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うじこ

作者: 星吊 沙

 ああ、もう死ぬのだなとしらじらと感じた。

 腹が、ばっくりとわれている。

 脚が裂けて動けない。

 両手で体を引きずっていこうにも、血を失いすぎていて力が出ない。

それに、どこへ行けと言うのだろう。誰に助けを求めろと言うのだろう。

 私は殺されたのだ。

 いや、正確に言うのならばまだ殺されてはいないが、じきにそうなるだろう。

事が起こったのは暗闇の中で、あれが誰だったのかも分からない。

 私がいつものように寝ていると、突然片脚に激痛が走った。

ぐっさりと縫いとめられるような痛みに、私は思わず上半身を起こす。

唐突に叩き起こされた頭が誤って脚を動かし、皮膚が裂けた。

ゆらりと闇に動く人型の影は床に突き刺さった刃物をそのままに、

何か、棒状のもので私の頭を殴りつける。

ぐらんっ、と世界が揺れて、腹が割かれて、あとはもう、なおざりである。

血を吐く私を運び出し、裏山に乱暴に投げうっていった。

月明かりに照らされた人物像を眺められる余裕はなく、

私は犯人の特定も一矢報いることもできないまま坂を転げ落ちた。

 そして、今はもう荒ら屋となった家にぐちゃりと放り捨てられている。

 昔は木こりの休憩所だったのかもしれない。

 人が暮らしていくにしては狭い、小屋のような場所である。

屋根はないに等しく、腐敗した壁は崩れている場所が多く、

そのうちの一面に関しては、私が転げ落ちる際に破ってしまった。

さほど速度があったようには思わなかったし、私が成人男性だと言っても、

壁に加わった衝撃や重みが大層なものだったようには思えない。

 雨風にさらされ、手入れするものもなく、元から腐って、ぐずぐずになっていたのだろう。

何にせよ、お前も運がなかったなあ、と、とうの昔に生を諦めた私は血を吐きながら、でない声でそう呟いた。


 ――そんな場所に転がされて、もうどれくらいになるか。

 血が派手に出たように思えたが、案外傷が浅かったのか、私の体が無駄に強かったのか。

傷口には蛆がわきだし、気色の悪い感覚で這いまわり、咀嚼する。

 不快である。

 ぐじゅりぐじゅりと音さえ聞こえてくる気がする。

赤い血肉の下に、尖った頭を突っ込んで骨の表面まで舐められているような気さえする。

衰弱した視線を自らの体に向ければ、折れた脚に赤らんだ腹に、白い芋虫が蠢いているのだ。

 ああ、どうしてすぐに死ねなかったのだろう。

 私を殺した誰かは、この裏山に人が入らないことを知っていたのだろう。

そして脚を裂き腹を裂き、逃げる力をなくしてしまえばすぐでなくとも、確実に死ぬだろうと考えたのだ。

それはおそらく正解だろう。声も出ないし、出たところで人里に届くほどの声量はない。

 だが、殺すならいっそのこと、ひと思いにやってくれたら良かった。

 眠っている私の脚ではなく、そのまま心臓を突いてくれれば良かったのだ。

 こんな気色の悪い芋虫に這われて食われながら死ぬなんて、最悪だ。

これならまだ、火で焼かれた方がましだ。これならまだ、水で溺れた方がましだ。

ぐじゃりぐじゃりと、自分が腐り食われていく音を聞きながら死ぬなど、私が一体何をしたと言うのだろう。


 ――けれど、不満を訴える心の声も次第に消えていく。

しとしとと雨が降ってきて、すっかり血の気の失せた唇を濡らした。

 四肢の感覚がない。

 音が焼けに遠くに聞こえ、視界はぼやけて何が何だか分からない。

 もう、夜である。

 真っ暗になってしまうと、視界は失われたようなものだった。

 暗い。

 暗い。

 怖くはない。

 もう、蛆がたかる感覚も、ぼんやりとしか分からない。

 ああ、死ぬのだなあ、と奪われていく体温を感じながら呟いた。

 ――そんな、夜である。

 夜だと言うのに、なにかがぼんやりと見えた。

黒で塗りつぶされてしまったかのような夜に、真っ白な影がある。

それは私の上に覆いかぶさるようにいて、ゆらゆらと動いているようだが、

何をしているのかまでは今の目では分からない。

 頭を持ち上げ、凝視する。

 どうやらそれは人のようであった。

 けれどそれにしては妙でもあった。

 人影は、てっぺんからすみまで真っ白なのだ。

まるで白髪の老人が死に装束でも来ているかのようで、

けれど少しも肌色が混じっているようには見えず、

柳の下に立っているような真っ白な女の幽霊だと言う方が近い気がした。

 もしや、お迎えだろうか。

 私は無意識に声をかけようとして、げほりと咳き込む。

ふ、と白い幽霊が顔をあげたように見えた。

「ああ、だめですよ、動かれては」

 細く可憐な、女の声である。

珠を転がすような、というよりは、優しく撫でるような気遣いの感じられる声色だった。

あなたは誰か、と問いかけようとするが声が出ない。

やがて頭を持ち上げているのにも疲れて、ごとりと落としてしまった。

「心配なさらないでください。だいじょうぶ、あなたは死にませんよ」

 適当な事を言うものである。

 だがぼんやりとした幻影は救いを求める私の深層心理を映してか、白い影に絶世の美人を見せた。

白い髪に真っ白な肌、上品な白の着物は死に装束のそれではなく、月光に薄ら金の模様の浮かぶ上品なものだ。

例え幻だろうと、そんな女性にそう言われては、何となく心の奥で信じてしまうものである。

 また頭を持ち上げる。

 女性は私に覆いかぶさったまま、初めの時と同じように頭を下げたようだった。

何をしているのだろうと目を凝らす。だが、分からない。

けれど、ぐじゅりぐじゅりと、聞き覚えのある音が小さく小さく聞こえた。

――女性の頭があるのは、ちょうど私の腹部、傷のあるあたりである。

音に合わせて、女性の影がゆらゆら揺れる。まるで傷口を舐めているかのようだった。

何をするのか、何をしているのか、問い詰めたいが声が出ない。

手で押さえつけようにも、腕すらまともに上がらない。

 そんな具合で、夜が過ぎた。


 昼になれば、女性はおらず、傷口には変わらず蛆がわいていた。

不快な音と感触を傷口に与えながら、小さな体をくねらせ、うごうごと傷口を埋めている。

けれどそれに耐え、夜になると、また女性が現れた。

彼女は変わらず、心配しないで下さい、動かないで下さい、

あなたは助かるんですよと呪文のように繰り返しながら、原と脚の傷口を舐めた。

感覚が失われてきた今でも女性の舌はこそばゆく、

だがそれを訴えることもできず、私はただただ星も分からない目で空を見上げ続ける。


 ――やがて、蛆の数が減ってきた。

 また夜になり、失血や苦痛よりも飢えが目立ってきた日。

女性は何度か傷口を舐めると、やがて身を起こし、慎ましい声で告げた。

「あなたの体の、腐れた部分はすべてなくなりました。

右脚も、多少の不便は残るでしょうが、しっかりと両の足で歩けるようになりましょう」

 なんですって、もしや、あなた、私を治してくれたのですか。

 そう問いかけたいが体が渇いて声が出ない。

 あなたは誰なのですか、どうしてこんな事をしてくれるのですか。

 問いかけたいことは山ほどある。だが私は、陸に打ち上げられた魚のように、パクパクと口を動かすことしかできない。

何度も何度も問いを繰り返し言おうとするうち、たったひとつ、切れ切れに声に出せた。

「あ、あなたは、だれですか……」

 その問いには、少し考えるような間があった。真っ白な女性は、答える。

「“うじこ”に御座います」

 うじこ、――氏子。氏神様の子孫か。ああ、やはり神の類であったか。

夜な夜なこうして裏山のはぐれに現れるなど、常人ではないと思っていたが。

 ああ、神様に助けて頂いたのだ。きっと私は生きて帰れることだろう。

 お礼を言いたいが声が出ない。

 ありがとうごさいました、あなたのおかげで助かりました。

 それだけでも良いから伝えたいのに、雨水しか飲んでいない喉では上手い具合に声が出ず、

あり、あり、と妙な言葉を繰り返すばかりになってしまった。

それでも意を汲んでくれたのか、女性は笑う。

「いいえ、礼には及びません。あなた様には世話になりました」

 なにを仰られるのか。

 神様というものは、怪我人を助け、あげくご謙遜までなされるのか。なんと懐の深い方だろう。

 私は今までの不信心を恥じた。だが今からでも改心は遅くないだろう。

氏子と言っていたから、彼女は氏神様のご子孫、そうである以上、この辺りに祠など祀られている場所があるだろう。

体が癒えたら犯人捜しよりもまず先に、上物の酒や着物、花や果物をもってお供えに行こうではないか。

ああ、何度お礼を言っても足りないくらいなのに声が出ない。

 それが惜しくてたまらないと、歯噛みしていると、白い女性は別れを告げた。

「それでは、失礼いたします。私の子らに、よく腐った餌を、ありがとうございました」

蛆は殺菌効果のある分泌液を出しながら腐った部分だけを食べると、ウィキペディアに載っていたので、効果を脚色しつつネタにさせて頂きました。

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