想い。
「彼ら」には名前をあえて付けませんでした。
読者の方にそれぞれで可愛がてもらえたらなと思います。
チリンッ と、首から下げたタグに一緒に通していた、彼女とお揃いの婚約指輪が澄んだ音をたてた。その音に誘われるように目を開ける。
ああ……空が見える。青い。青くて晴れ渡った、俺の一番好きな空だ。鳥が飛んでる。目が霞んでいて、種類まではわからないけれど。
「いいな、お前ら。俺はもう……もう飛べないんだ。約束したのに……必ずお前の代わりにそこへ帰るって約束したのに」
俺の大親友で、ライバルだった同僚が三日前に亡くなった。彼も俺も同郷で、二人とも婚約者がいた。数年前の平和な世界でなら、離れ離れになることもなく俺らは四人で遊びに出かけたりもできただろう。
「あいつと一緒に、帰りたかったよ。でも……」
戦争をおっぱじめて早数十年。戦争世代は二代目に移ろうとしていた。平和だった時代を辛うじて知っているからこそ、諦めきれないのだろう。俺たちは、共に帰るとお互いの婚約者に約束をしていた。もちろん、最悪の場合はどちらかが亡くなった方の遺品を連れ帰る。こちらは彼女たちに内緒の約束。
「悪い、俺も……もう帰れない……」
流れる涙さえ、自分の力では拭えないのだ。もう、拭う腕が動かないから。
「ふっ……ふはは……ごめん。ごめんな」
涙でさらに視界が歪む。眩しすぎる空はどこまでも澄んでいて、まるで俺を呼んでいるようだ。
「もう会えない……約束も、守れない」
二人で幸せになろうねと約束した。またみんなで遊びに行こうねと約束した。もう戻れない。守れない約束に心が痛む。少しずつ、少しずつ息苦しくなってくる。
「俺も……もう終わりだな」
感覚が無くなっていて気にはならなかったが、ガソリンの臭いがきつくなっている。墜落し、拉げてしまった機体。俺の体は自分の翼だったこの機体の一部に挟まれてしまっている。幸い、エンジン部分は切り離すことに成功していたため焼け死ぬことはなさそうだが。
「ごめん、帰れそうにない。一緒に居れなくて、約束守れなくて……」
頬を涙が伝う。泣かないで。と、彼女の声が聞こえた気がする。
「伝えることも、もうできないけど……」
彼女が笑う顔が好きだった。彼女の怒った顔が好きだった。彼女の拗ねた顔も、いじけた顔も、得意そうな顔も。みんなみんな、この手で護りたかった。
「愛してるよ……今まで、ありがとう……」
最後に見えたのは青く、どこまでも澄んだ空だった。彼と、俺の想いが、どうか……どうか彼女たちに届きますようにと、切に願いながら瞳を閉じた。
彼らの想いが、彼女たちに届くのは、この数年後のこと。
*
チリンッ、チリンッ と、首から下げたタグとそこに通した二つの指輪が当たって澄んだ音を立てる。足音に合わせて、チリンッ、チリンッ と。アクセサリーとしてはとても似つかわしくないが、彼女は誇らしげに、長い髪と同じように揺らす。頭上には青く、どこまでも澄んだ空が広がっていた。
その空は彼が最後にここから遠くで、彼女や親友たちを思って見た、澄んだ綺麗な青空と同じだった。
路地を歩く。空爆であちこちの家がなくなり、随分風通しも見通しも良くなった。彼がいたあの頃と比べると。人通りが無いのを良いことに、彼に言いたくて、言えなかったことを口に出してみる。
「貴方は苦しまずに逝けたのかしら。最後、少しでも私のこと思い出してくれたかしら」
寂しい。寂しい。絶対に帰ると約束したのに。二人で幸せになろうねと約束した。またみんなで遊びに行こうねと約束した。もう戻らない。守られなかった約束を思うと今でも彼の暖かさが思い出せる。
「……嘘つき。待っていたのに」
ごめん、と言うように首元のタグと指輪が音をたてる。彼の優しい笑顔を思い出してまた泣きそうになる。
「そんなんじゃ許してあげないんだから」
彼が亡くなったことがわかったとき、迷わず後を追おうとした。でも、彼の形見として帰ってきたタグと婚約指輪を見ていると、まだ来るなと言われている気がした。もう忘れろとたくさんの人に言われてきた。貴女はまだ若くて綺麗なんだから新しい人を捜しなさい。と。でも。
「どんなに素敵で優しい人でも、私にとっては貴方以外、ありえないのよ」
他の誰にも、心が一向に動かなかったのだ。感情をあまり表に出さない人間である私。そんな私のことを一番理解してくれていた彼。彼の隣で、死ぬまで共に笑っているものだと信じて疑わなかった。
「……会いたい。貴方に会いたい」
もうかなわない願いだということもわかっている。この数年で嫌というほど。それでも、願わずにはいられなかったのだ。もう一度彼に会わせて、と。高台にまでたどり着き、下界を見下ろす。
「気持ちいい。ここ、こんなに綺麗だったんだ。知らなかった」
暖かい、優しい風が吹き抜ける。後ろか包み込まれるような、そんな風。涙が滲む。もう泣かないと決めたのに。彼が心配するから。私がうまく感情を吐き出せず、泣いていると決まって抱きしめてくれた。頼むよ、泣くな。俺、どうしていいのかわかんねーから。と言いながら優しく優しく頭を撫でてくれた。大切にされているんだとわかり、さらに泣いた。
「今日は泣いてもいい? 貴方の誕生日なんだもん」
彼を困らせて良いのは彼女である私だけ。そのはずだった。笑顔で見送ってくれと言われていたのに、泣き笑いのような顔にしかならなかった。あの日。帰ってきたらとびきりの笑顔で迎えるつもりだった。それは叶わなかったが。
「お帰りなさいって、言えてないのに」
悔しさと後悔ばかりがこみ上げてくる。だからといって、恨み言を言うためだけに辛い思いまでしてここに来たわけではない。
「私ね、貴方が帰ってこないことなんてもう理解したわ。でもね。それでも待っていたいの。私にできることをしながら。それならいいでしょ?」
少しでも私と同じ思いをする人が減るように。私の持てる力を全て使ってやってみる。
「だから、会えた時はいつもみたいに褒めてくれる……?」
優しい風が吹く。まるで彼が頑張れと撫でてくれているようだった。
彼女の努力の元、この国から争いがなくなるのはさらに数十年後のこと。
fin.
大学四年間の中で最も多く手を入れた短編。
(一番初めに書いたものは夜中に半分寝ながら書いたなんていうことは内緒)
その分思い入れも大きく、大切な作品でもあります。
ほんの短いこの作品が読者の方の「後悔の想い」を作る前の足止めになれたら幸いです。