっかくのクール系美少女の外見が台無しだ。いや確かにお気に召したのだが。それはもう大変な勢いで召しまくっているのだが。しかし。その。なんだ。いきなり人の、凄く凄く繊細な部分をですね。そんなズバリとですね。
「先ほども申し上げましたが、その者は魔法が使えます。ですので、登攀者の方の随伴奴隷としても非常にお薦めでございます」
「あ、ああ……なるほど。はい。なるほどです」
――そういう意味かい。心臓に悪いわ。
実際、私は格闘戦に全振りの脳筋デザインなので、魔法使いがいてくれると助かると言えば助かるのかもしれない。というか、登攀者は奴隷を連れて行く場合もあるのか。
私はちらと少女の――アンジェリカの美しい貌を見た。もうずいぶんと落ち着いたようで、また肩で息をしてはいるが、その顔色はだいぶ戻っている。薔薇色の頬に黄金の髪が一筋垂れているのが悩ましい。先ほどの蒼褪めた容貌もそれはそれで凄愴の美ではあったが、やはり今は先ほどよりさらに美しい。
彼女は私の視線に気づくと顔を上げ、微かに笑みを浮かべた。やめて急速に動悸・息切れ・めまいの諸症状に襲われるから。
「私としましても、命の恩人であるラツキ様のお役にたてればと思うのではございますが、ただ」
メガックさんはちょっと声を落とし、私の顔を窺った。
「この者は3日後の奴隷大市の競りに出すことが定められておりまして、私の一存で左右することはできません。私はあくまで仲介人という立場でございまして」
「競り、ですか」
オークションにかけるのか。人間をね……。
まあ割り切らないとこの世界では生きていけないんだろうけど。早くこの世界の感覚と考え方に慣れ切ってしまった方がいいのか、それとも前の世界のものでも一定の倫理観・価値観は保持していた方がいいのか。どっちなんだろ。
私が眉を顰めたのを、しかしメガックさんは別の意味に取ったらしく、続けた。
「先刻申し上げたように、おそらく金貨百枚が勝負に出るための最低価額でしょう。それ以上どこまで上がるかは想定できませんが、百枚と足すことの数十枚。それだけあれば競うことはできましょう。そこから競り落とせるかは何とも言いかねますが」
私が値段について心配していると思ったらしい。ただ私の場合、値段は別に問題ではない。EXスキル『ショッピング』で余剰転生ポイントを金貨に換えればいいのだから。
というか金貨一枚でいくらくらいの価値になるんだ。調べようと思ってはいたんだっけ。
スキル『ソーシャル・リサーチ』で情報検索。……えっと、金貨一枚で、庶民の一家が一カ月ほど暮らせる資産価値、らしい。って、日本円だといくらくらい?
この世界では電気・ガス・水道・電話代やガソリン代・定期代なんかはかからないわけだし、家賃と食費と雑費くらいなのかな。あー、逆に炭とか薪代とかはこっちの世界では必要か。それっていくらなの?
うーん。そもそも食費や家賃そのものの価格水準が日本と比べてどれくらいのものか、なんてのも、きっちりした計算で出せるわけはないか。生産コスト流通コストその他もろもろ全部違うんだから。「日本円に換算して」という思考がそもそも間違っているのであって、あくまで「この世界では金貨一枚で一家族一カ月」という概算基準でものを考えるべきだろう。
そう考えると、金貨百枚って相当の大金だな。この子にはそれだけの価値があるのか。
まあ、私のポイントはあと一億ポイント以上余っていたはずだし、これを全部十分の一交換でも金貨一千万枚になるけどね。国ごと買えそうだ。
いや、そんなことしたら確実に経済ブッ壊れるけど。というかその前に私が死ぬのか。正体バレして。
もちろんメガックさんはそんなことは知らない。少し考えてから、言った。
「ではこういたしましょう。命を救っていただいたお礼に、私個人から、金貨百枚を差し上げます。また、その賊たちにはおそらく懸賞金が掛かっておりましょう、それも当然賊を討ったラツキ様のものになります。また賊どもの所持品や所持金もお手にすることができます。その金額で――勝負してみてはいかがでしょうか」
私はメガックさんの顔をまじまじと見る。そのにこやかな表情は、だが仮面のように内心を遮断してうかがい知れない。
金貨百枚もくれるなんて、なんていい人なんだろう! ……というわけはない。
彼がもし、私に本気でアンジェリカを買わせる気なら、おそらくポンと相応の価格を出すだろう。実際、たいして悩まずに百枚出している。それは百枚でさえも彼にとって、決して支出可能ぎりぎりの値段ではないことを示しているだろう。
また非常に希少価値の高い天使族とやらの奴隷を扱えるということは、それだけの辣腕を備えていることを示しているはずだ。それならば相当に裕福であるはずだし、本当に本当に私に買わせたいなら、いかに高額であろうとアンジェリカ一人の値段くらいは出せないものではあるまい。
だが彼は、実際には最低値としての百枚を出した上で、プラスして様々な金銭の入手方法を私に教えた。
ということはつまり、試しているのだ。
巧く立ち回って金銭を入手できるか。またそれを元にして巧く競り落としできるかを。
私がただの脳筋かどうかを見定めている――投資対象として将来有望かを。
私が登攀者として成功する可能性が高いならば、その私にいち早くスポンサーとして付くことで自らにも利益を見込む。そのための、これはテストというところか。
というか、なんかすっかり私がアンジェリカを欲しがってるの前提で話が組み立てられているんですが。そんなに欲しそうに見えたのか。
――まあ、欲しいけど。
人をカネで買う、それも競りで買うという感覚の是非は別にして、欲しいか欲しくないかと言えば欲しいに決まってる。こんな冗談みたいに姿も心も綺麗な子だもん。
……ただ、私の場合は、例え自分の中の倫理的なハードルをクリアできたと仮定しても、単に欲しいからと言って素直に手にしていいのかどうかは、別の問題になるのだ。
バレてはならない。
私が異常な力を有しているという事実が露見してはならない。
死ぬからだ。
そうであれば、極力身近に人を置きたくない。接する人間が多くなればなるほど、そしてその接し方が親密になればなるほど、ボロは出やすくなるだろう。
そう考えた時、奴隷を買って身近に置くというのは、最悪だ。四六時中一緒に過ごす人間を作るなどというのは悪手の中でも極致だろう。
隠しきるか誤魔化しきるか、どちらかが求められるが、私は口も頭も回る方ではないのは自覚している。
ちなみに、『周囲の人間の認識を書き換え、不信を抱かせないようにする』というEXスキルも販売してはいた。――10億ポイントで。
買えないじゃん! 最初の異世界転移で1億ポイントを無条件で取られるんだから!
私がクソ電飾を蹴りまくったのは言うまでもないが。
考え込んでいた私に、メガックさんは声をかける。
「まあ、あまり深く考え込まれますな。一度の人生でございます。何事もまずは行動してみる。これでございましょう。まずは目の前のことから始めましょう。魂魄板はお持ちで?」
私の場合は二度目の人生なのだが、というか何だって、こんぱくばん?
「い、いえ。持ってはいないと思います……多分」
「確かに、聖遺物が素材になるだけに、便利とはいえ少々高価なものでございますからな。購入する以外にも、正式な登攀者になれば、聖殿から拝領することもできます。今は私のものをお貸しいたしましょう」
そう言って、メガックさんはごそごそと首に掛けていた紐を手繰り、懐から何かを取り出そうとし始めた。その隙に、また『ソーシャル・リサーチ』を起動し、急いで『魂魄板』とやらを調べてみる。
『魂魄紋様投影板の略。生物の魂魄が有する固有の紋様を検知し、記録する魔法道具。魂の紋様は一人ひとり異なるため、指紋の概念がまだ未発見な当世界では、身元の確認などによくつかわれる』
あー、魂の指紋とでも考えるといいのだろうか。指紋の概念はないが魂の紋様は検知できる。なんか歪に先進的だなこの世界。
変に感心している間に、メガックさんはその板とやらを取り出した。長さ15cmくらい、幅5cmくらいの、薄型の半透明の板だ。イメージ的にはほとんどスマホって感じ。
「対象人物の近くにかざして念じれば魂の紋様を写し取れます。死して間もなくですからまだ紋様は取れるはず。あの賊どもの紋様を映し、聖殿に持ち込んで鑑定してもらえば、おそらく 法外の者どもと判明いたしましょう」
よくわからないながら私は頷き、提案した。
「それでは私がその作業をしますので、メガックさんは亡くなられた方々のご遺体を」
「おお、御配慮ありがとうございます。ではそうさせていただきますか」
メガックさんから魂魄板を受け取り、私は賊どもが転がっている方へ踵を返す。ついでにまた『ソーシャル・リサーチ』を起動し、『法外の者』について調べてみる。やっぱこのスキル取っといてよかった。
『法の外におかれる者。いかなる国家の法、および聖殿の法による庇護も受けることもできないもの。重罪を犯した者は当世界では「法の外」におかれ、魂魄紋が判明している場合はそれが周知される。逃亡中の法外の者には懸賞金がかけられることが多い』
重犯罪者は法律関係ないし、って世界なのか。怖いねえ。
頭目の体の前に膝を付き、魂魄板をかざして念じる。って、どう念ずればいいのかわからないが、とりあえず魂映れ、とでも思えばいいのだろうか。
と、魂魄板が軽い音を立てて微振動した。なんかまんまシャッター音だが、多分これで魂の紋様とやらが写し取れたのだろう。
死して間もなくだから大丈夫、とメガックさんは言っていたが、厳密にはこいつらはまだ死んでいない。そのはずだ。まあもう意識もないだろうし、虫の息で、どちらにせよじきに死ぬだろうけれど。
私がそのように手加減したのだ。無論、じわじわいたぶるのが好きとかそういう変態的理由ではない。私にはまだ他にこの盗賊どもに用があった。それが、自分の力を隠蔽する以外に、先ほどの戦いで私が全力を出さなかったもう一つの理由である。
私は、EXスキルを使うテストをしてみようと思っていたのだ。
EXスキル『パーソナル・リサーチ』と『スキルコピー』。
私が試そうと思ったのはそれだ。
『パーソナル・リサーチ』は、対象となる人物の個人情報や記憶までも見ることができる、プライバシー何それ美味しいの的なインチキスキルだ。しかし、無条件で使えるわけではない。
このスキルの起動条件は、『対象者の自己防衛意識が低いこと』だ。
つまり、対象者が、明示または黙示で自己の内面を読ませることを了承しているか、もしくは意識レベルが低下している場合。眠っている状態とか、あるいは、そう。死にかけとかだ。
『スキルコピー』は他者のスキルを私に移し取れ、また私のスキルも他者にコピーできるスキルだが、これの起動条件も『パーソナル・リサーチ』と同じである。
すなわち、最低でも生きていなければならない。他の盗賊どももまだギリギリで生きているはずだが、最も重い傷を負わせた頭目に、私が真っ先に駆け寄った理由である。
だが、私はちょっとメガックさんと話し込み過ぎたらしい。というか、アンジェリカに見惚れすぎたというか。
頭目はほとんど息を引き取る寸前で、慌てて使った『パーソナル・リサーチ』でも断片的な部分しか読み取ることができなかった。
その途切れがちの記憶の中で、私の注意を引いた情報は二つあった。
一つは、確かにこいつらはいわゆる「法外の者」であり、懸賞金がかけられている重犯罪者だったということ。
そしてもう一つは、この会話である。
「――そいつを襲えばいいんだな?」
頭目が自分のもじゃもじゃの髭を引っ張りながら問うている。その相手は、深くフードをかぶった男。細く尖った顎に細い顎髭を生やしている以外に素顔は見えないが、体つきはそれほど大きくない。やや甲高い耳障りな声が特徴的だ。
「お伝えした日時に、その場所を通るはずですからな。容易い仕事のはずですが、条件は忘れないでいただきたい」
フードの男はずっしりと重そうな革袋を取り出し、頭目に手渡しながら念を押すように言う。
「わかってるさ。天使族の女には手を掛けねえ。残念だがな」
「まあ、最低限、話ができる状態であればいいのですがね。ただ下手なことをして心が壊れても困りますから、やはり手は出さないでいただきましょう。こちらの要件が済んだなら下げ渡しても構いませんが」
「ほう、そいつぁ豪儀だ。やる気も増そうってもんだ」
頭目は好色な表情を浮かべ、部下たちと頷きあう。賊たちのねぐらに、哄笑が響いた。
私は今見た光景に眉をひそめた。頭目はすでに冥府に旅立っている。
アンジェリカ。
狙われていたのはアンジェリカだった。
いや、それは勿論わかっていた。彼女が狙われたのだろうとはメガックさんも言っていた。だがそれはあくまで貴重な「高額商品」としてのアンジェリカである。しかし、今の記憶を覗き見た限り、盗賊どもに「仕事」を依頼した黒幕がおり、そいつはアンジェリカから何らかの「話」を聞き出そうとしている。そしてその話を聞き終えたらアンジェリカを盗賊たちに渡してもいい……つまりアンジェリカ自身にはこだわっていないという。
私は思わずアンジェリカの方を振り返った。彼女はまだ震える脚でそれでも立ちあがり、メガックさんの手伝いをして、彼の供たちの遺体を整え、安置している。涙ぐんだ瞳が煌めいていた。
自分を奴隷にしようとしていた人間たちの死を悼むのか。
それはあきらめかもしれないし、従属かもしれないし、単なるストックホルム症候群かもしれない。
それでも私は、アンジェリカのその涙を、尊いものだと思った。
護りたいと。
聖剣・陽炎を回収しつつ、盗賊たちの魂の紋様を映し終わり、また同時に『パーソナル・リサーチ』及び『スキルコピー』も滞りなく使うことができた。まあ陽炎は呼べば私の下に飛んで帰ってくるのだが、それを他者に見せるわけにはいかない。
複写したスキルの中で、『忍び足・中級Lv3』『聞き耳・中級Lv2』『気配察知・中級Lv2』などは、私は電飾野郎のところでは購入していなかったものだ。買い物をした時は気付かなかったが、こういう隠密系とでもいうスキルも、あれば便利か。まあ『ショッピング』を使えば電飾野郎のところでスキルを買い直すこともできるが、複写したスキルが使えるなら無駄遣いすることはないな。
ついでに、賊たちの所持金も遠慮なく頂いておく。総額で金貨14枚、銀貨31枚。
だが、情報検索を全員に使ったが、頭目から得た以上の情報は掴めなかった。誰が、何のために、アンジェリカの何を求めているのか、は不明のままだ。
「終わりましたかな」
メガックさんが声を掛けてくる。
「ええ。そちらも」
「はい。とりあえず聖都内の私の店へ戻り、すぐに人を派遣してこの者たちの遺体を運び込ませるつもりでおります。ご面倒ですが、店までご同行願えないでしょうか。謝礼はそこで用意いたします。その後聖殿へ参りまして、賊たちの魂魄紋を照合なさってはいかがでしょう」
地方自治体のやる気ないデザインのゆるキャラみたいな外見をしているが、メガックさんの行動はてきぱきしている。やはり結構なやり手なのだろう。
それを拒む理由もなく、私は素直に承諾した。
メガックさん、そしてアンジェリカと共に、私は足を踏み入れる。
この世界で私が生きるべき地。
『神々の塔』がそびえる地。
聖都へ。