魔女の孵化
残酷表現とまではいきませんが、暴力的かなという表現があります。苦手な方はご注意ください。
『魔女』というのは役割だ。
誰かの物語を盛り上がらせるための犠牲。
幸福になるべき誰かの贄。
彼女は、今世で『魔女』の役割を与えられた存在だった。この世に生を受け、成人するまでは周りと同じように過ごした普通の娘だった。
十人並みの顔に、没個性の性格。特に記憶に残る訳でもない茶色の髪と硝子玉のような水色の瞳。だからといって無視されるわけでもない存在。つまり彼女はどこにでもいる少女だった。
彼女の村では、成人の折に、村の最長老である婆さまから占を授けられるのが慣わしだった。
よく晴れた夏の日。
海の底にある彼女の村にも、波間からゆらゆらと光が差し込み、世界はキラキラと輝いていた。
そんな日に成人の門出を迎えられることを、彼女は嬉しく思っていた。
成人したら、宵の祭に参加して、誰かに告白したり、されたり、ゆくゆくはその中のひとりと結婚して、幸せな家庭を築くーー村の少女なら誰もが思う幸せな将来を、彼女も当然のごとく思い描いていた。
婆さまの家は、村の最奥にある白岩と呼ばれる巨石をくり抜いて作られたものだった。今日成人の占を授かるのは彼女だけ。尾ひれを動かして、滑らかな動きで彼女は婆さまの家までたどり着いた。そっとドア代わりの海藻の暖簾を掻き分け、ほの明るい岩の中を進む。
「婆さま、成人の占を授かりに来ました」
奥に向かって声をかければ、のそりと陰が動き、彼女の前に婆さまが現れた。死んだ珊瑚のように白く、しわくちゃな老婆の姿は見るものに恐怖と畏怖を与えた。
いつかは村の誰かが、この老婆の役割を引き継がねばならないのだが、うら若い娘たちは自分には関係ない話題として、時にはからかいのネタとして、俎上に乗せた。しわくちゃの姿はまだ若い女からすれば敬遠したいものがあったからだ。
「よく来たの。さぁ、こっちへおいで」
嗄れた婆さまの声と手招きに応じて、彼女は婆さまの近くに寄った。婆さまの前には岩を削って作ったテーブルがあり、その上には切り出したままの海晶石があった。
海晶石は白い透明感のある石で、非常に純度の高い魔力を秘めていた。占を行ったり、魔力を使う時に補助になったりと、便利な魔石だ。しかしかなり貴重なもので、価値も高く、そんじょそこらで手に入るものではなかった。この村で所有しているのは、もちろん婆さまだけだったし、この海晶石ですら、婆さま個人のものではなく、村の長老に代々伝わるものだった。
「そなたに成人の祝福を」
婆さまが海晶石に手をかざすと、それはぼうっと白く発光した。
「生ある限りの海と光と闇の加護を、愛を、祝福を、享受し、心ゆくまま生きられますようにーー」
婆さまの不思議な重なりを持つ声が岩の家の中に響き渡る。ぐわんぐわんと音叉のように音が響き、跳ね返り、まるで自分の体に祝福が染み込んでいくように彼女が感じたときだった。
パキンッとなにかが割れた音がして、祝福の音が止んだ。彼女は心地良い祝福が途切れたことを不審に思い、閉じていたまぶたを上げた。
「なんと……」
いつも動じない婆さまの驚愕した声と、目の前にある光景に彼女は目を丸くした。海晶石の白い清廉な光の見る影もなく、どす黒い靄のような光が、海晶石から割れ出たひとかけらを取り巻いていた。さつきの割れた音は、海一の硬度を誇る海晶石が割れた音だった。
「ば、婆さま。これは?」
「そなたは闇の子じゃ」
「はい?」
不穏な言葉の響きに彼女は首を傾げる。海では光も闇も平等にいきものを愛し、祝福すると信じられていた。それにも関わらず、婆さまの言葉は闇を恐れるように聞こえた。
「光の祝福を拒絶するほどに闇の加護が強いのじゃ、そなたは。闇と魔の娘じゃ」
彼女の瞳を覗き込みながら、老婆は淡々と述べる。
「そなたは『魔女』じゃ」
魔女ーーそれは、いつもどこかにいると言われる存在。闇に愛され、魔を従え、人を闇に引き込もうとする、絶対の悪。
魔女と契約を交わしてはいけない。魔女に望んではいけない。代償として光を、命を、大切なものを差し出さなければいけなくなるから。
そんな噂がまことしやかに囁かれるのが、魔女という存在だった。
「『魔女』だなんて婆さま。私は強い魔力も持っていないてわすし、闇も光も同じように愛しています」
震える声を叱咤しながら、彼女は婆さまに縋るような眼差しを向けた。
「『魔女』は常に存在しなければならぬ。この世のバランスをとるために必要な存在だ。おそらく先代の『魔女』が亡くなったのじゃろう。その節目にちょうど成人するそなたに役目が回ってきたのだ。そなたは『魔女』にならねばならぬ」
婆さまの厳しい声音に、彼女は涙を目尻に浮かばせる。人に忌み嫌われる魔女。そんなのしわくちゃの最長老ごときの話ではない。
そんなタイミングの問題で、自分に役目が回ってきたなど信じられる訳がない。
「これはそなたの闇晶石じゃ」
婆さまが割れた海晶石を示す。それは元の白さが全く見当たらないほど、闇晶石の名にふさわしく暗い闇色に染まっていた。
「『魔女』の魔力の源となる闇晶石。わしには触れることすらできん。さぁ、手にとってごらん。そなたが『魔女』であることがわかる」
彼女は嫌々と首を横に振った。長い茶色の髪がそれに合わせて揺れる。しかし、老婆はじっと彼女を見つめ、視線だけで促してくる。
「「さあ、魔女様。闇晶石をその手に」」
背後から響いたそろった声に、彼女はばっと振り返る。その視線の先には、今まで見たこともないくらい美しい二人の男がいた。
ひとりすらりと背の高い黒髪の無表情な青年。
ひとりは黒い肌のにこやかに笑う少年。
二人とも尾ひれが見たこともないくらい黒い色をしていた。
「だれっ!?」
彼女の鋭い誰何に青年が口を開く。
「魔女様の下僕」
少年も笑いながら言う。
「魔女様の奴隷」
二人が同時に口を開く。
「「闇の従者」」
底のない海底の割れ目を思わせる声に、彼女はぞっとする。その間に二人はするすると彼女に近付いた。
「いやっ!近寄らないでっ」
「受け入れよ。そなたは『魔女』じゃ」
老婆の声が追い討ちをかけるように彼女の背後からせまる。青年が背後に回り、彼女の体を拘束する。少年は闇晶石をヒョイと持ち上げる。
「やめてっ。何するの!?」
拘束を抜けようと暴れまわる彼女の顔を固定し、少年は闇晶石を彼女の口に放り込んだ。
信じられないと目を見張り、彼女は慌てて石を吐き出そうと口を開いたが、それは叶わなかった。少年の唇によって彼女の口は塞がれ、まるで飴でも転がすように彼女の口内で、少年の舌が闇晶石を弄んだ。青年に拘束されたまま、少年に翻弄された彼女が気付いた時には、口内に闇晶石はなく、本当に飴のように溶けたのか、と疑問に思った時だった。
「熱っ!」
額が焼けるように熱くなり、思わず手で押さえる。その時既に青年の拘束が外れていたのだが、彼女はそれにかまえないほどの熱さと痛みに目が眩んだ。
どくんっと大きく体が脈打ち、熱が体内を駆け巡る。額は一際熱を持ち、ズキズキと頭が痛む。彼女は床に崩れ落ち、荒い息を吐き続けた。
「……」
唐突に痛みも熱も引き、逆にすっきりと体が軽くなっていた。
「おめでとうございます。『魔女』への孵化、成功にございます」
青年がきっちりと頭を下げるのを、彼女は鷹揚に頷いた。
「これから魔女様の住処に行くよ」
少年の砕けた物言いにも、うっすらと笑みを浮かべる。
従者の二人よりも暗い闇色の鱗を持つ下半身、視界にちらちらと見えるうねるようなぬばたまの髪。額に感じる闇と魔力は、そこに三つめの目のように闇晶石が顕現したからだ。
私は『魔女』。
闇の祝福を受け、人から光を奪う災厄の魔女。
従者の二人は陶然とした表情で、魔女となった彼女を見つめた。
「永きに渡る『魔女』の大役、無事務められますよう」
海晶石を操り、世界の一端を知る老婆の祈りを背に受け、彼女はしもべの二人とその場から消えた。
よく晴れた夏の日のこと。
海の端にある村で、成人を迎えた娘がひとり消息を絶った。村ではしばらく話題になったが、平凡な娘の噂はすぐに誰も口に上らせなくなった。
それからしばらくして、海中に噂が広まる。
人を闇へと引きずり込む、闇色の鱗と髪を持ち、額に黒い石の埋まった醜い魔女がいる、と。
魔女は、人とは思えぬ醜い容姿で、絶世の美貌を持つ二人の従者を従え、薄暗い洞穴で待ちわびている。
愚かな願いを持つ哀れな人々をーー。
「さあ、願いを言ってごらん?」
この話は『人魚姫』の登場人物たちの転生話から、生まれました。転生した魔女に前世の記憶があったらという設定で、じゃあその前世を妄想しよう、と生まれたのがこれてす。
『人魚姫』の魔女視点が書いてみたいのもあって、その前日譚的な位置付けになります。
お楽しみいただければ幸いです。