嘘と塔を見つめる少女
「あー……気持ちいい」
「うふふ、もう少しで治りますからね、ご主人さま」
冷たく心地よい「力」の渦が、柔らかに優しく私の瞼に触れている。さんざん泣きまくった挙句に、顔を洗いもせず眠りに落ちてしまった私たちの目は、当然の結果として、それはもう凄いありさまで腫れ上がっていた。いわゆる「3・3」の目の状態だ。
今、アンジェは聖魔法でこの腫れを癒してくれている。
……あの出来事を思い起こす。
私は実際、非常に危機的な状況にあったのだ、と思う。
それはただ単に私の素性が疑われそうになり、禁止事項を破りかけたために凄まじいダメージを受けてしまった、というだけの話ではない。問題はもっと根本的な所にあった。
本質的な危険は、私の精神状態にあったのである。
自分でも意識してはいなかったが、今になって思えば、全く環境も慣習も異なる異世界にいきなり転移し、幾度も殺し合いをし、また精神をすり減らすようなやり取りも重ねて、私の心は相当に……いや、相当以上に疲弊していたのだ。
どれも、平凡な日本人の日常ではあり得ない事柄である。それを立て続けに経験して、単なる一般ピープルだった私が平然としていられるわけがない。まあ、考えてみれば当たり前なんだけどね。興奮と高揚で誤魔化してはいたものの、その裏返しとして、無意識下の私の消耗は、想像をはるかに超えた域に達していたようだった。
その積み重なった精神的疲労が、つまらない嫉妬という形になって暴走し、ついに私を崩壊させる寸前だったわけだ。
程度の差こそあれ、アンジェもおそらく同じように気持ちを摩耗させていたのだろう。元貴族のお嬢様が奴隷の身となり、戦場に引き出され、また自分の身に関わる意外な事実を知らされて。
しかも主人となったのは私のような、その、やや特殊な女性だったりもしたわけで。彼女が私を慕ってくれているかどうかとは別の問題として、それはやはり一定の負荷だったと思う。
しかし、私は――私たちは、危ういところで破滅を免れた。
私はアンジェと抱擁しあいながらたっぷりと泣き明かし、疲れ果ててどちらからともなく泥のように眠りこけた。そう、実にまる一日、二人で眠り続けたのだ。
目覚めた時には、まるで憑きものが落ちたように爽快な気分になっていた。アンジェの顔つきもすっきりとしており、二人で顔を見合せて何にということもなく、笑ったものだ。晴々と。
誰はばかることなく思う存分泣くこと、そして何も考えずにひたすら眠ること。それが私たちのストレスを発散させ、メンタルを心地良くリセットしてくれたみたい。
だが、だからと言って問題がすべて解決したわけではない。むしろこれからだ。
「ところで、あの……ご主人さま、もしかしたら、あの、何か御病気……なのでしょうか」
治癒の術を使ってくれながら、アンジェは遠慮がちに聞いてきたのだ。
まあ、そりゃ気になるよね。あんな姿を見せられたら。
「いえ、そうではないわ。……多分ね」
瞼の治療をしてもらっているから、目を閉じていられる、というのは私にとって一種の救いだった。真正面からアンジェの純粋な瞳に覗きこまれたまま嘘をつく、という状況は、おそらく耐えられなかっただろう。
――そう、私は嘘をつくのだ。これから。嘘をつかなければならない。それは、アンジェを買おうとした当初からわかっていたことだ。いつかはどこかで、彼女に自分の説明をしなければならないということは。そして私は真実を述べることができない以上、その説明は必ず嘘にならざるを得ないということも。
何も聞かないで、尋ねないで、不思議に思わないで、と命じれば、表面上は取り繕えるのかもしれないが。
だがそれは根本的な解決策ではない。相手もまた意思と感情を持つ人間なのだから。無理に抑え込んだものが不意に暴発する恐ろしさ、その危険性は今度のことで私自身が思い知ったはず。
やはり何らかの説明が必要だ。たとえそれが偽りであっても。
そう、わかってはいるのだけれど。でも、私の大事な優しいアンジェを意図的に騙すという行為には、やはり胸がズキズキとする。
とはいえ、割り切らなければいけない。馬鹿正直に真実を話して死ぬなどというわけにはいかないのだから……私自身だけではなく、アンジェのためにも。
「きっと、急に、そして乱暴に、力を使いすぎたからじゃないかしら」
「力? ……魔法? ……ではないですよね?」
アンジェがきょとんとしているらしい雰囲気が目を閉じていても分かる。慎重に、言葉を選ぼう。疑われないように。
「そうね、多分、貰った力よ。それをうまく制御できなかったのね」
「貰った……?」
「……ねえアンジェ、私ね、その……昔のこと、あまり覚えてないの」
「えっ……」
術を使っているアンジェの手が止まる。彼女にあまり考え込ませないように、私はやや早口で、続けた。
「それがきっと、私の払った代償なのよ。強い力を貰った代償。……つまり」
「まさか」
息を飲むアンジェ。ピンと来てくれたらしい。喘ぐような声が紡がれる。
「まさかご主人さまは……『秘法』……『転命の秘法』をお使いに?」
――『転命の秘法』。それは、俗に、『秘法』と略称されているもの。
強い力を得られる代わりに何らかの大きな代償を支払う。十属性の正式な魔法の体系には存在しない、それゆえに秘法。一般的にはあまり真面目に受け止められてはいない、都市伝説に近いものだ。
しかし同時に、それほど胡散臭い言い伝えでありながら、なぜか消えることなく、根強く巷間に流布され続けている不思議な噂でもある。
この話を調べた時、私は「使える」と思った。何らかの形で自分の力を説明する必要が出てきた時の隠れ蓑として。
もちろん、この『転命の秘法』の存在自体、信憑性が高いものではない。だが、裏付けとして私自身が存在する。この世界の感覚からすれば異質な……不自然な戦闘力を備えている私自身が。
その私の存在を、この世界内の法則で説明できるもっともらしい理由ありとすれば、それは『秘法』なのだ。
私の強さを説明するものが『秘法』であり、そして同時に『秘法』の存在を証明するものが私の強さ、という相互補完の関係になる。
そしてその『代償』として、記憶の欠落を示唆する。外的な『代償』は私の場合、見当たらないだろうが、内的なものならば他者からは論駁のしようがない。それに加え、私の過去を私自身も失っているという設定は、『秘法』を行使した際の具体的な手法や経緯の説明を求められたときの予防策にもなる。「どうやったんだか言ってみろ」「忘れたから知りマセーン」というわけだ。
もちろん、『秘法』に関すること以外の私自身の過去や経歴を誤魔化すにも、記憶の欠落という言い訳は使えるわけでもあるし。
……まあぶっちゃけアレだ、右手抑えて邪鬼眼がどうのこうの言ってる中二病丸出しな自己設定をくっつけたのに近い。自分でもじゅーぶん分かってるし恥ずかしいんだけど、しょうがないじゃん! それしか説明のしようが思いつかなかったんだよ!
「ちょっと制御に失敗してああなってしまったらしいけど、もう大丈夫よ。コツは掴んだと思うから、もうああはならないわ」
「……そう、ですか」
私の瞼に触れていた「力」の感覚が止まった。これまで熱くジンジンとしていた瞼の感覚も、綺麗に消えてすっきりとしている。治療は終わったようだ。
治療が終わったとなると、目を閉じている理由がなくなってしまう。仕方なく、私はゆっくりと瞼を開けた。
目の前にいるアンジェの表情を窺うのが少し怖い。理屈としては最低限通ったはずだ、しかし感情面での反応は予測できない。一応事前のリサーチでは、『秘法』は、「信じにくいもの」ではあっても、「ヤバいもの」という認識ではないはずなのだが。そういう意味では、いわゆる黒魔術的な、反倫理的・反道徳的感覚のものではないと思うのだけど。
アンジェの顔が瞳に映る。
……その表情は曇っていた。
一瞬、心臓が悲鳴を上げる。アンジェは秘法に否定的なのだろうか。
だが、すぐに、そうではないと分かった。アンジェの辛そうな感情は、私にではなく彼女自身に向けられたものだった。
彼女は、遠い何かに捧げるような口調で、ぽつりと呟いたのだ。
「本当に、あったんですね、『秘法』。……私、もっと頑張って探せばよかった」
「……え?」
今度は私が驚く番だった。
アンジェも、秘法を探していた?
目を見張る私に、アンジェは寂しそうに笑み、そして少しずつ、唇から思い出を零してくれた。
「……私が物心ついた頃には、既に私の家は、没落を始めていました……」
家柄こそ貴族とはいえ、もともとあまり裕福ではなかったアンジェの家、オヴライト家は、アンジェが幼い自分には、もう徐々に財政難に陥りかけていたらしい。それを挽回しようと焦ったアンジェのお父さんが乾坤一擲を図った巨額投資に失敗し、これが事実上の致命傷となってしまったという。
「……そのことに気落ちした父は病床に臥せってしまい、家中はますます寂れていきました。母が生きていればまた違ったのかもしれませんが……。使用人たちも一人また一人と去っていく中、私は無力で、ただ年の離れた兄の笑顔に守られているだけの子供でした。無理をした兄の笑顔に」
お父さんが倒れてからは、オヴライト家はアンジェのお兄さんの双肩にその運命を委ねることとなった。彼は懸命に努力したが、いまだ年若く物慣れぬ青年が立て直せるような情勢では、すでになくなっていた。考えあぐねた末、アンジェのお兄さんは家と家族を守るべく、身を投げうって一つの賭けに出た。それは、
「――登攀者になることでした。私の兄は貴族である身分を捨て、登攀者となって金銭を得ようとしたんです。父は病床からそれを止めましたが、兄は聞きませんでした。確かに、兄にもそれなりの魔法の素養がありましたから、無謀というほどの考えではなかったのかもしれません」
アンジェのお兄さんも登攀者だったのか。しかし、以前アンジェは「亡兄」という表現をしていた。……つまり。
「兄は気を逸らせすぎたのでしょう。家の経済状態が既に危機的だったため、早急に結果を出す必要があったのは確かですが」
アンジェは苦しげに吐息をついた。その金色の睫毛が細かく震えている。
「2年ぎりぎりで、もう一息で10階層に到達する、というところまでは行ったようです。だからこそ、最後に無理をしてしまったのかもしれません。……兄の魂はそこで……塔に召されました」
私はアンジェをそっと抱きしめた。アンジェはふわりと私の胸に顔を埋める。
2年。ガイモンとペカも言っていた、登攀者支援金制度のことか。お金を貸してもらえる代わりに、2年以内に10階層まで到達しなければならない仕組みの。
確かに、アンジェはガイモンたちが支援金の話題を出した時に、少し態度を固くしていた。この経験があったためか。
「病身だった父には、兄の死は耐え難い衝撃だったと思います。すぐに、あとを追うように亡くなりました。ただ一人残された私に、巨額な支援金の返却ができるはずもなく、唯一残った親族である私は聖殿法により連座の罪に問われ、奴隷に落とされました」
アンジェは私の腕の中で、ささやくように続ける。
「私はその時、考えが良くまとまらない中で、『秘法』を探そうとしたことがあったんです。本を読んだり、人に話を聞いたりして。
探して、何をしたかったのかは良く覚えていません。財産を得て家の立て直しをしたかったのか、それとも……それとも、父や兄を生き返らせたかったのかも。とにかく、何かにすがりたかった。何かに、何かを、どうにかして助けて欲しかった。それが、『秘法』でした」
アンジェは顔を上げて、弱く微笑んだ。
「もちろん、無理でした。多分、私は本気で探そうとしたわけではなかったのでしょう。ただ、辛い現実から顔を背けたかっただけなんだと思います。……でも」
真っ直ぐな目が私を射る。そこには過去への悔恨と寂寞、そして未来への感嘆と憧憬があった。
「本当にあったんですね。そしてご主人さまはそれを発見なさったんですね。ご自分の夢を、叶えるために」
私は答えを返すこともできず、アンジェの頭をもう一度書き抱くことによって、その視線からただ逃げた。
うかつだった、のかもしれない。
アンジェにとって、『秘法』の存在は重く大きな意味を持っていた。それは彼女の失われた過去の幸福に結びつくものだった。
知らなかったとはいえ、そしてやむを得ないとはいえ、軽々に『秘法』を持ちだして自分の存在を根拠づけてしまったのは、彼女の過去に対する愚弄であり冒涜とも言える行為だったのかもしれない。
私は嘘をついただけではなく、アンジェの『秘法』に対する想いまで弄んでしまったのだろうか。それとも、かりそめとはいえ、希望を抱かせることができたのだろうか。わからない。
「……ほんとに秘法かどうかも、よくわからないのよ。さっきも言った通り、私、記憶が曖昧で」
「……ご不安で、いらっしゃいますよね。昔のこと、わからないのは」
苦い思いを噛みしめながら、それでもまた嘘にウソを重ねる私。一度嘘をついたらもうそれを積み重ねていくしかないんだ。
だがアンジェは優しく、いたわるように言ってくれる。私には本来向けられる資格のないいたわり。
「あの、思い上がった言い方でしょうけれど、私、これからのご主人さまを頑張ってお支えしますから。なくされた昔の代わりに、これからのご主人さまを」
一生懸命な、健気さ。一途な、優しさ。
嘘つきの私なんかのために。
申し訳なさと愛しさで胸が詰まり、私はまた泣きそうになる。せっかくアンジェが腫れを治してくれたのにね。
だから私は、こう言うしかできなかった。
「私も、あなたを大事にする。絶対絶対、大事にする。絶対。絶対だから」
「ふふ。これ以上大事にしていただいたら、私きっと壊れちゃいますよ。今でもきっと私、世界一大事にしていただいてるんですから」
嬉しそうに笑うアンジェ。
私はこの子に、何を。何をしてあげられるんだろう。
……ということで、デートに行きましょう。
我ながら何とも即物的なという気もするが、まあ小さなことからコツコツと。目の前のできることからね。
と言っても、この世界にデートという概念があるのかどうか知らないけど、アンジェ本人は嬉しそうだし、いっか。いや一応、色々な買い物という口実というか建前はあるんだけどね。以前に注文しておいたアンジェの服の受け取りとか。あと他にもちょっと用事があったりもするし。
手を繋いで。歩く。
あえてお互いに、顔を見ない。
指先だけが、触れている。
柔らかで、しなやかな指が。
指先が、指の腹が、なぞるように、震えるように。……絡みつくように。
十本の指が、まるで独自の意志を持つように蠢き、悶える。
指だけで、私たちは交わっている。
真昼間の、人々の雑踏の中。密やかにひめやかに、私たちは、指だけで、こんなにも静かに、そして淫靡に、愛し合う。
小さな吐息を漏らしたのは、私なのかアンジェなのかわからない。
でも、そろそろイケない気分になり始めたのは確かなので。私はこのエロティックなひとときを惜しみながら、口を開いた。
「……おなか空いたわね。昨日一日、何も食べてないもの、私たち」
「ふふっ、そうですね、ご主人さま」
「何が食べたい? あなたの好きなものでいいわよ。ああ、あの甘味屋さんに行きましょうか」
「まあ、いいんですか、ご主人さま? ラフィーネさまをお誘いしないと怒られてしまいますよ」
「じゃあ、ラフィーネさんには内緒ね。二人だけの秘密」
きゃっきゃ言いながら聖殿前広場、大泉水の近くまで来た時。
不意に傍らから、声が掛かった。
「ごめんあそばせ。少々、物をお尋ねいたしますわ」
わお。
なんていうか、わお。だ。
ですわ口調なんてリアルで初めて聞いたよ。ほんとにいるんだ、こういう人。
驚いて視線を向ける。向けてまた驚く。
わお。
縦ロールだ。艶やかな栗色の髪の見事な縦ロール。
リアルで初めて見たよ。ほんとにいるんだ、こういう人。
しかし、その縦ロールがとても似合っているのがまたびっくり。派手でありながら下品ではない、綺麗な女性……いや、少女だ。アンジェと同じか、少し年下くらいかな。
体つきはスレンダーでスリムで華奢で痩身。大事なことなので4回。
もっとも、頼りなさそうとか弱々しそうという感じではない。むしろピンと張った銀糸のような凛々しさと力強さがある。胸元に大きなリボンを付けたコバルトブルーのミニドレスが良く似合う子だった。
美しい、そう美しいのは確かだ。だがそれ以上に、強烈な存在感がある。大気の中に、切り出すように自分の居場所を強引に作り出して平然としているような。
やや釣り気味の褐色の瞳は大きくキラキラと輝いており、不敵な笑みを浮かべてきゅっと結ばれた口元と併せて、強い意志とみなぎる自信を感じさせる。挑んでくるような強い視線が、しかし不思議に不快ではない。そんな子だった。
「な、何かしら」
ちょっと気圧されて、私は思わずたじろぐ。彼女は構わず、ずいと歩み寄ってくると、指を一本立て、いきなり弁じ始めた。
「私の推論によれば、あなた方は登攀者。間違いございませんわよね? 無論間違っているはずはないのですわ、私の明敏な知性の輝きがそれを示しておりますの」
「……へ?」
なんかいきなり劇場始まっちゃった?
私もアンジェも二の句が継げず唖然としている中、少女の立て板に水の弁論は続く。
「なぜ分かったかと言えば、容易いことですわ。まずその武装。その二振りの剣、相当な業物であることは一見して明らかですわ。そのように見事な武具を、この聖都の一般市民が身に付けていることがありましょうか? いえ、ございません」
それは、まあそうだけど。
「続いて、では世界各地から塔を拝礼するために旅をしてきた参拝者でしょうか? それも違いますわ、あなた方はすぐ目の前に聳える塔に対して、さほど関心がございませんでした。参拝者ならばそのような態度はあり得ないと断定できましょう」
それも、まあそうだけど。って、何が始まっているんだろう。なんか狐に摘まれた気持ちだ。
「ならば聖務官でしょうか? 論じる必要もなくそれは違いますわね、何故なら仮面をお付けになっていないからですわ。では最後に、失礼ながら一応の検討として、何らかの犯罪者でしょうか? もちろん違いますわ、真昼間に聖殿のまん前で楽しげに話す犯罪者などおりませんもの」
困った。これ、どうすればいいんだろう。周りを見回すが、みんな素知らぬ顔で通り過ぎていく。「しっ! 見ちゃいけません!」的な。いやそりゃまあ、立場が逆なら私もそうするだろうけど。
そんな中、アンジェだけが「わぁ、すごいです!」といった賛嘆の目で少女を見ている。いやアンジェはアンジェで素直すぎるから。
「聖都の一般市民でもなく、参拝者でもなく、聖務官でもなく、犯罪者でもないならば、あなたは登攀者以外の何物でもあり得ませんわ。以上、証明されました。我が知性の輝きはまたも真実を見抜いたのですわ」
彼女の背後に「ドヤァ!」って文字が極太フォントで映し出されてる気がする。珍獣、という形容がふと頭に浮かんだ。
いや別に隠すことでもなんでもないというか、「登攀者ですね?」って聞かれたら「はい」って答えるだけなんだけど。まあ確かに筋道立って説明されればそうなる……のか?
「そして!」
びしっと二本目の指が立つ。え、まだ続くの?
「そちらの金髪のかたは、こちらの黒髪のかたの奴隷ですわね。これも我が輝ける知性が導く結論です。なぜなら、先ほど金髪のかたは黒髪のかたのことを「ご主人さま」と呼んでいたからですわ!」
そのまんまじゃん! そりゃそうだよ! 誰が聞いても分かるよ!
「……と、以上のようにしてあなた方が登攀者とその随伴奴隷であることが論証されましたわ。そこで、あなた方に少々お尋ねしたいことがございますの」
って、今から本題なの!? 前置きが長いにも程があるよ!
「私、この聖都に参ったばかりでまだ間がございませんの。どこか、良い奴隷屋さんを……登攀者の随伴奴隷を商っていらっしゃる奴隷屋さんを御存じではありませんかしら?」
奴隷屋さんって。なんか面白いというか可愛い言い方というか。
随伴奴隷を購入しようとしている登攀者希望の子、なのかな?
しかしこれでようやく少女のターンは終わったらしい。私は疲れた息を少し吐いて、答えた。
「ま、まあ、一人知ってはいるけれど。紹介しましょうか?」
メガックさんもいきなりこんな爆弾放り込まれても困るかもしれないが、まあお客さんが増えるなら喜んでくれるんじゃないでしょうか。多分。きっと。
「御親切な御言葉、ありがたく思いますわ。あなた方が御親切な方だというのは、私の知性の輝きが既に見抜いていたことですの。何故ならば」
うわまた始まったー!?
「……何故ならば、私のこれまでの話を聞いて、途中で逃げ出したりなさらなかったからですわ。多くの人は私の話の半ばでいなくなってしまいますの」
自覚あるんかーい、と何度目かわからない心の中での突っ込み。しかし、少女は急にしゅんとした顔になった。その自信にあふれた顔が曇る。何だろう、この捨てられた子犬が雨に濡れておなか空かせてるような顔。
「多少、その、少しは、話が長いのは分かっているのですが。ただ熱が入るとどうも、止まらなくなってしまう性質ですの。直さなければとは思っているのですが」
「ま、まあ、そんなに落ち込まなくてもいいんじゃない? 言いかえれば話が丁寧ってことだし」
「そうですわよね! やはり私は我が輝く知性の導くままに我が道を歩みますわ!」
立ち直るの早いな!
しかし、なんというか。表情がころころ変わって、見ていて楽しくはある。でもこの子はドヤ顔をしている時が一番この子らしいという感じもするな。まあ相手をするほうとしては疲れるけど。
「で、どうするのかしら。ご案内する? メガック商会というところなのだけれど」
「いえ……私はもう少しここにいたいので。ご面倒をおかけいたしますが、道だけ教えて頂けるでしょうか」
少女はすっと真面目な顔つきになり、ちらと塔を見上げた。その瞳には真摯で一途な光が宿る。
どこか強い決意を――いや、覚悟を秘めた、光。
思わずドキッとする。この子、いくつの顔を持ってるんだろう。次から次に新たな一面を見せられて、なんだか目が離せない。
「わ、わかったわ。それじゃ、まずこちらの道を真っ直ぐ……」
私はちょっとうろたえながら、メガックさんのお店への道順を教えてあげた。
ぱっ、と花が咲いたような満面の笑顔を浮かべて、少女は私の手を取り、ぶんぶんと勢いよく振りまわした。縦ロールがぐるんぐるん揺れる。ちょ、痛い痛い。なんか細い外見に反して、すごい力もちだよこの子。
「ありがとうございます! この御恩は忘れませんわ! やはり私の輝く知性が見出したお方を信じて間違いはありませんでした!」
「い、いえ。それほどでも。じゃあ、私たちはこれで」
へどもどしながら私たちは少女に別れを告げ、歩き出す。
少し歩み行ったところで、なんとなく後ろ髪を引かれ、振り返ってみると、少女はまた、『塔』を見つめて佇んでいた。
毅然としたまなざしをたたえ、自信に溢れた笑みを浮かべて。
凛とした姿が薫風の中に、不思議な力強さを持って立つ。
巨大な『塔』という名の獲物に対して真っ向から勝負を挑む、高貴な獣のように。