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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
18/84

禁忌と危機

「さー今日から5階層よ! 一区切りね! この調子でどんどん登っていくわよ! もう、一日一階層くらいの勢いでね! ってそれは言いすぎかな! あはは!」

「……は、はい、ご主人さま」

「こう、気分が高まってくるような、いい朝ね! 空気もおいしいし! 青空は綺麗だし!」

「……ご、ご主人さま、今朝は雨です……」

「あらそうだったわね! まあいいわ! 塔の中はどうせ天気関係ないし! あはは!」

「……あ、あはは……」


 力なくアンジェが笑う。うう、違う。違うんだ。私が見たいのはこの子のそんな愛想笑いじゃなくて。もっと朗らかな、もっと素直な笑顔だったのに。なんでこうなった。

 ……なんでも何もない、私自身が彼女にそんな笑いをさせてるんじゃないか。胸の中がズキズキする。

 

 我ながら空回りにも程がある、というのは十分すぎるほど分かっている。どこからどう見てもヤバい葉っぱでもキメてるか、そうでなければ、どん底状態なのを誤魔化そうとしていながら全く誤魔化しきれていない馬鹿かのどちらかだ。そして無論私は後者の馬鹿である。


 結局、私は昨夜を輾転反側 (てんてんはんそく )して眠れぬままに過ごした。

 悶々とした胸中には、ごく些細で詰まらない昨日の事柄が、いつまでも濡れ落ち葉のようにこびりついている。だがその小事が、私の中で幾度となく反響しリフレインしていくたびに、その木霊がほんの微かずつ私の内部をえぐっていく。

 ただのかすり傷。そしてそれゆえに、ちくちくと苛み続けるかすり傷。


 じっとりとした疲労感に蝕まれながら、私はとぼとぼと『塔』へ向かって歩く。一歩下がって付いてくるアンジェの足音も、どこかためらいがちに聞こえる。こんなに近くにいるのに、遠い響きのような、虚ろな足音。

 自分の息が自分自身にべたべたとまとわりつくのを感じながら、鉛の足を引きずるようにして、私は塔へ歩み入った。




「なるほど、こういうところなのね」


 周囲を見渡し、私は言葉を漏らす。周囲には巨大な石壁が屹立しており、それが通路を形作っていた。床面も石畳で作られた道で、幅にすれば5から6mほどはあるだろうか。その通路が20mほどまっすぐ行ったところで、左右二手に分かれている。

 

 つまり、いわゆる『迷宮』と言って真っ先に想像するような環境。それが丘陵や森林などを経て、5階層まで来たところで、ようやく私の目の前に現出したのだった。


 左右の石壁は高さにして10mくらいかな。その石壁の頂から天井までは、さらにクリスタルのような透明の素材でできた壁が続いており、中央天移門の場所を示す光球の輝きは透けて見える。だから、だいたいの方向の目安は付くとはいえ、真っ直ぐ光球の示す方に進むことができるわけでもない。現に、20m進んだところで、右か左どちらかに一旦曲がらなければならないのだし。


「めんどくさいわね。これ、ブチ抜いて行けないのかしら」


 私は不機嫌に呟くと、陽炎を引き抜いた。「えっ」というようなアンジェの顔が見えた気がするが、構わず思いっきり、側面の石壁に刃を叩きつける。


 ……通路一面に響き渡るものすごい音と同時、高周波マッサージでも受けたかのような衝撃としびれが、私の指から掌、腕を伝って全身に襲ってきた。

 この世界に来て陽炎や不知火を何度か縦横無尽に振るってきたが、それは初めて感じた強固な抵抗だった。


 顔をしかめ、思わず陽炎をまじまじと見つめる。幸いにというかさすがにというか、刃毀れなどはしていないようだった。

 石壁の方に目をやると、一応無傷ではない。それなりの跡が大きくついてはいる。だがそれも束の間、しゅうしゅうと微かな煙を立てながら、見る間に石壁の傷はふさがり、数秒後には跡形もなく消え失せてしまっていた。


 唖然として壁を眺める。自己再生機能が付いてるのか、この塔は。そういえば確かに、この塔を初めて見た時、太古から立っているにもかかわらず、傷も汚れも全くないんだな、という感想を抱いた事はあったが。

 しかし、EXアイテムでさえも完全には破壊できない材質か。改めて、この塔の窺い知れなさを感じる。


「ば、罰があたりますよ、ご主人さま!」


 アンジェがあわあわと慌てふためいて私の手を抑える。柔らかい手。暖かい手。優しい手。だけど。それは今の私にとって、少しだけ辛い手。


「……そうね、ごめんなさい。もうしないわ。……それでね、アンジェ」


 私はそっとそのアンジェの手をどけた。彼女を傷つけないように何気なく。そして私自身も傷つかないようにさりげなく。


「この5階層では、私が戦っていいかしら」

「え? ……は、はい」


 きょとんとしてアンジェは頷く。4階層までは基本的に私は支援と牽制と陽動を行い、アンジェに戦ってもらってきた。もちろん彼女を矢面に立たせたという意味ではなく、むしろアンジェに危険が及ばないように十分注意してだけど。

 それは主に彼女の育成のためだったし、アンジェもそれを了解してくれていた。

 

 しかし、この階層では私に暴れさせて欲しい。特に理由はないのだが、強いて言うなら、八つ当たりだ。ドロドロと鬱屈したものが身体の中に溜まりこんで黒い渦を巻き、今にも噴き出すマグマのように溢れだしそうだったから。

 いたわしく気遣うようなアンジェの視線に気づかないふりをして、私は石床に靴音を高く響かせ、歩き始めた。





 黄金の剣閃が空に軌跡を描き、漆黒の刃光が大気を裂く。

 白毛赤眼の狼は胴柄と首級を同時に切断され、肉塊となって石床に叩きつけられると、光の中に消えた。これで三匹目。


 5階層ともなると一匹ずつではなく、数匹の守護獣が群れを為して襲ってくるようになっている。守護獣自体の種類も、一階層で遭遇したような、多少は可愛げのあった猫っぽい外見のものから、徐々にその大きさも、そして狂猛性も増してきていた。この狼なんて子馬くらいの大きさはある。

 だが、私にとって大した違いもなく、意味もない。いずれも等しく狩り立てる対象に過ぎない。


 アンジェを襲おうとした最後の一匹に回し蹴りを叩きこむ。洗練された技などではない、ただの力任せの暴力をそのままぶつけただけだ。潰れ、へし折れた手応えと共に、守護獣は石壁に激突した。苦悶の悲鳴を上げて血泡を吹きながら崩れ落ちる守護獣の頭部に刃を振り降ろし、始末を付ける。

 ……また、アンジェに怖がられるような戦い方してるのかな、私。その表情を見たくなくて、私は彼女に背を向けたまま、剣を納めた。


「お、お見事です、ご主人さま」

「……ありがとう」


 小さく早く、何度か息をつく。何か、息苦しい。これまで開放的な自然環境を模してきた塔の内部が、急に人工的なそれに変わったからだろうか。前後左右の視界が壁で閉ざされているというだけで、こうまで心理的なプレッシャーは異なるものか。

 せり上がるような石壁が、物言わずじわりと迫ってくるような圧迫感。壁にも床にも温度を感じず、冷たく硬い。重苦しい閉塞感に軽い吐き気さえ覚える。


「あつ、ご主人さま! 聖遺物、聖遺物ですよ! 二つも!」


 アンジェが弾んだような声を上げる。無理に作ったような元気な声。彼女にも気を使わせている。それはわかるのに。普通にしないといけないのに。でも、どうすれば「普通」に振る舞えるんだっけ。もう、「普通」のやり方がわかんないよ。

 

 ……しかし、ああそうか。私が守護獣を倒してしまうと、スキル効果で、本当は低階層では出にくいはずの聖遺物がポンポン出てしまうんだった。

 でも、まあいいや。今日一日くらいなら、「私、運がいいから」で済むだろう。


 のろのろと振り返る。聖遺物は真珠色に輝く牙と爪。二つで銀貨4枚くらいになるだろうか。

 

「良かったわね、ついてるわ」

「はい、本当に!」


 やや投げやりに言った私に、アンジェは健気に頷く。一生懸命、私の気分を盛りたてようとしてくれている。


「あの、ご主人さまには幸運が付いていらっしゃると思います。一階層で最初に戦った時も、聖遺物を見つけることが出来ましたし」


 そっと私に寄り添い、アンジェは黄金に輝く眼差しを真っ直ぐに向けてくれる。いつからだっけ。いつから私はこんなにもアンジェに気苦労を掛けているんだっけ。私がこの子を守ろうと思っていたのに。今はこのザマだ。


「えっと、えっと、そういえば、ご主人さまが本格的に戦っていらっしゃるのを拝見したのもあのとき以来ですね。やっぱり、ご主人さまはすごいです。私もいい師に付いて剣を学ばせてもらったと思っていますが、その師もとてもご主人さまには遠く及びませんもの。……ええ、ほんとに、ご主人さまの体捌きや剣捌きには目を奪われてしまいます」


 なんだか切ない笑いが漏れそうになる。もういいのよアンジェ、そんなに頑張って、励まそうとしてくれなくても。

 力なく、私がアンジェの言葉を止めようとした時。

 彼女の口から、限りなく純粋無垢な愛情と好意に満ちた、この上ない致命の毒が零れて舞った。




「まるで、ご主人さまは天上から……ふふ、どこか遠い星の世界からいらっしゃった御方みたい、なんて。そう思ったりしちゃいます。うふふ」




 愕然と、する。

 ――待っ……て。

 それは、……それは、ダメ、なの。

 そう、思っては、いけない、の……!

 



『死にマス』




 クソ電飾の無機質な言葉が脳裏をよぎる。

 ――私が異世界者だという事実はもちろん、

 ……そう疑われることさえも、あってはならない……!




 何かを言おうとして。何かをしようとして。けれど何一つ為し得る間もなく。

 私の体を百万の剣が斬り裂き、体内に灼熱の業火が荒れ狂った。



「ああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!…………」



 喉を枯らすような絶叫さえ中途で絶え果て、消え失せる。


 いたいいたいいたいいたいいいあちあいいあちいあちいいあついいい。


 背骨が折れるほどにのけぞり、次の瞬間正反対に身体を屈め、天雷に打たれたかのように痙攣し続ける体はもはや私の意のままになりはしない。

 襤褸雑巾を叩きつけたように床に打ち倒れた私の中で、内臓が一つ一つ燃え弾け、皮膚も肉も骨から強引に引きはがされていくような、衝撃。


 吐き出した胃液と吐瀉物の中でのたうちまわりながら、知覚も感情も記憶もぐしゃぐしゃに引き千切られる。焼かれているのか、潰されているのか、砕かれているのか、斬り裂かれているのか、それともそのすべてなのか。もう分からない。確かなのはただ一つ、私の存在すべてがミキサーに掛けられていることだけ。ドロドロの肉塊以下の、腐汁のような何かに擦り降ろされていくという、その実感だけだ。


 ああ。

 ――わたしのなかのわたしがわたしによってくいころされる。

 

 これが、そうか。

 全ての能力を剥奪され、この世界に適応できない状態に戻される。これが、警告されていた事態なのか。


「……ごしゅ……じん……さま……?」


 茫然と立ちすくむアンジェの顔は凍りつき、眼前の事実を認識できないでいる。

 掠れて滲む私の視界の中に映ったものは。

 棒立ちになっているアンジェの背後から忍び寄る、もう一匹の守護獣の姿だった。


 に・げ・て。

 そんな、たった一言さえ口に出すこともできないままに。

 私の意識は強引に刈り取られて消えた。









 何かが触れる。私の頬に触れている。

 微かな、微かな感触。

 ダメだよ。私の顔、今きっとすごいことになってるから、触っちゃダメ。汚いよ。


 そこまでぼんやり思ったところで、水中から水面にぽっかりと泡が浮き出たように、私の中の私が私に帰ってきた。

 目を開ける。まだ霞む。霞むが、つまりそれは生きているということ。

 ……生きて、いる? あれ、私死んだんだよね? あれ?

 ふわふわな思考の細い糸が、じれったいほどじんわり、ゆっくりと 紙縒(こよ )り合わされていき、やがて最も大切な部分に繋がった。


 「アンジェ……っ!」


 跳ね起きようとして、まだ体に力が入らず、へなへなと崩れ落ちる。上体だけをかろうじて起こすのが精いっぱい。だがその私の耳に、小さな声が、届いた。


「ごしゅじん、さま」


 機械仕掛けのようにぎこちない、けれどそれは確かな、声。

 私の天使の、声。


「アンジェ……」


 頭を振り、強引に意識を明確化させて、私は重たい首を上げ、傍らを見る。

 そこには、アンジェがぺたんと座りこんでいた。

 蒼白な顔、恐怖と絶望のまま固まった表情、感情を失うほど見開いた目。けれど確かに、アンジェが、そこにいた。


「ごしゅじん、さま」


 もう一度、アンジェが震え声で呟き、おずおずと手を伸ばす。その美しい指先が、私の頬にもう一度触れた。


「……駄目、よ、アンジェ。汚れちゃうわ」


 徹カラの後みたいなしわがれた声が私の口から出る。ひどいなこれ。

 けれどアンジェはその制止に構わず、ことん、とそのまま私の胸にもたれかかった。


「ごしゅじんさま」


 ささやいて、すがる彼女の手にようやく力が籠る。少しだけ、けれど確かな力が。


「アンジェ……」


 関節が軋む感覚を覚えながら、私は腕を上げ、不器用にアンジェの頭を抱いた。その温かみと柔らかさが、私に生を実感させる。剥ぎ取られたはずの命の存在を。


「でも、どうして……」


 そこでようやく私の意識は、周囲を確認するだけの余裕を持てた。確か、守護獣がもう一匹、現れていたはず。そしてアンジェはそれに気づいていなかった。何故彼女も、そして私も生きているんだろう。

 ふと顔を上げた私の視線の先に、剣を引っ提げ、ぜえぜえと肩で息をしている一人の人影があった。

 その人影の前には、今しも光に包まれて消えていく守護獣の姿。


「あ、ああ……め、目が覚めたかい」


 振り返ったその人物は、息を荒げ、汗をぬぐいながら、おどおどとした声を掛けてきた。

 ひょろりとした長身、しかし背を丸め、うつむき加減なためにやや小さく見える。まるで案山子のような痩身で、ちょっと強い風でも吹いたら吹き飛んでしまうのではないかと心配になるほど。トウモロコシ色のぼさぼさの髪で目がほとんど隠れているためか、どことなく弱気な印象を受ける。そんな青年だった。


「……ありがとう……あなたが、助けてくれたの?」


 私の謝意に、青年は照れ臭そうに顔を背け、自分の髪をかき乱した。彼の鎧ががしゃがしゃと音を立てる。剣もそうだが、鎧もかなり上質な作りの立派な装備品に見える。にもかかわらず、彼自身はあまり登攀者という荒事で身を立てているようには見えないほど線が細く、そこに不思議なアンバランスが目立つ。


「い、いや……た、たまたま、通りかかっただけだから。と、登攀者は、お互いに助け合わないと」


 青年は歩み寄りながら、私に手を差し伸べてくれた。


「た、立てるかい?」

「ええ……私、どのくらい気を失っていたのかしら」

「そ、そうだな。聖歌一唱分、くらいかな」


 聖歌一唱分というのはこの世界の時間単位。もちろん本当に歌うわけではなく、誰が歌ってもほぼ同じ長さになる聖歌の長さを時間にあてはめたもので、前の世界の感覚ではだいたい3分から4分ほどになるだろうか。

 意外にすぐ私の意識は戻ったらしい。あれほどの苦痛だったにもかかわらず。


 ……そうだ、あれほどの衝撃と激痛を加えられていたにもかかわらず、私の能力は失われていない。その事実は、アンジェやこの青年と会話できていることが最も端的に表している。私のこの世界での会話はスキルによって成立しているのだから。

 それに、腰には陽炎と不知火の重みをちゃんと感じてもいる。EXアイテムもまた、奪われてはいない。


 どういうことなのか。まだ混乱を続けている脳味噌を必死で作動させる。

 出自来歴を疑われることは、私にとって最大の禁忌のはずだ。まさかあのクソ電飾が偽りを言っていたということもないだろう、実際に凄まじい苦しみが私を襲ったのだから。


 考えられる可能性としては、アンジェの先ほどの言葉は、あくまでただの冗談であり、アンジェ自身も本気で私が異世界人であるなどと疑っていたわけではないから、というところだろうか。

 いわば、私を殺すには、私が異世界人であることを明確かつ具体的に疑われる、ということが要件なのだ。先ほどの苦痛は、その制裁が危うく発動しそうになっただけ、ということか。


 しかし同時に、例え冗談のレベルであっても、他者に軽く揶揄されるだけであれほどの事態を引き起こす、ということもわかったわけだ。今後に向けてのなんらかの対応と措置が、どうあっても必要になってくる。


 そう考えながら、私は青年の手を借りて立ち上がった。いまだに全身に力が入らず、膝ががくがくと震えているが、なんとか気力を振り絞る。ふらっと立ち眩みに襲われ、よろけたところを、アンジェと青年が支えてくれた。


「ま、まだきつそうだね……で、でも、なるべく早く塔から出た方がいいな。入り口の天移門まで、頑張ってくれるかい」

「ええ……ごめんなさいね」


 身体は泥のように重く、小刻みな震えが止まっていない。ふっと気を抜くと意識がブツンと途絶えそうになる。まだダメージは重篤に残っているようだった。一足ごとに砕けそうになる身体を叱咤しつつ引きずって、私は歩いた。二人に両脇を支えてもらいながら、かろうじて拾った生にすがって。




「……お名前とお住まいを、教えていただけるかしら。今はこんな状態だから、何もお礼はできないけれど、あとで必ず伺うわ」


 天移門までたどり着いた私は、別れを述べた青年に対して、身体の震えを抑えつつ、慌てて言った。私たちは塔の外へ戻るが、彼はまだ残るという。だが青年は、私の言葉に対し、相変わらずおどおどと、困ったようにその黄色い髪をかき上げる。


「ぼ、僕はフォン=モウン。で、でも、お礼なんていいよ。そ、それに、どこで寝泊まりしてるかも、き、決まってないんだ。そ、そこらの酒場のどこかにいるよ、たいてい」


 髪をかき上げた仕草で青年――フォン=モウンの目がちらと覗いた。その瞳もまた黄色。と、その時にふと気付いた。彼もまた天使族か。アンジェのように輝く金髪、金の瞳ではなく、くすんだ色合いであったために、分かりづらかったのか。

 その事実に少し驚いているうちに、天移門は機能し、彼の姿は青い光の向こうに消えてしまっていた。




 塔の外に転移した私たちの酷いありさまに驚いたようで、周囲にいた何人かの登攀者や、聖務官さんたちが手を貸してくれた。フォン=モウンが言っていたように、確かに登攀者同士は助け合いなのね。逆境の時ほど人の情けが身に沁みる。

 なんか、なんか、人間っていいものだ。……と簡単に思いこんでしまうのもチョロいのかもしれないけど、でも今は、せめて今くらいは斜に構えず、素直に感動していたい。思わず胸が熱くなった。




 よたよたと、やっとの思いで客殿の私たちの部屋に転がり込む。まさに転がり込むという表現がこれほど相応しい瞬間はなかなかない。

 ベッドの上に投げ出すように自分の身体を放り込んだ。ぐったりと瞼を閉じて、荒い息を何度もつく。


「アンジェ……ごめん、お水を……」


 言いかけて、ふと気付く。私の身体の震えは止まっていた。いや、少し前から止まっていたような気もする。では、直前まで震えていたのは何だったのか。


 重い瞼を開け、顔を上げる。

 アンジェが、いた。

 震えながら。全身を激しく震わせながら。

 私ではなかった。

 私ではなく、私を支えてくれていたアンジェが、震えていたのだ。


 思えば、アンジェは先ほどから一言も発していなかった。ただ黙って私を支え、付き添ってくれていた。

 仮面のような無表情。血の気を失った、無表情。その、瞬きさえ忘れたような大きな瞳がまっすぐ私を見つめ、そして少しずつ、潤んでいく。

 ぽつりと、うめくような、呟くような声が、彼女の唇から漏れた。


「じゃ……や……だ……」


「え……?」


 思わず問い返そうとした私に、遠慮もなくアンジェはその身体を丸ごとぶつけてきた。



「やだ! やだぁ! 死んじゃやだ! ご主人さま、死んじゃやだぁ! やだぁああ! ああああああああ!!!!!!」



 後はもう、言葉にならない。ひたすらに、彼女は号泣していた。絶叫していた。震えながらただ泣き喚いていた。心の中のすべての想いを曝け出すように、あらゆる激情をぶちまけるように。

 普段のおとなしやかで礼儀正しい姿などどこにもなくて。

 アンジェは壊れ果ててしまったかのように、泣き叫んでいた。


「ごめん……ごめんね、アンジェ…ごめ…ごめん……」


 私の言葉も、もう続かない。ひたすらに彼女を抱きしめながら、私の喉からも嗚咽が漏れる。溢れる感情が涙となって自分を押し流していく。

 引き攣るような声を上げたのが契機、もう止まらない。


「ごめ……ひくっ……あ……ああああああ!!!!!!」


 悲鳴のように、私も泣き崩れていた。悔恨と恐怖と安堵と感謝と愛と。自分の中のあらゆる感情が混然とし、泣血の慟哭となって迸る。

 私とアンジェは抱きしめ合ったまま、いつまでも、いつまでも泣きじゃくり続けていた。

 お互いの、お互いへの強く激しい想いを確かめ合いながら。

ストック分が尽きたため、以後は不定期更新になります。

次回は7月9日(木)、あるいは10日(金)を予定しています。

もしよろしければまたお付き合いいただければ幸いです。

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