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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
12/84

黒幕と法

 あ、鼠だ。

 直観的に思ったのは、それだ。

 細い顎に細い顎髭。そして耳障りな甲高い声。そこまでは見知っていたが、フードの奥の細い鼻梁と、ギョロリとした目が鼠を思わせたのだ。その目付きには卑賎さと傲慢さが同居し、相手を見下すことに慣れている者に特有な光が宿る。これからはネズミ男と呼んであげるね。

 ネズミ男に従っている周りの7人はいずれも物騒な雰囲気を漂わせており、一見して荒事に身を窶している者たちだとわかる。ネズミ男と7人の従者、か。


「まあ、あなたとはあの競りの会場で一度お目にかかっただけですが。覚えておいででしょうかねえ……」


 ネズミ男のねっとりとした物言いが耳にまとわりつく。うざい。


「ええ、もちろん覚えているわ。落札に失敗して身動きもできず無様に震えていたあなたのみっともない姿はとても笑えたもの」


 さすがにネズミ男もカチンと来たらしく、顎髭がひくひくと震えたが、無理に落ちつこうとしているように息を吸いなおした。


「そのようにケンカ腰になられては困りますなあ。私はあなたにとってもお得な話を持ってきたのですから」


 言うと、私の返事も待たずにネズミ男は懐から革袋を取り出した。見たことあるな、って言うかオークション会場でこいつが金貨入れてた袋か。


「ここに、金貨250枚ございます。ちょうどあなたがその天使族の娘を落札されたのと同額ですなあ。これで、ぜひともその娘をお譲り頂きたいのです」


 アンジェが私の後ろでギュッと身を固くするのがわかる。私のアンジェを怯えさせるな、このドブネズミが。


「同額なのに私の得になるっていうのはおかしいんじゃないかしらね。数の数え方わかる? 1、2、3の次を言える?」


 今度はネズミの薄い唇がひくひくと震える。こいつ、多分これまでは自分が上からの物言いをするばかりで、挑発されることに慣れてないな。からかうと面白い。


「……いえ、お得ですなあ。なぜなら、大金を得た上に命が助かるわけですから」


 それでも無理に優位を保とうとしているネズミ男が目配せをすると同時、周囲の男たちが進み出た。野太刀や剣、槍などを抱えた筋骨たくましい男たちが。その目は獰猛な野獣を思わせるが、野生の獣のようなしなやかで美しい高貴さは欠片もない。ただの、形を取った下劣な暴力。それだけだ。


「脅しというわけ。でも一応確認しておくけど、私は正式な聖殿所属の登攀者よ。つまり聖殿にケンカ売ることになるんだけど、それでもいいのね?」

「おお、それは怖いですなあ。もし万が一、誰かに訴え出られでもしたら大変です。……もし万が一、訴え出る人がいれば、の話ですがねえ」


 周囲の男たちもニヤニヤと下種な笑いを浮かべる。聞く耳なしか。私としては最低限の警告はしたのだから、これ以上は何があっても知ったことではない。面倒だからもうさっさと片付けるか。そう思った時、ネズミ男が不愉快な笑みを浮かべた。


「……それに、あなたはその娘ともう十分、お楽しみになったのでしょう? お楽しみに、ねえ。ならばもうよろしいではないですか」



 今度は私の瞼がぴくんと震えた。

 ……どこで知った、こいつら。私とアンジェとのことを。

 客殿? いやオークション会場の控室、あそこでの会話を漏れ聞いていた? だけど気配察知には誰もかからなかったはず。私もテンパっていたから気付かなかったのだろうか。くそ。


「しかしよお、もったいねえ話だぜ。こんなびっくりするほどの美人が二人して、どっちも男に興味ねえのかい」


 ネズミのお付きの一人、野太刀を持ち下顎から牙を生やした男が嘲笑うように言う。その目は下卑た好奇にギラつき、口角は欲望を丸出しにしたあさましい形に歪む。



 ――ああ。これは、言うな。こういう表情を、私は良く知っている。この男は、きっと言う。



「何なら俺達が、二人揃って男の味をたっぷり教えてやってもいいんだぜ?」



 ほら。言った。

 他の男たちも一斉にゲラゲラと笑いだしている。

 その時私の中にあった感情は、別に憤怒でも憎悪でもない。そんな感情はこいつらにはもったいない。私は単に、こう思っただけだった。――口は残しておかないとね。そうじゃないと、惨めに泣き叫んで無様に命乞いする声が聞けないから、と。


「私からも、提案があるんだけど」

「ほう? お聞きしましょうか」


 許しを請うとでも思ったか、ネズミ男たちが図に乗った表情を浮かべるのを見ながら、私は言った。



「全員、地べたに這いつくばって泥を舐めなさい。そうすればたっぷり苦しめた後で殺してあげる。いやなら、ものすごくたっぷり苦しめてから殺してあげるわ」



 男たちの顔色が一斉に変わる。とはいえ、まだ彼らの余裕は崩れない。


「これはお勇ましい。確かにあなたが盗賊どもを容易く倒したことは承知しております。ですが、アレはたかが20階層に到達した程度の者たちでしてねえ。ここに連れてきているものたちは30階層の……」


 提案を拒否したと判断。では殲滅。

 っていうか、明らかに私もお前たちもお互いにケンカ売ってて妥協する気ゼロなんだから、いつまでもダラダラしゃべってるとか阿呆ですか。


 すっと「膝を抜く」。自然体の状態から予備動作なく一気に加速して間合いを詰める。別に特別な技術ではない。元の世界でも武術の中にある動きだし、この世界にもあるでしょ。だからそんな驚いた顔しないでよね。

 と思いながら、先ほど楽しいお言葉を吐いて下さった野太刀の牙男くんの足元へ滑り込む。彼は一応、驚愕しつつもとっさに身構えようとしただけ偉い。

 まあ、遅いが。


 既に私のブーツは彼の膝を優しく前から押し下げている。メキャ、と素敵な音を立てて膝は曲がる。具体的には前方向に120度くらい。


「ギ……」


 まだ悲鳴を上げるには早い。もう一つ脚は残ってるでしょ。身を翻しつつ、今度は横から膝を踏んであげる。膝は曲がる。具体的には真横に120度くらい。


 今度こそ絶叫しながら牙男は地面に倒れ込む。言ったでしょ、地面を舐めろって。

 七転八倒して悶絶する牙男など見向きもせず、私は陽炎と不知火を抜き放つ。

 今の私に余裕はない。単にこいつらを皆殺しにするだけならわけはないが、今狙われているのは私ではない、アンジェだ。もし私がこいつらのほとんどを斬り棄てたとしても、たった一人にアンジェを確保されでもしたらそれで負けだ。敵との間合いを詰めた分、アンジェとの距離は離れてしまっている。一種の賭けか。

 居着くな、動け、掻き回せ。コンマ一秒も無駄にせず。

 

 視線を一点に固定はせず、あたかも遠くの山々を見るように戦場全体を視野に入れる。

 相手は瞬時に臨戦態勢に入っているのはさすがと言おうか。30階層がどうとか言ってたっけ。ろくに聞いてなかったけど。

 前から二人。刺突剣と長剣。横に回ったのが二人、右に槍、左に薙刀。ネズミ男の前から動かず手を前に突き出しているのが一人……杖を持ってる。魔法使いか。もう一人は?

 私の視界をかすめるように影が一つ。もう一人はアンジェの確保に走ったか。くそ、嫌なパターンだ。


 私に向かった四人が一斉に武器を振るう。鋭い踏み込みだ。悪くない。刺突剣は私の眉間、長剣は首筋、槍は胸元、薙刀は肩口を狙って伸びる。

 あー、これはきっと私斬られちゃったなー。もし私が案山子かお地蔵さんならば、だけどね。

 もちろん私は案山子でも地蔵でもない。四つの刃が私の頭上で交錯し、ガキンという鈍い金属音と火花を散らし合った時、私の身体は深々と沈みこんでいた。足を前後に180度開いて。

 同時に上体を捻りながら前に倒し、陽炎を突き出す。刀身を寝かせながら繰り出された刃は、刺突剣の男の踏み込んだ前足首を寸断している。


「ガッ……!?」


 重心の乗った前足を斬り飛ばされてバランスを失い、刺突剣の男は勢いよく顔面から地面に突っ込む。空振りに終わったと知った残り三人は、すぐさま武器を取り直して地面の私めがけ付き下ろす。だが私はそこに、もういない。

 私は陽炎を中空に跳ねあげると、空いた右手で地面をパンと叩き、その勢いで右手倒立していたのだ。

 さかさまになった私めがけ陽炎が落ちてくる。これを足首を組み合わせ、挟んで掴む。脚によって保持された陽炎を、倒立したまま振り降ろせば、その先にいた槍男の肩から先がちょうど綺麗に斬り落とせる位置。


 血飛沫があがる中、私はもう一度陽炎を脚で宙に放り投げると、一回転して大地に立つ。

 陽炎を右手で受け直しながら、同時にやや離れた位置の魔法使いの状況を確認。突き出した掌に電光が溜まっている。

 でも、そんなに無防備な手を突き出したら、さあ攻撃して下さいなって言うようなものじゃない? 同じ魔法使いのアンジェにも後で注意してあげないとね。

 とか思いながら、ちょうど目の前に転がっている、先ほど斬り落とした刺突剣の男の足首と、今斬り落とした槍の男の腕を続けざまに蹴っ飛ばした。


 『身体能力強化』によって圧倒的に強靭化された私の脚力は、魔法使いの手というゴール目がけて一直線に弾丸シュートを走らせる。もうすぐ魔法が完成するというその瞬間に、魔法使いの男の突き出された手に、凄まじい勢いで肉塊が衝突した。まず足首が、そして腕が。魔法使いの腕と一緒にごちゃごちゃしたミンチになって千切れ飛ぶ。ナイスゴール私。ワールドカップ聖都代表いけるね。


 次いで、必死に這って逃げようとしている刺突剣の男の背骨を踏み砕く。あっちこっちで同時に悲鳴が上がって実にうるさく鬱陶しい。まあ、あえて悲鳴を上げさせるようにやったので、私の自己責任だが。

 

 だが今はそんなことはどうでもいい。ここまでの流れはすべて、二つから三つ呼吸するほどの間のことだったが、私は汗さえかくゆとりもない。アンジェはどうなっている。彼女は。そのことだけで頭がいっぱいだったから。

アンジェの姿を求めて顔を向ける。剣と薙刀の二人がそれぞれ打ちかかってくるがどうでもいい。アンジェは無事なのか。


 視線の先には、苦しみもがいている人影があった。アンジェ――を、襲った曲刀の男の。

 そしてその手前には、輝く光の翅と煌めく光の輪を現出させたアンジェの神々しいシルエット。彼女の胸の前には黄金の光球と白銀の光球が眩く浮かぶ。


 アンジェの得意とする二属性同時発動魔法。相手は特に大きな物理ダメージはないようだが、一瞬、ほんの一瞬だが足止めされた。そこまでを瞬時に読み取って安堵する。そう、アンジェの選択としてはそれが最善。下手に攻撃型の魔法を撃つより、私が戻ってくるまでの時間を稼いでくれるのが正解だ。


 後からアンジェに聞いたことだが、彼女は真っ直ぐに自分に向かってくる曲刀の男に対し、即時の対応を迫られた。かつて盗賊に対し放ったような、大威力の魔法を撃つために集中している間はない。可能なのは集中時間の短い、威力の大きくない魔法だけ。ならばどうするか。彼女はそれを瞬時に判断した。


 アンジェはまず小さな光球を放ち、相手が余裕を持ってこれを回避したところを、風魔法で襲ったのだ。それも、風の刃で斬り裂くなどといったような高威力の術はもちろん使えない。彼女が為したのは、ただ単に、風を相手の顔面に貼りつかせるだけ。……ただそれだけだが、それで男の呼吸を僅かな間、妨害したのだ。

 相手はたたらを踏み、つんのめるように動きを止めて苦しむ。もとより、この風を振り払われるのに長い時間はかかるまい。だがアンジェにとってはそれで十分だった。私がいるのだから。


 私はほっとし、同時にアンジェを見直す。彼女を少し過保護に扱いすぎていたかもしれない。アンジェはアンジェで、初心者なりに確かな手腕と、明晰な判断力、そして何よりも私への信頼を備えていてくれたのだ。もちろん相手が明らかにアンジェを舐めて、すっかり油断していたことはあるにせよ、そこまでを読んで手を打ったアンジェが上をいったと言えるだろう。


 私は胸をなでおろしながら、傍らに落ちていた槍の石突を踏んだ。先ほど腕を斬り落としてあげた男が持っていたものだ。

 石突、つまり刃先と反対側の先端だ。そこを踏まれた槍は、生き物のように、ひょいと穂先をもたげて持ち上がる。


「ひっ……!?」


 勢い込んで飛び掛かってきた薙刀の男は踏み止まることもできず、持ち上がった槍にまともに股間を貫かれた。槍を蹴ってさらに深く突き刺してあげながら、長剣の男に向き直る。


 かろうじて打ち込んできたとはいえ、その太刀筋は乱れ、剣先はブレて、既に死に太刀だ。先ほどはまだまともな剣だったのにな。ちょっと体を開いてよけるだけで、相手の体はフラフラと泳いで流れる。その顔には恐怖と戦慄が焼き付いていた。初めて会った時、味方をしたアンジェにさえ私は怖いと言われたのだ。敵になればもっと怖いんだろうな。

 まあ、自業自得だ。脚を払うと綺麗に地面に転倒。その背後から腰骨を踏み砕いて、私はアンジェのもとへ奔った。


 曲刀の男はようやく顔にまとわりつく風を振り払ったところだった。


「この女……!」


 怒り狂った眼差しを向けようとして、だがその視線の先には、私がいた。

 一瞬虚を付かれた顔になる男に、私は笑いかけて、陽炎と不知火を無造作に振り降ろす。

 男の両腕が、肩から綺麗に飛んだ。噴水のように血潮が吹き出る。汚いな。アンジェにかかったらどうする。腹を思い切り蹴り抜いてやると、口からもっと酷い噴水が漏れた。汚いな。私にかかったらどうする。


 さて、これで全滅だ。そこらじゅうに、わめき、うめき、もがいている男どもが転がっているという面白い光景の中、私はネズミ男の元へと足を運ぶ。


「え……え……?」


 ネズミ男は何が起きたのかまだはっきりと把握できていないらしい。まあ瞬く間の出来ごとだったのだ。無理もないだろうが。

 彼の前に立つ。陽炎をその貧相な顔に突き付ける。そこまでして、ようやくネズミ男の哀れな頭脳は現実に追いついたようだった。


「ひ……ひぃぃぃぃっ!?」


 ただでさえ耳障りな甲高い声が金切り声の悲鳴に変わる。うるさいよ。軽く蹴ったら無様に転がるネズミ男。

 その様子を見て、だが私は不審に思う。やはりこいつは森の中での私と盗賊たちとの戦いぶりを実際には見ていないのだろうか。私の顔を見知ったのは聖都の中に入ってからなのかな。私が盗賊たちを倒したことは知っていても、それを実感してはいない感じがする。そうでなければここまで驚くまい、というか、知っていたらそもそも私にケンカ売らない気がする。自惚れかなあ。


 まあいいや。その辺の事情も聞かせてもらおうか。


「さて、じゃあお話しましょ? あなたに命令をしているのは誰? 何故アンジェを狙うのかしら?」


 言動からしてこいつは小物だ。背後にいる誰かの命を受けて動いているだけと考えた方が納得できる。

 陽炎をずいと付きつけると、尻餅をついたまま動けないネズミ男は顔色を失ってガタガタと震え、引き付けを起こさんばかりだ。


「お、お、お待ちを! もう二度とあなた方には手を出しません! で、で、ですからお許しを……」

「そんなこと聞いてないわ。あなたの親分が誰かを聞いてるの」

「そ、そんなものはおりません! た、ただ私が一存で、その娘が高値で売れるからと……」


 あら。意外と口が堅い。

 忠誠心なのか、それとも、私よりも親分の方が怖いのか。つまり私を舐めている? ふーん。


「あのね。一応言っておくけど、私にとっては口さえ残っていればいいの。しゃべる舌だけあればね」

「……は?」


 問い返す隙さえ与えず、私は陽炎を地面に突き立てた。ネズミ男の手のある場所に。

 ぶちん、と、ネズミ男の左手小指が飛んだ。


「あ?……あひぃぃぃぃぃ!?」

「指はまだまだいっぱいあるわね。その後は耳と目と鼻。どう、頑張ってみる?」


 くそ。ほんとは私だってこんなことしたくない。いや別にこの男がどうなろうとどうでもいいのだが、絶対アンジェにドン引かれてるから。でもそのアンジェを守るためにはこいつのバックを調べなきゃならないんだもの。だからさっさとしゃべれ。


「わ、私は本当に何も……」

「二本目」


 薬指が飛び、ネズミ男は涙と涎を撒き散らして絶叫した。素直に殴りつけて意識を低下させ、『パーソナル・リサーチ』を使うのが一番手っ取り早いのだが、そうしたくない理由がある。


「三本……」

「わ、わ、わかりました! 言います! 言いますっ!」


 密かにほっと息をつく。手間を掛けさせてくれる。

 ネズミ男は目玉をぎょろぎょろとさせ、薄い唇を何度も湿し、どもりながらも、おどおどと口を開いた。



「……レ……レグダー男爵……閣下に、御下命を受けたので……ございます」



 レグダー男爵? そいつが黒幕の名か。私はアンジェを振り返る。


「アンジェ、録った?」

「はい、ご主人さま。……でも、レグダー男爵って……?」


 何か妙に引っかかるような顔をしているアンジェが気になったが、それは後にする。

 アンジェは光翅と光輪を展開し、目の前に空気の渦を作り出していた。

 『風の娘よ、追憶の中にあれ』。アンジェが一昨夜、いくつか見せてくれた風魔法の中の一つだ。任意の空間の空気振動を記録する……平たく言えば、その場の音を風の渦の中に保存する魔法。録音機能だ。術者の魔力が継続している間の一時的にではあるけどね。


 私はこれを引き出したかった。この証言を。

 『パーソナル・リサーチ』で得た情報は正確だが、他者に対する説得力を持たない。この能力のことは他言できないのだから。だからもし黒幕を情報検索で知ったとしても、私はそいつに手出しできない。いきなりぶん殴りにでも行ったら、私の方が犯罪者だ。登攀者は降りかかった火の粉を払うことはできるが、逆に言うと火の粉を掛けてくれないとそいつを除去できないのだ――明確な証拠がなければ。

 だが、この証言は証拠になるはずだ。


「その何とか男爵って人を聖殿に裁いてもらえば、もう大丈夫ね」


 面倒な仕事がやっと終わったとの解放感に、私は笑みを浮かべた。だがその時。



「いえ、残念ながら、それは無理です、ラツキさん」



 背後から掛けられた声に振り返った私の前に、真紅の髪を揺らせた女性が立っていた。聖務官であることを示す白いローブをはおり、その顔にはマスク。


「――ラフィーネさん? 何故ここに」


 目を見張り、私は尋ねる。ラフィーネさんの後ろにも何人かの聖務官が並んでいた。


「ほむべきかな、いと高き塔。……なぜって。凄い悲鳴がめちゃくちゃ聞こえましたよ、表通りまで」


 ラフィーネさんは例の挨拶をした後、苦笑する。ああ……そりゃそうか。悲鳴を出させるように戦ったからなあ。


「それで、これはラツキさんがおひとりで?」


 周囲の惨状を見渡しながらラフィーネさんが尋ねる。


「ええ、まあ」

「お強い方だとは思ってましたが、ここまでとは。驚きです」


 首を振りながら半ば感心、半ばあきれたように言うラフィーネさん。いやあなたの炎魔法も結構なものだと思いますけど。


「それより、今の言葉はどういうことですか、ラフィーネさん。私は彼らに襲撃され、そしてその命令者を自白させたのに。それが無意味と聞こえましたけど」

「ええ、残念ながらね」


 ラフィーネさんは一瞬沈痛にうつむき、そして顔を上げて、言った。そのしなやかな指はネズミ男を示す。



「元レグダー男爵家用人ラドウスには、昨夜、金貨250枚を窃取し逃亡した重窃盗の罪で、男爵家より告発状が出されています。犯行時にさかのぼり、法の外に置かれます」



「な、な、なんですと!?」


 その言葉に反応したのは私よりもネズミ男の方だった。ギョロ目をひん剥き、身を乗り出してラフィーネさんを睨みつけながら喚く。傷の痛みなど飛んでいったかのようだ。


「も、元用人とはどういうことです! わ、私が法外の者ですと!? そんな馬鹿な! あ、あの金貨は男爵閣下より頂戴したもので……!」


 暴れかけたネズミ男を、他の聖務官さんたちが取り押さえる。ああ、ラドウスってこのネズミ男のことか。って言うか何がどうなってる。


「と、いうことですよ、ラツキさん」

「……いや、わかりませんから」


 眉根を寄せる私に、ラフィーネさんは肩をすくめた。


「男爵家から、今言った内容で告発状が先ほど出されましてね。それに伴い、彼を捜索していたところだったんですよ。……それで、ですね」


 ラフィーネさんはちらとわたしの顔を見、重い溜息をついた。



「今言ったように、その男は昨夜の犯行時にさかのぼって法外の者となります。つまり、ついさっきもです。――そして、法外の者は、法の外に置かれるわけですから、その発言は法的根拠としての価値を持ちません」



 今度は私が身を乗り出す番だった。ラフィーネさんがさっき言った、無意味だというのはこう言うことか。つまり、レグダー男爵とやらの関与を自供したネズミ男の発言は、法的意味を持たないため、男爵は依然として法に守られ、私は男爵に手出しできない……。

 トカゲのしっぽ切りか。ネズミ男は切り棄てられたのだ。男爵とやらに。


「いや、しかし! あんなにはっきりと、その男爵とやらが指示したと言ったんですよ!」

「でも、無理です。それが聖殿法ですから」

「ラフィーネさん!」

「無理です!!」


 悲鳴のようにラフィーネさんの声が響いた。激昂していた私ははっと我に返り、彼女の姿を見つめる。ラフィーネさんの拳は固く握りしめられ、震えていた。怒りと悔しみを押し殺すように。



「ええそうです、誰が見たって男爵が指示してラツキさんを襲わせたんですよ。でもその証拠は採用できないんです。採用できなくされたんです、告発状を出されてしまったから。聖殿法を悪用して、聖殿を冒涜して、正義を嘲笑って、それでもそれが法だから! どうしようもないんです!」


 ラフィーネさんの唇はきゅっと噛み締められていた。

 そうか。この人はある意味、私よりも悔しいのかもしれない。

 この人は、聖殿を大切に思い、その正義を信じ、その尊さをいとおしんでいる人なんだ。

 だからその聖殿の尊厳を踏みにじる存在は、彼女にとって許してはいけない相手なのだろう。


「……ラフィーネさん……」

「……すみません、ムキになってしまって。まだまだ修行が足りないようです」


 しゅんとなってラフィーネさんはうなだれる。いつも元気なこの人が、まるで別人のように活力を失っているのを見て、私は胸が痛んだ。


「もちろん、普通ならこんな強引なやり方は通りません。告発状にしたって本来、十分な審査をしないと受理なんかできないんです。でも、レグダー男爵は帝国の聖都駐留官という立場にある方で。つまり、その……すみません」


 あー。外交官なわけね。その立場を使って横車を押したと。どこの世界でも外交官に手を出すのはなかなか難しいのか。

 ネズミ男たちを捕縛し、引っ立てて行く他の聖務官さん達も、ラフィーネさんの言葉を聞きながら口惜しそうだ。


「……そういうことなら、仕方ありません。ラフィーネさんが謝ることじゃないですよ」

「はい……でも、今回こういった無理な事をしたので、男爵ははっきり聖殿に睨まれました。今後は、男爵もあまり目立つことはできなくなるとは思いますよ。ラツキさんたちに何かあれば、真っ先に疑われる立場になるわけですし」


 罪に問うことはできないが、要注意人物としてマークされたということか。外交官にとっては、それはそれで痛手だろう。ならばまあ、こちらとしても全くの手損というわけではなかったか。


「それに、もう一ついいことがありますよ」


 ラフィーネさんは気を取り直したように、にっこりと微笑んだ。無理やりなカラ元気、だろうけど。


「法外の者の資産は、それを討伐したものが獲得できます。なんか、すごく重そうな革袋がそこにある気がしますねー。確か金貨250枚が盗難にあったとか何とか、誰かが言ってましたねー」


 誰かって、あなたじゃないですか。


「……ああ、なるほど。そうするとこれは私のものですか」

「ですねー。なんかまたお金持ちになりましたねー、ラツキさん」


 なんかこの会話の流れは以前にも経験があるような。


「で、話は変わるんですが、ラツキさん。聖殿の近くにですね、とても美味しい……」

「――甘味屋さん、行きましょうか? ラフィーネさん」

「まあ! 私は何も言っていないのに、また奢っていただけるなんて!」


 いや奢るとも言ってないですよ。

 ――でもまあ、ラフィーネさんが元気出してくれるならそれでもいいか、とか。そう思ったのだった。


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